これは年報原本のコピーです
年報表紙6


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排球人の歌

宇佐見武男 

同じ 夢への 憧れを

胸に抱いて 行く道は

理想の道ぞ  排球人

噫々 宏量の 排球人


人みな花に 酔う頃も

 球をこいし 合宿に入り

汗涙を流す  排球人

散る花片に 春を知る


 日々の道は 厳しくとも

 見れば 家の父母が待つ

球をよすれば 排球人

 無我を悟るは この時ぞ


同じ 理想の道を行き

 目蓋に浮ぶ 勝利への道

道は一つぞ  排球人

噫々 宏量の 排球人

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目  次


◯諸君の努力をーーーーーーーーーーーー市体育協会長 右島 四郎
<昭和33年度の抱負>
  ◯百万人のバレーーーーーーーーーーーーーーーーー山賀 繁夫
  ◯四連覇の意気に燃えてーーーーーーーーーーーーー小川寿三郎
  ◯優勝をめざしてーーーーーーーーーーーーーーーー三浦 靖子
  ◯今年こそはーーーーーーーーーーーーーーーーーー田島 徳子
◯決 算 報 告ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<昭和32年度活動状況>
  ◯高校男子ーーー三連覇成るーーーーーーーーーーー小川寿三郎
  ◯高校女子ーーースタート悪しーーーーーーーーーー鳥光佐喜代
  ◯クラブ男子ーー初志の貫徹ーーーーーーーーーーー飽田 英世
◯船高バレー10年の歩みーーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男
<合宿練習>
  ◯高校男子ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー秋山 秀雄
  ◯高校女子ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー鳥光佐喜代
<昭和32年度回顧>
  ◯高校男子回顧ーーーーーーーーーーーーーーーーー立石 雄三
  ◯部 生 活ーーーーーーーーーーーーーーーーーー豊田 紀子
◯コーチ一年ーーーその一ーーーーーーーーーーーーーー小笠原敦弘
◯  〃  ーーーその二ーーーーーーーーーーーーーー飽田 英世
◯大学に於てのバレー部生活をふり返ってーーーーーーー石橋 孝子
◯三年間の思い出ーーーーーーーーーーーーーーーーーー秋山 秀雄
◯この一年を思うーーーーーーーーーーーーーーーーーー鳥光佐喜代
◯女 性ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー石黒  弘1
◯言いたい放題を終るの記ーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄
◯仙台への旅ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー立石 雄三
◯遠征についてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男
◯二 級 酒ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー石黒  弘2
◯タカオとユー坊ーーーーーーーーーーーーーーーーーーカメダヒロミツ
◯上位に出たのはーーーーーーーーーーーーーーーーーー飽田ーー
◯何回試合したかーーーーーーーーーーーーーーーーーー飽田ーー
◯昭和33年度日程ーーーーーーーーーーーーーーーーーー飽田ーー
◯おしらせーーーーーーーーー(スコア・小笠原,砂川,飽田・1〜3)
◯編集後記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー飽田 英世



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「諸君の協力を」

体育協会長 右島四郎 

 スポーツを愛する諸君に、今更スポーツ談義もおかしいが私はスポーツこそ生涯の伴侶と考えている。プロスポーツは暫く措き私の今云うスポーツは飽までアマチュアスポーツである。
 或る人は、アマチュアスポーツは楽しめば足りると云う。これも一理はあると思う。然し、私は男が一度真剣にやろうと思ってやる以上、生半可で済ますべきではないと考える。
 私達のやるスポーツには必ずと云っていい程勝負というものがつく、とすれば勝たなくては駄目だ、少くとも勝とうとする努力がなければやる価値はないと思う。この努力如何によって進歩があり、向上があるのである。そしてそこには当然忍耐と闘志が要る。これこそ、人生に最も大切なものであると思う。
 スポーツの技は,如何に磨き、よしそれが最高のものに達しようとも、人間の体力には限りがあり年令と共にその技の低下する事は止む得ない、人生の最も華と云うべき青春時代の貴重な時間とエネルギーを注入して漸やく獲得したものが年と共に衰えてゆく技だけであったら甚だ勿体ない事である。技を磨くと共に意識して精神を錬ってもらいたい。
 スポーツマンシップの神髄を私流に要約すれば、先ず礼儀と、忍耐と勇気と友愛の精神と信じている。
 私は政治は勿論、学生は学業に、商人は商売に、世の中の凡ゆる面にスポーツマンシップを浸透させたい。スポーツマンシップで渡れる世の中が来たらどんなに明るく楽しくなるだろう。諸君と共にその様な世の中に一歩でも近づけようではないか。
 真のスポーツマンとしての精神を身につけさえすれば、或は技は問題ではないと云えるかも知れないが、そこに一つ問題がある。
 やはり技の徹底的な鍛錬の段階を経なければ、真の精神は出来上らないのではないか。ここに体力の極限に達するハードトレーニングが要求されるのだ。常住座臥この意識をもって自らを律し、孤独に徹せよと言いたいのである。
 然しこれは容易な事ではない。容易でないと云う事は、言葉を反せば、困難ではあるが、不可能ではないという事になると思う。困難だという理由だけで不可能でないものを敬遠するのは卑怯である。
 私は愛するスポーツを通じ一生を青少年と共に在りたいと念じている。次代を担う青少年達に立派な人間になってもらいたいとは思うが、私にそれだけの影響力があるとは思っていない。せめて真のスポーツというものを知る事によって、悪い事をしない人間が一人でも二人でも増えてくれる事を願って努力をしているつもりではあるが、私の微力のために、私に関する限り、或は空しい努力であるかもしれない。
 諸君の心からなる協力を得られたら有難い。

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<昭和33年度抱負>

「百万人のバレー」

山賀繁夫 

 昨年、IOCでバレーボールがオリンピック競技の正式種目に加入が決定されて以来、ようやく国内でもバレーボール競技への新たな認識が深まりつつあるように思われる。日本国内に於いては、日本バレーボール協会が「百万人のバレー」を目標と氏どうやら初期の目的は達したと思われる。今日国際的にも檜舞台が設けられて益々斯界の発展が容易になってきた。アマチュアスポーツののメインエベントはやはりオリンピックであろうしこれに参加することが当面の最大関心事であろうからである。一部国内ではこれほどまでに盛んな野球が正式種目でないのにという人々が多数いるが、このことはバレーボール競技が我々の想像以上に国際的な競技であることを物語っている。換言すれば世界の国々でそれぞれ相当程度に普及していると思われるのである。数年来、日本バレーボール協会は国際的にも九人制を普及し、そのイニシアティーブをとって行こうとしていたが、バレーボールのオリンピック正式種目加入決定が我々に意想外なことと感じさせたことでも瞭らかなように、我々の国際的視野の狭かったことが判然としたわけである。
 我々はスポーツが国境を超えるものであるという前提に立てばバレーボール競技の国際性のために翻然と六人制に切替える必要があると思う。又その翻意を助長すべき条件、マスコミの逆作用(保守的な意見)があってこれらを考えねばならないのが実状である。確かに体力的な面からのみ考えても協会が標榜してきた「百万人のバレー」のピラミッドの底辺が縮小されることは明かである。
 いずれにしてもスポーツ(バレーボール)をすることによって、健全な精神を培養するということに集志すれば本質的には自ら解決されるものであって、いたずらに九人制だ六人制だとマスコミに踊らされることにむしろ留意する必要がある。マスコミは一部の者の売名の手段となりやすいからである。

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「四連覇の意気に燃えて」

主将 小川寿三郎 

 輝かしい大いなる夢に満ちあふれた昭和33年----そして諸先輩の方々が汗と塵にまみれて築き上げて下さった我が船高バレー部の「伝統の鎖」もここに数十個の貴重な輪となって我々の手に受けつがれた。
 この貴重な輪の一つ一つは様々な形をしており、あるものは三角でありあるものは菱形であったり又反面がっちりとした----でも楕円形であったりして如何に”苦難多き道”を歩んで来たかを知らせてくれる。それでも一つ一つがしっかりと固く連り合い--そうだ、今年も否今年こそ、がっちりと太く丸い輪をかけ次代に送りたいと意気込みはすごい。
 それでは限りない本年への抱負を昨年を顧みつつ、思いのままに書いてみよう。
 新しい記憶の中では8人の卒業生を出した文字通りの悪条件から栄光の優勝杯を獲得した昭和31年度そして最も苦しい神経戦を演じて辛くも伝統を保持した昨年度。シーズンオフ当時の部員は9人を越して「来年は県優勝は勿論A,J八傑に残れる可能性は充分にある」と迄期待されたチーム、そのチームが何故県優勝に窮々としA,Jは予選トーナメントでその姿を消さざるを得なかったのか 我々は大いに反省する必要があると思う。その大きな原因の一つとして最后まで先輩にたよっていたこと。これこそ、我が船高チームの弱点と言えるだろう。
 今迄、毎日良くやった。確かに良く練習はした、然し自ら”やろう!”と若きファイトを燃やしてぶつかって行っていなかったのではないか(懸命に励んだ部員に対して非常に失礼な言い方かも知れないが---こういう私もその中の一人であった事は勿論である)
 何か熱意ある諸先輩の方々に甘え、引っぱられながらすべて消極的に練習していたと言っても過言ではないだろう。従って芯がない。粘り強さに欠けていたのだと思う。
 本年はこの点を改めもっともっと部員一丸となって、積極的にぶつかってゆく必要がある。全て問題はコーチャー中心に常に研究心を抱きながら皆でぶつかり皆で克服してみたい。その実践を通して得た力こそ最后のものを言うものとなると思う。勿論これには団結、協力も欠くことは出来ないことは言う迄もない。
 一つの目標に一致団結して突き進み一人では容易に克服出来ないいかなる障壁も全員の力で----つまり個人の小さな問題も皆の問題となりチームの血や肉となって解決されてゆくだろう。そうすれば部室の整備、時間厳守等は一、一問題にされないですむだろう。これからは部員各自が常に意識し、いつも清潔で、いつも気持良く時間を守れる様にしたいものだ----もっともっと問題とすべき事は多くあるのだから‥‥‥‥‥
 この様に本年は大いに練習に望む態度に新鮮味を加え試合の結果にこだわらずそれ迄のプロセスを重要視し意義あるものにしたい。ここにクラブ活動の意義があるのだと思う。
 尚合宿は例年通り3月と8月の2回実施したい。しかも一歩前進した精神にのっとり各自が団結しチームワークの充実を目指すと共に個人技の進歩を計りたい。例えばサーブ、比較的振わない人を皆の線迄引き上げ入率は6〜7割を希望する。技術面のねらいとしては第一に弱点を失くすこと----よく弱点のあるチームは勝てないと言われる様に、数多い練習試合を通して弱点を研究し次第になくしてゆきたい、それと確実性のある攻撃力、HL、FCはボールを自由に打ち分け安定性のあるものにしたい。今後ポジの変動はあると思うが現在BRがブランクとなっている為新入生をうめなければならない。その結果後衛の強化は絶対に欠くことは出来ない(特にBCの守備範囲の拡大)。次にストップ、シーズンオフにジャンプ力を身につけシーズンにおいては相手の主力を徹底的にマークし完璧なストップを望む。
 では最后にこれらの大きな目標とされるものをまとめてみると------
一、短時間での効果的な練習(機敏なる動作)
一、団結、協力及び積極的な練習
一、S入率の向上をはかると共に弱点をなくす
一、研究心旺盛なチームにすべし
一、一日一日の練習が重要であること
 以上の様なクラブの育成に尽力し、我がバレー部を精神的にも技術的にも一歩前進させようと張切っている。今後とも先生、諸先輩の方々の御指導と御鞭撻を御願いする次第であります。

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「優勝をめざして」

主将 三浦靖子 

 「優勝」これはクラブ活動に入っている人達にとっては、誰しもが願っている事である。
 今年は5人もの三年生を送り出すので、後には二年生4名、一年生8名の計12名でやっていく。12名はいるけれど練習には半分位しか出て来ないので、最低9名は出ているようにしたい。まず第一にはチームワークをしっかりとって、学年別の区別をなくし、互に助け合い協力し12名が一団となって相手のチームにぶつかって行きたい。それから常にファイトをもって試合に望み、きびきびしたチームにする。今年は切札的アタッカーがいないので、サーブを確実に入れて、点を入れていきたい。そしてドライブサーブとスライドサーブの人達をうまく組合せて魅力あるサーブオーダーを作る。一年生のレギュラーが5名も入るので、試合なれするためにたくさんして早くなれるようにする。3月には合宿もあるので、それまでには、一年生は正確にパスを身につけて合宿にのぞみたい。
 今度、この回顧を書く時に、この抱負が全部出来たと書けるようにしっかりやりたいと思う。最後に諸先輩の御指導下さる事をお願い致します。

