目 次 ◯輝かしい伝統を維持し更に発展をーーーーーーーーーーー内田 篤夫 校長 内田篤夫 伝統というものは一朝一夕にでき上がるものでなくそれは先人の長い年月に渉る血のにじむような苦斗や人知れぬ努力が一歩一歩蓄積されて形成されたものなのである。本校も創立日尚浅く未だ二十周年にも充たないものであるが地の利、時の利、人の和を得て急速に発展し,今や名実共に県下有数の高校として成長して来た。学習活動はもとより、特別教育活動も比較的活発で特に体育クラブの活躍は目覚しくその挙げて来た業績は刮目に値するものがある。本校バレー部は戦後発足したものでありその歴史は新しいが幾多の諸君の先輩が技術的にも練磨を重ね精神的にも団結し,例年赫々たる戦績を挙げ県下の大会に優勝するのみでなく県を代表し殆んど毎年全国大会へも出場しているのである。このように今や輝しい伝統が確立されて来ているのである。よく創業は易く守成は難いといわれるが本校の現在の伝統を作る迄の先人の努力や苦心は決して易いとはいえないが今后この輝しい伝統を維持し、更に発展させる事は却々難しい事で技術面に於て或は精神面に尚一層の工夫改善を図り努力精進する事が必要であろう。技術精神共に一応の努力をすればある一定のレベルに到達するもので現在県下高校のレベルも次第に接近して来ているのではあるまいか、この一定のレベルの処で低迷して現状を打破し一歩前進するためには異常な努力を要するものと思われる。千葉県のレベルは全国的にみて必ずしも高くない、諸君としては本県のレベルを標準とせず、もっと高い処を目指して一層努力研鑽して優秀な戦績を挙げ船高バレー部の名声を全国的に高めるよう一致団結して頂きたい、三年生諸君の今迄の努力に敬意を表すると共に在校生諸君がこの伝統を享けついで更に一段と飛躍発展するよう奮斗されん事を切望している。 部長 田中宗男 運動、スポーツにおける伝統というものは、ただ運動、スポーツのみにとどまるものではない。ギリシャ時代から始る運動,スポーツの伝統というものはそれのみなに限らず時代の変遷の長い間には国家の衰隆に悲喜こもごもの事象をひそめている。近代におけるイギリスの誇る運動、スポーツの伝統に於いても然りである。とかく伝統というものは、昔起ったある事象が今日までそのまま続いていることのみを意味するものではない。伝統には生命があるのであって絶えず活きていることを決して忘れてはならない。 主将 立石雄三
先輩が残していった船高バレー部の名誉と伝統を守り、より一層の向上をはかりたいと思っております。今年は4名の中軸選手を送り出しその後をいかに覆うか少々頭が痛い、しかし諦めた様な気持は少しも起らない。お互いに最善を尽してやって行けばそれで良いと思う。その様に部員一同をリードして行くのが私の役目であろう出来ない事はない私は部員を信じている。7人の二年生としっかり手を組んで下級生を引っぱって行きどんな事でもやりぬけるつもりです。だが今の状態を見ると上級生がチグハグだこんな事ではしょうがない。これは部員への希望といった方がよいかも知れないが、スポーツの合理化というコトバに基いて人間がずるくなる様な事なく、部生活の中に良心にとがめる事のない様送ってもらいたい。無論勝利を望まないわけではないが、それ以上に勝敗にこだわり過ぎる事なく一同はげまし合いつつ仲よくやって行き本当に気持の良い誰からも愛されるチームを作る事が私の今年度の抱負です。 今年こそ船高バレー部の最良の年にしたい。
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○その2 豊田紀子
どこでも共通なそれでいて仲々実現の出来ない大きな目的は”優勝”の二文字であろう。 内藤新一 クラブが誕生してから何才になるだろうか、良く此迄怪我一つせず育って来たものと感心し、今日あるクラブにしてくれた諸先輩に対し感謝している。私もクラブの会員になってから役立たねばと思いながらもその環境に甘え、今日に至っている。 |
<昭和31年度高校男女>
○収 入 の 部 |
(単位:円) |
○支 出 の 部 |
(単位:円) |
生 徒 会 費 |
45,400 |
関東大会関係 |
10,910 |
生 徒 会臨時費 |
77,010 |
全日本大会関係 |
77,600 |
寄 附 (除合宿) |
23,800 |
ボ ー ル 費 |
39,160 |
部 員 徴 収 |
8,720 |
ネット及備品費 |
7,349 |
雑 収 入 |
400 |
ユニフォーム及 ソックス |
16,500 |
繰 越 金 |
16,100 |
交 通 費 |
