○9月3日 於船高
船高 2(21ー12、19ー21、21ー13)1 千葉大
○9月11日 於日毛
船高 1(21ー16、19ー21)1 日毛
一年2名、二年7名が冬の練習に入った。今年人員が少ない為に基礎練習をしっかりし、サーブの強いチームにしたい。
新主将 豊田紀子、新副主将 若林勢津子、新マネージャー 鳥光佐喜世
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「竜頭蛇尾」クラブ(OB)
小笠原(博)、小笠原(敦)
船高バレーボール部誕生十周年の年であった31年度に一度の優勝(一般選手権)に甘んずる結果になってしまった。加えて昨年に引きつづき順天堂大に一勝も出来なかった事は遂に王座より下ったといえよう。
大学、実業団と比較し,”練習量の差”と一口にいってしまえばそればでであるが、練習日には、いつも四、五人しか集らず、試合に於ても一度もベストメンバーが揃った事がなく、この差をいかにして少しでも縮めるかということについて、真剣に考え、努力されていなかったように思われる、又前年度より、組織とチーム編成の改革という言葉がしばしば呼ばれていながら、何らなすことなく終ってしまった事は残念である。
32年度は現役が全日本出場三連覇をめざし頑張っている年、クラブも今年は、ここ二,三年間の沈滞を返上に無敵を誇った時代を再現しようではないか。
プレーヤー総会 新役員 マネージャー 伊藤 明 事務 小笠原博司
女子チーム誕生 他詳細詳報
○3月11日 練習 9時〜1時 OB11名、現役5名
○3月18日 練習 10時〜11時 OB9名
○3月22日 女子合宿最終日 OB15名、OG9名
練習日であったが女子合宿の為午前中練習出来ず、午後男子と乱打す
◎4月1日 都市対抗予選 於四街道体育館 出場5チーム
第一試合
船高ク 2(21ー10、21ー7)0 県庁ク
第二試合
地理調 2(21ー15、15ー21、21ー16)1 船高ク
対地理調 Sレシーブ悪く、SS多く、F陣弱体の為敗る。
(メンバー)
前(山賀、金子、伊藤)、中(小笠原(兄)、飽田、小川)、後(金子(ヒ)、加藤(キ)、纐纈)
◎4月15日 都市対抗南関東予選 於川崎日本鋼管体育館
第一試合
船高ク 2(21ー13、21ー11)0 国鉄大宮
第二試合
東芝 2(21ー8、21ー13)0 船高ク
弱いボールのレシーブ悪し、又パスが悪く,その為Toが乱れて、At思うにまかせず、又あまりにもFRにボールが集まり過ぎた感じであった、尚相手HLのK上がらず。
(メンバー)
前(9.山賀、4.近藤、2.金子一)中(8.蜂谷、3.飽田、5.小川)
後(7.加藤キ、金子ヒ、1.纐纈、6.小笠原)
○5月13日 県一般選手権 於四街道コート
第一試合 不戦勝
第二試合(準決)
船高ク 2(21ー10、21ー18)0 順天堂大ク
[決勝戦]
船高ク 2(21ー16、21ー16)0 千葉商大
(メンバー)
前(山賀、近藤、平川)中(金子ヒ、飽田、石橋、小川)後(丹羽、纐纈、立石)
○6月7日 練習 OB6名
○6月14日 練習 OB14名、現役10名
○7月8日 練習 OB10名
◎7月15日 全日本綜合県予選 於四街道コート
第一試合
船高ク 2(21ー11、21ー10)0 順大ク
第二試合
船高ク 2(21ー11、21ー8)0 千葉商大
[決勝]
順天堂大 2(21ー17、21ー19)0 船高ク
◎9月16日 国体予選 於千葉大コート
第一試合
船高ク 2ー0 桜友ク
第二試合
船高ク 2ー0 成田高ク
[決勝]
千葉工大 2ー1 船高ク
(メンバー)
前(山賀、高橋、金子明)中(伊藤、飽田、小川)後(金子ヒ、宮原、内藤)
○10月21日 練習 OB6名、現役5名
○10月28日 練習 OB5名
◎11月23日 県綜合選手権
第一試合
船橋ク 2ー1 千葉大
第二試合
地理調 2ー0 船橋ク
船高ク 2ー0 桜友ク
準決勝
総武会 2ー1 船高ク
メンバー(船高ク)
前(近藤、永盛、金子明、)中(平川、飽田、中西)後(宇佐見、立石、石橋)
メンバー(船橋ク)
前(阿久津、内藤、山賀)中(三代川、宮原、伊藤)後(秋山、石黒、日下部)
◎昭和32年1月19日 全日本国際式大会 於川崎日本鋼管体育館 参加14チーム
第一試合
米軍羽田空港 2(15ー2、15ー4)0 船高ク
敗者復活戦
専売東京A 2(15ー0、15ー4)0 船高ク
(出場メンバー)
近藤、金子一、永盛、宇佐見、金子明、内藤、小川、飽田、平川、中西、立石、小笠原(弟)
○12月22日 忘年会 於堀江旅館 6時〜10時 OB17名、OG4名、現役1名
会費 OB三百円、OG二百円、現役百五十円
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<合 宿>
○高校男子(13,14回) 石橋雅史
△第13回男子合宿(内新入生1名) 3月27日〜4月4日
参加7名、通い1(途中から参加) 参加費600円、米4升
指導 宇佐見、小川、纐纈、金子
<日 課>
起床 6:00、 練習 6:45〜7:15、9:30〜12:00、14:40〜18:00
朝食 7:45〜8:15、 昼食 12:30〜13:00、 夕食 18:30〜19:00
入浴 19:00〜20:30、 座学 20:30〜21:30、 就床 21:30
<会 計>
◇収 入
参加費 3,000円、先輩より 2,100円 合計 5,100円
◇支 出
主食 600円、副食 3,427円、調味 695円、燃料 410円、その他 185円
合計 5,317円
◇差引不足 ▲217円
昨年と同じく県予選が早いため、又三年生8名送出したため、今合宿は各自の個人技に重点を置き、しかるべき大会には昨年に対して恥ずかしくない様と云う気持が高かったためか、多少なりとも昨年に見られない精神的な進歩が見られたと思う。しかし今回は例年に見られない悪条件がそろってしまい、まずレギュラー1名のみ残り後は全部未経験者、二日目、三日目には雨が降り、五日目には雪が降ると云う悪天候、又期間中はバレー部のみが本校で合宿する事になっていたがバスケット部が予定変更のため同じ期間なってしまい講堂使用について非常に不便を感じた。
技術的にはRe陣とセカンドSのReに重点、At陣に於てはシングルTに重点、全員Sの強化を目的とした。4日より宇佐見さん千葉大合宿
△第14回男子夏期合宿 於船高試食室 7月22〜30日 参加12名
参加費600円、米5升
<日 課>
起床 6:00、 練習 6:15〜6:45、8:30〜11:30、3:00〜6:00
朝食 7:00〜7:30、 昼食 12:00〜12:30、 夕食 6:45〜7:15
入浴 7:30〜8:30、 座学 8:30〜9:30、 消灯 10:00
<会 計>
◇収 入
参加費 7,200円、先輩より 1,700円、部費 300円、 合計 9,200円
◇支 出
主食 900円、副食 4,853円、調味 1,450円、燃料 730円、その他 1,350円(
病気治療代含む) 合計 9,283円
◇差引不足 ▲83円
今年もインターハイ出場権を得、一同はりきって合宿にのぞむ、合宿中試合を二,三回して大会準備故綜合練習をした。後半平川ねんざ、三代川病気になってしまい、At 練習に苦しかったが両人とも全国大会には出場出来る。
○高校女子合宿(6,7,8回) 野瀬和子
△第6回女子合宿 於船高試食室 3月19日〜28日 参加12名、通い2名
参加費600円、米3升、 指導 田中先生、OB永盛
<会 計>
◇収 入
参加費 6,900円、先輩より 1,500円 合計 8,400円
◇支 出
食費 5,045円、夜食 300円、調味料 1,135円、燃料 670円、その他 600円
合計 7,750円
◇差引残高 650円
<日 課>
起床 6:30 トレーニング 7;00〜7:30
練習 9:20〜12:00、2:00〜6:00
消灯 10:00
新しいコーチャーを迎え、部員全員と新入生3名の参加がありました。
今回の合宿の目標は、サーブの安定、フォアードの強化、セカンドサーブレシーブとされた。全般的に見て、向上したように思われますが、特にサーブは毎日の記録の結果0.9〜0.5に全員が入っていますので、これがずっと持続出来れば幸いと思います。
△第7回女子合宿 8月7日〜13日 於試食室 参加13名 参加費500円、米2升5合
指導 OB永盛
<会 計>
◇収 入
参加費 6,500円、先輩より 950円 部費より 1,000円 合計 8,450円