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「今年こそは」

マネージャー 田島徳子 

 「今年こそは」という言葉は毎年口癖に言われる私とあなたの相言葉ではあるが、ここに又借用させていただく、いや借用するのではなく、自分のものにして実現させるのである。今年こそはまず「サーブ力のあるチーム」を築き上げたいと思っております。攻撃、レシーブは勿論のことである。その為にはやはり「チームワークのとれたチーム」皆が進んで練習の出来る場所にすることが大切である。現状を考えてみると、船高女子バレー部はこの点に欠けているのではなかろうか、大いに反省するとともに実現させていかねばなりません。私達は5人もの三年生を送り出さねばなりません。部員は13名 どうやらまずまずと言うところですが‥‥‥‥。現在の練習は、コートが使える時はサーブを主にパス、レシーブ、軽いアタックを行っておりますが、まだ全員が確実に、基礎的技術が身についておりませんので、春の合宿、いや大会目指して、この冬季間に完全なものにしたいと思います。
 これからは、良きリーダーとした、下級生を又チーム全体をキャプテンと共にリードしていかなければなりませんので、良き諸先輩の御指導を受けて、全力を尽くして練習に励みたいと思っております。

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<決 算 報 告>


○船橋高校クラブ収支決算書             昭和33年2月28日現在
◇総収入金 26,250円(前年度繰越金 9,600円、会費寄附その他 16,650円)
◇総支出金 16,245円(試合参加費 2,750円、通信費 1,215円、登録代 2,600円、ユニフォーム(12X250) 3,000円、ボール(2ケ)3,200円、忘年会 1,700円、香典 1,000円、その他 780円)
◇差引残金 10,005円

○昭和32年度高校男女収支決算書
◇収入の部 46,500円(生徒会費)
◇支出の部 46,500円(ボール費 24,500円、ネット及備品費 11,000円、交通費 3,500円、通信費 1,050円、雑費 3,200円、消耗品費その他 3,250円)
◇差引残金 0円
○全日本大会
◇収入の部 57,300円(生徒会臨時費 48,300円、同窓会 5,000円、船橋市 2,000円 市体育協会 2,000円)
◇支出の部 56,260円(旅費 14,700円、宿泊費 31,060円、ボール及雑費 9,000円, 大会参加費及び世界選手権大会寄附金 1,500円)
◇差引残金 1,040円

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<昭和32年度活動状況>

○高校男子(三連覇なる)             
小川寿三郎 

○3月28〜4月4日 春季合宿
○4月27日 於船高
 国府台高 2(21ー17、11ー21、21ー14)1 船高
  船高元気なくM続出、国府台HL宮田FR辰野のスパイクに終始悩まされ2ー1と退けら れる。船高のチームプレイの点をもっと研究すべきだった。
○4月28日 於船高
 船高 2(21ー16、21ー6)0 市川工高
 船高 2(20ー22、21ー10、21ー9)1 市川工高
○5月12日 於七高体育館
 都立三商 2(21ー18、21ー15)0 船高
  まずFL阿久津のKで先取したのも束の間三商F陣の速攻で5,6点を奪われてしまい、其の後船高は阿久津のKで良く挽回したが10ー11でコートを奪われ後半FL阿久津良く 打ったが三商F陣のStに阻まれセットを失う。2セット目はFCのトスが荒れトスミス多 く又、S,Reがまずく結局このセットも物に出来ずストレートで敗れる。STは三商F陣の 方が完全であった。
 隅田川高 2(21ー17、23ー25、21ー9)1 船高
 

5.FR
砂川

9.FC
秋山

2.FL
阿久津

7.HR
種村

1.HC
平川

3.HL
小川

8.BR
川上

4.BC
立石

6.BL
横尾

P

3

0

6

0

0

10

0

0

0

SP

1

0

3

1

1

0

2

3

0

SS

0

0

0

0

0

1

0

0

0

M

7

5

8

0

0

5

1

0

0


 元気なくもたついている内にその差は大きく開き15ー7、その後SPで4,5点差に迫ったが墨田川のF陣のATで逃げきられる。2セット目は両チームとも激しい打ち合いとなり20ー16とリード最后の一点が出ずモタモタしている内に逆転され20ー21とされてしまう。墨田川高の反撃の力は実に凄ましかった。最后打ち合いとなったが25ー23で辛うじてフルセットに持ち込む。3セット目は船高戦闘意識を失ったのかなすところなく敗れる。七高のF陣のSTの堅実さ或はトスワークがスムースであることは見習うべきだった。

◎5月19日 第10回全日本高校県予選大会 於四街道
 船高 2(21ー17、21ー15)0 銚子高
 船高 2(21ー16、21ー13)0 夷隅高
 船高 2(21ー11、21ー14)0 安房一 (S入率 0.528、SP率 0.138)
  安房一出足よく4ー3とリードしたがその後船高鼻息荒く17ー8と大きく差を開きFC 秋山のSで止めを射す。続く2セット好調の波に乗った船高は15ー9とリードし安房一 HLのスパイクによる追撃を見事に振り切って快勝する。この試合はバレーのうまみを充分に発揮した一戦といえよう。

◎6月15日 関東大会 於平塚体育館
 土浦一高 2(11ー21、21ー15、21ー17)1 船高
  HL小川、HC平川は流感をおして大会に出場、船高第一セットSよく入りRe陣もよく 上げそれにFC秋山のToが久しぶりに充実さを示し土浦一に4本のAt.Pを許したのみで 軽々とセットを取る。2セットはFL小松は持ちまえの長身を発揮してのスパイクが威 力を示し船高も阿久津ののスパイクで応戦したが、土浦一良く上げ敗れる。最終セット は船高At陣Re陣とも焦りを見せ、AtM続出、完全に土浦一のペースののまれ、最後迄 土浦FLのKを止めることが出来ずに2ー1で敗退。

◎7月6日 全日本県予選決勝 於県体育館
 船高 2(21ー13、21ー9)0 千葉一高
 船高 2(16ー21、21ー8、21ー15)1 国府台高
  自己のペースを守り危げなく勝つ。千葉県の覇者を決するこの一戦 船高平川のSで試合開始、HL宮田のKエンドラインを大きく割るKMで先取点を得、1点リードのうち コートチェンジ後半K高HL宮田とFR辰野のKに手が出ず21ー16で第一セットを失う。2セットの最初船高At陣に焦りが見えたがS良く入り、次第に軌道にのり着々と加点一方的なゲームに終った。最終セット気をよくした船高はすべり出しは悪かったが一気に 7〜15を取る猛攻にK高Re陣完全に腐り凡ミス多く船高FL阿久津痛烈なTで最後を飾る。遂に宿敵国府台を下し三連覇なる!日頃の鍛練と団結の力だろう。
 

5.FR
砂川

9.FC
秋山

2.FL
阿久津

7.HR
種村

1.HC
平川

3.HL
小川

8.BR
川上

4.BC
立石

6.BL
横尾

P

5

0

10

0

0

10

0

0

0

SP

0

0

0

1

0

2

0

0

0

SS

0

0

1

0

0

2

0

0

0

M

3

0

1

0

0

3

0

3

0


○7月20日 於国府台コート
 船高 2(19ー21、21ー15、21ー17)1 国府台高
  S入らず気力に欠けていた。特にRe陣の元気のないのが目立つ。
○7月22日 於Fコート
 船高 2(21ー17、16ー21、21ー17)1 千商
 船高 2(21ー19、21ー14)0 千商
  H、B陣のStホローがまだまだ、F陣のネットぎわのボールの処理がまずく、右翼攻撃でゆく。
○7月25日 於船高コート
 船高 4(21ー13、21ー8、21ー10、21ー15)0 市工高
○7月27日 於船高コート
 国府台 2(21ー14、21ー9)0 船高
  合宿の目標が「Re陣アタッカーの養成」にあったので右翼攻撃でゆく、HR種村は調 子悪く2セット目は左翼へもボールを廻すがどうもファイトがでずあわれな負け方だっ た。

◎8月1日 全日本大会 於仙台
 北海道代表美唄工 2(21ー18,21ー18)0 千葉船橋高
  すべり出し悪く凡ミスで1ー8と大きくリードされ、その後熱戦を続けHL小川のスパ イクとFL阿久津のK良く18ー19迄こぎつけたが船高決定打がなく18ー20の時HL小川の奴絶好のトスをフェントにかけて失敗第一セットを失う。(思いきり打てば良かったものを‥‥) 第二セット船高は反撃の口火を切るかと思われたが実にM多く持てる力を充分に発揮できずに寄り切られる。この試合は全くS入らず凡ミスが多かった。
 (1セット---15、2セット---13)
[敗者復活戦]
 京都紫野高 2(21ー9、20ー22、21ー19)1 千葉船橋高
  京都のHLのスパイク一本と千葉のFL、FR、HL、HRのオーソドックスチームとの対 決。第一セット千葉凡ミス多く京都のAtP13に対しわずか4、兎に角京都HLのスパイクに対する守備一方でトスが回らず大敗する。二セット目はバタ屋も景気をとりもどしそれにFL阿久津が良く打ちフルセットに持ち込む。最終セット京都は最初からHLのスパイクで猛襲、千葉F陣良くSTに出たが全然止らず善戦した末空しく敗れる。
<対京都紫野高>
 

5.FR
砂川

9.FC
秋山

2.FL
阿久津

7.HR
種村

1.HC
平川

3.HL
小川

8.BR

4.BC
立石

6.BL
横尾

P

2

2

8

0

0

10

0

0

0

SP

0

1

0

0

2

1

0

2

0

SS

0

0

1

0

0

1

0

0

0

M

2

5

5

1

0

1

0

0

0


◎8月25日 国体県予選 於稲毛
 千商 2(21ー12、21ー14)0 船高
  この日船高は最初から元気なくAT陣も精彩を欠きAtMが非常に多かった。又この試 合を通じてのAtPは11、残りの17点は相手のMによるものであった。千商にいとも鮮や かに敗れた原因の一つは、自分達の力を過信して相手を甘く見たことにあったのでは  なっかたか、かくて”秋の大会には勝てない”というジンクスを遂に破ることが出来ず に昭和32年度の幕を下ろしたのであった。

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○高校女子(スタート悪し)                             
鳥光佐喜代 

 4名の卒業生を出してしまい部員不足の所大きな痛手となった。冬の間は昨年より引き続き永盛さんがコーチしてくれ少人数ながら一生懸命練習を行った。春からはOB飽田さんを迎えRe陣に対してAt陣の劣り、At陣の充実、又キャプテンを中心に部員勧誘に努める。
○3月22日〜28日 春期合宿
○4月中旬 三年生旅行の為残る部員は一人で練習ならず
○4月下旬
 三年生市川、田島をカムバックさせ、新たに一年生3名を迎えポジション決まる。
 FR三浦、FC豊田、FL鳥光、HR市川、HC竹内、HL安田、BR田島、BC若林、BL石井、会津、秋根

○5月4日 於明徳高校
 明徳高 2(21ー11、21ー13)0船高  明 2(21ー17、21ー16)0 船
  FR三浦のHR前へのタッチは良く決まったがAt陣は一般に不調、Re陣では試合経験 初めてである石井、会津(BL)をはじめ良く動いた。サーブは全然入らないこの頃あまりサーブを打たなかったせいであろうか、明徳高は合宿中である為かなかなか調子がよい。
○5月12日 於千葉商高
 千葉商、千葉三、船高とでリーグ戦 監督田中先生
 船高 2(21ー11、21ー10)0 千三
  風強く雨もまじる。At陣はFC豊田がいつもながら活躍し他はふるわない。Re陣は凡 ミス多くこの試合は一桁で抑えるべきであった。サーブ入率は4割で千葉三よりはるか に多い。
○船高 2(21ー14、21ー9)0 千商
  両チーム共に良いキルは入らずサーブ戦で行った風ではあったが良く入った。

◎5月18日 全日本高校県予選 於四街道
 船高 2(21ー16、21ー11)0 上総高
  Re、At陣ともいつもの調子が出ず凡ミスが多かった、又サーブが全々と言っていい ほど入らずSSが多かった。このチームは一桁でおさえるべきものであった。
 大多喜高 2(21ー23、21ー12、22ー20)1 船高
  Re陣特にバックは良く動いたがフォワードの動きが鈍く大多喜のFRの滅茶苦茶なキ ルがストップ出来ずほとんどポイントされた。サーブは割合に良く入り相手側のRe陣 が劣る為かSPを十本ぐらい出した。この試合は大多喜の主力を完全にストップすれば 勝てた、これからの練習はフォワードの動きを敏捷にする様な練習方法に努めよう。尚FC豊田が良く頑張った。FR三浦、HC竹内、HL安田、BR市川、BC若林、BL田島。
○6月3日
 ポジションも変り、新規一変これからの練習はこれで行く! 第一の目標At陣の充実
 FR三浦、FC石渡、FL豊田、HR鳥光、HC竹内、HL安田、BR田島、BC若林、BL市川
○6月中旬  流行性感冒で練習に参加する者が少なくなる。
○7月24日〜29日 夏期合宿
○8月11日 於明徳高 雨の為体育館
 明徳高 2(21ー10、21ー19)0 船高  入率4割2分
  HL安田欠席、BL田島突指等でメンバーがしっかりしていなかった。体育館内での試 合は初めての為ボールが光って良く見えなくレシーブが良く出来なかった。明徳のサー ブは良く入り船高は普通なみ特にFL豊田のサーブは目立って良く、BC若林のレシーブ は綺麗、フォワードはもうすこし良く動く事又思い切ってアタックする、ストップは少 し良くなる。
 