4,760 |
通信費(連絡費) |
975 |
||
雑 費 |
350 |
||
消耗品費その他 |
4,760 |
||
合 計 |
171,430 |
合 計 |
162,364 |
差 引 残 高 |
9,076 |
○ボール単価 1,700円 運動部費総額約37万円 以 上
石橋雅史、小笠原(敦) 西条と大宮へ ○3月27日〜4月4日 合宿 ○3月31日 船高 1(23ー25、21ー18、19ー21)2 OB ○4月28日 船高 2(21ー13、21ー12)0 市川工 市川工 2(21ー19、16ー21、22ー20)1 船高 ○4月29日 於船高 船高 2(21ー14、21ー13)0 成田高 成田高 2(21ー19、22ー20)0 船高 ◎5月3日 県下選抜綜合優勝大会 於船高 船高 2(21ー19、21ー9)0 国府台高ク S、At決り、強敵良く降す。 川鉄 2(20ー22、21ー17、21ー13)1 船高 阿久津のK良くきまったが相手にねばられ惜敗す ○5月12日 於船高 船高 2(19ー21、21ー13、21ー13)1 市川工 ○5月20日 於船高 船高 2(21ー18、21ー13)0 千葉商 ○5月22日 於順大 順天大 2(22ー20、21ー19)0 船高 船高 2(21ー16、21ー10)0 順天大 ○5月27日 全日本県予選 於千工大 船高 2(21ー1、21ー3)0 関東高 船高 2(15ー21、21ー7、21ー10)1 市川高 [準々決勝] 船高 2(21ー15、23ー21)0 成田高 前日、一敗を喫し、今大会で一番マークした相手であった、成高の高位置のFLのTは良く決められたが、良く使いきれなかった様だ。 ○関東大会 月 日 於大宮 明大附属中野高(東京代表) 2(11ー21、21ー10、21ー18)1 船高 試合が始ったのが四時半頃になってしまったので後半非常に試合がやりにくかった。中野はHLのワンマンであったが高位置から打ち出すKはすばらしく船高は経験の浅い者ばかりで大会のふんいきによってしまったようである。敗因は上位打者のSが入らず、又Re陣のパスも悪かった。しかし2ndS BRをついて行った事は成功であった。 |
5.FL |
1.FC |
8.FR |
2.HL |
9.HC |
7.HR |
6.BL |
3.BC |
4.BR |
|
得 |
7 |
12 |
4 |
5 |
|||||
S |
2 |
2 |
|||||||
S |
|||||||||
SS,M |
2 |
6 |
4 |
4 |
3 |
1 |
4 |
4 |
4 |
○6月24日 於船高 船高 2(21ー13、21ー16)0 市川工 OB 2(21ー17、16ー21、21ー18)1 船高 ○6月26日 順天大 3(21ー18。22ー20、21ー19)0 船高 7月3日 船高 2(21ー17、23ー21)0 千葉大 ○7月7日 全日本高校第二次予選 於四街道 船高 2(21ー19、21ー19)0 成田高 [決勝] 船高 2(21ー14、21ー8)0 長生一高 長生一高のF陣両サイドのTKとも、きれいであったがToがまわらず使いきれなかったのは残念だったろう。 |
5.FL |
1.FC |
8.FR |
2.HL |
9.HC |
7.HR |
6.BL |
3.BC |
4.BR |
|
得 |
13 |
6 |
1 |
3 |
|||||
S |
2 |
2 |
3 |
1 |
|||||
S |
1 |
||||||||
SS,M |
1 |
1 |
1 |
4 |
1 |
○7月29日 OB 2(21ー10、15ー21、21ー19)1 船高 OB 2(14ー21、21ー16、21ー19)1 船高 8月30日 於地理調 地理調 2(21ー19、21ー19)0 船高 船高 1(14ー21、21ー18)1 地理調 ◎全日本高校選手権大会 於四国西条市 月 日〜 月 日 月 日 東京発、西城着 予選トーナメント 船高 2(21ー16、23ー25、21ー14)1 奈良商工 奇しくも昨年と同じ相手だったが、阿久津、平川のAt好調にて奈良Re陣を乱し、押しきる。 ○ 月 日 決勝トーナメント一回戦不戦勝 桐生工 2(21ー12、21ー13)0 船高 昨日の阿久津のあたりがなく相手のサーブに敗る。 |
5.FL |
1.FC |
8.FR |
2.HL |
9.HC |
7.HR |
6.BL |
3.BC |
4.BR |
|
得 |
2 |
1 |
2 |
||||||
S |
2 |
1 |
1 |
||||||
S |
|||||||||