◇支 出
食費 5,605円、調味料 925円、燃料 630円、その他 945円 合計 8,105円 ◇差引残高 345円
<日 課>
起床 6:00 トレーニング 6:30〜7:00
練習 8:30〜11:30、3:30〜6:30
消灯 10:00
HC浅水の退部で守備位置が変ったので主にレシーブのコンビに重点がおかれた。今回の合宿では主に綜合練習に多くの時間を費やした。
△第8回女子合宿 8月22日〜27日 於試食室 参加費300円、米2升
指導 田中先生、OB永盛
<会 計>
◇収 入
参加費 3,900円、先輩より 500円 部費より 1,000円 合計 5,400円
◇支 出
食費 3,500円、調味料 455円、燃料 240円、交通費 990円 合計 5,185円 ◇差引残高 215円
今回は合宿中に国体予選があるので、チームワーク、コンビネーションに重点をおいた。初めの二日間は午前中綜合レシーブ、アタック、サーブをやり、午後はランダを多くした。国体予選の前日は午前中で練習を休め、午後から休養をとった。国体予選には6時に起床し、30分間体操し、すみきった空気を胸一杯すい込んで朝食をすませて、皆でお昼のお弁当作りをして四街道に向った。矢吹さんと、中村さんがとまって食事のお世話等してくださり大変助かりました。 --------以上----------
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「1956年 回 顧」
近藤弘男
昨年の活躍のナンバーワンは何といっても現役男子諸君でしょう。何しろ前年の優勝チームから8名のレギュラーを卒業させて、FR平川、補欠の石橋、立石、秋山の4名が試合経験者、あとは未経験者で昨日今日入部したものでは、とても全日本出場など想像もできなかった。今年は女子の方が有望だ、なんて言葉も聞かれる状況だった、それが僅か数ヶ月の中に相当の実力を持つチームとなったのだから驚かざるを得ない。しかもみるみるうちに県下の各チームを撃破し、遂に全日本出場の栄冠を射止めてしまった。この事はかげに並々ならぬ努力のある事を物語っていよう。選手諸君の喜びは一しお深かったであろうと推察される。
さて、この喜びにあふれる諸君や田中先生、宇佐見君一行と共に、東京駅をあとにして一路目的地西条に向って旅を続けました。途中事故もなく無事全員西条の駅に下り立ちました。田舎駅と云った感じの殺風景な所でした。ぶらりと歩いてすぐ宿屋、ちっぽけなきたねー所だ。同宿の山形のチームと一緒で宿屋のばあさんは人数ばかり聞いて何のかんのとなかなか上がれない。そのうち、どうやら話もついて二階座敷へ上がってくつろいだが、暑いのに閉口、何しろ三方閉切りの部屋で風がちっとも入らない。めしの時など、皆はだかで汗だくだく、それでも食欲はなかなかのもの、その夜はゆっくり休む。翌日と翌々日割当てられたコートでの練習、最初の日は皆一寸つかれ気味、何と云っても長旅のつかれは抜け切れず、その上南国の陽光さんさんとふりそそぐ日中の事とて、目がチカチカして来る。それでも二日目はどうやら調子も上がって来た様子に一安心。
二日目の夕方開会式が行われた。新設コートのスタンドは見物で満員、ブラスバンドにより入場式、前年度優勝校琴ケ丘を先頭に威風堂々(と云っても足並みの揃わないのが気になるが)と行進する。各チーム共相当の巨人が居るが吾が中西君はやはり一きわ目立つ存在だ。何人も偉い人の話があって無事終了、気合いの入った所で暗くなるまで練習、どうやら皆大会気分になった様子、夕闇の中を校歌を合唱しながら宿舎まで帰る。何となく気分が落ちつかない。相手は奇しくも前年と同じ奈良商工、観平式が始った。これはいけると直感する。結果は三セットで一寸心配したが、阿久津のアタックさえて相手ストップの上を抜き楽勝、皆元気一杯だが若干もたつき気味だった。夕方練習する。帰ってボールの足らないのに気がつく。探したが見つからない。翌日は決勝トーナメント 相手は関東の雄桐生工高、とても勝目はなさそうだが当ってくだけろ、元気がないな、桐生HLの猛スパイク、どんどん決まる。阿久津のアタックが駄目だ。平川ツータッチで氣を吐く。皆上がっているのかな、得点数はどんどん開く、忽ちストレートであっさり敗退。桐生Fサイドのもたつきから見てもう少し何とかなる様に思ったが、何ともならずに終ってしまった。実力の差では致し方あるまい。翌日の午前中まで試合の見学などで費やし、午後西条を後にする。名残惜しそうな者もいる様だが無情にも汽車ははなれて行く。途中琴平のこんぴら様に参拝、キンピラさんなんて真面目な顔で云って大笑いされた者もあったようだ。
「不心得者め」翌日、京都見物バスにゆられて半分寝て居る、いい休養だ。こんな事もあって、愉快な旅でした。現役諸君も良い勉強をして来た事でしょう。とにかく、全国大会に出場する事はいろいろな意味で刺激になります。今後もどしどし全国大会に進出する様に希望します。
昨年の現役女子諸君は実に不運でした。何と云っても全日本、国体の二度のチャンスを逃してしまったのですから、期待もされたし、皆も懸命に練習していたのに、実に残念でした。今一歩の実力が不足だったのでしょうか、私の見た所では充分優勝出来る力を有して居たと思うのですが惜しい事でした。試合は勝たなくてはなりません。勝つ為に全力をつくしたと云っても勝たなくてはやはり後味が悪いものです。まあ今後の諸君に期待をします。
昨年のチームは男女共にレシーブは一応強そうだが何か巧味に欠ける様であったし、又アタックでも、上げてドカンの一人一人ののプレーだった様です。もっとコンビの力が欲しいですね、バックならバック同志のコンビ或はトサーとアタッカーの呼吸の合ったプレー等がもう少しなければこれ以上の進出は無理の様な気がします。一応の個人技はあっても他と何も関係のないパスをしたりトスをしていたのでは何にもないと同じです。パスならパス一つがチームのパスにならなければ、つまり、意気のあったプレーをする事が大切なんじゃないかな、そんな点で一つ研究を------
7月末の全日本綜合女子に出場致しました船高クラブも一回戦で敗退してしまいました。しかし、これを機会に一層発展する事でしょう。皆一緒に続ける様努力しましょう。
それにしても全日本綜合に出場した一流チームは素晴らしいプレーぶりでした。倉紡倉敷のスケールの大きさ、鐘紡四日市の巧妙さ、日紡貝塚の豪快さとスピード、倉紡津の軽快なプレー等々、目を楽しませてくれました。やはり一流チームになると、個人技のようでそうでなく、一つのチームプレー、コンビプレーなのだと云うのがわかります。皆がチームにとけこんで一つのプレーを生み出している様に思われました。非常に良い勉強をしました。もっとも三日も見に行ったんですから見応えがありましたよ。
クラブの男子は今年も低調でしたね、しかし今年に入って6人制に出場した事は少々冒険ではあったが良かったと思います。二日間の猛練習ではルールもろくに分らずですから勝てるわけはないし、勝とうとも思いませんでしたが、結果は二試合ともろくに点がとれないうちに終ったと云う所ですが、なかなか面白く感じました。ネットの高さが氣になりますが、クラブのリクリエーションとしては好適な様に思いますから今後一層取入れて見ようではありませんか
されば諸君今年も大いに楽しくやりましょう。
------以 上-----
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「31年度試合回顧」クラブOG
矢吹初美
二月の総会に於て兼ねてから懸案中のOGクラブを編成発足し、次のメンバーにより初試合を4月1日四街道コートにおいて川鉄チームとオープン戦を行った。
F(今関、伊藤、金子)H(島津、矢吹、加藤)B(石橋、中村、片岡、将司)
新卒業生5名を加えたせいか初試合にしてはチームワーク良くファイトがあり二回戦行って各々2ー0で川鉄をシャットアウトした。
○4月15日日本鋼管にて、都市対抗南関東予選
初めて室内コートで試合をした為少し上がりぎみであったが、二回戦迄勝進み惜しくも東邦レースに1ー2で敗した。この試合はFC、FLのコンビが合わず決定的なAtが作れなかった事にあった。
◎5月13日 一般実業団選手権大会
この試合に始めて現役、阿部、野瀬、金井、吉橋の4人が出場し攻守共に精彩を加えた、そして千葉県一般選手権を獲得した。
女子リーグ戦
船高ク 2(21ー8、21ー10)0 川鉄
船高ク 2(21ー8、21ー15)0 千興銀
◎6月10日 全日本綜合選手権大会県予選
メンバーは次の通り