7.FR
三浦

9.FC
石渡

2.FL
豊田

5.HR
鳥光

1.HC
竹内

6.HL
会津

3.BR
市川

4.BC
若林

8.BL
田島

P

1

4

7

1

0

0

0

0

0

SP

0

0

2

2

1

1

0

0

0

S

0

0

0

2

1

1

1

1

2

SS

0

0

1

1

1

1

0

0

0


◎8月18日 東葛ブロック大会 於東葛高校 雨上がりでしっとりとしたお天気でバレーボール日より
 船高 2(21ー19、21ー9)0 野田実業高校  入率4割1分
  野田実は決まったアタッカーがなくわずかにFCのタッチがあったがStでおさえる  初めのうちは相手の雰囲気に呑まれ落着かなかった。凡ミスが多い。
 船高 2(21ー11、20ー22、21ー11)1 松戸高
  一セット松戸のHLのクロスのアタックがSt出来ずフォワードはタッチを主にする。
  二セットMが多く接戦を続け主力のFLにトスをあまり周さず打たせなかった。やや 乱れ気味
  三セット大部分ポイントゲッターFL一本で攻撃し、ストップもついたがフェントと 良くつかいわける。船高の短所は二セット目を取られると決まらずと云っていいくらい 負けてしまっていたが、今回の試合は粘りがあり三セット目を軽くおさえる事が出来た のはとても良い傾向だ、喜んでよいと思う。
 船高 2(21ー8、21ー5)0 東葛  入率4割8分
  弱いチームであるだけに気楽にアタッカー全部を使って行う。
 船高、松戸高県大会出場決まる。
 

7.FR
三浦

9.FC
石渡

2.FL
豊田

5.HR
鳥光

1.HC
竹内

6.HL
安田

3.BR
市川

4.BC
若林

8.BL
田島

P

9

7

32

3

0

0

0

0

0

SP

0

5

3

2

4

1

4

4

2

S

1

0

0

0

2

1

1

2

0

SS

0

0

0

2

1

0

0

0

0


○8月21日 於昭和学院高
 昭和 3(21ー12、21ー9、21ー11)0 船高  入率2割4分
  HC竹内就職関係で遅れ、HC若林、BR会津、BC市川、BL田島となる。
  昭和のファイトに押され元気がなかった。又体育館が狭いのでサーブ入率が悪くSSも多い。FR三浦がいつにもなく良かった。昭和の早いテンポにまき込まれやや乱れたが いつものようにゆっくりしたテンポに持って行くべきだった。
 

7.FR
三浦

9.FC
石渡

2.FL
豊田

5.HR
鳥光

3.HC
若林

6.HL
安田

1.BR
会津

4.BC
市川

8.BL
田島

P

5

0

4

0

0

2

0

0

0

SP

0

0

0

2

0

2

0

0

0

S

0

0

2

7

3

1

2

1

2

SS

0

1

1

0

2

0

1

0

1



○8月23日 於明徳高
 明徳 2(21ー14、12ー21、21ー14)1 船高

◎8月25日 全日本高校(国体?)県予選 於千葉大
 安房(二?)高 2(21ー17、21ー12)0 船高
  安房はサーブが良く入り主力FLとFRの早いキルで攻撃して来て非常にテンポが早く やや押され気味であったが、ポイントゲッターのFL豊田一本で攻撃した。フォワード も良く動きStも割合良かったが、Re陣特にバックは良く動きレシーブした。ファイト もあり十分に実力を出して悔いのない良い試合であったと思う。欲を云えば三セット迄持って行けなかったのが残念。

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ーー○ーーー○ーーー○ーーー○ーーー○ーーー○ーーー○ーー

○クラブ[OB]--(初志の貫徹)                 
飽田 英世
 

 今年(昭和32年度)も昨年と同様に、県の覇権を一度もとれず悉く決勝で敗れてしまった。練習もあまりやらず、その上試合の度に無理にレギュラー揃えたり、あるいは、違った人がやるので、当然のことである。これはさておき、クラブも長い歴史を歩んできたのであるが、その歴史を受け継ぐのは若いクラブ員ひいては現役なのである。にも拘らず、その歴史を保持しようとしない事が大きな悩みであると考える。色々と忙しい事ではあろうが、共々頑張り、王者の貫禄を我々の手で守りぬこう。

○昭和32年3月3日
 午前10時より中央公民館の小会儀室にてクラブの総会を開く
 出席者 19名(OB)2名(新卒者)
 総会後、船高で現役を混じて練習を行う。
○3月24日 練習 9時〜12時

◎3月31日 都市対抗予選 於千葉大コート
第一試合
 船高ク 2(21ー7、21ー9)0 川鉄
 ☆メンバー
 F(山賀、永盛、金子一)H(小笠原ヒ、近藤、平川)B(日下部、纐纈、石橋、小暮)
  平川を主力にして打たせ、平川調子よく軽く勝つ
第二試合
 船高ク 2(21ー2、21ー6)0 松戸ク
  松戸クは初出場のためであるか、精彩を欠きなすところなく敗れる。
  (都市対抗出場決定)
○4月7日 練習 10時〜12時 丁度、日立明の定期戦あり 参加者少し9名

◎4月14日 都市対抗南関東予選 於大宮体育館
 船橋を6時半に出発し大宮へ向う。丁度お花見の時期で、大宮公園で桜まつりが行われており、バレーどころではない。
第一試合
 民生ディーゼル 2(21ー17、11ー21、21ー8)1 船高ク
  民生はなかなかファイトがあり、粘りのあるチームで両サイドからのスパイク攻撃が主力である。球威はないが、重力があり、安定性があるのでRe陣あがらず、二セット 目をとり白熱したが、結局ファイトの差で敗る。
 ☆メンバー
 1.BR宇佐見、2.HR平川、3.FC永盛、4.HC近藤、5.FL金子(一)、6.BL加藤、7.HL小川、8.FR山賀、9.BC纐纈
第二試合
 東芝 2(21ー10、21ー8)0 船高ク
  精一杯の試合、HLのKがあがりチャンスを作ればもう少し接近したかもしれない。

○4月28日 練習 9名
 午前9時より練習を行う予定であったが、現役が市川工と試合をやったために練習が遅れ、12時頃より始める。

◎5月3日 春季一般選手権 於千葉大コート
第一試合
 順天堂大 2(21ー6、21ー12)0 船橋ク
 ☆船橋ク メンバー
 F(小暮、秋山、山賀)H(平川迪、佐藤、湯浅)B(横尾、立石、加藤)
 船高ク 2(15ー21、21ー14、21ー17)1 順天堂大ク
 ☆船高ク メンバー
 1.BL宇佐見、2.BR小川寿、3.FC永盛、4.HR近藤、5.FL金子一、6.HL小川定、7.HC飽田、8.FR蜂谷、9.BC纐纈
第二試合
 船高ク 2(21ー10、21ー9)0 成田ク
[決勝]
 順天堂大 2(21ー8、22ー20)0 船高ク
  第一セットRe、At共にもたつき、軽くとられる。第二セット船高ク俄然ファイトを 出し11ー10でコートをとるも15ー15と接戦を続ける、順大のAtにミスが続き、船橋が20ー15と絶対有利になる、しかし最後の決め手がなく、最後の一点がとれぬ。

○9月1日 練習 10時〜12時
 OB 7名、 現役 6名
○9月8日 練習 10時〜12時
 OB 5名, 現役 2名   
 風が強いので、コートを使えず講堂でレシーブのみを行う。

◎9月15日 一般男子国体予選 於四街道
 最近にはめずらしく、男子だけで、16チームという多数のチームが参加した。
第一試合
 船高ク 2(21ー5、21ー6)0 下志津ク
  船橋1,2番のサーブが好調でよくSPをした。下志津はサーブReが悪く、チャンスを作れず、敗れる。
第二試合
 船高ク 2(21ー22、18ー21、21ー16)1 順大ク
  順大クは順大の二軍といったようなチームなので、若さに溢れて元気がいよい。船橋はサーブが悪く、苦戦した。第三セットは出足が好調であり、相手のミスに助けられ辛くも勝つ。
[決勝]
 順大 2(21ー19、21ー17)0 船高ク
  順大よくサーブを入れSPが多いのに反し船橋サーブが入るもSPが少い。結局サーブ Reが弱いといえる。Fのコンビが必要であると痛感した。最近では最もよい試合のよう に思われた。
 ☆メンバー
 1.BC宇佐見、2.HR蜂谷、3.FC永盛、4.HL平川、5.FR山賀、6.BR加藤、7.FL金子一、8.BL内藤、9.HC飽田

◎10月13日 (県綜合?) 於千葉大コート
 船高ク 2(21ー11、21ー11)0 葛城ク
 船高ク 2(21ー12、21ー5)0 市川ク
[決勝]
 順大 2(22ー20、16ー21、21ー18)1 船高ク

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「船高バレーの歩み」

宇佐見武男 

 温古知新”古きを尋ねて、新しきを知る”私のバレー生活も十年になる。十年一昔と俗に言われているがその間、病気や怪我で挫折もあったが、始めてから十年である。そこで私もかってのあれやこれやを想い浮べ、今後の道標としたい。話がいろいろと、とんだ自分勝手のホラ吹き話、自慢話になってしまう所があるかも知れないが、諸兄姉の明晰な頭脳で御判読を乞う。また往時のプレーを春の日々の哀歓を想いおこし、拙文を読んでいただきたい。まず次の表を御覧願いたい。

----船橋高からみた県高校男子大会の成績一覧表----
春 季 (全日本高校予選)

年度

回数

優勝校

入賞

対 戦 校

22

 

旧制船橋中

東金実、千葉師範、千葉商、佐倉中

23

1

船橋高

山武農、木更津高、佐倉一、長生一、

24

2

佐倉一高

 

千葉商に二回戦で敗退

25

3

国府台高

 

成東高、長生一に敗退

26

4

安房一高

銚子高、成東高、茂原農、千葉商、安房一に敗退

27

5

船橋高

佐倉一、佐原一、千葉一、木更津一、安房一

28

6

東葛飾高

 

銚子商、関東高に敗退

29

7

安房一高

 

関東高,長生一に敗退

30

8

船橋高

佐倉一、茂原農、野田実、松戸高、市川高

31

9

船橋高

関東高、市川高、成田高、千葉商、長生一

32

10

船橋高

銚子商、印旛高、安房一、千葉一、国府台高

33

11

   


秋 季 (国体予選)

年度

優勝校

入賞

対戦校

部長

コーチ

22

旧制船橋中

長生中、佐倉中

--

 

23

長生一高

千葉師範予科、関東高、佐倉一、長生一に敗退

 

福地

24

佐倉一高

 

千葉一、佐倉一に敗退

福地

福地

25

佐倉一高

安房農、東金商、千葉一、木更津一に敗退

青柳

木村,近藤

26

安房一高

関東高、長狭高、佐倉一、安房一に敗退

田中

宮原,金子

27

千葉一高

市川高、匝瑳高、千葉一に敗退、千葉商に勝つ

金子,山賀

28

安房一高

長狭高、市原高、野田高、佐倉一、安房一に敗退

永盛,宇佐見

29

国府台高

 

ブロック制になり各ブロック2チーム出場現在に至る。
予選にて市川高に敗退

 

30

船橋高

春優勝のため推薦で県大会へ、安房一、国府台高東葛高

宇佐見,
(小笠原)

31

東葛飾高

前年春秋優勝で推薦 成田高、東葛高に敗退

32

国府台高

 

春優勝で推薦 千葉商に敗退

 

33

       
  備考 入賞記号 ◎優勝 ○準優勝 △三位または準決にて敗退

 諸氏の感想は如何ですか 現役諸君 先輩の足跡はこの通りである。三連覇迄は如何に苦難の道だったか解ると思う。これからどんどん新しい表の空白を輝しい業績で埋めていってもらいたい。
 さて、この表を見て誰でも感ずることであるが、11回の大会のうち春は6回、秋は2回の優勝である。前者はその過半数をしめ、後者はその成績前者に比してあまりにもみじめなものである。26年以前は高校チームで一般チームと対戦出来、県綜合等に高成績をおさめているが、春は強く 秋は弱いといえるだろう。また、春成績の悪かった年は秋にはかなりの成績をおさめている。
 数多くの優勝校のうち傑出していると思われるチームは、24年の佐倉一高、26年の安房一高、30年の船橋高が良かったと私はみてる。その中でも安房一が秀れているのでないだろうか。関東大会も三位と言う成績だったし、欲を言えばFCのAt力とトスワークが良ければもっと高成績をおさめていたと思う。
 船高の中ではなんといっても第一回、二回の優勝が今日をもたらしたものと言えよう。バレー船高の第一歩だったのだから。殊勲賞、努力賞は27年と31年、奮闘賞は27年秋、勝って当たりまえだったのは30年、32年、強そうだったが弱かったのは25年、弱そうだったが強かったのが26年、関東大会で2チームに勝っているのはこの年だけですからね。残念賞は負けた時の先輩や女子の応援の人達。
 技術面での変遷は29年が転換期である。それ以前はどちらかと言うと前衛のタッチ攻撃を主とし、またこれだけで対抗した年もあった位である。以後はスパイクを主としタッチを従とした前、中衛の二本立てとなった。これはこのころからホールディングの限界がやかましくなったため、サーブは27年頃から確実に入れとけば良い、チャンスメーカー的な役割の者を作ってきた。それまでは誰でもが一発屋で勝負していた。レシーブは27年頃から練習の時間を多くかけ、ともかく粘るようになった。県の他チームと比較すると船高は技巧的でかなり細かい技を使ってきたのが11年間の特徴である。

