この表紙は年報原本のコピーです
年報表紙1



目 次


みんなでバレーをーーーーーーーーーーーーーーー部長 田中宗男
バレーに情熱をこめてーーーーーーーーーーーーー会長 池田 清
運営費の内容ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マークとバッジーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(宮原)
部 報ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(西村)
コートの変遷ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(宮原)
合宿練習ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
活動状況ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)
輝ける発足(22年度中学男子)ーーーーーーーーーーーーー(池田)
長蛇を逸す(23年度高校男子)ーーーーーーーーーーーーー(池田)

どん底(24年度 〃 )ーーーーーーーーーーーーーーーー(宮原)
新プレーの導入(25年度 〃 )ーーーーーーーーーーーー(金子)
前衛攻撃のみ(26年度 〃 )ーーーーーーーーーーーーー(山賀)
全国大会へ(27年度 〃 )ーーーーーーーーーーーーーー(加藤)
唯二試合(25年度高校女子)ーーーーーーーーーーーーーー(金子)
初出場に四位(26年度 〃 )ーーーーーーーーーーーーー(中村)
僅か九試合(27年度 〃 )ーーーーーーーーーーーーーー(中村)

喜びの綜合制覇(23年度クラブ)ーーーーーーーーーーーー(池田)
山梨に敗る(24年度 〃 )ーーーーーーーーーーーーーー(池田)
県民大会でバックルを(25年度 〃 )ーーーーーーーーー(金子)
クラブとして組織化(26年度 〃 )ーーーーーーーーーー(宮原)
二位ばかり(27年度 〃 )ーーーーーーーーーーー(宮原、金子)
何回試合したか-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)
上位に出たのは-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)
数字は語る-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)
第三者の眼は-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)
校内対抗ー-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(西村)
編集後記ー-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子一雄






                               


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「みんなでバレーを」

部 長  田 中 宗 男  

 日本スポーツ史を繙いて現代程スポーツが暇さえあれば盛んに行われ、又語られる時代はない。人々によってスポーツの種類こそ、又其への意欲こそ違え、人々は絶えず明るい健康なレクリエーション、スポーツを私達の生活の中に混流し、より明るい家庭、社会を造りあげようと欲して居ることも否めない事実である。実践行動を必要とするスポーツ、変化多きボールゲームの中でバレーボール等その最も適したものであることは衆の等しく認める処であろう。
 スポーツ面から眺めた学校教育も、小学校に於ては主に遊戯、中学校では主として各面の基礎鍛練(演習)乃至は興味、高校では一段高度の技術又は各スポーツの廣き理解を目標とし、大学に入って初めて各層に於ける各技術、鍛錬を通して而も理論的に考え、其等を知ることになるのである。
 誰でも自分の欲する或物を自分で獲得した時の喜びは同じであるが、スポーツでも、その技術がより進めば其への興味はより増して来る。バレーボールのパスを初めて行う人は大概、指を捻挫したり、下腕筋の疲労を感ずるが、そういう事は續けていると自然に分かって来る。スポーツは実践を伴って初めてその價値があると思う。私は中学校乃至は高等学校等でバレーボールを愛好する人々に、より一層の後援をしたい。
 船橋高等学校バレーボール部もその傅統は非常に浅いが県下に於ける戦績は毎年優秀な成績を修めて居る。さきに三、四回の先輩しか持たぬクラブだが、親愛なる彼等の思いつきにより、当部のあゆみと、その度に於ける戦績の反省とでもというか記録ををここにまとめ、一昨年度卒業の金子君の努力によって編集の運びに至ったのであるが、後輩或は各中学校等に於ては多くの参考資料になると思う。 私は茲に親愛なる当部の諸先輩に敬意を表すると共に、此からの人々がより多くバレーボールを愛好する事を衷心より望むものである。

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「バレーに情熱をこめて」

                
会 長  池 田  清 

 バレーへの道は入り易く抜け難い道である。誰が誘うという事もなく円形になってボールで遊ぶ。如何にも樂しそうにみえ、つい仲間に入る。この中から上手にやってみせてやろうという人が何人か出て来る。或程度上手になると俄然興味が湧き、よしバレーをやろうという意欲となりやらずには居られない状態になる。其が技術の上達への興味となりチームを編成し或はチームに入って更に向上する試合をやる。次に征服慾が湧き上り、勝利の追求となって敗れても今度こそと意氣ごむ。
 其為に練習が必要となって来るし練習後の軽度の疲労或は適当に汗を流した時のあの爽快な胸のすく様な満足感、此等が積り積って青年のスポーツに対する意欲を昂進させ、スポーツへの執着をももたらすのであろう。此処で青年の熱と意氣とをうちこんでやろうという対象が出来る。
 自分も今迄に何回となくバレーをやめようかと考えたことがあったがシーズンが廻って来るとどうしてもやらずには居られない衝動に駆られる。こんな時に高校時代夢中で練習した事等を思い出すと今すぐにもやり出したくなったりする。
此の様な欲求を抱く友輩が集ってクラブを組織しようということになり実現したのが船高クラブである。
 船高クラブ員は高校時代より苦樂を共にして来た友であり互に親しみを感じ合い離れ難き間柄であり而もバレーが好きな同志で集って居る。其故各人が自己を愛すると同様にクラブを愛し、己を捨て難いと共にクラブをも捨てられない。
此の事実こそ我が船高クラブの誇りでもあり強味でもあると言えよう。然しクラブチーム共通の難點であり弱點である練習量の不足は如何とも仕様がない。
 此の打開策として個人的練習の量の増加或はバレー以外の趣味を通じての会員の結束を図ってはいるが充分とはいい難いのは残念である。一方、県のレベル向上の為、会員は以前より近在の中学校、実業団のバレー熱を刺激し普及に努めて来た。今後も大いに活躍したいと思って居るがここで今迄に我々のなして来た事柄をまとめて顧みてみるのも無駄ではないと思う。
 終りにバレー愛好者皆様の健康を祝福すると共に諸チームの発展をお祈りして筆をおきます。
 昭和28年4月20日