F(加藤美、伊藤、金子)H(島津、矢吹、今関)B(石橋、中村,片岡)
第一回戦 千葉銀、二回戦 興銀と対戦し各々2ー0で勝ち、待望の全国大会出場権を獲得した。
◎8月30日 全日本女子綜合選手権大会
後楽園にてOBの方々はじめ多勢の御支援により多額の御寄附を戴きユニホームを新調した。当日は雨天の為入場式の感激を味わう事が出来なかったことはかえすがえすも残念であった。第一回戦現役チームの神奈川県代表京浜女子商と対戦し、大会の雰囲気にのまれ力を十分出し切れず10と4のスコアをもって惨敗した。これによって練習不足というクラブチームの弱点を感じさせられた。これらの事が良い経験となり来年度は新しい心構えを持って,より一層船高クラブを盛り上げて行く事を誓わなくてはならない。
◎11月25日 千葉県綜合選手権 千葉大コートにて
千葉大、興銀、船高クラブの3チームが出場しリーグ戦を行った。この試合は今年度最後の試合である為か一年を通じて最も迫力のある充実したプレーであった。特に現役4人は終始チームの中心となってファイトを持って試合を運んだ、それに全員S率が良く六割を上回っていた。
以上簡単でありますが31年度の試合回顧を終らしてもらい、最後は少しばかり32年度の抱負を書かせて戴きます。
まず来年度は国体出場を目標としてFLを埋める選手を補強し攻撃力の充実を主とする練習を行うことである。それに一番頭の痛い事は今年度の新卒業生の進学,就職いかんによってはチームの編成が難しくなって来る事である。メンバーの編成が変って来ると31年度の様な、なまやさしい練習ではいくら県の平均水準が低いとは云え首位に立つ事が出来なくなる。その為にも32年度はクラブチームの練習不足という欠点を取り除きより一層内容の充実を図りOGクラブを発展させて行くつもりでおります。最後に第八期の卒業生は6人もいるが現在クラブに於て活躍しているのは唯一人であると云う事ははなはだ残念であり、他の人達の発奮を大いに望み今後を期待しています。
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「昭和31年度を振り返り見て」
平川孝男
昨年一年間私は主将と云う最も重大な任務を与えられ、不安に思われた私達におきましては、全国大会、関東大会出場と未熟ながらも好成績を残して、今日ここに「昭和31年度を振り返り見て」と題して筆を取らせて頂くに到りました。先輩の残された伝統を是が非でも保持し、増進させねばとあせりながらも、厳しい練習と戦い苦しむ事によって、お互の技術をみがき、ついにその望みが成就されたと言う事は、私の最も大きな喜びとする所でございます。しかしながら昨一年間を振り返って見ると、其の中には数えきれぬ程の失点があった事は云うまでもありませんが、その最も印象に残されたものとして、国体予選に於いて、対東葛高校との試合を挙げる事が出来よう。それは私にとって、今でも諦める事の出来ない大きな不覚でした。今考えて見ると対戦中の私の胸の中には、何か薄生意気な落着きと言った一物を抱いて居たようだ。いや、それは私だけでは無いかも知れない。
それが対東葛との最も大きな敗因になった事がペンを走らす今,初めて強く心にしみる有様です。第二として、ものの取り扱いが非常に悪いと言う事が上げられる。たとえば例を取って見ますと、ボールの監理方が非常に不届であった事、これに於いては、一番悪い例として、四国の全日本大会の試合前、田中先生から強いお叱りを受けた事がいち早く頭に浮かんで来る。私にとり、あの時のように、大切な試合を前にして、物の取り扱いが不届な点から、先生にお叱りを受けた事は主将として最も恥ずべき事である事を強く心に感じたと同時に、お叱りを受けるのは当然の事とは思いつつも、あの場合に於いて、監督としての立場に立った。先生の私達に対する考え方と言うより、あたり方に少々疑問を感ぜざるを得ませんでした。
と言う事は試合前にあのようにおこると言う事は、かえって私達に取って悪影響を与えるように感じたからです。第三として、すべての事に於いての動作の機敏さがかけて居た事が上げられよう。これはバレーボールだけではなく、あらゆるスポーツに於いても最も大切とされる事であろう。これに取って一例を取って見ますと、練習への取掛かりが非常に悪く又練習中においての次のプレイに対する動作が、にぶいように感ぜられた。これはむしろ失敗と言うよりも今後の船高バレーボール部に於いて、是非注目していただかねばならぬ事である。このように私は昨年度の失点について幾つかの例を上げて見ましたが、何れを見ましてもスポーツに対する情熱とでも言いましょうか、バレーボールと言うものに対しての感心が非常に欠けて居たようだ。当時の私達小数の部員にとっては、バレーボールへの情熱、感心と言う事をまず、部員個人個人の心に植えつけると言う事であったろう。それが完成されて居なかった事が、昨年のように試合を経験した者が少なく、部生活について完全に意識して居なかった我々チームに対する唯一の失策となったと言いきる事が出来よう。
昨年の私の抱負は船高バレー部精神にのっとって伝統を増進させ、部員全体が一致団結する事であった。これは良しとして,部の生活方針として、一にチームワーク、二に礼儀作法、三に部室を清潔にすると大別して上げた。一のチームワークと三の清潔と言う事についてはある程度完成されはしたものの、二の礼儀作法が非常に悪く、特に先輩に対しての挨拶がきわめて不届のように思われた。
次に私が全日本大会に参加し、現在の船高バレー部と他チームとを比較して見て気がついた事は、船高には見られない「粘」「個人個人のファイト,努力」「礼儀」それといかにして試合に望むか、即ち、「一つの試合に必ず目標を立てろ」と言う事だ。これらはいずれもごくありふれたように思われるだろうが、今後の船高が是が非でも学ばねばならぬ事だろう。ここで昨年チームの最も弱点とする所を、先に述べた事の中から抜き出して見ると、バレーボールに対する情熱、即ち、感心と言う事がかけて居た事が、まず強く感ぜられる。この『バレーボールに対する情熱--感心』と言う事は、現役諸君に於いても、今後是非理解して頂きたい事である。 ----以 上----
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「試合の反省」
阿部娃津子
前回の年報に31年度の抱負と題して私は、今年こそは優勝したいと書きました。けれどもそれも出来ませんでしたが、千葉県で開かれた関東大会に出場出来たという事は大変嬉しかった。と共に何と千葉県のバレーボールの程度の低さが手に取るようにわかりました。サーブは船高の得点チャンスであったのにそのサーブ力が及ばないというしまつ、あの時はサーブがとてもこわく感じました。
全日本予選の時は去年も勝つ事の出来なかった安房二高とあたり「よし」という気合でぶつかったつもりだったのにこれも去年と同じように負けてしまった。「残念だ」という気持で次の国体予選にと、なお気合を入れたのです。今年はブロック大会が船高で開かれた。本当は試合には一番慣れているはずなのに、でも毎日練習している所のようには思えなかった。一回戦で昭和に負けた時は悄気てしまった。だが敗者復活でブロック代表になる事は出来ました。四街道ではまた安房二高に準決勝で負けてしまった、二度も負け残念でたまらなかった。この試合の反省は負けた事の報告のようですけれども勝った喜びよりも負けた時の気持は何ともいえないくらい これから高校を卒業して勝った「うれしい」かったというよりは、なお負けた残念という事の方が頭にこびりついた思い出になって行くような気がします。
安房二高との最後の試合に、花沢さんが応援団長となって諸先輩に応援していただいた時は涙の出るほど嬉しく思いました。又永盛さんをはじめ諸先輩の方々への御礼にせめて優勝をしてと思っていたのに、一番の御礼がが出来ませんでした。
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「第一回全日本国際式大会」
金子一雄
国際式大会がフリー参加であるときいて、持前の新しもの好きが頭をもたげ、一つ出てみようかと衆議一決したのは大分前でしたが、今年は練習の集りが少く特に国際式を練習するという機会もない内に年の暮を迎えました。正月に申込書が届いた時には、本当に出るのかいなどと弱音をふく奴もいましたが、とにかく参考の為だよということになり、いよいよ図々しくも出場と決まり練習は1月13日、15日の2回、ルールも読んだだけでよく分からないままに、体ならし位のつもりで集れる者だけでやりました。其でも、三、四十チームも来れば中には弱いのも居るさ位の気持で居た処、いざ組合せとなったら、松下、鋼管、全早大等々自信満々のわずか14チームの顔ぶれに、ヤレヤレというわけです。