 春に強いと前述したが、その内容を此処三年間の経験を通して考えてみる。
 一次予選が5月の上旬から中旬にあり二次予選が7月の上旬にあること。二次予選は四チームだけで行うので一次に勝つために、まず、攻守サの安定性を持つこと。サーブはともかくとして、チーム編成の場合、Reのセンターライン、FC、あと確実な攻撃者一名とこの三,四名の選手を芯としてチーム編成をするのである。大体遅攻である。技術的に特に使うのはダイレクト攻撃(これは船高のお家芸かもしれない)とシングルタッチ(二段攻撃)である。それでともかく一セット目が勝負であり、先制攻撃をモットーとさせる。相手が角力をとらないうちに土俵の外へ出してしまういわば先手必勝策を用いる。これが成功しているのは各チームと試合経験がきわめて少ないからである。つまり、一セット先取に依って、自チームの落着き、気楽さによって生じる伸び伸びとしたプレーが相手を委縮させ、精神的なあせりとなってあらわれ、これが勝敗を左右するのである。このようにして5月上旬の全日本高校予選は通過する。二次予選迄には次のことをやらせる。攻守サのバランスをとりながら進むことは同じ、前衛にクイックが加わって、これが重要な役割を示す。それ迄に出来ている遅攻の攻撃者の負担が軽くなるよう、トリックと扶助に使う。
 この例が31年にFLが遅攻で苦しい時はクイックを飛ばせ相手のストップがそれでもマークしてたらHLに流し打たせる。32年の前半はFLがクイックで入りHLに叩かせ、後半はFLの高さで抜く遅攻でがっちりとる策戦が功を奏した。千葉県の諸チームは実に速攻に弱いしテンポを崩されると実にモロイのが現状で、この欠陥は当分是正することは出来ないのではなかろうか。主として遅攻を使い、速攻をとり、もしくはテンポを崩す手段で対抗するのが、二次予選であり、この間に関東大会があって、二次の予行をやる。実業団、大学等の一般チームとオープン戦を行うのは5月下旬からである。
 優勝し全国大会へ参加となると、県の出場チームがどのような成績をおさめているか、過去の戦績を振りかえり見る必要があるので、次ページの表にまとめてみた。
<全日本高校選手権>

年度

出場校

対 戦 校

開催地

22

旧制(船橋中)

23

(船橋高)

24

(佐倉一高)

25

(国府台高)

南関東ブロック 春日部高2ー0負け

26

安房一高

新居浜高(愛媛)(21-14,21-19)負け

松江

27

船橋高

勝(20-22,21-9,21-9)三条高(新潟)
負(8-21,13-21)大館鳳鳴高(秋田)

藤沢

28

東葛飾高

負(9-21,5-21)旭川西高(北海道)

郡山

29

安房一高

予負(18-21,12-21)旭川東高、勝(21-19,21-17)水戸一高
負(18-21,12-21)熊本工高

小松島

30

船橋高

予勝(21-10,21-15)奈良商工
負(14-21,19-21)伝習館高(福岡)

姫路

31

船橋高

予勝(21-16,23-25,21-14)奈良商工
負(12-21,13-21)桐生工高

伊予西条

32

船橋高

予負0-2美唄工高(北海道)
負1-2京都紫野高

仙台


<国体>

年度

出場校

対 戦 校

開催地

22

旧制船橋中

負(21-18,14-21,19-21)弘岡農

金沢

23

長生一高

負0-2大淀高(宮崎)

福岡

24

佐倉一高

負(4-21,18-21)朱雀高(京都)

横浜

25

佐倉一高

負(18-21,19-21)三国高(福井)

岡崎

26

安房一高

負(18-21,21-19,16-21)宇部高(山口)

広島

27

千葉一高

負(16-21,14-21)防府高(山口)

山形

28

安房一高

勝(21-17,21-17)奈良商高
負(21-15,17-21,12-21)大聖寺高(石川)

徳島

29

(安房一高)

関東ブロック

(水戸)

30

船橋高

負(12-21,13-21)鹿児島商高

藤沢

31

(東葛飾高)

関東ブロック 負0-2藤沢高

(川崎)

32

(国府台高)

関東ブロック 勝2-1前橋高、負0-2春日部高

(千葉)


 御覧の通り全国大会では各チーム共、実に情けない有様である。船高にについてこの原因を言うならば、第一に部員難であること、三年間に球拾いから鍛き上げれば、かなりのプレーヤーになるが、レギュラーのうち新入生もいれば、球歴二,三ヶ月のものが二,三名混じっているのでは、好い結果が得られる筈がない。部員の絶体数も少ない。各学年が五,六名になれば理想的、そして中学校との関連がつけば相当の成績がおさめられると信じる。欲を言えばきりがないが、この点が解決すれば現状打破はなるであろう。県優勝は黙っていても懐中に転がり込んでくるだろう。
 最後に今年の県高校の予想を書いておこう。東葛ブロックからは国府台、市川高、海岸線のほうでは安房一、長生一が良いのではないだろうか、それに続くものとして佐倉一、千葉商、東葛があげられる。「国府台」長身FL(180p)の決定が強い,新チームは出来、補欠も3名いる豪華さだ。「市川」FRとBCの卒業でHRが低身ながら良く打つ、前衛もかなりととのっているしReの安定性もあるが、優勝経験がないのが弱みであろう。「安房一」秋の主力FRが健在、Reにセンスのある選手が一、二年生であり、サーブがよかったのでうるさい、メンバー異動は秋から殆どなし。「長生一」今年が二年計画か三年計画の最後の年で前年メンバーから抜けるのはFRただ一人、十年振りの優勝なるかと言うところ。AtはオールラウンドでまあまあだがReはあまり感心しなかった。「佐倉一」指導者が他より良い。二年計画かで、これも久し振りに勝ちたい所、だが昔の伝統は受けついでない新興チーム。「千葉商」豊富な部員数と練習量にものを言わせてくるだろう。ここも優勝経験がないのが弱み。「東葛高」異動も少ないらしいが、茨城や東京のチームとの交流が多いので千葉県では洗練された部類に属する。だがAtの平均身長が低いようだ。
 以上のように毎年上位に進出している学校がかなり今年も強敵である。これ等に対抗する我が船高チームはどうだろうか。昨年11月下旬国府台、佐倉、千商と4校リーグを開いたその時の成績は佐倉、千商に勝ち、国府台に敗れた。国府台は千商に敗れたので三者同率、佐倉3敗の結果だった。その数週間前に国府台と試合し2勝しているので千葉よりこっちでは一応優勢だが、それは昨年のこと、退部、休部などあって劣勢と言える。目指す部員(新入生にあらず)が入れば、可能性大、新入生(一応の経験者ならば)対等。まったくの素人ならば予想困難である。例年のごとく幹たる心棒たる三年生は5名、昨年一昨年よりずっとしっかりしている。まあ小笠原コーチも今年は一本立ちで腕の見せどころ、全日本は山口、国体は府県対抗で富山、ぜひとも四連覇、参加してもらいたいものである。
 現役諸君の精進を期すや切! 先輩諸兄姉の御支援を願うや切!
 1958.2.10

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<合宿練習>

○高校男子           

秋山 秀雄 
 第十四回合宿 
○3月28〜4月5日 人員10名(うち新一年2名) 参加費700円、米4升5合
◇経費
☆収入 現役6,000円、OBより2,200円
☆支出 6,720円(主食200円、副食5,100円、調味料800円、雑費620円)
◇日課 起床6:30、朝トレ6:45〜7:10、朝食7:30、午前練習9:00〜12:00、昼食12:30、休憩13:00=14:30、午後練習14:30〜18:00、夕食19:30までに 就床22:00
◇目標 1.F陣の強化(トス、ストップに重点) 2.サーブ(6割以上) 3.B陣の強化
◇指導 宇佐見、小笠原、近藤、金子、蜂谷、山賀、永盛、伊藤、小川、纐纈、飽田、石橋、日下部、平川
△サーブの6割入率の為、サーブ一人50本づつ打つ。
△F陣のアタックはダイレクト及びシングルタッチを主とする。
△B陣の強化に対してはコンビレシーブ主とされる。
△練習試合 船高 2(21ー11、21ー11)0 千葉大
  
 第十五回合宿
○8月22〜29日 人員10名(かよい2名) 参加費500円、米3升5合、
◇経費
☆収入 現役4,600円、OBより900円
☆支出 5,750円(主食600円、副食3,400円、調味料750円、薬品代250円、交通費200円、雑費550円)
◇目的 国民体育大会予選の為
◇指導 小笠原,宇佐見、石黒、蜂谷、永盛、宮原、金子明
 △合宿の途中に国体予選が入った為に前半と後半における合宿の意義が異った。前半は国体予選の為の練習で綜合的なものであったが、後半は一,二年生の技術の向上と各  中学校へ部員勧誘を兼ねての練習に費やされた。


高校女子     
鳥光佐喜代 
 32年度春期合宿
○3月22〜28日 費用 600円 米3升 参加5人かよい1人
◇指導 田中先生、OB永盛、飽田
◇会計
☆収入 参加費3,840円、先輩より400円
☆支出 副食2,783円、調味料595円、燃料475円、その他123円
☆残高 64円
◇日課 起床6:30、朝トレ6:45〜、朝食7:30、午前練習9:00〜11:30、昼食12:00、午後練習2:30〜5:30、夕食6:00、消灯10:00
◇目標 攻撃陣に重点をおく、 サーブの充実
 △三年生4名を送り出し参加者は一,二年生5人通い1人の寂しい合宿練習、コーチは永盛さんから飽田さんにバトンされたが飽田さんが合宿前に病気になった為お忙しい所の永盛さんにお願いして主に見てもらう。又人数が少ない為に練習も思う様に出来  ない所を先輩の方々が食事の仕度ボール拾い等に応援し指導して下さった為にどうや  ら出来た合宿でした。練習は一人一人がみっちりと基礎を身につける。アタックの充  実サーブの充実におかれ、どんどん疑問の点を作って皆で研究し合い積極的に行なう様に努めましたが、はたしてどの程度出来たかは自分自身ではわかりませんでしたが<十分迄にはほど遠いでしょうが、五分位は出来たと思います。

 32年度夏期合宿 ○7月24〜29日 費用 500円、米2升5合、参加7人、通い3人
◇指導 田中先生 OB飽田
◇会計 
☆収入 6,390円
☆支出 副食3,948円、調味料995円、燃料435円、その他110円
☆残高 902円
◇日課 起床6:00、朝トレ 朝食7:00、練習10:00〜、昼食12:00、練習3:00〜6:30、     夕食7:30、消灯10:00
◇目標 アタックの充実、 サーブ入率を5割以上とする。
 △学校の方針が学力の充実に力を入れる様になった為に二,三年生は午前中練習に出る又女子の合宿は色々な面においてあまり良くないと言う理由で学校側では認めないが特別にバレー部だけ許される。その他いろいろな細い規則が出来て、顧問がいない場  合は合宿は許されず、田中先生が29日に九州に発つ為、まる四日間だけの練習に終っ  てしまった。目標としては春期の合宿とほぼ変らないが、チームワークを良くする様  に努めた。あまり期間が短いので合宿してもあまり効果がなかった様に思われるが、三年生にとっては最後の合宿であり、とても楽しい思い出深い物になるだろう。来年  も変らず合宿が出来るかどうか不安だ!