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「運営費の内訳」

  当部の運営費の内、寄附その他の臨時収入と部員より徴集せるものを除いて、ここには生徒会費についてのみ収支を記載する。
尚、部員よりの徴集は22、23年度は必要に応じて、24〜26年度は月20円、27年度は月40円、バッジ代は50円となっている。
○[昭和22年度]
 ◇収入の部 11,500円 (校友会費 11,500円)
 ◇支出の部 11,509円 (ボール費 5,840円、備品費 1,850円
             交通費 1,936円、その他 1,883円)
 ◇差引残高   -9円      (注)ボール単価 約680円

○[昭和23年度]
 ◇収入の部 37,491円 (生徒会費 37,500円 繰越 -9円)
 ◇支出の部 36,165円60銭 (ボール代 18,343円10銭、
               備品費 4,274円、交通費 6,912円、
               その他 6,636円40銭)
 ◇差引残高 1,325円40銭     (注)ボール単価 約1,100円

○[昭和24年度]
 ◇収入の部 36,325円40銭(生徒会費 35,000円、繰越 1,325円40銭)
 ◇支出の部 36,118円40銭 (ボール費 19,160円 備品費 11,896円40銭
               交通費 3,873円、その他 1,189円)
 ◇差引残高  207円       (注)ボール単価 約1,500円

○[昭和25年度]
 ◇収入の部 34,207円 (生徒会費 34,000円、繰越 207円)
 ◇支出の部 34,008円 (ボール費 16,100円、備品費 2,654円
             交通費 10,140円、その他 5,114円)
 ◇差引残高 199円        (注)ボール単価 約1,400円
             (運動部費総額 207,450円)

○[昭和26年度]
 ◇収入の部 54,199円 (生徒会費 44,000円、演芸大会益 10,000円
             繰越 199円)
 ◇支出の部 54,199円 (ボール費 18,200円、備品費 7,525円
             交通費 7,509円、その他 29,894円)
 ◇差引残高   0円      (注)ボール単価 約1,300円 
            (運動部費総額 339,000円)
      (演芸大会利益金配当運動部総額 104,200円) 

○[昭和27年度]
 ◇収入の部 37,000円 (生徒会費 37,000円、繰越 0円)
 ◇支出の部 33,010円 (ボール費 33,010円、備品費 0円
             交通費 0円、その他 0円)
 ◇差引残高 3,990円     (注)ボール単価 約1,700円
             (運動部費総額 330,250円)
◎(27年度全国大会参加生徒会補助費)
 ◇収入の部 17,000円
 ◇支出の部 17,100円 (旅費 3,600円、宿泊費 13,500円)
 ◇差引残高  -100円
内 藤 


○[26,27年度クラブ]
 ◇収入の部 23,790円 (会費 20,300円、その他 3,490円)
 ◇支出の部 20,340円 (ボール代 7,400円、交通通信費 2,223円
             親睦費 3,218円、登録費・参加費 2,380円
             その他 5,119円)
 ◇差引残高  3,450円
山 賀 



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「マークとバッジ」

 最初のマークは紺の「船中」で22年7月、全員に配布された。23年4月学制改革による高校昇格に伴い船橋高校の頭文字をとり紺でFHSとした。然し県下のチーム数も増えるに及んで秋の大会を前に一つ月並みでない元気のよいのをということで9月にはローマ字筆記体でフナコーとし、Oの尻尾をFの下迄打ち返し、此を黒とした。その意気現れてか初の綜合選手権には見事優勝の栄をかち得たが、特にF陣の大きい連中は胸を張るたびに字の継ぎ目が切れてしまうので翌24年からは極めて簡単に横7縦8cmの紺のFを胸の中央につけることとした。無精者には受けが良かったと見えて、27年全日本高校に出場することになりFだけではまずいというので黒で船橋高校と横に並べたものを作るまで3年間続いた。
 クラブの方は23年秋、現役で不用となったFHSのFを活用したのが初めて、26年春組織的に発足するに当って緑地に黒のFの既製品を池田が見つけて来て、左胸につけることとした。
 女子は創立以来黒のFで通して居る。
 一方、船高バレー部としてどん底であった24年も終りに近づく頃、先輩に負けじとの意気上り、又部としての存在意識も高まり、バッジを作ろうという話がもち上り、絵画部にも属して居た小倉、佐藤に数種の原案を画いてもらい、部員合議の結果現在のものに決定した。
当時既に卒業して居た先輩にも配り以後新入部員に原価で配付している。
バッジは横2.4cm縦1.2cmで、#の左上部にボールを、上部に勝利の月桂冠を配し、ボール上斜めのFUNAKOは金色に、#上のVOLLEYは銀色に、共に浮き出させたものである。
宮 原 



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「部 報」

 「排球部報」は昭和25年4月20日付を第1号として、同年11月1日付の第4号まで発行されたのであるが、諸事務がそれ以後2年生に移管され部報発行を継続する者がないままに自然絶版となった。そもそも「排球部報」発刊の動機は、昭和24年秋頃より25年にかけて学校内に流行した謄写版刷りのクラス新聞、その他パンフレット等に刺激されて、25年3月末の合宿に於て提案されB5版(藁半紙半截)で月刊という形の予定をとり印刷発行されたのである。けれども実際には練習、合宿に災されて月刊とまではゆかなかった。
以下簡単に号を追って当時をしのんでみようと思う。
◎第1号 4月20日発行
○論説 忠実なるバレー人たれ
○チームは生きた社会 成功した合宿練習 主な見出しはこの二つで ある。 周知の如くこの時代、即ち昭和25年度卒業生が最上級生となる頃は、船高排球部創設以来の最沈滞期であった為に紙面もチームメートを激励する記事となっている。論説は"安易な道を歩むを避け、忠実に誠心をもってバレーに接せよ"と述べ、合宿感想はチームワークの重要性を説き、自己の持ち場を守れといずれも奮起要望型である。一般的記事としては、バネの訓練、スコアブックの記入法、練習試合の記録などがある。