さて、当日19日(土)は一時から鋼管体育館です。第二試合には近藤さんも馳けつけてくれましたが、定刻勢揃いしたのは、会社を休んだ金子一君つまり私に、あとは学生ばかりの永盛、宇佐見、金子明、内藤、小川、飽田、平川、中西、立石の諸君と小笠原(敦)監督です。よそのチームではいつもBなどやってる連中がポカポカスパイクしているので、流石に本格的にきたえた連中は違うわいとか何とかつぶやきながら、こちらは2.43mのネットにアップアップする内に試合開始。まず米軍羽田空港のイレズミをのぞかせた兄ちゃん連と対戦、練習をみるとバレーになってない様なチームでも試合になるとやはり慣れたもので片手でチョイチョイとバールをさばかれてしまいます。それにひきかえ、こちらは極東式の調子がぬけきらずHの続出であっさりと幕。まあ日本中で、公式試合で外人とやった奴は幾人もいないんだからと変な処で慰めて次に備えてもっぱら青眼くずれ片手さばきと下段の構えはコブシにあてることの練習。敗者復活戦は専売東京A、今度はHは少くなったものの実力の差は大きく、何本かの攻撃もサイドアウトだけでポイントにならぬままとりかえされ、15ー0の記録は大会唯一のものでした。
以上が大体の経過ですが、感想は
一、ボールの扱いに変化が乏しく面白味がない、初めから国際式をやった人は充分我々と同じ様な球さばきが出来る様になる筈だとの意見もあるがそうではないだろう。
二、はさみパス、普通のアンダーパスはやれば必ずHだが此は注意していれば使わないで済む。然し、胸の前でやるパス等は実際にもっているとかいうことでなしにモーションの如何でHにとられる様である。
三、サーブは絶対に入れなければ駄目である。ここにも極東式に比べ面白さに欠ける点があるのだが、弱いサーブでも入れた方が得である。何故ならサーブ権を失ったら得点が出来ないから、サーブをフォールトしても、サーブ権をとられるだけで何らの得点になるわけじゃないから構わないという考え方は間違いである。
四、どこのチームもアンダーパスがうまくない現在の試合ではフェイントが効果大である
五、総合的に言って、本格的な訓練をうけない人、つまり職場のレクリエーションとか普通の学生とかには面白くできない。極東式なら下手は下手なりに、体力のない者、小さい者でもそれなりに楽しむことが出来る。
以上、お粗末乍ら事始めの始末記というわけ、今後時々国際式もやってみることとして、極東式の方、32年度はクラブもピンチに陥った様ですから、若手諸君の奮闘を期待しています。
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「第一回県下選抜綜合優勝大会を開催して」
宇佐見武男
県の校長会議の通達によって、高校チームが一般チームと公式戦に於て禁止されてから5年が経った。高校に年二回の公式戦しか許さない県は日本全国を見渡しても少ないことであろう。このため県綜合、全日本綜合県予もさびれてしまい、大会の盛り上りも少ない大会となってしまった。
且つて我々の先輩が、旧制中学時代、千葉医大を倒し、優勝し綜合選手権を得た時の感激はたいしたものだった。とよく語ってくれたし、私が現役二年の時、当時の高校の覇者安房一高が全千葉大を敗り、準決勝で我々の敗戦のうっぷんを晴らしてくれたのを憶えている。全日本の大会でも、桜鳴クと韮山高の一戦は好試合として史上に輝いている。女子の方も最近は実業団全盛だが、且つては華々しい一戦をくりひろげている。若さと試合巧者と相反するものの衝突は相互の向上を意味すると、特にバレーボールでは言えることである。また我々のクラブでも創立以来十年の年月を送ってきた、そこでなにか転換期として、発展的な行事をと言うのが願いであった。30年度からこの県下選抜綜合優勝大会を開催しようと案を出したが、時間的に無理があったために流れ、31年度総会の時、了承を得て実施する運びとなった。
順天堂大、千葉工大、地理調査所、葛飾ガス、国府台ク、船高ク、安房一高、佐倉一高、長生一高、千葉商高、東葛飾高、船橋高の12チームを招待する予定であったが、種々の事情で、順天堂大、千葉工大、川鉄千葉、国府台ク、順天堂大ク、船高ク、佐倉一高、成田高、市川高、松戸高、船橋高の11チームで覇を競った。予想通り順天大と船高クの決戦となり、練習量の多い順大が初優勝した。高校チームは船橋高が国府台クを敗り、川鉄に惜敗した他はレベルの差がかなりありストレートで敗退した。内田校長先生、市体育協会長右島四郎氏を迎えて、盛大に行われ、我々の予想以上に大会を盛り上げてくれたOB、OG諸兄姉、前日遅くまでコート整理準備に当ってくれた現役男女部員の諸君、忙しいところ御苦労様でした。また御指導御支援を賜った県協会理事長の鈴木先生、市教育委員会、市体育協会、富士運動具店、母校船橋高校に紙面を借りて御礼申上げます。
今年度も第二回大会をより充実した内容をもって企画し、開催致そうではありませんか。
皆さんの御協力を願って筆をおきます。
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「クラブ一年生として感じた事」
飽田英世
はや卒業して1年がたってしまいました。幸い技術未熟ながらクラブの一員としてこの1年間先輩と共に試合に参加させて頂きまして自分ながら恥ずかしく思っております。何分まだクラブの一年生でしたのでクラブにあまり良く馴染む事ができなかったのですが、月日が進むにつれて徐々にその雰囲気に親しむことが出来る様になりました。
そこでこの1年間のクラブの活動について、自分なりの反省をして見たいと思います。まだクラブの一年生なので経験も浅く、なんのかのと言う資格はないのですが、まず一番感じた練習の事について述べて見たいと思います。だからあまり豪語を言っているなどと思わないで下さい、今までは練習というと日曜毎に行っていたのですが、どうもこの様な練習では、その間にブランクができて次の週に試合がある時などは前にやった練習があまり試合に効果を示さないように思えるのです。と言って他によい方法があるわけではないのですが、そこで試合がある時は都合のつく人だけでも学校なりに集って二,三日の間、コンビを整える位の練習をやったならば、体のほぐれもとれてよりよきコンディションで試合に参加できるのではないかと考えます。
だからと言って日曜の練習が無意味であるというのではありません。あくまでも練習は同じように続けてなお、その上に練習をしたら良いと云う事なのです。何故にこの様な事を言うかと云えば、去年の試合などもう一歩という所で敗れているのです。そして僕などもそうなのですが、いつも試合が終ってから、「どうも練習不足でだめだ」などと愚痴をこぼして負惜しみを言っていたのですが、この事の根本は、コンビがあわなかったので自分が練習不足であるかのように錯覚を起して、このような事をいうのではないでしょうか。
故に前に述べた様な方法で、もう少しの努力をしたならば、敗れずに勝つ事ができたと考えるからです。又これと関連しての事なのですが、練習日というと常にクラブの人達だけしか集らないので、人数が少なくて何となく物淋しいので練習も自然と熱がさめて、どうしてもだらだらと長びいてしまうか、簡単に終らしてしまうようになるのです。そこで練習日には元気のある現役の諸君にも参加してもらえば人数も増え短時間のうちにより良き効果が得られるのではないかと思います。それは練習というと、いつも無味乾燥な事ばかりやって公式戦以外には試合というものをやらずにいたので前に述べた様にコンビが悪かったのです。そこで練習日には現役と練習マッチやら乱打ができてコンビを整える意味において、現役の諸君にも参加してもらう事は意義ある事だと思います。この様な事が特に強く感じた点でありますが、31年度の試合を通じてクラブの戦績をみてみるとあまり良いとはいえない。又、年報によると30年度も4回の県大会に悉く決勝にて順天堂大学に敗れてしまったのですが、この様に最近二,三年の間は一度も県の覇権を握らずにあと一歩というところで敗北しているのです。