SS,M |
4 |
1 |
2 |
3 |
1 |
4 |
2 |
1 |
1 |
8月19日 於船高 船高 2(18ー21、21ー9、22ー20)1 東葛高 ○8月26日 国体県予選 於四街道 船高 2(21ー16、21ー11)0 成田高 東葛高 2(21ー18、21ー16)0 船高 鳥光佐喜世 6人の卒業生を送り出し三年生は5人であまり恵まれてはいないが良く一,二年生をリードして関東大会にまで持っていった。コーチは金子(一)、海老沢さんから永盛さんへと移りF陣とサーブに大きな進歩をみた。今年は相当数の練習試合を行い試合度胸を強くし、技術を向上させ、又、特に東京チームとの試合ではストップの重要性を強く感じさせられた。 |
<対天羽高>
9.FR |
4.FC |
2.FL |
6.HR |
1.HC |
3.HL |
8.BR |
5.BC |
7.BL |
|
M1 |
1 |
||||||||
M2 |
2 |
2 |
1 |
2 |
4 |
3 |
4 |
1 |
2 |
M3 |
2 |
1 |
<対長生一高>
9.FR |
4.FC |
2.FL |
6.HR |
1.HC |
3.HL |
8.BR |
5.BC |
7.BL |
|
M1 |
|||||||||
M2 |
3 |
1 |
1 |
2 |
2 |
||||
M3 |
1 |
<対佐原二高>
9.FR |
4.FC |
2.FL |
6.HR |
1.HC |
3.HL |
8.BR |
5.BC |
7.BL |
|
M1 |
2 |
1 |
|||||||
M2 |
5 |
3 |
4 |
1 |
4 |
1 |
|||
M3 |
1 |
関東大会<対鷺宮高> |
9.FR |
4.FC |
2.FL |
6.HR |
1.HC |
3.HL |
8.BR |
5.BC |
7.BL |
|
M1 |
1 |
||||||||
M2 |
3 |
5 |
4 |
3 |
6 |
6 |
3 |
3 |
2 |
M3 |
1 |
1 |
1 |
同 <対高崎市立高>
9.FR |
4.FC |
2.FL |
6.HR |
1.HC |
3.HL |
8.BR |
5.BC |
7.BL |
|
M1 |
1 |
||||||||
M2 |
2 |
2 |
1 |
2 |
4 |
3 |
4 |
1 |
2 |
M3 |
2 |
1 |
◎7月7日 全日本千葉県第二次予選 於四街道 |
9.FR |
4.FC |
2.FL |
6.HR |
1.HC |
3.HL |
8.BR |
5.BC |
7.BL |
|
得 |
9 |
1 |
9 |
11 |
|||||
SP |
5 |
1 |
1 |
1 |
2 |
||||
M1 |
1 |
1 |
2 |
||||||
M2 |
3 |
6 |
2 |
7 |
5 |
5 |
5 |
7 |
|
M3 |
2 |
1 |
○7月27日 於宝仙高 |
3.FR |
4.FC |
5.FL |
8.HR |
6.HC |
2.HL |
1.BR |
7.BC |
9.BL |
|
得 |
7 |
6 |
4 |
7 |
|||||
SP |
1 |
2 |
1 |
1 |
1 |
1 |
|||
M1 |
1 |
2 |
|||||||
M2 |
2 |
3 |
4 |
6 |
5 |
4 |
5 |
5 |
1 |
M3 |
1 |
二回戦 敗者復活戦
船高 2(21ー13、21ー7)0 野田高
3.FR |
4.FC |
5.FL |
8.HR |
6.HC |
2.HL |
1.BR |
7.BC |
9.BL |
|
得 |
3 |
2 |
4 |
||||||
SP |
3 |
1 |
2 |
4 |
2 |
||||
M1 |
|||||||||
M2 |
1 |
2 |
1 |
3 |
3 |
1 |
1 |
1 |
1 |
M3 |
1 |
三回戦
船高 2(21ー14、21ー7)0 東葛高
3.FR |
4.FC |
5.FL |
8.HR |
6.HC |
2.HL |
1.BR |
7.BC |
9.BL |
|
得 |
9 |
2 |
6 |
3 |
|||||
SP |
4 |
2 |
1 |
1 |
|||||
M1 |
2 |
||||||||
M2 |
3 |
1 |
1 |
2 |
2 |
4 |
2 |
2 |
|
M3 |
1 |
|
3.FR |
4.FC |
5.FL |
8.HR |
6.HC |
2.HL |
1.BR |
7.BC |
9.BL |
|
得 |
4 |