◎第2号 6月10日発行
○優勝 佐倉を下す==第三回県民体育大会====
○努力が第一 しかし勉強を忘れずに (註、福地先生書簡)
 第3回県民大育大会排球の部で、船高クラブとしてOBとの混成チームで出場し見事優勝した記事が一面の半分を占めている。裏面の福地先生からの書簡は、この優勝に対する祝辞であり、同時に警鐘でもあるだろう。それは"運動を通じて精神的にも物質的にも高度の文化人たらんとしている"事を理解させたい親心からだと感ぜられる。その他は校内排球大会の記録、新部員名簿がある。新部員は男子6名、女子15名と記載されている。

◎第3号 7月23日発行
○論説 愛する心
○又も長生に敗る 県大会・全日本予選
○女子初試合
 女子排球部は前年から存在していたが僅か三人とあってはチームとは呼べず、有名無実の感があった。しかし15名の多数入部により一日ごとに活気を帯び、漸くチームとしての形を整えつつあった。けれども残念なことに統一されたチームとは認められず、絶え間ない内紛が続いたので論説は"他を愛する事、それはとりもなおさず己を愛する事である"とやや宗教的とも云えそうな一文を掲載した。丁度その頃男子チームも全日本高校選手権予選の2回戦に於て19-13より逆転され、長生高校に名を成さしめた事を報じている。この記事は船高の弱点をさらけ出したのであり"又も…………"という見出しと共に後輩諸君の胸に銘記しておいてもらいたいと思う。女子が中学2校を相手に初試合を行い1勝1敗の成績をあげたのもこの頃、7月23日ある。"初試合としては良く出来た方だ"という箇所は女子部員をどんなに赤面させた事か。
その他には、チーム展望、夏休計画などがある。

  ◎第4号 11月1日発行
○論説 早く集れ
○不覚の一戦 国体への野望潰ゆ
○敗戦から学ぶもの
最終号となった本号は「宿望消滅号」である。論説は一般的に"日は早く沈んでしまうというのに、全員コートに集合する迄長時間を要するのはどうした訳か"と警告し、国体関係の裏面は”我々の夢が破れた”と嘆き、その反省欄に於て、”終局を追いすぎ目前の敵を軽視した為思わぬ所で敗れてしまったが、トーナメントは一戦一勝主義ということを忘れず慎重にすべきだった”と述懐している。
その他の来年の合宿に望む、今度こそは(註 11月5日に行われる県綜合選手権に対するもの)がある。
 ざっとこんな所であるが、編集、印刷は西村が担当したことを附記しておく。
西 村 



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「コートの変遷」

 船中に初めてバレーコートが作られたのは22年春であったがこれは前庭(1)に体育授業用として設けられたもので校友会としての活動は未だ始って居ない。  同年7月全校生徒の作業により斜面だった校舎の南側(2)に移され、ここにバレー部としての活動が始まり、最初の対外試合が千商、佐倉中等と行なわれた。然しここは全くの砂地で夏には砂が熱く立って居れぬ程なので8月末、トラックの中(3)にも新設、秋には両コートで初の校内対抗を行なった。
 
 コートの周囲その後23年末迄の(3)に於ける月の光の下での練習等は一生の思い出となろう。だがここの礫の多さにはB連も音をあげてしまったので24年早々(4)に移し、ここは内務省の土地であった為間もなく(5)に移った、コートの周囲には米軍払下のブルトーザー等が有り、その下にもぐってはボールを拾ったものである。ここは南北に通ずる掘割の中で夏は南風が強く練習が思う様に出来ないので10月には現在南校舎のある職員室前(6)に既に出来上っていた点線で示す校舎にくっつけて造った
   この時のリヤカーでの赤土運びは大事業であった。ここは校舎に近いので空時間、昼休みにはいつもS乱打等を行って居た。一日中#を張って居た為に一般への普及度が大きかったことも認められる。隣りには初めて女子用も併設された。初の合宿はここで行われ福地先生の個人ノック、新任木村先生の四角パス、ダイビング等苦しい思い出が多い。25年6月南校舎の着工と共に一時(7)に移り、すぐ(8)でテニスコートを借用することになった、女子は男子が(8)に居る頃(9)に居り、シーズンオフと共に男子も(9)に移って26年度を過した。
   27年春点線の位置に家庭科教室が建てられることになったので26年末より(10)に作業を開始2月迄に困難な地ならしを終え2面を完成、南北の強風をものともせず練習に励んで居る。
6年間に10回も変えばならず、而も風の強い日や雨の後などは中学校を借りたり、そこらの空地、校舎のかげで練習したりせねばならかった過去の状態は未だ未だ続くであろう。数年前、砂や礫のコートを大事に掃除して使って居り、福地先生の着任第一声が「こんなコートでよく優勝したね」だったことを考えると(10)コートは立派なものというべきであるが、附近の水溜、建設省の下水等、問題は絶えない。
宮 原



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「合 宿 練 習」

◯[第1回合宿]
25年3月17日集合 27日解散、風雨の為練習正味5日間
福地先生送別会費共参加費600円米2升
指導福地先生OB近藤参加11名通い2名(途中から永盛宇佐見) 宿舎は当時の宿直室 炊事当番専任1輪番2

 当番起床6:00 起床6:30 トレーニング7:00 朝食7:40 
 練習 9:00〜12:00、 1:30〜5:30 夕食反省会6:00 就床 9:00)