これに反して昨年の春に船高クラブ主管の第一回県下選抜優勝大会は初の試みながら多数のチームの参加を得て盛大に開催されたのです。これはクラブ創立の十周年を記念して行ったもので、意義深く賞賛すべき事であると考えます。ここでこのようになった原因を考えてみるといろいろとあげることはできますが、最近クラブの間で言われている様にクラブの転換期という一つの重大な壁につきあたったのです。即ちこの転換期というのはクラブの改善(特にチームの編成)が必要であると言われているのです。しかしながら、自分としては現在の段階においては、まだこのようなことを考える所にきていないとは言えないが、他に考える余地があるのではないかと思います。それは昨年の試合を通じてもわかるようにチームワークが欠けていたと言えるのです。チームワークが欠けているというのは個々的に見れば前に言ったコンビが合わないという事に帰着すると思います。これは練習の方法、あるいは試合ごとにナインが変る事からして当然であると言えます。しかしやはりこの様な問題をのり越えなければので一応クラブの転換期が到来したといっても差支えないと思えます。そこでこの転換期をどのようにしたら克服できるかと云う事については、チームの若返りという事が言われているのですが,その様な事は必要なしと考えます。
いくらチームの年令をさげても、そこには渋さというものが欠けるのでチーム全体が不安定なものになります。又、現在の状態ではチームの若返りを必要としないし、前に述べてようなにチームワークの欠けている事が、さしあたりその解決の糸口として若返りいう方向に進めさせるので、何といってもこの転換期というのはチームの若返りといった様な事でなく、むしろチームワークのとれたチームを作ることが先決問題である様に考えられます。
わたくしはこの現在直面している転換期というのはチームワークの問題であると結論を得たのですが、この問題を解決するのにはクラブ全部の人たちに関係がある事なので、皆さんと一緒に考え解決してゆかなければならぬち思います。そこで本年こそは過去の名誉挽回のためにチームワークのあるチームを多数編成して久しぶりに県の覇権を握りたいと思います。
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「ベンチ一年生」
小川定雄
バレーボール生活今日迄、ベンチに入って監督という真似事のようなものをやらしていただいた事、これはきっと小生一生の思い出となるであろう!。ではその時の事を思い出して”書きますわよ”おっと書いて見ます。
まずベンチに入ったときを、始めてだったので上がってしまい、まるで自分がプレーをするかの様に浮き浮きした気持だった。でもどうにかやってのけたので我ながらあっぱれであったと思う。それに喜ばしい事には、小生がベンチに入って時は一度も敗けなかった。でもいくら小生が、ベンチに入っていたからといっても、一人ではどうにもならなかったであろう。それは先輩がいて色々と教えてくれたからであって、又、現役諸君が一生懸命頑張ってくれたからでもある。だから先輩並びに現役諸君に感謝致します。
では次に、そのベンチ生活で思い出深い二つの事を書いて終りにさせていただきます。
まず第一は千葉工大での全日本高校第一次予選に於ける関東高校との試合である。あの時1点もやらずに勝てたのだったが、つまらぬミスで1点をやってしまった事、でもあれで船高が二つのの1点記録をつくったのだからな、もう一つの1点記録の方は書かない方が良いかな?恥かしいからやめておこう。もう一つは、これも恥かしいが、これは書いておこう。それは全日本第二次予選の成田高との試合中の出来事である。何しろ追いつ追われつであり、どうしても勝たなくてはと思い、力んでいて上がってしまったらしい、であるので作戦タイムとチェンジメンバーを間違え作戦タイムを二度も取ってしまった。その時レフリーが前に「一度取ったのではないのですか」といったので、「取らない」と云ったら、「スコアブックに書いてありませんか」と云ったので、スコアブックを見たら取ってあったので ”しまった”と思った。でも取らないと云おうかと思ったが、フェア精神で、堂々と戦わねばならないと思いすなおに「間違えました。」と云った。そして大事な1点を取られてしまった。でもその時は、現役諸君が頑張ってくれたので勝つ事が出来たので良かったが、あの時の気持といったら、それこそ穴があったら入りたい位であった。でも今考えると、良い経験になったと思っている。そんなわけで少なくとも最後の一つだけは一生忘れないだろう。この二つが、ベンチ一年生の思い出である。
◇俳 句◇
原稿を 頭下げられ 書くつらさ
六人は 九人制を 良く使う
球を追う 我等は皆の 模範生
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「四 国 遠 征 記」
○<さる> 日下部哲夫
「リイ………」旅をせかせるベルの音がけたたましく鳴り出した。ここ東京駅の14番線、急行瀬戸がまさに発車寸前のところである。諸先輩の手を握りしめ「元気で頑張って来ます」と若さに溢れた幾つかに顔が窓に並んでいた。汽車が静かに動き出し、船高男子排球部員一同は先生及先輩の方々と共に全日本大会に出場するため、夜の東京駅を後に一路西条にむかって出発したのである。あれから19時間に及ぶ長い汽車の旅も終り複雑な気持で西条の地を踏んだのである。ボーイスカウト諸君の歓迎を受けながら旅館に入った。
この旅館にモンキーでない「さる」がいようとは誰も予期していなかったであろう。
旅館に入って数時間しかたたない中に「さる」というあだ名もらった、おの二十五と言う女中さんは顔から歩き方までさるにそっくりなのである。それにしゃべる事と言ったら誰にもひけをとらない事は確かである。この旅館そのものも又すごいのである。玄関のかべの一部はくずれかけ、板の間はすき間があいていて、テレビがなければ、ラジオもなく時計も満足なのがない有様である。又風呂は木製の四角なやつで一部がこわれ五寸釘の頭が出ていてそれでおしりにかすり傷をおった者さえ出る仕末である。翌朝食事の前に掃除をしてくれと誰かが言ったら、ほこりが出るから食後にしてくなどと誠にみような旅館である。
さて、決勝リーグの桐生との試合の時に”さる”ともう一人の女中が見に来ていた。しかし試合なんかてんで興味がないと言った様な顔をしてまわりをきょろきょろしながらペチャペチャしゃべっているだけであった。試合から帰って来るとさるは「ホースケ、ホースケ」とさわいでいるのはなんだと言ったのでよく考えてみたら、それはどうやら「ファイト,ファイト」の意味らしかったので、あれは「ファイト,ファイト」と言っているのだと教えたがどうしても「ホースケ、ホースケ」とか言えないらしかった。尚も教えようとすると、きゃあきゃあうるさいのでそのままにしておいた。しかし、さるにも良いところはあった。汚れ物はどんどん洗濯してくれるし、水のサービスははなはだ良かった。そして帰りの駅へ来た時も持前の愛嬌ある顔で、きょろきょろしながらあいかわらずしゃべっていた。いよいよ汽車がすべりこんで来たので別れの握手をしたとき「帰ったら手紙をちょうだいね」とさすがにしんみりした顔になって言う。このさると言われる女中さん。
そして汽車が見えなくなるまで手をふっていた、この女中さん、この時始めて此のさるも人間なんだと感じた。しかし「さようなら、さようなら」と別れの挨拶をしてから汽車が10分間停車していた時にはどうして良いかほんとに困ってしまった。
-----終り----
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○四国遠征記から 立石雄三
宿敵千葉商業、長生一高を相次いでやぶり、はれの全日本大会出場権をかくとくした。本大会の会場は四国愛媛県西条市との事でした。私は全国大会には昨年の姫路大会と藤沢の国体と今度の大会併せて三度目の出場が実現されるわけです。これらの大会に行って一番うれしい事は、みんなと一つの所に寝て、一つの所で食事をするというチーム行動をとる事が何より嬉しく,又この様な喜びは年間に何度も味わえる物ではない、そして合宿以来の楽しみを又迎えようとしているのです。