○8月15日 部会を開く 役員を選出 
  キャプテン 三浦、 副キャプテン 市川、 マネージャー 田島
 この日部会を開く事をコーチにうまく連絡出来ずコーチをまじえずして先生と部員とで部会を開いてしまった事を反省する。

○11月 クラブと合併して水郷めぐりをバスで行なう。 
○12月末の部員10名、今年のチームよりはるかに多い。来年は今年より期待が多く持てよう。より以上の進歩を目指して努力して下さい。

(目次へ)
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<昭和32年度回顧>

◯高校男子の回顧       
主将 立石雄三 

 千葉県三連覇の一端を成すことが出来たのはある程度の期待に答えられた事と思っております。しかし昨年の門出ともいうべき三年生の予餞会の時、卒業生から「伝統の保持」という額を贈っていただいた。その時部員一同で「伝統の保持」は勿論の事「伝統の増進」という事を話し合ったにもかかわらず、それだけの活躍が出来なかった事は大変残念でした。
 昨年度を最初から振返って見ると、まず第一に小笠原敦弘さんをコーチャーに迎えた事であろう。私は主将としてあまりにも消極的で多くの欠点がありましたがそれをいろいろと補佐して下さった事は大変感謝している次第です。今考えてみるとあまりにもOBにまかせっぱなしであった様に思います。この様な経験から現役諸君に希望することはあまりOBの手をわずらわす事なく自主的に物事を処理していただきたく思います。
 まず公式戦の最初は千葉県第一次予選は難なく通過し、関東大会出場権を獲得したけれども、大会を二日後に控えながら流行性感冒に4人もかかってしまい活躍出来なかった。さて全日本出場権をかけた県第二次予選は県営体育館で行われた。準決勝対千葉一高に勝っていよいよ決勝戦に進んだ。相手チームは市川高を敗って進出して来た国府台高である。国府台高校には練習試合で負けている。この試合も船高不利に思えたであろうが部員一同の団結力と先生や小笠原さんを始め諸先輩の助力の結果この大敵を敗った事は最も嬉かった事の一つでした。
 問題の国体県予選にも前年の試合経験者が6人もいたにもかかわらず、いや6にんもいたからこそ、このにがい経験を再度くり返したのであろうかとも考えられる。勝った試合には良い事だけが、負けた試合には悪い事だけが後に残る様であるけれども、私の一番強くのこっているのもやはり千商戦である。千商には練習試合に勝っていたので相手は違うけれども前年とまったく同じ条件であった。二年続けてやってしまったこの失敗をもう決してくり返さない様に希望しております。昨年度の抱負で話した中でまず失敗と云ってよいものの中で一つに新人養成を上げねばならない。この事については一考する余地があると感じました。最後にお詫びせねばならない事は昨年が今までの船高バレー部の最良の年でなかった事です。今年こそ現役諸君の活路を期待します。    
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◯『部生活』(女子)     
主将 豊田紀子 
 三年間の高校生活は長い様で振りかえってみると、案外短かかった様に思える。入学する時はあれこれとやりたいものばかり沢山あったが、これといって身についたものはない。しかし自慢しても良いと思うのが一つある。それはスポーツによって得た人間性、社会性である。
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 三年生になってどんなに二年の時が懐かしく思ったかしれない。何もかも私達にまかせられた時の気持は家にお母さんのいない時の頼りなさと、家中のすべての責任を果す為の心配さと全く良く似ていた。そしてそれがどんなに難かしい事であるかを‥‥‥二年の時は余り三年生にまかせきりであった事がやっとわかった。一,二年の人達が”もう少しこうしてくれたら良いのだけれど”と思う時、自分達もかってはこう思われていたのだなあ、どうして気がつかなかったのかしら、これが逆まわりすれば全ての人達が云われるまでもなく、ピンとくるのであろうが、これも一つの悪循環であろうか。
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 3月の合宿は22日の夜からだった。6人という少人数の上に講堂使用禁止には、とても不自由な事が多かった。23日のお昼休みに夕飯の買物に若林さんと出かけた。ところが道路を横切ろうとした時ころんで左の足首をひどく痛めた。一時は気が遠くなりそうだった。近くを歩いていた友達が衛生室へつれていってくれた。何度か捻挫をしたけどその時程痛い時はなかった。でも私にとってはそれ所ではなかった”練習人数が5人になってしまう”と云う思いの方が大きかった。本当に助けを求めたい気持だった。練習には出たがジャンプは勿論サーブさえ思いきり打てなかった。日曜には先輩が多勢いらっしゃった。「二年の時と変らないネ」と云われた時、自分の不注意から出た怪我が悔しくてならなっかった。
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 5月18日四街道で試合、風が強く埃のすごいコートで鴨川一高とは2対1で勝ち大多喜高にも絶対勝てると内心思っていたのに反対の結果になってしまった。今更この様な事を云うのはいけないと知りながらもやはり勝てる試合だったのである。チーム全員がそろって練習出来たのは試合二週間前だったが余りにもFの弱さが大きかった。がっかりしてしまった。敗戦チームのみじめさはどこでも同じ、それを身にしみる程強く味わった。ベンチへ帰る時の気持はとうてい書き表わされない。監督、コーチャーの埃で真白になった髪の毛、試合中の張りつめた注意の声も今は流れ去って‥‥‥。日にやけた姿を見れば見る程申し訳けなさや自分たちの力のなさが強く感じられた。
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 汗くさい部室に入り運動服に着替える時”ああ、また今日も”と思わず口ずさみたくなる。埃は舞い上がり天(そら)からも地からもジリジリと無言でやってくる暑さの中でフラフラになり後で励ましてくれる部員の声も遠くなった。がそれも優勝の夢を見る時、何の苦悩ともならず一本の柱が体内に盛りあがってくるのである。
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 真黒な自分達の顔も忘れてぺちゃぺちゃおしゃべりしながら町を歩いていると前方から来る人達が私達をちょいちょい見ては何ごとか話してニヤニヤする「すげエなあ」「よくやけたなあ」「前も後もわからないヨ」等とささやき合ってせっかく忘れかけていた事を思い出させられるのも度々、同級生の男子は遠慮してか、さすがに私達の前では言わないけれど他の級の人達に”ニグロみたいだ”と云われて憤慨した事もあった。でもこんな事もこれからはないと思うと日焼けした健康そうな姿体が懐かしくなるだろう。”学生時代は黒い方が良いのヨ”と云われ、なぐさめの為に云っているんだなと思い込んでいたけど今になってみれば、”その通りね”と云いたい。
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 合宿人員の少ない時の炊事は本当に困った。春季の合宿では一人でやった時もあったでもOGの応援で随分助かったものである。当番に当った日皆より一足さきに練習をきりあげ炊事にとりかかる時は汗をふく間もない。しかしさすがにバレー部だけあって部員たいていが慣れた手つきでおいしい食事にしてくれる。けれど私は男子の炊事になると必ずといっていい位一度は失敗してしまう。二年の時初めて炊事当番になって「めだま焼き」を焼きすぎてカラカラにしてしまい尚悪い事には一番出来の悪い三人分が後からいらしゃったOBに出さなければならない事であった。第二はやはり二年の時で竹内さんとだった。お釜の真中はまだお米なのに、こげくさいのである,驚いて水を加えどうやら出来上がった。皆だまって食べているので出来具合を聞いたら大丈夫との事ほっと胸を撫下ろした。私達にも是非食べてってくれよとよそって持って来てくれたので二人で食べたが半分は食べられなかった,固かったのである。チリガミにつつんで帰り道ですてた。第三は若林さんと夕食に見るからにおいしそうなカレーライスを作り食卓の上に並べて「あんなにおいしそうなの少し食べてみればよかったわね」と男子がおいしそうに食べてるのを想像しながら,いい出来ばえだったとばかり内心ホクホクと家路へ急いだ。翌日来て「昨日の味どうだった」とよい返事を予期しつつ聞いたら何となさけない返事「味がなかったよ」お塩を入れなかったのである。こんな失敗を重ねたおかげで、それ以来「めだま焼き」も「カレーライス」もとても上手になった事は事実。
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 私達が日ごろの技術を発揮する機会である最後の試合の日が来た。勝てば国体出場、しかし相手のペースにまきこまれ、ズルズルと終ってしまった。あまりあっけなくて負けたという気がしなかった。制服に着がえまだ残っている試合を見た時,はじめて負けたのだと感じたくらいだった。昨日までの辛い練習と明日からの自分を考えるとただ無念で自然に涙が出るのを止める事が出来なかった。
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 私達にはスポーツをやらない人には味わえない歓びや感激の思い出があり,人格が円満に淘汰された。スポーツこそ私達の情熱をそそぎつくして悔いのないものであり,すべての苦悩を忘れて本当に学生らしく清純な気持でそれが行えるのは何にも勝る幸福であると思う。練習の汗をふき取る時全力を尽して戦った試合の興奮のまださめやらぬ時,しみじみと幸福感を味わえるのも、またスポーツを行う人のみ知るところである。私は部生活を決して無駄にはすごさなかった。

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<コーチ一年(その1)>

男子部コーチ  小笠原敦弘 

 はじめに得難い喜びを持たらして頂きましたこと、田中先生,OB、OG、現役の各位に厚く感謝致します。(又関東大会出場の折には,大変御迷惑及御心配をお掛け致し申しわけございませんでした。) 卒業以来ながらくみてこられた宇佐見さんがついに手を引かれることになりましたので,その後を引き継ぐには若輩の私にとって非常な重荷でありましたが,いわば時計係,進行係として引き受けたわけです。しかし実際その任にあたり,輝しい伝統,成果,又三年連続優勝への現役諸君の熱意,先輩方の期待等が重なっており、事の難かしさにおいそれと引き受けたことを後悔した。やはり宇佐見さんはじめ諸先輩にすべてをかけて”負ぶさってし真位,又現役諸君の努力により,私自身何らなすところなく,最初の目的を達成させて頂居てしまった。結局この私の非力が国体に惨敗という結果として如実に現われてし真イ,現役諸君には本当にすまないと思っている。尚今年もづうづうしく引きつづきみること二なりましたが,このような私にこりず昨年同様田中先生はじめクラブの皆様にはよろしく御導き下さるようお願い致します。
 最後に卒業される三年生の皆さんには,三年間の尊い経験を生かし,今後も立派に,志を貫かれてゆかれますことを祈ります。
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 追,全国大会に行っておきながら,ほんのうわっつらだけでと皆様のお叱りを受けることはわかっています。又昨年は種々の初試みをいたし,それら一つ一つについて面白おかしい事が多々あり自分としても書いてみたいと思うのですが、そこが何分筆べたとでもいいましょうか、筆を持つことが大の苦手、でありますので何卒ごかんべん下さい。

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<コーチ一年(その2)>


女子部コーチ 飽田英世 

 先輩から何だ間だと,色々言われてきた現役の自分を脱して,人から文句も言われない自由なる身分になったので,何だか先輩面をしたくなり,現役と一緒に練習をやって遊んでいた関係で閑人と見られ,思わぬ事から,女子と一緒に練習をやるようになってしまった。自分ながら最初は都合が悪かったので躊躇していたのですが、春の選手権の時に試合を見に行った後で決心がつきはじめる様になった。こんな事はさてお喜,一応コーチという事になっていたのですが、そんな資格はないので皆と一緒にバレーを楽しむという調子でやってきました。春の選手権は惜しい所でベスト4に残れず,又,国体も一回戦で敗れ、見るべき成績が上がらず残念に思っております。敗れたりとは言え,ベスト4に残る実力は十分にあったと思います。これもみんな熱心に毎日練習をやったからであり,こうした熱心さがなければ到底優勝は望めません。先輩が言っているように優勝は何年間かの先輩現役の努力によって実現されるものです。今年がだめなら来年は頑張ろうという気持を持たなくてはだめです。この点現役はよくその様な気持になっていたと思います。いつしかこういった情熱が,積重なって実が結び栄冠を勝ち得る時が来ると信じます。だからこんなに練習して敗けてばかりいて,つまらないと考えずに、このような過程が大事なのです。敗戦は無意味なものでなく,そこから新しい何かが生まれてくるのです。
 カント曰く「内容なき思想は空虚であり,概念なき直観は盲目である。」これと同じように私の今までの練習は「内容なき練習」をやっていたのです。これは進歩がなく、単に同じ事を繰り返してやり、無味乾燥なものであったのです。生体験なしに練習をやり,勝つ事だけを目的としていたからです。端的に言えば,計画なしに練習をやっていたからといえます。計画はあっても,生体験がないために、それが実行できなかったわけです。そのような意味においてこの期間は何か新しいものを体得したような気がします。この体験を有意義なものにしたいと思います。三年生は卒業で各々社会に出て,職場に学校にと忙しいとは思いますが,現役の所へ,たまには来て,OGの試合があったならば参加するようにしてもらいたいと思います。とかく女子の人達は黒くなるからか,バレーなんかやる暇がないのか(?)よく分らないが,バレーと別れてしまうので、その様な事がないようにしてもらいたい。何だか話が脱線したようですが卒業生のバレーボールへの精進を祈り、社会人として立派な人になるように希望してやみません。

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「大学に於てのバレー部生活をふり返って」

石橋孝子 

 まず,第一にとり上げられる事は礼儀の面である。ものすごく封建的であって私生活を通し,練習中の態度等も注意される。高校と違ってマネージャーが一切の権力を握って下級生の指導するという事である。
 第二は練習の仕方である。根本的にはどこまでも同じような練習をしているようでsるがその時間の長短と自分で研究するという熱意がないと上達はあまりないと思う。私たちの学校はバレーの名門出身者が多数なのでそれこそ人をおい越して自分が選手になろうと思えば人一倍の努力が必要と思う。これをきりぬけることが出来なければ二年間補欠で終ってしまうような状態である。
 第三なるべく多くの試合を見て自分のポジションの動き又はFのボールのまわし方即ち試合のかけひきを覚えるようにするという事、私も以前は県内の試合だけしか見ていなかったが大学に入ってから大学リーグ戦や定期戦を見に行くようになった。そして又たまには影の方から練習を見たりし、見たものを常に活用し自分のものにする様心がける事が必要だと思う。指導される事をまたずに自分のし易いように行い、それに対して注意を受けるようにし研究心と熱意を持って行うようにしたら上達も早いように思う。
 高校の皆さん一寸の暇を見てボールをさわりボールに馴れより一層の努力を希望致します。