第1日のみ練習30分ずつくり上げ 夜はルール研究等 ボール5ケなるも分担修理により10ケを越す Reの基礎を目標とし、Run,Pa、動きつつする2人Pa、2ndSによる個人ノック、3対1個人Re等を主に行った、Sは午前午後計1時間半位 Bコーナー5、HB4人の間3、他を1点とし採点法により競争してみた Atも部分的なもの SReは当分333とし福地先生の強球200本中164本上げる様になる、然しHBのto悪く上がったボールを活かせない。
 F陣はto,#プレー、stに全然ふれなかったので此らの點ではまずかったが個人ReをBと共にやったのは良かった。
 此の合宿でボールの下に早く入れることだけは何とかなる。尚、VB誌の記事により東レ児島氏にならい砲丸をいろいろに扱って手首を強くすることを始めた 同じく嚶鳴のSは打球から落球迄0.7〜0.9秒普通は1〜2秒というのを読んでstウオッチで測ったところ4名が1秒以内であった。
 金子復帰するも回復充分でなく当分の間HRで軽く練習 毎日風強く特に朝の練習は拭掃除で湿った手に冷い風が当るので全員がヒビアカギレ著しく指の付根の裂けた者も数名あり入浴時は苦痛であった。三日目殆ど全員が参ってしまったので強風の午後を休みとする。織戸が漬物を大量寄附する。

収入の部





参加費
積 立
その他
 計 


6500.00
2399.00
540.00
9439.00


支出の部





主 食
副調味
燃 料
雑 費
送別会
 計 
3024.00
4290.50
436.00
192.50
1485.00
9439.00

金 子


◯[第2回合宿]
25年7月30日集合 8月8日解散 7日解散の予定なるも5日迄毎日時々雨が半日雨の状態で充分出来ず1日延ばす此の為経費非常にかかる。
参加者OB近藤参加13名通い1名 宿舎は宿直室と裁縫室、炊事当番同前回

   当番起床5:30 起床6:00 トレーニング6:30 朝食7:10
 練習9:00〜12:00、3:00〜6:30 夕食反省会7:00 就床10:00

Atシステムの完成と綜合練習を目標とす At陣自信つくもReの進歩少し 雨の為休が多く疲労は見られなかった 近藤の指導によりHL金子HR西村と変わる HLがFLの直後でする早Kに手をつける FL草FR遅の時間差をものにする
船小体操場と千工体育館を1日ずつ借りたが千工の日(1時半〜6時半)は永盛のto実によくHサイドは2米35の#でH線へ叩きひねりもよく利いて居た F3人対H両サイドと近藤のレバンドを含めたst練習及び左右半分ずつのAtによるst練習をやる 効果あり
SReシステム変更(図参照) 即ちA は来ないし高球に強いHL,BLで止められBには小さく入るボールが少ないという経験に従って図の如き3 4 2とした 25年度中をふり返ってみるとAはJMで1本とられたのみでBは3本とられてあとはHC,HL,BLの3人で拾っているがBの3本中2が木更津に敗れた1セットのものであるのは不運であった
最終日にはOB海老原の寄附による西瓜を食べ放題で各人の胃袋の大きさが知れた
 参加費6500円 積立4774円、支出詳細不明なるも米の実際量が計算量よりずっと不足し又1日延長の故もあって相当購入した。

金 子
 

◯[第3回合宿]
25年9月18日(日)久しぶりに木村氏来校、国予に備え是非合宿せよととの命に翌日より集ることに決定 米1升 参加10名通い2名
宿舎宿直室 コーチャーの都合といふ理由で午後の授業出席を三日間特に免除さる 尤も午後は空時間の者が大部分であった。
炊事、朝は同前回、昼は3,4限の空いて居る者で男女不問、夜は女子に依頼 19日1時〜6時半の練習にくたくたになる。
20日6時〜7時半Sとパートpa 午後降雨の為に宮中講堂を借りる Reと山賀好調なるも長島過労金子休、柴山ボールに乗って右足首捻挫
21日朝なし、柴山休西村発熱、高い2ndSがとれずpa悪い為to決まらず
22日朝なし、午後少々Sと2ndSによるAt 柴山もやってみる 全員疲労気味なるも元気に解散  積立金より2610円、副食ややぜいたく。
 
金 子
 

  ◯[第4回合宿]
26年3月21日〜27日 指導OB宮原参加8名通い3名 宿舎は当時の役員室 炊事3名輪番
 シーズン前の合宿練習の根本的な目的はまずチームワークの養成、基礎技術の習得等であった。短期日で最大限の効果をあげようとするのは当然であるが、それにはどうすればよいかという具体策には困惑した。機械的に事を運ぶわけにも行かないので各自のコンディションとチームのバランス維持に苦慮し、前半三日間は体力養成と各個の技術向上を主とし、後半をチーム練習とした。
合宿の利點を有効に利用する為少々の無理をし、体力養成を目的とする柔軟体操等は全日朝食前に行い、S等全員が同時に練習出来るものに相当多くの時間を振向けた 又、S練習はこれ迄の様に双方から打つことをやめ片側からの連打とし反体側はSReし、球を廻送するだけとして能率的にしようと試みた。長島の提案である。
チーム力(コンビ)は合宿によってより以上に向上することを重視し、コンビ練習を後半に折込んだが、とにかく当面の問題としてFR山賀が主力Atとなることは否めなかったので如何にしてtoをそこへ持って行くかということに主眼を置いた。又、攻撃者としても変化あるAtによって得點力を増す為、クイックAt等の練習も採り入れた
合宿中の個人の自由は抹殺し、時間は厳守することとしたが此れは概ねよかった。ただ炊事だけは時間通り行かず改善合理化の余地があった。というのは炊事時間の短縮と共に買物の時間が問題であったが此などは綿密な献立表の作成によって打開出来よう。
又、経費別表の通りの他に各自米4升を持参している。