四国! 聞いただけでもぞくっとするほど嬉しい。瀬戸内海を渡って行くだと思うと姫路よりずっと遠い気がする。「どんな所だろう」などと想像しただけでも顔がほころんでくる。”これが三年の時であったならもっとうれしいだろう”と考え又来年もと思わずにはいられませんでした。さていよいよ一日千秋の思いで待って居たその日はやって来た。先輩の方々を初め、多数の人の今だかってない盛大な見送りを受けて意気揚々と船橋駅を出発した。そして一時間後には東京駅に居た。列の前方には桐生工高の選手がいて、彼等は「藤沢高校何ものぞ」と大変豪気でした。待っている間に玉沢さん,小笠原(博)さん、丹羽さん、海老沢さん等の諸先輩が来てくれて私達を元気づけてくれた。とりわけ心細く思って居た私は先輩のことばをきいて元気がまいもどった様な気がして、先輩には感謝の念で一杯でした。さて東京駅23時発の急行瀬戸号の発車ベルもなり列車は一路目的地に向った。車中の事は次の機会にさせていただきます。翌6日17時56分、ついに西条駅に着いた。ちょうちんやアーチまで作って我々を歓迎してくれた。駅から5分位の和田屋という旅館についた。あまり良い旅館とはいえませんが窓からの風景だけは格別でした。四国山脈を目の前にして雲をかぶった石鎚山の霊姿、日の出前には特にきれいでした。隣の室に山形商業が同宿でしたが彼等は大変静かでしたので私は壁で話し声がとざされるのであろうと思った。みんなもそうかんがえたのか、さわいでしまった。するとその声がつつぬけに聞こえるのです。(後でわかったのですが)みんな驚いてしまいました。
---西条での練習と試合---
次の日の朝10時頃当地について初練習に行きました。練習場は南中といって会場の隣でした。さすが四国だけあって目のまわる様な暑さです。練習していると頭の中がボーッとして来て別の事を考え出す仕末でした。「こんなでは」と気を引き締めながら暑さと戦い一生懸命やった。この日宿に帰る頃は陽も落ちうす暗かった。なんとなく頭の中がさっぱりして歌でも口ずさみたい気持になったので、 みんなで船橋高校校歌
大空うつして寄せくる波のひねもす・・・・・・・・・・・・・・・・・
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と大声で何度も歌った、するとどこからか大勢の拍手が聞こえた「きっとどこかの選手が自分達の宿から送ってくれたにちがいない」と思うとなんともいえない嬉しさがこみ上げて来た。そして私達の宿まで歌いながら来てしまった。
大会も始まり、二日目決勝トーナメント第一回戦対桐生工戦に完敗してしまい大変残念でした。
最後に諸先輩の方々へ 今年もよろしく御指導の程をお願い致します。
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○四国山脈を望み見て 小川寿三郎
輝かしい朝日と共に四国の新鮮な朝がやって来た。階下ではもう女中さんが朝飯の準備をしているのだろう。話声にまじって御飯のにおいやら煮物の香りが漂ってくる。窓を開けると前方には青々とした常夏の四国山脈が朝日に照らされてまばゆい程である。
朝食後雑談して午前9時頃代表旗を先頭に和田旅館を出発した。南中学校では、もう各都道府県代表チームが36度を越えてしまうような、ここ四国の炎天下で掛声も高らかに一時も早く最良のコンディションを整えようと猛練習をしているところであった。早速当地での第一回練習が開始された。旅の疲れと、暑さの為か誰もの行動は鈍いように思われた、僕などネットが全然高く感じられ、一本だって自分でいいなと思ったスパイクが入らなかった。(いつもなんですけど)練習後学校の井戸で頭を冷したり、喉を潤したりしたが水がつめたく本当に気持が良かった。夕方時にネオンがともる頃全員で声を合せ校歌を歌いながら宿舎に帰った。翌日も1時間位練習した、常夏の四国の太陽は今日も容赦なく我々を照りつけた。伝統的なチームの練習を見ると暑さも何のそのと、てきぱきと練習をかたづけ、与えられた時間を効果的に利用している。選手一人一人を見ても何となく力強さが感じられた。午後4時半頃から沖縄をまじえた全国の精鋭約八百名がブラスバンドの演奏によって、昨年度の優勝校、兵庫県琴ケ丘高校を先頭に続々と入場----東京に続いて千葉県代表船橋高校が入場した。まもなくブラスバンドがはたとやみ 後はスタンドのざわめきだけとなった。数分間緊張が続く。国歌吹奏と共に国旗掲揚、選手宣誓につづいて力強く”若い力”斉唱、1時間位で式が終了、上空では「黒猫」のアドバルーンがそよ風になびいている。青々とした四国山脈の連山が雄大で美しい。
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試合結果は御承知の通り二日目桐生工高に2ー0で破れてしまった。桐生のチームワークといい団結力とが船高のそれより優っていたに違いない。又練習量が少なかったのかも知れない。良く中学時代先生が『努力と成績は比例する。例えば三努力すれば三の成績が、八努力すれば八という結果が生ずるものだ』といった。船高は桐生に破れた。桐生がそれだけ努力したのだ。そして桐生は又西京高校だかに破れた。それも桐生の努力がたらなかったのだ。そう思いながら宿舎に帰った。
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「夏のある日ある時の出来事」
阿部娃津子
真黒黒ん坊、それは健康そうに日焼けした子供、真白白ん坊、それはボール、真青春ん坊それは空、真赤に燃える赤ん坊それは太陽。
真黒黒ん坊言いました。「もしもし真白白ん坊君」「はいはい何だい黒ん坊君」「あのね君はいつでもね飛で跳て何処へ行くの」「ふふふあれかいあれはね僕の大きな夢なんだ」「それはねそれは話そうか、でもね恥かしい」・・・・・・・・
真黒黒ん坊言いました。「ねね僕だけいいだろう。サ話して聞かせてよ」真白白ん坊困ります。「どうしようかなあ、だって君は笑うだろう」「そんな事ないよ笑わない、ねねいいだろう、ふふふふ」「それそれ御覧もう君はふふふって笑うだろう」「ごめんごめんね笑わない、それならよいだろうねね君」 とうとう白ん坊君は黒ん坊君に話す事にしました。そして小さな声で話し始めました。「僕はいつも思うんだ。君より、ポプラ君よりあの家よりそれより高い雲よりももっと高い空まで青ん坊君の所まで遊びに行きたいと思うんだ、それで高く高く登るんだ」「ああそうかそうなのか僕だって大きな夢があるんだよ」「おーいおーい」「あれなんだろう、誰かが僕等を呼んでるよ、誰だい呼んでるのは」「僕だよ僕だよ君等の頭の上なんだ」ああそうか青ん坊君か、「僕は話を聞いてたよ
、そうっとそうっと話しても僕にはちゃんと聞こえたよ」「だからだから僕だって手を長ーく長ーく伸ばしてね君等の来るのを待ってるよ」と青ん坊君は 白ん坊君と黒ん坊君に言いました。その話を真っ赤な真っ赤な赤ん坊君もニコニコしながら何にも何にも言わないで聞いていたのでした。その赤ん坊君も西の山の方におりて行き、空にはお月様が上がり始めました。黒ん坊君達はもうお家へ帰りつく頃です。あたりは真暗になりました。もう誰も寝ています。だけど時計君だけは起きています。カッチンカッチン鳴ってます。鶏君が大きなあくびをしました。コケコッコーと鳴きました。そして鶏君が皆を起こしたのです。又明るい朝がやって来ました。黒ん坊君達も昨日の場所に来たのです。だけど今日は今日は黒ん坊君達がいっぱい来ます。そうです。今日は試合なのです。だから黒ん坊君達も白ん坊君もはりきっています。これが黒ん坊君達の大きな夢であり目的であったのです。だけどだけど黒ん坊君達は他の黒ん坊達に負けたのです。黒ん坊君は落胆しています。そして肩の力も手の力も身体全体の力がなくなったようにガクンとしています。それもそうです。夢も目的もなくなったんです。だからガクンとしています。黒ん坊君は大きな声で泣き出しました。そしてそしてたくさんたくさん泣きました。泣いた後は身体もピンとしてかがやいて来たのです。そうです。これからもっともっと大きな嶮しい道、これからはこれ以上の悲しい時も楽しい事もあるんです。まだまだ黒ん坊君は若いんです。人生の道を力強く歩んで行きなさい。皆も皆もそうしなさい。大きな夢を胸の中に詰めこんではりきってね。
夏の暑い時にも真黒になって練習して来ていよいよ試合と、又その試合に優勝出来なかった事を童話みたく書いてみました。
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「倦 怠 期」
小川定雄
倦怠期と云っても、もちろん夫婦間の事ではない。バレーボールに倦怠期が来たのである。どうしてだろう?最初自分でもその理由がなかなか解せなかった。でも良く考えたら簡単な事であった。ではその事を書いて見ようと思う。