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<三年間の想い出>

マネージャー 秋山秀雄 

 今までに連続三回も全日本に出場したのは立石と僕の二人だけであると言うことを聞いて,今更,我ながら「ウマクヤッタナ」と思っている。この全国大会出場は僕のバレー生活の励増しのもなったし、想い出に富んだものにしてくれたことを感謝している。もし,一度の出場もなかったら、日々の練習は希望のない無味乾燥なものになっていたことであろう。また卒業して,何年か過ぎた時,バレー生活をふり返り想う時,何か満ち足りないような、もの寂しい感じがするであろう。本当に全国大会への出場は僕にとって,非常に有意義であった。
 はじめに出場した時は何もわからない一年坊主であったけれど、その大会のスケールの大きいことや,諸チームの洗練されたテクニックとあらゆる雰囲気に目を見はり,心の中では,洋々たる望みや,大選手になりたいと、憧れやらが入りまじって一杯だった。この姫路の大会でのざんげ話をいたします。関係者の方には申し訳ないのですが,時効になったと思って何卒お許し下さい。試合の前の練習でFCの蜂谷さんとFRの平川さんが衝突して、蜂谷さんの目が内出血してまわりが青くはれあがってしまいました。お医者さんへ行ってほう酸かなにかの冷し薬をもらってきて、数時間ごとにとりかえてやるのが、その時の僕の役目でした。夜便所に起きた時,まくらもとにある薬を忘れて,蹴とばし中味をひっくりかえしてしまいました。大変,どうしようか、その時こぼしてしまいましたと言えば良かったのですが、一年坊主の身、目のとびでるほどおこられると思い,どうしようか,どうしようかと迷っているうちどうせ透明の薬だし,また少し残っているからと、悪知恵をはたらかし水道の水を入れておきました。つぎの日だいぶよくなった、なにも知らない蜂谷さん,その水を目に当てて冷やしています。その時の僕の心中をお察し下さい,でも目がよくなって本当によかったですね。「どうもすみませんでした,蜂谷さん。」
 この秘密を一ヶ月ばかり前に,宇佐見さんに話した 先輩いわく「アンポンタンめ、だからワシみたいな馬鹿が,そんなためにも一緒に行ってるんだぞ、内緒で薬を買ってきてやるのに、でも蜂谷の奴,秋山の薬がよく効いて試合に出られたのかな ともあれ何事もなくてよかった」とあとは遠いことを想い浮べるかのごとく一人で笑っていた。この時の笑いで僕は肩の重荷をおろしたような気がした。
 二年になって出場した時は,メンバーの一人として闘えることが出来るためか,一年の時とは異なる複雑な気持で,行く前から一人で力んだりしたものだった。これらの遠征にともなう楽しい旅,美しい天下の名城,白鷺城,コンピラ船々‥‥‥の金比羅さま,あゝ松島や‥‥‥と日本三景の一つを、共に苦しい練習をし、喜びをわかちあった友と見て回る事は楽しいことであった。僕個人の力ではこれだけの旅行は出来なかったであろう。
 しかし、なんといっても一番思い出深く,感激を味わえたのは,三年生の時に優勝して全国大会に出場した時のことである。苦労に苦労をかさねて,自分達の手で優勝をなしとげた時の気持は,スポーツをやるものだけが、味わえる最大の喜びである。僕はこの気持を三年生になった時,はじめて身をもって感じたのである。
 船高バレー部がこれから連続優勝し、何回全国大会へ行くことでしょうか,出来たらどんなに素晴らしいことだろうか、僕は祈ると共に期待しております。

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<この一年を思う>

マネージャー 鳥光佐喜代 

 「最後の学校生活において運動をして来た事をどう思う」と人に尋ねられた時私は「良かったと思うわ」と答えるだろう。この一年いろいろな苦しみがあった。家庭的な面又勉強の苦しみ‥‥‥運動をした事によっていくらかの学力低下があっただろう。少なくとも私にとっては多分にあった様だ。しかし他の人には味わう事の出来なかった楽しみ又他の人が得る事が出来ない,何かを私達は運動をした事によって得た。
 私がこの様な考え方が出来るようになったのはシーズンも終り練習から遠ざかる事が出来たからだ。‥‥これは母を失った悲しみもややうすらぎ平生を取りもどす様になったからだ。私にとって三月からはほんとうに苦しかっためちゃめちゃに苦しかった。「病弱な母」「千葉大への入院」「癌」「家に返される」「江東病院に入院」悲しい思い出が頭の中でがんがんと巡る。この様な不幸と「合宿」「練習」「試合」でバレー部の方の忙しさは何度退部を思ったか知れなかった しかし母の理解と励ましとで終りまで頑張り通す事が出来たのだ。
 国体の県予選で安房の戦いに敗れたあくる朝姉からの電話によって駆けつけた私に何にも云い残さずして母は死んで行ってしまった。母の死後バレーをやって来た事を後悔し,自分自身を苦しめた自分が悔しかった。大切な母,誰にだって母さんくらい大切な人は他にいないだろう その母の看病も出来ず苦しみも共に出来なかった。親不孝者にしたのはバレーボールをしていた為だ。自分が悲しかった。ついにはバレーボールを憎み一生バレーボールなぞやるものかと心の中で誓った事もあった。しかしこれは一時的な混乱だった。静かに今考えて見れば辛い事もあったが,この御陰で良い先輩や友達をも持つ事が出来た楽しい事も沢山あったし,いろいろと勉強になる事もあった。母の死はただ私の運命であってこのような不幸な人も大勢いるんだ。運動をした事は私にとって大きなプラスになったんだ。 -
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 この一年間このようないろいろの事でもう無我夢中取るに足らない所ばかりで部員の人にも迷惑をかけたり期待を裏切ってしまいました。マネージャーとしても名ばかりのもので原稿を頼まれても頭の中が混沌としていて何を書いてよいやらまとまりがつかず無意味な事ばかり書いてしまいました。私は正直な所を云って現役から逃れられて行く事にほっと安堵しています。この一年はただ無責任な事ばかりで皆様に心からお詫びをいたします。
 昭和33年1月6日

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「女  性」

石黒 弘 

 今度勤務の関係で大阪へ行く事となりましたので今日までに小生の感じた事の中で特に女性について二,三書く事としました。
1.服 装
 たくましい顔に似合わず流行ばかりを追うのが女性らしいですね 最も男性という相反するものがいるからそうならざるを得ないのかも知れませんが,俗にバックシャンなる言葉もこんな所から生まれたのではないでしょうか---実際遠くから見てさぞや美人であろうと足を早めて近づき一目見てがっかりという事が多いですからね 服装というものは自分の内面を隠す為のカモフラージュであり、男性をひきつける道具ですね。コーヒー店に入っているアベックを見ると勘定を持つのは先ず男性ですからその残したお金で服装の代金が出るのでしょう。つまりえびで鯛を釣るという訳ですな。格言○流行は個人的な好みに関係のないものだが,女性は流行に気を取られる  ----カント----
2.秘 密
 ある場所で「女性は秘密の塊りでこっちがうっかり本性を露巣わすとひどい目に合う」と云ったらひどい目にあった。この言葉は実際に小生の本心だったからである。「まあ、失礼しちゃうわ!」「知らないくせに何でも知ってるなんて顔してさ」「侮辱しているわ。」等等もいう言葉も確かな筋?から洩れて来た。「愛情に関する事だと女性は自分自身にさえかくそうとして、かくした事さえ忘れてしまって初めから何でもなかったのだと思う様になって、自分でさえ一向気がつかない事がある。」そうだ「私の愛は他人に知られたら終いだ。」と思う女性がさぞかし多い事だろう。そんな事から「失礼しちゃうわ!」というような人について調査,研究,分類の興をわかせた。
 第一の型は痛い所を突かれたので「失礼‥‥‥」といったので強調すればする程その人はその傾向にあるという事,つまり秘密を好む傾向,極端に云えば嘘をいうのもあえて辞さない傾向にあるといえる。
 第二の型は寝耳に水だったのでこの言葉が「悪い意を含む侮辱」と感じられた人々であり、この型は更に三つに分けられる。「トントン」と叩くと「カンカン」と音がする人がA型である。恋をした事のない人だ。
 B型は自分自身にさえかくそうとしている人である。この原因を調べると一册の本が出来る,これは専門家に任せる事とする----第一の型の変型である。
 Cの型には精神的、生理的欠陥の為に恋する事の出来ない人が属する。
 この第二の型に属する人々は一つ所に固まってコソコソといっている人々である。
 残りの人々は小生の本心を文句なしに認めたものとしてよかろう 今迄この意見を正当化する為に種々述べて来たがこれに対してちょっぴりのうしろめたさもない。「女性に隠し事をしない」といったらこれこそ小生の心に対する侮辱でありそれ丈真理から遠のいた事になる。狐に対しては狸で行った方がよさそうである。
格言○利口ぶる女くらい女らしくない事はない   -----ルッター----
  ○女は最後の奴隷である   -----コロンクイ----- 
   (即ち最後は男に従うべきだと解釈する)
3.嫉 妬(一女性として)
 世間には嫉妬が私達女性の専売特許のものの様に考えている男の方が多勢いらしゃるのではないかしら、そうだとしたら随分心外な事ですわ、女より男の嫉妬の方がずっと醜いものだと思いますわ,教養ある紳士の嫉妬の為に取乱す姿等見られたものではありませんわ、それに比べれば女の嫉妬なんて案外可愛らしいものじゃないかしら。勿論深刻な物凄いものだってありますわ、夫に浮気された又は浮気されたと思った妻の嫉妬-----トースターから取り出したパンを慌てて炭火の中に落してしまった時の様な------でも本当云うとこの気持私には判りませんの。今に結婚して或いは-----でも私の夫は浮気はしませんもの。だって-----唯こう云う猛烈な嫉妬は暫々誤解から生ずるのが多いのじゃないかしら。でも男の人って自分の好きな人を或る程度嫉妬させるのが嬉しいのじゃないかしら。あら殿方ごめん遊ばせ。
格言○真の嫉妬により愛情は常に増す。  -----スタンダール「恋愛論より」-----
   (女を嫉妬させた方が男はもてると訳す)

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☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「言いたい放題を終るの記」

金子一雄 

 編集子からは 今迄続けて来た「言いたい放題」の執筆を依頼されたのですが,32年度は試合に4回出場させてもらっただけで練習にはついに一度も出なかった私自身を顧みて、何をいう元気もなくなってしまいました。又,実際 試合が終るとその足で八王子迄トコトコ帰ってしまい,皆とその日のプレーを語り合うチャンスがないためか、いや,もっとはっきりいうなら、試合のあるその日その時しか試合のことを考えなくなった。つまり、自分の出来合いの技術を切り売りするだけ、よそからちょいと手伝いに来ただけという感じになったため、格別,身に迫った問題としてとり上げたいと感じた題材もありませんでした。周囲の状況からして、今年も私としてはそういった程度のことしかできそうにないので,ここらで 言いたい放題の幕を閉じた方が良さそうだと思います。
 そうしてみますと、他チームへ、審判へ,学校へそして部内へと当たり散らして来た本項の終末としては,私自身を槍玉に上げるのが最も当を得ている様です。勿論 かわいい自分のこと故,文句を言うというより、やっぱりお前は偉いなと言いたい位なんですが、ま,前置と女の子のスカートは短い方がよいとはソクラテスも申しておりますから,とにかく本論に入るとしましょう。
 思えば,私が,亡き相川先輩を初めとする近藤さん達の学年の人に教わりながらバレーを始めたのはもう十年も前のことであります(それにしちゃうまくなってねえな)バレー部創立当時の部員で今もプレーをつづけているのは近藤さんと私だけになってししまいました。その間,体をこわして一年程休んだこともありましたが,私としては,バレーボールというものにとけこんで生活して来たつもりです。日曜といえばバレー,休といえば合宿,のあけくれであったという点では多くの人達が同様の生活をして来ていますが、私はシーズン中は映画も観たこともない程,ランデブーも全部夕方に廻した程,おっと,私の時は昼間だったわ、などと言う人がいると困りますが此はもののたとえで、それ程バレーが好きでした。一度などはバレーが永くなって約束の時間に代理をさし向けたために、それっきりフラレてしまったこともありました。32年度もクラブへは4回しか出ませんでしたが----練習に出ないで試合だけ行ったということは眞に心苦しく思っています----会社の練習と試合,会社の近くの繊維工場の女子チームのコーチ,とバレーと離れずに暮して来ました処が、処がです、悲しいことに、そういう生活は既に私にとって眞に負担に感じられて来たのです。又シーズンになってみれば、やりたくなるでしょう。然し今迄みたいに、夢中でバレーばかりやっている気にはならなくなりました。ソロソロ色気が出て来たのでしょうか?いえいえ皆さん御存知の通り,そっちの方は以前からあります。
 一日試合をすると、やっている時はよくてもあと5日位,体中は痛いし眠くて困るというのが第一の理由でしょう。思う様なプレーが出来ないというのが第二でしょうか。会社で頭を使わされ他人から規制された生活をしていると日曜はポカンと空を見ていたいなと思うのが第三かもしれません。そしてこの第一の理由の占める割合が70%位です。つまり体がきかなくなって来たのが骨身に答えるのです。
 大体,サーブにしろ何にしろ大学の頃とは力の入り方が違って来ましたし,基礎練習みたいなスパイクしか出来なくなりました。そのくせ,おだてられて,県で優勝しようというチームで、主力の次位の役割をつとめさせられて来たのですから本当に誰かに代ってもらいたくなります。若い卒業生がちっとも出て来てくれないのを悲しんでいるのは私だけではないでしょうが私にとっては最も切実です。又時間にしても脳細胞にしてもバレーに分けてやれる分はずっと減って来ました。それというのも私の社会生活の領域が段々広くなって来た為でしょうが、最近の卒業生諸君は早くからこの領域を広げるあたり、私共の遠く及ばないものがあります。
 オヤオヤ私自身を肴にするつもりがすっかり私の例からのグチになってしまいました。そこで、言いたい放題らしく私を叱るならば,何でえおめえは、近藤さんだって山賀だってちゃんとやってるじゃねえか、しっかりしやがれ! そりゃそうです。然し,寮の飯を喰ってるんじゃね。何しろ栄養が足り‥‥‥いや、つまり、もうそろそろ気楽な立場でやらせてくれないかなと思っているのです。大体,月に一度か二度しか家に帰らないのにその日は一生懸命バレーをやれったって無理だ,と思うこともあるのです。そう考えてはいけない、とは思ってもどうやら自然の流れには抗し得ないようです。そこで、私としては眞に残念ですが,これを以って,言いたい放題を終らせて頂くとともにプレーの方も,今迄会社で7,クラブを3のバレーをしていたとすれば、会社を5,クラブを2ではなくて、会社の方は今迄通り7,クラブを0近くにして頂きたいと思います。そうだっ、いいことに気が付きました。船橋に帰った時は女の子のバレーを観てることにしましょう。此が一番です。但し,近藤さんや山賀君は別です。まだまだ頑張って下さい。何しろ自宅に居るんですからな,栄養が‥‥‥すぐ喰物の話をしやがる。意地汚え奴だな。流石の私も一目おいていたバレーの虫,宇佐見,永盛君も,大学を出たここ一,二年が山だと思います。この処で,トレーニングを続ける習慣をつけ、気を若くもって行けば,まだまだ当分は活躍できるでしょう。リーダーとしての健闘を祈ること切です。    -----終-----。