収入の部




参加費
部 費
 計 


4,100.00
2,998.00
7,098.00


支出の部




主 食
副調味
燃 料
雑 費
 計 
410.00
5.693.00
500.00
495.00
7,098.00
山 賀


  ◯[第5回合宿]
26年7月25日〜31日 指導田中先生参加11名通い1名 宿舎は当時の裁縫室
 春の大会から他チームの力量を知り得たことにより、如何なるチームに対してもT攻が得點力多大であることに着眼し、F陣のコンビ攻撃に重點を置いた。又Sにも春同様練習時間を多くし、FL金子の早T、FR山賀の平行to攻撃、FC永盛のR側からのTと共に主練習とした。HによるKは確実に打込むこととし、St.Out等微細な技術の習得の為の練習は割愛した。
 最終日の午後に市川高と練習試合を行ったが合宿の成果は全然現われなかったのみかF陣のSt不参加は怠慢という他はない
福地先生が後半に来訪され含みのある指導をなさった。
合宿半ばで監督の帰郷等があり些か指導者の一貫した方針が具体的に行われない點があったのは遺憾であった。 炊事は晝夜を女子部員が手傅い、朝の仕度と夜の後仕末を合宿員で行った。
 費用一万余円中、参加費を250円とし、部費より七千余円を補助したことといい、女子部員の炊事手傅いといい、新監督の方針により以前の合宿概念を覆えされた感が深い。
山 賀


  ◯[第6回合宿]
27年3月24日〜30日 旧宿直室を宿舎とす。 指導田中先生OB西村、参加8名通い2名
 参加費350円、米3升5合、参加費計3,150円の他に積立金より3,600円、西村寄 附1,000円、炊事第5回に同じ。

 当番起床6:00、起床6:30、トレーニング7:10〜7:50、
 朝食8:10、練習9:30〜11:40、 1:30〜5:10、
 夕食反省会6:00、就床10:00

 基礎技術習得を目的とす、Fコンビに於いては特に内藤にボールを集めてtoを捌くことを主眼とす。Sにも重點をおき毎日午前中は全部Sにあてたのでその向上著しく入率も0.56となる、然し依然として上下の差が大きい、進歩が特に大であったのは加藤、内藤はボールの下に入るのは速くなったがその後の動作が緩慢でTにも鋭さが見られず、永盛は少々オーバーワーク気味であった。金子はFRよりのtoを外側にTすることを修得した、加藤右足首負傷にK不調。ReはH,B共、サイドが非常に悪く特にR線は強くならなかった、又Hのtoが良くない
得點の際に中央に集って聲を掛ける練習をしてみる。リーダー花澤。
Re陣はガタガタのままシーズンを迎えねばならなかったがまもなくBRに石黒を加えてやっと型が整ったのであった。尚、此の合宿で、OB西村の注意が良く守られて時間の面が非常に規律正しかったことは氣持が良かった。
内 藤
 
 FとSがこの合宿の中心であったため時にFの疲労は激しかった。金子は就床の時間となりもぐったら最後翌朝迄白河夜舟だし、永盛はFRからtoのT,金子とのコンビ練習等々一日中何かしていたため相当オーバーワーク氣味で寝言にまで「トスをもう少し流してくれ」とか「低いよ」とか床に入ってもバレーボールをしていた。内藤は飯もうまくなさそうで、ゲソッとやせてしまい、夜は齒ぎしりをする始末であった。Re陣は一日球を拾っていたので退屈の様であったが午前中Sの時はこれこそはりきり所とばかりに打ったため腰が痛いと云う有様であった。
宇佐見


  ◯[第7回合宿]
27年7月18日〜22日 試食室を宿舎とす。指導田中先生OB宮原参加10名、参加費500円、米2升5合、参加費計5,000円他に積立より855円。 炊事第5回に同じ

(起床6:00、トレーニング6:30〜7:30、朝食8:00、練習9:30 〜11:40、3:00〜6:40、夕食反省会7:00、就床10:00 )

此の合宿は全国大会に備え行われた。従来オープンAtなく単調なF攻のみであったので田中先生の指導によりFC永盛にHLより打たす。即ち 1st,2nd共SReの際に永盛をHLの外に下げ、FR内藤にpaし、ここからFL金子の早Tと永盛のKに使い分けるこことする。
永盛がFCに居る時にもFRにpaして速いtoでFC,FLを使うことを主にやる。又、此の際FCがFLの後へ廻ってTすることも練習してみたが実戦的でなく、中止した。Reは全員好調であった。入率も0.6に上がる。
内 藤

   この合宿をした時の本校生徒会は会費滞納者が多く、各クラブに予算はあっても現金が廻らず、我がバレー部も御他聞にもれず資金難となる。その為花澤大いに本合宿の財政面をひきしめんとよく実行した、時には彼と一部の者とは副植物を分け合い儉約することもあったが彼は皆に心配をかけてはと人に黙して心を使う。然し、日々の主食が不足しがちで副食も毎食、汁と佃煮、澤わん程度なので不平も出る。その時救いの神あり、其は金子がトマト等野菜類を大量寄付したことである。此れで一服、一同ガラス箱から池に放たれた金魚の如く活氣づく。食物の何とかとはこの事なりと思う。此の合宿については、後々迄も、あの時は閉口したと異口同音に稱え、その話は笑い草となって今でも語られて居る。とんだ合宿の裏話ではある。
今後とも食糧だけは充分にしたいものです。
宇佐見


  ◯[女子第1回合宿]
昭和27年8月8日〜12日 指導田中先生OB西村、参加7名 宿舎被服教室、炊事輪番 参加費1人400円、米2升

(起床6:00、トレーニング6:20〜6:50、朝食7:00、練習8:30〜11:30、晝食12:40、練習3:50〜6:50、夕食反省会8:00、就床10:00 )

1.部員が少ない上に急に淺井、豐田が病氣になり、全員揃って出来る筈であった合宿練習に一チーム揃わなかったことが部員一同残念だった。
2.第1日目の朝食前のトレーニングがみんな一番苦しそうであったが、だんだん慣れて来るに従って楽しい練習になって行った。
3.人数が少なかったため、練習が終ってから炊事をやるので遅れることもあり、苦労であったが、みんな揃って頂く食事の時が一番想出深かった。
4.基礎の強化を目的とし、午前中は全部paとSに費し、午後を個人Reとした。11日は前夜の雨の為コート整備に時間をとられたがその代わり7時過ぎ迄練習した。
中 台
 