今迄暇さえあればバレーボールをやりたかった。でも現役の夏の大会が過ぎてからは、その気持がだんだん薄らいで来た。それは学校が終ると、楽しみに途中下車をして、船高に通ったものだった。「その頃は、もう現役の大会は終っていたのだったが」でもいざ練習となると人数が少なくて、何をして良いやらさっぱりわからない。或る時は小生を入れてたった4人、本当になさけない。でも楽しみなので次の日行ったら一人ふえただけだった。だから学校に行っても何だか物たりなく、どうして皆集らないのだろうと、まったく残念だった。そんな事が続いてので、だんだん途中下車がめんどうとなり、楽しみも薄らいでしまった。だからそれからは、めったに学校に行かなかった。それから何ヶ月後に行ってみたら、今度は結構知らない人達が入っていて、練習していた。でも前は人数がふえれば良いと思っていたのが数ヶ月の間に人数がふえてもどうした事か興味が無くなってしまった。こんな事で良いのかなあ!と考える時、いつも自分に云うのである。(興味のない事をしてもしかたがない、それなら自分の好きな事をした方が良い)と‥‥‥‥
だから、この紙上をかりて現役諸君に御願する。
試合の為の練習ではありません。ですので試合が終ったからと云って、すぐ練習を止める様では、何にもならないのです。例え試合の為だとしても試合が終ると止め、近づくと始める様では、決して良い、自分自身満足の行く試合は出来ません。スポーツを心ざす人なら誰でも立派な試合をしたいと思うのです。ですから終ると止め、近づくと始める様では決して立派な試合は出来ません。それには不断からしっかりした心構えで、まじめにやる事です。それなのに諸君は試合になると人一倍勝とうとする。そんな気持ではとても他人を追抜く事は不可能です。どうしても勝ちたいなら練習をする事です。すなわち練習量が大きくものを云うのです。でも漫然と練習するのではいけません。すなわちボールを持つ事を楽しみに、且つ誇りとする位の気持を持って良いのではないかと思います。
そしてバレーボールをする事によって、何かをつかみ、或る出来事に出合ったら、それを自分でつき破るだけの力を卒業する迄に各人が身につけ、卒業してから振返って見て、バレー部に入って良かったと思う様にならなければならない。又、プレーの事についても一言言わせていただきます。プレーは下手でもバレーボールを自分の全能力を出しきってプレーすればプレーが上手だと云って威張ったり練習をさぼる人より、よっぽど立派なスポーツマンです。でも、一年、二年、三年とやっていて、ある所まで伸び到達しなければならないと思う。一生懸命、真面目に練習すれば、かならず進歩するはずです。それが出来ない人は、目的なく唯しかたなしに練習をする怠け者だと思う。ですので、毎日陰日向無しに自分で自分を励ましてやって下さい。皆さんの目的は遠くではなく、すぐ近くにあるのです。それを一歩も踏み誤らず、皆で団結して、それを征服して下さい。征服した時のあの喜び溢れた気持を、二度ならず三度でも四度でも味わって下さい。本当に自分としても、こんな事云える身分ではないのですが、あしからず御許し下さい。最後に現役諸君の御健闘をお祈りしつつ筆をおきます。
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「レ ポ ー ト」
中西征一郎
今ここに過ぎ去ろうとしている短期間ではありましたが楽しくもあり苦しくもあった船高バレーボールクラブ生活を振り返って一筆記す次第です。
さて僕がバレー部入りを最初に勧められたのは三年生になり修学旅行も終った6月15日頃で先ず石橋君続いて日下部君に‥‥‥‥‥であった。けれどもその時僕の頭に浮かんだ事は「今頃から運動部へ入るのは遅すはしないか」という事でありました。そして二,三日迷って居りましたが、クラスの者の勧めもあって心を決め、6月20日の放課後部室へ行った次第でありました。そしてその日から田中先生初め諸先輩部員の人達の御指導により練習を始めました。がそれから暫くは腕が痛くなる、体全体がが痛くなる。という始末でトクホン代も随分かかった事でした。しかしそれも日数が経ち練習に慣れるに連れて解消しました。が肝心のプレーの方は日数が経っても一向に上達しないばかりかスポーツ競技の難かしさが身に浸みて、落胆した時もありました。しかしそうしている中に入部当時平川君達から聞いていた全日本行きの県代表を決める大会が四街道で行われ僕はベンチで応援すると共に、試合における気魄に満ちた雰囲気に初めて触れた訳であった。そして試合の方では我が船高は圧倒的強さで快勝し、決勝に於いても試合が終る迄ハラハラしていましたが、結局船高が長生一高に快勝し県の代表になった時は「自分は全く幸運だなあ」と思う反面「入部早々全日本へ行くのか」と思うと嬉しいと云うより恐ろしいという気持の方が大きく複雑な気持でした。 そして夏の合宿‥‥‥‥これらは部生活に於いて最も楽しかった事の一つでありました。けれども、この頃は体の方がすっかり出来ていなかったせいか終りの頃は少しバテ気味でした。水をかぶりながら練習した事など今想い出すと非常に愉快であの時の苦しかった事など忘れる程です。しかし高校に於いての合宿は僅か一回ですが、これからも僕は大学でバレーを続けますので今後も合宿の楽しさや苦しさを十分味わえる事と思って居ります。さてこの夏の合宿も終り全日本大会に出場の為校長先生を初め多数の人々の見送りを受けて船橋駅より一路四国西条目指して出発し大会に臨んだ訳であります。そしてこの大会で最も僕の印象に残った事は何と云っても開会式の雰囲気でした。もっとも僕はこういう大会に出場するのが初めてであるからかも知れませんが
‥‥‥。しかしこういう大会の雰囲気に触れる事も今後バレーボールを続ける上に良い勉強になったと思っています。以上くだらない事を長々と書きなぐりましたが、結局は三年生になっての6月の末に入部するといういわば冒険とも思われた事が今となれば「あの時思い切って入って良かったなあ」とつくづく思って居ります。これ等も先生、諸先輩及び部員の人達の熱心なる御指導のお陰と感謝している次第であります。なおこの機会に今後共宜しく御指導の程お願いして筆を置く次第であります。
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[言 い た い 放 題」
金子一雄
前号迄は他チームや審判に対してだったが、今度は余り試合にも出ていないし、部内を対象に書かせてもらおうと思う。
一、学校へ
僕らの頃は勉強ばかりしている奴と運動部の奴との間に差をつける様な雰囲気はなかった。其が今はどうだ、クラブ活動なんて全然冷遇されている。進学難の御時勢もあるが、入試という目的だけのために毎日を過させるのは可哀そうだ。毎日の生活それ自体が一つの目的として存在すべきである。日々の生活をうるおいあるものとする様に、高校生諸君に教えてやってくれないか、よき友人,先輩に会えるのもこの時期なのだ。
二、部長へ
部長よ、もっと練習に出てくれないか、多少OBが出しゃばりすぎる傾向もあるかも知れないし、どちらが悪いということは言えないと思うが、一応OBの立場から言う。但し此はOBを代表する意見ではない。大学時代部生活をしなかったらしい人が毎日コートに出るのは大変であろう。然しバレーが出来なくても毎日出ている監督は他校にはいくらでもいる。部長としてのやり方は、自身が余りバレーをやらない人としては次の三段階位だと思う。
1.対外的存在と部の政治的運営をもつに止まり、実際的活動は一切コーチにまかせる。練習にはたまに顔を出す程度でもよい。
2.精神的リーダーとなる。
練習には度々顔をみせるが策戦、技術はコーチにまかせる。
3.策戦面迄うけもつ
技術的にはコーチにまかせ、自分の方針をよくコーチに理解させ、此に従わせる。練習にはなるべく多く出て自分の方針が行われているか、その方針に変更の必要はないか、常に現状を把握する様に努める。
部長は今迄3.で来ようとしたに違いない。就任以来、豊富な経験をつんだ現部長にはこの行き方は勿論可能であるし、一周三日位しか行けないOBが責任をもたせられるよりずっとずっと望ましいことである‥‥‥ただ、此は、練習に出てくれさえすれば、なのである。願わくば部長よ 練習に顔を出してくれ、コーチとよく連絡をとればいいといったって自分の眼でみなければ分らない。そして、運動部員なんて単純なもので毎日練習に出てくれるというだけでその人を全く信用してしまうものなのだ。新しく着任した現部長が毎日コートに出ていた頃そして僕達卒業したてのOBがその下働きをやっていた頃がなつかしい。
三、OBへ
船高クラブが県下に数多いクラブチームの中でも一段と光っていたのは定期的にまとまった練習をしフォーメーションを一応もっているということだった筈だ。いつの大会にも一応バレーらしいものをやって来た船高クラブも練習をしないんじゃ駄目だ。幾人かは船橋を遠く離れた。若手の補充がない等いろいろの悪条件も重っていることだから試合の時だけ集る形にするならそれでもいいんだ。だったら、淋しいけれどもその方針に徹しよう。そして大きな口をきくのはやめよう。其にしても最近の卒業生はクラブでやってくれないな、前は大学のチームに入る奴以外は欠かさず練習に来て少くとも一年間はやったものだ。小岩、亀戸とか睦とかから来ていた人もある。それからみんな月50円の金が何故出せないんだ。マネージャーに何千円もたてかえさせておいて、使ってるのは自分等じゃないか。