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<仙台への旅>

立石雄三 

○その1 大会前
 宿敵国府台高を敗り,全日本大会の出場権を得た。連続三年目であるのでそれほどでもなかったが私が主将の責任を持っての時だけにやはり嬉しかった。これで私は,三年間毎回全日本大会に出場することになり,船高バレー部でもめったにない事なので,大変幸運だったな----と思わざるを得なかった。「今度は北方の仙台だから暑さにやられることはないだろう」とか「仙台とはどんな町だろう」などと想像することは常と代らなかった。
 さていよいよ最後の合宿も終り,7月29日多くの見送りを受けて仙台へ出発,翌30日の朝目的地に無事到着,同行して下さった先輩は近藤さん,宇佐見さん,小笠原さんの三人でしたが後から飽田さんも来てくれました。駅につくと、小柄な少し頭のはげ上がったじいさんが旅館の旗を持ってキョロキョロ立っていた。私より小さいんだから嬉しくなった。その人の後に16名ゾロゾロ旅館にむかって歩き出した。仙台の第一印象は「不安定」の一語に尽きる。なぜならば電柱が全部同じ方向に傾いていたからである。なんだか自分の体が傾いているようで変な気持でした。私は「どうもこの町は好感が持てない」という感じがしました。あまり歓迎してくれないのもその一つでした。もっとも私などに好感をもたれたら大変でしょうが。宿屋につき,へやに案内されて見るとこの真昼間電気がついていた。それほどこの室内は暗い所でした。そしておどろいた事に女中が「貴方達はどこの中学生ですか」なんて聞く,その上「なにしに来たんですか」とは開いた口がふさがりません。これにはさすが諸岡もまいったらしい。この調子だとこれから先の事が思いやられて来ました。その日の午後,初練習,場所は東北大学のコートでした。名門崇徳もやっていました。この日は旅のつかれもあって調子はよくなかった。次の日,朝から昨日の場所で練習,神戸(かんべ)高等と乱打を行った。入場式をすませてから夕方近所の学校のコートを借りて練習,阿久津,小川がだんだん当り出して来た。特に小川はすばらしい調子で,これでは明日の試合は大丈夫と思いながら宿に帰る。
○その2 大会後
 試合には以外な不調で敗退,ションボリと皆なで宮城野球場の入口の所で話し合った後、その附近でレシーブ練習をして敗戦の痛手を追払った。その日はくやしさをおさえて宿舎に帰った。翌日は午前中試合見物して10時頃から松島見物に出かけた。--そもそもことふりにたれど松島は扶桑第一の名所なり---と書物の中にも見られるが誠にすばらしく目を見はらせる風景でした。五大堂の近くの瑞巌寺という寺の参道にギターを引いているインテリなこじきがいたので30円やって荒城の月等を引かせて最後に先生が「得意なものを一つ引いてくれ」と云ったら「これでは少ない」といったのにはおどろき又あきれた。湾内を遊覧して塩釜港に着き,塩釜神社で昼食をすませ再び仙台へ帰って来た。それから三組ぐらいに分かれていろいろ見物した。私は近藤さん,宇佐見さんと横尾の4人で青葉城跡に行って見た。遠くから見るのとは違ってひどい坂道で、はやくもまいったらしいが、4人とも無事頂上に着いた。そこにはあの有名な伊達正宗公の像が仙台市を見おろしていた。宇佐見さんが茶店で「水を一ぱい下さい」といったら、おやじさんがしぶい顔してぬるそうな水を持って来た。とにかくここまで水をはこぶのは大変な労力が居るらしい。そこでいろいろ青葉城についての事などを聞いた。水はいつでも冷いもの程よいものである。それから少し後で歯にしみる様な水を山中の水源でのんで宿屋に帰った。それから30分後にはもう東京行きの車中の人となっていた。

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<遠征について>

宇佐見武男 

 壮行会の感激、規律ある楽しい旅、物珍しい風物、人の心の美しさ、大会の入場式の荘厳さ、そして試合勝利の歓喜、熱涙のむ敗戦等、スポーツ選手にのみ体験できる、尊い生活の連続が全国大会、関東大会への参加と言えるだろう。この貴重な時間を、ただ漠然とした生活で過したのでは、脳裡に残る感激も少ないし支援してくれた郷土の人々にも申し訳ない。しっかりと心の眼を開いて,その生活に終始し,充分に身体を通して認識してきて欲しい。このことは試合に臨むこと同様に大切である。
 こんなことを書くと,まるでひげでもはやしている人未対で,偉そうだが,船高バレーボール部万年生の経験したこと、勉強したことを述べたい。お粗末ながら,まずは‥‥‥
 遠征の目的は試合であり、旅行が目的ではない。あたり前のことだが,このことについて一つ。30年の姫路の高校選手権へ参加した時のことだった。往路の汽車の食堂で、二人の者が,或る物を飲んだ。その時には,私はうかつにも知らなかったのであるが,一年後か,本人が打明けたので,はじめてそんなことを、こいつめ やったのかいな、と知った。
 こんなことは絶対にいかん,旅行気分に浮かれ,間食を欲しいままにしたり,普段飲まないものをのんだりしてはいけません。勿論同行する吾々にとっても然りである。だが奴あ 豪の者だっね(私の述懐)
 男の生徒と行く時はあまりないが、女学校ではよくあることである。昨年,ある学校の女子について水戸へ行った時,学校の生徒達が自分の級から遠征する選手に,お菓子を食べさせて下さいと、贈ってくれるは、くれるは、石油カンに二杯半もありました。本当の話です。そこで一応全部監督に提出させ,まとめて持って行き,監督の指示によって分配しました。量も多かったので、有難味が薄かった。皆で分ち合うということは、チームワークを良くする手段にしても使ってよいのではないでしょうか。いっぱいあったお菓子はどうなったかって エッそれはそれは、娘子軍の攻勢すさまじく、さしものお菓子の山(「チョット大げさだな」)も見事に平らげられました。その間,たったの二日間であったという。
 従って試合にともなう旅行は,飽くまで,試合のために,良い条件をもたらす形においてなさなければならない。旅行の疲労から試合の不成績を招く。これは北海道の国体の時でした,40時間か、汽車やら船に、ゆられゆられて、伸び切ってし真位,坐るに坐れない選手団が,小樽駅についたのは、試合のはじまる前の日の、夕やみ迫る午後5時でした。次の朝10時から試合,とてもじゃない、良いプレーが出来ようはずがありません。ましてや勝てるわけはありませんそれでもジュースまでもちこむ善戦だたっのは、よくやったと思っています。敗けた翌日の午後は,もう車中の人となっていたのですが、片道の時間より小樽にいた時間の方が少ないなんて,挽歌などで北海道ブームが、さかんな今日,しごく残念に思っています。これは県の予算が乏しかったため、開会式も汽車の中でラジオで聞く位の,情けない遠征でした。私達は良いプレーをしたいから、自費でその分まかなうから早く行かしてくださいと、お役所に頼んだのですが,頑固だね、指定された列車で行きなさいという。この時私はクラブのマネージャーをやっていたのだが、お金を集める時より,つらく,うらめしく、淋しかった。さあてと長話になってしまって続きはどこだったかな、 そうそう‥‥‥不成績を招くおそれさえあることを考える時,軽薄な行動をしないよう,車中,その他での言動,選手としてのプライドを、忘れないだけの冷静さが欲しい。
 旅館に宿泊する時宿舎は,自分達の家庭であると心得てしまうと、良いと思う。旅館は休養第一である。自分の家庭なれば,やはり一番落着くのではまかろうか。つまり,旅館を普段家にいる時のような条件におきかえるのである。”料金をはらっている”という考え方で泊るのではなく,”お世話になっている”という気持で泊るのである。こんな考え方がお互いの気持を明るくしてくれるといえる。営業とはいっても、自分の宿に泊まることになった選手の好成績を心から期待しない旅館はない。(勝っていれば,それだけ余計に儲かるって、「それが、いけないんだよ」、もっと素直にならなくちゃ)明るく接すれば,宿舎の気も窮屈に感じない。部では一番大きかった中西(184)が浴衣を着たら、どれも、これも膝ぐらいのツルツルテンなので旅館の人達も吾々も,腹が痛くなったほど大笑いに笑った,そんなことから事の気持が和らいだのは四国へ行った時だった。
 旅館の人達を家族と考えて接すれば,旅の恥はかき捨てといった言動もおこらないだろうし、落ちついて試合場へ臨む心身の準備が出来る。そんなような意味から自分達の居間や、廊下の掃除,配膳や食後の後始末,寝具のあげおろしを手伝うことは賛成だし、このようにもおこなってきた。
 今迄に遠征で泊った旅館の中では,姫路,大宮,四国西条,新潟が良く,藤沢(2)、仙台が悪く,小樽,浦和,宇都宮,平塚,水戸は可もなし,不可もなしといったところであった。この場合の良い旅館とは,こじんまりとして5〜8部屋位の小規模なもので,一チームしか、泊れなく他の客が泊れないような旅館である。またその旅館の善意の大小も関係してること勿論であるが、泊るのは小さい方が良い。姫路の時などは,まだ泊れる部屋があるのに、吾々の休養のために、客を断って,他へまわってもらった例がある。これなどはこじんまりした、普通の家の造りの旅館だったから,旅館に泊っているという気がしなくて非常に良かった。
 このように選手の宿泊を引受ける程の所は,相当犠牲を覚悟の上である事が多いから,家族やら番頭,女中さん等とは明るく接した方がよいだろう。(「応援にきてくれるものな」)ともかく ”遠征の良否は旅館によってきまる”と言っても過言でないほど,その遠征の雰囲気やら想い出を左右する。
 昨年の仙台での高校選手権の時のことである。その前に開催された姫路や西条に較べると,仙台はいろんなことで、気に入らなかったので,ワシラOBは比較論をし,ブーブーと文句をこぼしだした。そばにいて聞いていた年かさの現役は,遠征の経験もあるからOB側の比較ブーブー論に,すぐ同調しはじめだした。するとなにも知らない新入りの連中まで,それらを聞くうちに,この大会は面白くないというような感じがしてきたのか、面白くなさそうな顔つきばかりが、そろってしまった。開会式等をやってるときは、ワアーすげなあ!と思っているかも知れないが,試合になって,すぐ一コロとでも負けてみろ,頭に来て,うれしかったこともけしとんで、なにからなにまで面白くなくなってしまう。つまり感激がうすくなるということである。(比較ブーブー論の主唱者あらためて、ここで皆様にお詫び申し上げます)指導的立場にあるものは、その遠征が有意義であるよう,それぞれの事態に即応する位の演出をするくらいの気持でいなければいけないと思うのである。そんな意味では四国の時,夕暗に、練習が終って宿への白っぽいポクポク道を皆で校歌をうたいながら帰った時は、本当になんか、自分の心のなかで叫びたかったモヤモヤをはきだしてくれたみたい、すばらしいものだった。
 話はかわって、仙台からの帰路,松島へみんなと行ったのだが,敗けて頭へきていたのか(誰だい!いつも頭,アタマ,オツム,カシラ)にきてるじゃねえか!なんていうのは)民謡でよくやるなんていったけ ”まあ つぅ しぃ まああ のおー さあ”っていうの、近藤先輩に教えてもらって気に入ったんだろうね、歩くながらも、坐っても,立ってても ”まぁー つぅー まぁー まぁー つぅー しぃまぁー”と平泉から厳美渓450円の予算でと思ったところ750円もふんだくられた。一ノ関の旅ゴ屋,その分おかずがよかったから飯でもうんと食いだめようと、さもしい根性をおこし,いどんだのだが、おはちをからにも出来ずに惨敗,そして又仙台に逆もどり、広島崇徳と藤沢の熱戦をみて,アーアいつの日か船高も四日目に残るだろうかと、半ば羨望し,半ば慨嘆しつつ、仙台へ別れを告げ、なつかしの故郷船橋へ帰ってくるまで,ふと口ずさむのは、この ”まあー つぅー しぃまああー のぉー”というやつで,ただそれだけの文句そか知らないのを,あきずにうたいつづけて家にたどりついたのであった。いまでもこれだけの文句がうまくやれないので、時々気が向くと何回も ”まぁー” ”まぁー つぅー しぃ”と一人声で声をはりあげ愛唱している。
 どうもとんでもない方へ脱線してしまいました。これは私が比較ブーブー論の主唱者であったためでしょう。「いつも、お前がはじめに文句を言いだすもんな」『はい,本当にしょうーのない性分でございます。だけどよお! 実際に昨年の大会はね‥‥‥‥」
「それ,それだ, ヒッコメ!」 はいはい、長々と御退屈さま。