☆    ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

「活 動 状 況」
 
 受験で忙しかった27年度卒業生を除いて、各年度の方に書いて戴きましたが統一上、若干手を加えさせて戴きましたので各種数値の部分は別として、文責は編集者にあります。
公式大会のスコア集計表中、M1,M2,M4,SSを合せたのは相手チームの力によらない(自己責任の)失点という意味で、M3,-Sは相手チームの何等かの力によるものとの意味です。
M1,M2,M3,M4の詳細は「数字は語る」を御覧下さい。 22,23年度では失点の部分が全部Mとなっているので1〜4の区分は附しませんでした。又、23年度は-Sの記号が用いられて居ないので此は不明であります。
女子の部は日記帳が行方不明ですので部員の記憶を綜合したに過ぎない箇所もありますので誤り脱落も多いと存じます。
その他の箇所にても、データの誤脱は是非御一報下さい。
金 子
 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「輝 け る 発 足」

◎[昭和22年度男子]

昭和21年秋、校友会に各運動部を設けるべく5年生より各部1人の設立責任者が選ばれたが未だその時でなく殆どの部は消滅してしまった。22年度を迎えてようやく機熟し、小学校で選手だった5年相川を中心にバレー部創立の運びとなり6月より活動を始めた。当初の部員数は21名
○7月12日 船中
 船中 2 (21-6,21-3) 0 千葉商 船中 2 (21-15,21-7) 0 関東中
 船中 2 (19-21,21-16,21-15) 1 関東中
早々に千商より申込みあり関中をも招待す。ここに船中バレー部の幸先よいスタート切らる、なるべく多くの者が参加すべく、補欠を全部出場さす。
 前(8 金子(一)、8 相 川、2 瀬 尾、 池 田 )
 中(6 中 村、7 近 藤、HR 安 川、3 福 永 ) 
 後(5 井 上、1 小 熊、4 金子(康), 小 山 )
○7月19日 於船中
 船中 2 (21-12,21-17) 0 佐倉中
全校生徒の応援を受く。相川奮闘。此の日より近藤負傷で休部、HC池田となる。
○7月22日 於千師
 船中 2 (21-11,21-4) 0 千葉師範  船中 1 (22-20) 0 千葉醫大
午前練習、午後遠征。丁度練習中の医大に1セットのみお願いする。
○7月23日 於佐倉中
 船中2 (21-9,21-10) 0佐倉中 船中2 (21-19,27-29,21-7)1佐倉中
観戦中の佐倉高女の求めに応じ試合す。
paには学ぶべき点が多い(集計より除く)
船中2 (21-17,21-13) 0佐倉高女 船中2 (21-10,21-9) 0佐倉高女

◎7月28日 第1回県中等排球大会 於県営グ
 船中 2 (21-7,21-6) 0 東金商業 S8、-S0、ss6を救う 入率0.31
 船中 2 (21-13、21-13) 0千葉師範 S2、-S4、ss8、入率0.19
 船中 2 (19-21,21-7,21-13) 1 千葉商
1セットシーソーゲームだったが千商のファイトに押し切られた、2セットに入ってからは相川、瀬尾のTで圧し、そのまま勝つ S10、-S2、ss12、入率0.35
 決勝
 船中 2 (21-7,21-7) 0 佐倉中 
慎重にプレーしつつエース相川をフルに使い堂々優勝す。S 8,-S 0, ss1, 入率0.51

 

FR
金子一

FC
相川

FL
瀬尾

HR
中村

HC
池田

HL
福永

BR
井上

BC
小熊

BL
金子康

3

26

10

0

0

2

0

0

0

S

0

11

6

0

2

3

1

3

1

9

7

13

10

12

9

13

6

6

 

連日の猛練習は酬いられ、船中運動部初の県制覇を成しとげた、秋にはH攻も加え、Reも固めることを全員で約す。
佐原高女福地先生の評を伺う、 参加13チーム 翌日より練習休み
○8月20日 練習開始 コート移転
国体予選は新学制移行準備として4.5年で行うとの連絡があった為、金子一を抜きFR井上BR福永HL近藤とする。
○8月24日 佐原高女にて福地先生及び合宿中の文理大のコーチを受ける、基本から直された 乱打の時文理FCの捲き込みTに驚かされれた、全員でKを打って教えて頂いたことは特に参考になった。
○8月27日 福地先生来校、コーチして下さる
○8月30日 於留守業務局
 留守業務 2 (21-15,21-19) 0 船中 船中 2-0 留守2軍
 船中2-0留守女子  留守業務 2 (21-15,21-3) 0 船中
 実業団とは初試合であった。上手い、全く老功である。4戦目、疲労もして居たが慘敗極まりない、BL加藤交代 2,3戦詳細不明
 8月31日 休み
 9月3日 先輩の中大井上氏来校、コーチ
○9月4日 於千師
 船中2(21-17,17-21,21-17)1県庁 留守業務2(21-7,21-14)0船中
強風と雨で5日間休み 市立船中を借りたりする
○9月12日 於関中
 船中 2 (21-12,21-13) 0 関東中 船中 2 (21-10,21-18) 0 関東中

◎9月21日 国体予選 於千葉師範
14日のものが降雨にて延期さる、参加7チーム
 船中 2 (21-12,21-11) 0 長生中  得点17に対し長生得点は1 S 8, -S 3, 入率0.58
 決勝  船中 2 (21-9,21-14) 0 佐倉中

 

FR
井上

FC
相川

FL
瀬尾

HR
中村

HC
池田

HL
近藤

BR
福永

BC
小熊

BL
金子康

0

27

6

0

0

2

0

0

0

S

0

6

0

4

2

1

0

0

0

7

3

1

11

3

7

1

6

2

 

S 5ー3, 得 18ー1、M 16ー17、SS 3ー2、入率0.47
国体への出場権を得、翌日賞状授与式 25日より新入部員多数を加えて練習開始
○10月4日 於留守業務
 留守業務 2 (18-21,21-17,21-18) 1 船中
 10月14日 相川の恩師の方が2名来校し、コーチして下さる。
 10月27日 いよいよ国体目指し出発の日となる。午後10時半品川駅発、金沢へ向かう
 10月29日 4時半起床、午前金沢医大で、夕刻山代小学校体育館で練習す。計4時間