四、OGへ
今年はとにかく集って試合だけは出来たが、練習は全然やらなかった。いろいろとお忙しい若い女性のことだ この行き方に僕は反対しない。むしろ此がクラブというものの最も望ましい自然発生的な行き方かも知れない。だが其なら其で一度か二度しか使わないパンツやマークを作るのに他人の金をアテにすることはないだろう。大会後は練習はおろか大会前に練習する気さえないのに全国大会に出ますといって寄附を集めて廻るってのは困るよ。会費も滞納してるくせにと言われても仕方ないぜ。女の人は段々顔を出さなくなるけれど何かの集りの時はなるべく出席してOG同士の連絡を保って行く様にしてもらいたいものだ。
五、現役男子へ
もっと各自がリーダーシップをもってもらいたいと思う。俺がやるんだという心構えが足りないんじゃないか。何だといえば先生がとか先輩がとか言っていてちっとも自主性がない。やらされているバレーじゃ強くはなれない。
六、現役女子へ
毎年、今年は有望といわれ乍らついに今迄一度も勝てなかった。原因はいろいろあろう。指導も悪かろう。然し女の身勝手さというのは大したもんだね。ピンと張りのある気持でボールととり組んでいる人が幾人いるだろうか
-----以 上-----
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「校内クラス対抗大会」
石橋雅史
生徒会体育委員会と部によって行う。各ルーム男女一チーム計24ルーム48チーム出場し、昨年にもまして非常に盛況裡に終わった。空時間にはボールは全部、校庭に御出勤で、致る処でサークルパスが見られた。試合は校内対抗らしく和気合々とした空気に満ち、最終日の職員との対戦には、応援合戦よろしく、この時とばかり、悪童ども元気よく先生方を苦しめた。日頃部屋にとじこもりがちな先生方も、此日ばかりは初夏のひざしをいっぱいに受けながら、生徒と共に楽しいひとときを過された。
6月22〜28日 15点3セット 準決勝より21点、学年優勝にてリーグ戦
一、二年生部員出場不可、三年1名可、しかし、この点はっきりしなかった所が多分に有り、反省すべきだ。
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「上位に出たのは」
小笠原(敦)
◎中学、高校男子
○優勝 31年度迄 6回
第9回全日本高校選手権予選
○二位 31年度迄 3回
○三位又は準決勝敗退 31年度迄 6回
◎高校女子
○優勝 31年度迄 0回
○二位 31年度迄 1回
○三位又は準決勝敗退 31年度迄 5回
◎クラブ
○優勝 31年度迄 11回
第7回県一般選手権
○二位 31年度迄 13回
第32回全日本綜合選手権県予選
第9回国体県予選一般の部
第5回都市対抗県予選
○三位又は準決勝敗退 31年度迄 7回
第7回県綜合選手権
◎クラブ(OG)
○優勝 31年度迄 3回
県一般選手権
全日本綜合選手権県予選
県綜合選手権
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「何回試合したか」
小笠原(敦)
○高校男子
17勝14敗1分 公式 対高校8勝3敗、対一般0勝0敗
練習 対高校6勝2敗1分、対一般3勝9敗
○高校女子
15勝7敗 公式 対高校7勝4敗、対一般0勝0敗
練習 対高校3勝2敗、対一般5勝1敗
○クラブ(OB)
12勝6敗 公式 対高校0勝0敗、対一般8勝5敗
練習 対高校3勝0敗、対一般1勝1敗
○クラブ(OG)
6勝3敗 公式 対高校0勝1敗、対一般5勝1敗
練習 対高校0勝1敗、対一般1勝0敗
◎[総 計]
○中学、高校男子 22年度より
187勝106敗4分 公式 対中学高校65勝28敗、対一般3勝5敗
練習 対中学高校91勝24敗2分、対一般28勝49敗2分
○高校女子 25年度より
60勝43敗4分 公式 対高校25勝19敗、対一般0勝2敗
練習 対中学1勝1敗、対高校28勝15敗4分、
対一般6勝6敗
○クラブ(OB) 23年度より
126勝51敗1分 公式 対高校9勝1敗、対一般83勝35敗
練習 対高校23勝5敗、対一般11勝10敗1分
○クラブ(OG) 31年度より
6勝3敗 公式 対高校0勝1敗、対一般5勝1敗
練習 対高校0勝1敗、対一般1勝0敗
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「昭和32年度日程」
小笠原(敦)
3月20日現在迄に判明したもの、但し、関係及び観戦可能分 特記する意外は場所未定
男女同日
======千葉県=====
○都市対抗-----------------3月31日
○高校選手権---------------5月18日(女)19日(男)
○同決勝大会---------------6月30日
○全日本綜合予選-----------7月14日
○国体予選高校の部---------8月25日(千葉大)
○ 同 一般の部---------9月8日
○県綜合選手権-------------11月10日
=====関東、南関東=====
○都市対抗予選-------------4月8日
○関東高校選手権-----------6月8,9日
=====全日本=====
○都市対抗-----------------4月26〜29日(大阪)
○大学男子-----------------7月25〜28日(東京)
○高校男子-----------------8月1〜4日(仙台)
○高校女子-----------------8月8〜11日(松江)
○綜合女子-----------------8月29〜9月1日(大阪)
○綜合男子-----------------9月5〜8日(東京)
○国体一般女子-------------(熱海)その他浜松(10月下旬)
○読売選抜大会-------------11月9、10日(東京)
○一般東西対抗-------------11月30〜12月1日(東京)
○六人制全国大会-----------2月初旬(場所未定)
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「おしらせ」
船高クラブ創設以来最初の華燭の典を挙げられましたお二人を御紹介致します。
○まず31年10月2日 池田 清氏、新夫人お名前,お年不明、住居は以前と変りません
正月悪童連6人、新夫人のお顔拝見、ひやかしにと気負って新家庭を訪れたが、新夫人 は留守だった。加えて逆に氏よりおのろけをさんざん聞かされて、そうそうに退散した
○次に32年2月1日 中村蓉子さん、新郎中村定夫氏21才、職業ー農業、お熱い恋愛結婚 だそうな、これによりOGの方々はさぞ刺激を受けられた事でしょう。
○金子 博氏‥‥‥‥房総油脂入社(31年9月)
○石橋雅史氏‥‥‥‥ライオン歯磨入社、東京工場勤務内定
○日下部哲夫氏‥‥‥三越入社、本社勤務内定
○吉橋和江さん‥‥‥日立精機入社
○野瀬和子さん‥‥‥三越入社
○金井貴躬さん‥‥‥十合入社、有楽町支社勤務内定
○平川孝男氏‥‥‥‥8月父上死去
○加藤 潔氏‥‥‥‥12月父上死去
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「編 集 後 記」
今度はじめて編集を受けもたせて頂くことになりましたが、とても難しく、自分の手におえるようなものでなく、このような大変まづいものが出来上ってしまい、誠に申訳ございません。
今号は巻頭に内田校長先生の御寄稿を掲げることが出来、眞に嬉しく思って居ります。前年度まで少なかった現役からの文が多数寄せられましたことも嬉しいことです。然し、古い卒業生の方々の文が少なく残念です。
OGの方は、チームの誕生、全国大会及関東大会出場と活躍なされたのもかかわらず唯一人の寄稿だけとは大変残念に思います。OG、OB共スコアを記しておらず記録が載せられなかったのは遺憾に思われます。
至らぬ私を快く御指導下さいました先輩の方々には厚く御礼申上げます。
(小笠原敦弘)
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