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二 級 酒

石黒 弘 

 いとも可笑しい題をつけたからといって笑わずによく読んでおいて下さい。特に女性諸君よ、この文を読んでからはクラブOB諸氏を軽蔑する事勿れ,この題名をつけたのは我々が飲む時は大体二級酒であるからで(中には焼酎をたしなむ者がいるとの事であるが)年報にバレー部の記事ばかりでは一回読めばそれで、ぽいと放り出してしまう事が多いのでこの軟文学(?)を綴る訳である。さて自称「品行方正」な小生(難だ嘘いえなんて言っている野郎は本人がいっているのだから絶体に間違いないんだ)は今日まで種々の人と酒修業をしたつもりである。日本酒(但し二級酒以下)洋酒,ビールとあらゆるものを飲んだが何といっても日本酒をちびりちびりとやる程うまいものはない。小生の酒量であるがその時のコンディションによって異なるので正確には判らない。知りたい人は小生に飲ませて見ればとく判る筈である(勿論勘定はそちらもちである。念の為)適量のアルコールが入ると陽気になってきて騒ぎ出す方であるが無茶な事はしない。小生の事を書いても読者諸君がつまらないのでクラブ員の事について話を移すと、数多い中で強いと言われている人は小笠原兄弟(最も兄の方は最近飲まなくなったのは年頃(?)の為との事)、永盛等は有名である。最近小川(定)が焼酎(あるいはドブロク)というからダークホース的存在だろう。これに反して弱い方では池田氏,金子(一)、宮原氏,玉沢氏といった、ずっと古典的OBの方であるから若手は可成り飲む様である。女性群ではA女史が強いとの事であるが真偽の程は判らない(特に名を秘したのは後程売れ口がなくなってオールドミスとなり、恨まれる恐れがあるからである)。
 酒癖となると人様々ではあるが、主なものを集めると、次の様である。
○飲んだら寝てしまう‥‥‥金子(一)氏,宮原氏
○飲んだらおとなしくなる‥‥‥近藤氏
○泣き上戸‥‥‥小川(定)(振られたあの娘の事を考えているからでしょう)
○陽気になる(この中では種類があるので更に細かくする)
 ◇唄を歌う‥‥‥小笠原(兄)、加藤(潔)等
 ◇唄を歌い且つ踊りまくる‥‥‥伊藤氏,平川(兄)
 ◇落語等で人を笑わせる‥‥‥内藤
○人にからむのは‥‥‥伊藤氏,内藤,永盛
○人に講義をする‥‥‥宇佐見
 頭に浮かぶままに記してみた丈でざっとこれ程であるが、つけ落ちがあると思うので補足して一目見ただけで誰がどの分類に入るかを,はっきりする表を作りたいものである。
 次号にはこの表と酒に強い人のランキングをのせる事をお願いする。女性諸君よこれ程書けばもう嫌になった人も居るでしょう。余は満足じゃ‥‥‥
 終りに「酒は呑むもので呑まれるものではない」って格言がありましたっけ。
 失礼をば致しました。

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「タカオとユー坊」

カメダ・ヒロミツ 

タカオは おととしの キャプテンだ
ユー坊は きょねんの キャプテンだ
タカオは はいったとき から   
   デッカク マセていたが
ユー坊は チビッコク ウブだった 
 だけど 二人とも カワイらしい 
 子供であることには かわりなかった 

タカオも ユー坊も        
   キャップのとき かったのが ジマンだ
タカオの ときは         
 クルしいと いわれていたが   
          ラクに かった
ユー坊の ときは         
 ラクだと いわれていたが    
            クルしくも かった
    だけど 二人とも レンシュウを よくやった
    ことには かわりなかった 

タカオは げんきのい子だ     
ユー坊は おとなしい子だ     
タカオは だから         
  センセイのとき スラスラやった
ユー坊は だから         
   センセイのとき まちがったりした
だけど 二人とも ハタラキぶりの 
              めざましい
  ことには かわりなかった   

けれど 二人とも マケない    
    くらい バレーが好きだ  
けれど 二人とも イマでは    
    オジさんに なりつつある 

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<上位に出たのは>

----飽田---   

 △中学,高校男子
  ○優 勝
   32年度迄  7回
   第10回全日本高校予選
  ○2 位
   32年度迄  3回
  ○3位又は準決勝にて敗退
   32年度迄  6回

 △高校女子
  ○優 勝
   32年度迄  0回
  ○2 位
   32年度迄  1回
  ○3位又は準決勝にて敗退
   32年度迄  5回

 △クラブ(OB)
  ○優 勝
   32年度迄  11回
  ○2 位
   32年度迄  17回
   第6回都市対抗予選
   一般選手権
   第10回国体予選一般の部
   第33回全日本綜合県予選
  ○3位又は準決勝にて敗退
   32年度迄  7回
 
 △クラブ(OG)
  ○優 勝
   32年度迄  4回
   都市対抗大会
  ○2 位
   第10回国体県予選一般の部

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<何回試合したか>

-----飽田---- 

○高校男子
 10勝10敗 公式 対高校5勝4敗、対一般0勝0敗
       練習 対高校5勝6敗、対一般0勝0敗
○高校女子
 6勝5敗 公式 対高校4勝2敗、対一般0勝0敗
      練習 対高校2勝3敗、対一般0勝0敗
○クラブ(OB)
 8勝6敗 公式 対高校0勝0敗、対一般8勝6敗
      練習 対高校0勝0敗、対一般0勝0敗
○クラブ(OG)
 3勝1敗 公式 対高校0勝0敗、対一般3勝1敗
      練習 対高校0勝0敗、対一般0勝0敗  
◎[総 計]
○中学、高校男子 22年度より
 197勝116敗4分 公式 対中学高校70勝32敗、対一般3勝5敗
         練習 対中学高校96勝30敗2分、対一般28勝49敗2分
○高校女子 25年度より
 66勝48敗4分 公式 対高校29勝21敗、対一般0勝2敗
         練習 対中学1勝1敗、対高校30勝18敗4分、
            対一般6勝6敗
○クラブ(OB)  23年度より
 134勝57敗1分 公式 対高校9勝1敗、対一般91勝41敗
         練習 対高校23勝5敗、対一般11勝10敗1分
○クラブ(OG)  31年度より
 9勝4敗 公式 対高校0勝1敗、対一般8勝2敗
      練習 対高校0勝1敗、対一般1勝0敗


     <昭和33年度日程>  

----飽田--
 クラブ(男、女)-------県及び関東大会のみ
  都市対抗県予選         3月30日     県営
  同   南関東予選       4月13日     千葉(体育館)
  一般実業団選手権兼実業団県予選 6月8日      四街道
  勤労者県予選          8月10日     県営
  国体予選一般男女教員      8月24日     稲毛
  国体関東予選(一般女高校女)  9月7日     山梨
  同     (一般男教員男)  9月14日     宇都宮
  関東勤労者大会         10月5日     県営
  県民体育大会          10月11〜12日
  綜合男女選手権兼全日本綜合予選 10月19日     四街道
 
 高校(男、女)-------県関東及び全日本
  高校選手権第一次        5月11日     四街道
  同    第二次        5月18日     四街道
  男子関東大会          6月7〜8日    前橋
  女子 同            6月14〜15日   東京
  男女4チーム決勝        6月29日     県営
  高校女子全日本         7月31〜8月3日 酒田
  同 男子 同          同上        山口
 
 その他
  全日本都市対抗         4月26〜29日   大阪
  アジア大会           5月25〜6月1日  東京
  大学女子            7月17〜20日   東京
  同 男子            7月25〜27日   兵庫
  全日本教員男子         8月14〜17日   丸亀
  国体              10月19〜23日   高岡,魚津
  学生東西対抗          10月29〜30日   東京
  綜合女子            11月13〜16日   東京
  同 男子            11月20〜23日   東京
  一般東西対抗          12月6〜7日    大阪
  国際式選抜           2月7〜8日    東京(保留)
  同  東西対抗         2月11日(夜)   大阪

<お 知 ら せ>


<昭和33年度役員>
○現 役
 部長 田中宗男教諭  コーチ 小笠原敦弘  
 男子 主将 小川寿三郎  副将 横尾龍輔  マネジャー 砂川浩一
 女子 同上 三浦靖子            同上    田島徳子
○クラブ
 県協会理事 山賀繁夫  市体協理事 宇佐見武男
 男子監督 宇佐見武男  主将 永盛昌敏  マネージャー 飽田英世
            女子主将 石橋孝子  同上    将司綾子

 3月2日 船高クラブ総会を中央公民館にて開き,OB13名,OG2名,新卒1名の参加を得ました。当日行う予定であった六人制講習会は延期しました。議題は例年通りで当日次の事を報告及び討議しました。
1.32年度 クラブ収支決算報告
2.本年は昨年の二チーム制をやめ,一チーム制にしてチームの強化をはかり優勝を狙う
3.会費未納者の整理をする事
4.第三回選抜優勝大会開催について
5.ピクニックの予定を女子(OG)の方で行ってもらう

○内藤さんから連絡がありまして家庭の事情により転居する事になったそうです。クラブの皆様に ”よろしく”という事でした。”新ちゃん”の顔がクラブから消える事は残念なんですが、近い事ですから,度々会えるでしょう。なお,新居は
 藤沢市鵠沼桜小路2370---内藤新一
○石黒 弘氏‥‥‥田辺製薬KK勤務(4月より大阪へ転勤)
○永盛昌敏氏‥‥‥日本土質安定工業KK勤務
○鳥光佐喜代氏‥‥新宿伊勢丹
○安田和枝氏‥‥‥三井生命
○若林勢津子氏‥‥山之内製薬KK
○種村敏夫氏‥‥‥千葉郵便局保険課外務
○豊田紀子氏‥‥‥千葉大
○金子一雄氏‥‥‥味の素KK
○小川定雄氏‥‥‥母上死去
○永盛昌敏氏‥‥‥姉上死去
○石橋孝子氏‥‥‥祖母死去

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<編 集 後 記>

 未経験で無知なる者が,このような、重大なる仕事を引受けてみたものの、あさはかな事しか、出来ず,諸先輩の協力を得て,ここに、発行の運びとなった事を感謝しております。編集するにはまず原稿を多数の人々に依頼したのですが、船橋市体育協会長である右島先生が我々の為に玉稿を心よく引受けて下さり,そこに一つの教訓を得たことを心強く思っております。
 年報は,クラブ員,現役,全員のものであるのですから、一人の人だけがいくつもの原稿を書くよりも,一人でも余計に原稿を書くようにしたらよいと思います。とは言うものの,試合に出た人も,出ない人もいるので、バレーボールに関する事は書けないと思うので,年報の中に文芸欄といったような形式のものを、設けて俳句、短歌,詩といった短いものを、みんなが、のせるならば、原稿を書くのを回避する人もなくなり,より楽しいものになると考える。その一端として、石黒氏が、書いたのも面白味がある。
 それなら、自分がまず最初にやったらどうだという人がいるかもしれませんが、何しろ、このように発行が遅れてしまったので,そこまで、手がまわらなかったわけです。
次号からは,もっとバラエテイに富んだ記事をのせたいものです。そうするには、以前からいわれている様に,編集の仕事を委員会制にしなければならないと思う。又皆様の方にも意見がありましたら,述べてもらい、満足にゆく様にしてゆきたい。 
(飽田 英世)


(目次へ)
 
     昭和33年4月10日 印刷発行
       編集者       飽 田 英 世
       発行者    千葉県立船橋高等学校
                 バレーボール部
                船 橋 高 校 ク ラ ブ
       印刷者     佐 々 木 忠 市
               船橋市本町4-1800
                  電 5125 

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