◎10月30日 第2回国体 於金沢
 5時起床 朝食前に山代小で練習 朝の練習に最高潮に達した感であった。
 弘岡農 2 (18-21,21-14,21-14) 1 船中
会場迄立ち通し2時間、食事後すぐ試合といった条件の為にコンデイションを整えられなかった。2セット立ち上り悪く5ー13、8-16となり挽回ならず。3セットは5ー1、Sに5ー7からシーソーゲームとなり10ー10あたりからSよく18ー14とする。Tに19ー16とされてからM続いて敗れた、此の間優勢裡に進め乍らも弘岡の強Sに悩まされた。

 

FR
井上

FC
相川

FL
瀬尾

HR
中村

HC
池田

HL
近藤

BR
加藤

BC
小熊

BL
金子康

0

10

7

0

0

2

0

0

0

S

3

2

1

0

0

0

1

0

2

4

6

2

8

10

10

8

10

4

  S 9, -S 16, 入率0.62
レギュラーの他に福永、安川、半谷参加 監督は近藤先生、石橋先生
○11月23日 東京工専主催球技大会 於松戸
 船中 2 (21-10,21-19) 0 千葉商
一応此を以って本年度の活動を終り冬の間は軽い練習を行なって下級生の指導に努む。
池 田
 

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「長 蛇 を 逸 す」

 ◯[昭和23年度高校男子]

前年度不敗を誇った船中もレギュラー5名の卒業と相川の二部転学による練習不能に痛手をおい乍らも新制高校に残った3名で一致協力チームの再編成にのり出した 然し意の如く成らず練習参加人員わずか5、6名という貧弱さで下級生との間に何か間隙が感じられた。此の状態が1ヶ月継続したがこの儘では、と練習不足は承知の上で千商との試合を約し此を目当の練習とし、興味をもたせた。
○5月1日 於千商
 船高 2 (21-13,21-11) 0 千葉商
 8.FR 金  子  7.HR 海老原金  5.BR 福  永
 4.FC 池  田  1.HC 海老原健  9.BC 加  藤
 3.FL 近  藤  2.HL 飯  島  6.BL 玉  沢
試合をやるからには勝つ、又、勝つことが興味を持続させるに大切な要素となって来る。この見地からしてこの試合に勝ったことは大いに意義がある。
 5月5日 技術の交換と共に励まし合って県のレベル向上にと県の上位で距離的にも近い佐倉、千商とのリーグ戦を設けんとし、千商にて主将会議を開く、両校の賛同を得て計画を進む、10日遠路遥々長生高主将来 リーグ加入の申込あり快諾す。
○5月16日 第1回4校リーグ 於船高
 船高 2 (21-12,21-14) 0 千葉商      BC加藤負傷欠場
 船高 2 (21-17,18-21,21-17) 1 佐倉高   相川は二部に移った為
 長生高 2 (21-9,13-21,21-10) 1 船高    普段の試合、練習には
                     出ないこととする。
 1.HC(FL)近藤、2.HL飯島、3.FL(FR)金子、4.FC池田、5.BR福永
 6.BL宮原(海老原健)、7.HR(HC)海老原金、8.BC玉沢、9.FR(HR)半谷
開校記念祭等で練習休み、6月1日再開す
○6月13日 第2回5校リーグ 於千商 成東高を加え5校となる。
 船高 2 (21-4,21-6) 0 成東高  S 3、-S 不明、入率0.33
 船高 2 (19-21,21-10,21-18) 1 佐倉高 S 17、-S不明、入率0.25
 船高 2 (21-8,21-17) 0 長生高  S 11、-S不明、入率0.65
 1セットS、Tよく楽勝、2セット9ー13迄追いつけなかったが徐々に 挽回、雪辱す
 船高 2 (21-7,21-13) 0 千葉商  S 12、-S不明、入率0.45
未だチームとしてはっきりした型がなくメンバーを2通りにして、2試合ずつ試してみる。
 1.HC(FC)近藤、2.HR半谷(HL河原)、3.FC(FL)相川、4.FL(HC)池田、
 5.BR福永、6.BL玉沢、7.HL(HR)海老原、8.FR金子、9.BC加藤
○6月18日 於水産
 船高 2 (21-15,21-5) 0 水産化学
連日の雨、その後も浸水の為コート使えず。合併教室でやったり水 産、船中を借りたりする
 6月24日 関東大会に備え綜合練習を続けて来たが近藤、脚に負傷す

◎6月26日 第1回関東高校 於都八商
 船高 2 (21-8.21-3) 0 足立高  S 18、-S不明、入率0.55
 都立五商 2 (21-9,21-11) 0 船高  S 3、-S不明、入率0.25
 オープンKに対して手の施し様なく敗る。本大会によりH攻の必要を痛感せしめられ以後此の練習に努める

 

2.FR
金子

5.FC
近藤

4.FL
池田

7.HR
海老原

1.HC
加藤

3.HL
飯島

9.BR
河原

5.BC
福永

6.BL
玉沢

5

15

5

0

0

0

0

0

0

S

4

0

6

5

0

1

0

1

4

0

9

5

3

5

8

7

4

4

○7月10日 於船中
 船高 2 (21-4,21-5) 0 船中職員
 7月19日 福地先生がおみえになり久しぶりに各種練習を徹底的にやる。
○7月20日 於船高
 船高 2 (21-4,21-7) 0 東葛高  船高 2 (21-3,21-18) 0 東葛高
 突然でメンバー揃わなかったが楽勝す。
○7月23日 於船中
 5時半迄S、各人50本、試合中もSで占む
 船高 2 (21-9,21-6) 0 三菱化工

◎7月25日 第1回県高校 於千師
 船高 2 (21-3,21-1) 0 山武農  S 24、-S不明、入率0.53
 船高 2 (21-9,21-16) 0 木更津高  S 8、-S不明、入率0.30
   2セット15ー7より15ー15と迫られる
 船高 2 (21-9,21-17) 0 佐倉高  S 12、-S不明、入率0.43    2セット12ー4から徐々に挽回され20ー17となった所で相川T
◎7月26日 同決勝 長生高の都合で
 船高 2 (21-10,21-18) 0 長生高  S 9、-S不明、入率0.56

 

5.FR
金子

8.FC
近藤

3.FL
相川

4.HR
半谷

7.HC
海老原

1.HL
池田

2.BR
福永

6.BC
加藤

9.BL
玉沢

6

15

22

0

1

6

0

0

0

S

8

1

3

9

2

12

9

2

5

3

12

10

3

6

14

3

6

5

第1日は山口校長自ら応援に来て下さり選手の意氣上る。兩日共先生方の御応援を得た Sの強化は目覺ましかった。
 7月27日〜8月10日 練習休み
○8月22日 於長生高
 船高 2 (10-21,21-17,21-18) 1 長生高  相川缺場
○8月27日 佐原へ遠征、雨天の為佐原高体育館で文理大と亂打しつつ指導を受ける。HRのKに悩まされたが近藤のTも此に応戦しよく決まって居たしSt陣も健闘して居た。夏休中の練習は本日でうち切るが此の期間の練習は大いにプラスになりチームの強化が実現できた
○9月5日 於留守業務局
 船高 3 (21-14,21-17,21-17) 0 留守業務
  前年度4戦4敗を喫した宿敵を破る
 5.FR金子、3.FC近藤、8.FL山口、4.HR河原、7.HC海老原、
 1.HL池田、2.BR福永、6.BC加藤、9.BL玉沢

  ◎9月11日 国体予選 於千葉一高 参加18校
 船高 2 (21-8,21-4) 0 千師予科  S 13、-S不明、入率0.41
 船高 2 (21-8,21-16) 0 成東高  S 14、-S不明、入率0.43
         2セット8ー12より5Sよく16ー13とする
 船高 2 (21-16,21-18) 0 佐倉高  S 14、-S不明、入率0.43
  3サーブよく8ー3としたがAt陣のMに12ー12、その後Atの差が現 れて取る、2セット7ー8から5Sよく、12ー8とはなし以後この差を保 ち、19ー15から18迄迫られたが5T2に逃げ切る、非常な熱戦
   [決勝]  長生高 2 (24-22,21-18) 0 船高  S 5、-S10、入率0.60
  対佐倉に疲労していた我々に対し、長生は安房に楽勝、既に待機 して居り休む間もなく(約5分) 試合開始、遂に押し切られてしまっ た。初全員凡Mなくジリジリと引きはなし13ー11、19ー13、20ー 17から長生FRのTの後相川TがHにとられ20ー20、22ー22となり、ここで長生HRのKが初めて鋭く入り虚をつかれてBRK、その後相川Tで又もタイと思われた時Hの判定あり敗れる、
2セットSBR2,HR2に1ー6、その後もふるわず4ー12、ここで活気をもり返し10迄迫ったが再び引きはなされ12ー17、Atよく16ー17と迫った所でS2等あり惜しくも優勝を逸した。
 得20ー15、SS4-3、M40-26 先生方の応援を受く
 

 

5.FR
金子

8.FC
近藤

3.FL
相川

4.HR
河原

7.HC
海老原

1.HL
池田

2.BR
福永

6.BC
加藤

9.BL
玉沢

13

12

23

0

0

12

0

0

0

S

11

1

7

0

5

11

4

5

2

8

12

9

15

7

12

7

10

11

○10月17日 第3回5校リーグ 於佐倉高
 従来はSReは3 3 3でやっていたが国予の失敗に鑑み、本日よりFRをHの中に下げることとする。
 船高 2 (21-3,21-9) 0 千葉商  S 15、-S不明、入率0.56
 船高 2 (21-13,21-19) 0 長生高  S 7、-S不明、入率0.51
   見事雪辱す
 船高 2 (17-21,21-12,21-8) 1 成東高 S13、S不明 入率0.34
   1セット来年のメンバー
 船高 1 (21-16,9-21,14-15) 1 佐倉高 S 2、S不明、入率0.30
  日没引分け
 佐倉も又長生を敗り一位決定戦であったが11点頃より真暗となる。

 

4.FR
金子

9.FC
池田

3.FL
相川

同左
西村

7.HR
宮原

1.HC
海老原

同左
峰川

5.HL
近藤

同左
飯島

2.BR
福永

9.BC
加藤

同左
河原

6.BL
玉沢

20

12

21

0

0

3

0

13

0

0

0

0

0

S

9

4

8

2

3

2

0

2

0

3

1

0

3

11

9

7

2

10

7

3

13

2

12

2

4

4

○10月28日 於水産
 船高 2 (21-7,21-5) 0 水産化学
○11月7日 第4回5校リーグ 於長生高
佐倉欠場、千商、成東人数揃わず合併
 船高 2 (21-11,21-13) 0 長生高
 船高 2 (21-9,21-14) 0 千商、成東 合計S 36、S不明、入率0.44
 (2.FR金子、3.FC近藤、7.HL山口、5.HR西村、1.HC海老原
  4.HL池田、6.BR宮原、8.BC加藤、9BL玉沢)
○11月12日 船中にて教員チームと乱打
此の頃いつも月光を浴びながら帰る、すっきりしとした感が強く感ぜられる。

◎11月21日 県併設中大会 於千師
 千葉高併設中 2 (21-15,21-17) 0 船高併中
 (FR浦野,FC山口,FL松本,HR勝見,HC小山,HL神田,BR田中,BC藤田   BL戸佐)
○12月4日 於三高
 船高 3 (21-16,21-19,12-21,21-15) 1 都立三高
   S 19、-S不明、入率0.53  (2.FR金子、4.FC池田、7.FL西村、6.HR宮原、1.HC海老原
  3.HL近藤、5.BR河原、8.BC加藤、9.BL玉沢)
池 田
 

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