2 |
4 |
5 |
|||||
SP |
1 |
2 |
1 |
1 |
|||||
M1 |
2 |
1 |
1 |
||||||
M2 |
4 |
4 |
2 |
2 |
2 |
2 |
5 |
5 |
1 |
M3 |
1 |
○9月3日 於船高 船高 2(21ー12、19ー21、21ー13)1 千葉大 ○9月11日 於日毛 船高 1(21ー16、19ー21)1 日毛 一年2名、二年7名が冬の練習に入った。今年人員が少ない為に基礎練習をしっかりし、サーブの強いチームにしたい。 新主将 豊田紀子、新副主将 若林勢津子、新マネージャー 鳥光佐喜世 「竜頭蛇尾」クラブ(OB) 小笠原(博)、小笠原(敦) 船高バレーボール部誕生十周年の年であった31年度に一度の優勝(一般選手権)に甘んずる結果になってしまった。加えて昨年に引きつづき順天堂大に一勝も出来なかった事は遂に王座より下ったといえよう。 ○高校男子(13,14回) 石橋雅史
△第13回男子合宿(内新入生1名) 3月27日〜4月4日 参加7名、通い1(途中から参加) 参加費600円、米4升 指導 宇佐見、小川、纐纈、金子 <日 課> 起床 6:00、 練習 6:45〜7:15、9:30〜12:00、14:40〜18:00 朝食 7:45〜8:15、 昼食 12:30〜13:00、 夕食 18:30〜19:00 入浴 19:00〜20:30、 座学 20:30〜21:30、 就床 21:30 <会 計> ◇収 入 参加費 3,000円、先輩より 2,100円 合計 5,100円 ◇支 出 主食 600円、副食 3,427円、調味 695円、燃料 410円、その他 185円 合計 5,317円 ◇差引不足 ▲217円 昨年と同じく県予選が早いため、又三年生8名送出したため、今合宿は各自の個人技に重点を置き、しかるべき大会には昨年に対して恥ずかしくない様と云う気持が高かったためか、多少なりとも昨年に見られない精神的な進歩が見られたと思う。しかし今回は例年に見られない悪条件がそろってしまい、まずレギュラー1名のみ残り後は全部未経験者、二日目、三日目には雨が降り、五日目には雪が降ると云う悪天候、又期間中はバレー部のみが本校で合宿する事になっていたがバスケット部が予定変更のため同じ期間なってしまい講堂使用について非常に不便を感じた。 技術的にはRe陣とセカンドSのReに重点、At陣に於てはシングルTに重点、全員Sの強化を目的とした。4日より宇佐見さん千葉大合宿 △第14回男子夏期合宿 於船高試食室 7月22〜30日 参加12名 参加費600円、米5升 <日 課> 起床 6:00、 練習 6:15〜6:45、8:30〜11:30、3:00〜6:00 朝食 7:00〜7:30、 昼食 12:00〜12:30、 夕食 6:45〜7:15 入浴 7:30〜8:30、 座学 8:30〜9:30、 消灯 10:00 <会 計> ◇収 入 参加費 7,200円、先輩より 1,700円、部費 300円、 合計 9,200円 ◇支 出 主食 900円、副食 4,853円、調味 1,450円、燃料 730円、その他 1,350円( 病気治療代含む) 合計 9,283円 ◇差引不足 ▲83円 今年もインターハイ出場権を得、一同はりきって合宿にのぞむ、合宿中試合を二,三回して大会準備故綜合練習をした。後半平川ねんざ、三代川病気になってしまい、At 練習に苦しかったが両人とも全国大会には出場出来る。 ○高校女子合宿(6,7,8回) 野瀬和子
△第6回女子合宿 於船高試食室 3月19日〜28日 参加12名、通い2名 参加費600円、米3升、 指導 田中先生、OB永盛 <会 計> ◇収 入 参加費 6,900円、先輩より 1,500円 合計 8,400円 ◇支 出 食費 5,045円、夜食 300円、調味料 1,135円、燃料 670円、その他 600円 合計 7,750円 ◇差引残高 650円 <日 課> 起床 6:30 トレーニング 7;00〜7:30 練習 9:20〜12:00、2:00〜6:00 消灯 10:00 新しいコーチャーを迎え、部員全員と新入生3名の参加がありました。 今回の合宿の目標は、サーブの安定、フォアードの強化、セカンドサーブレシーブとされた。全般的に見て、向上したように思われますが、特にサーブは毎日の記録の結果0.9〜0.5に全員が入っていますので、これがずっと持続出来れば幸いと思います。 △第7回女子合宿 8月7日〜13日 於試食室 参加13名 参加費500円、米2升5合 指導 OB永盛 <会 計> ◇収 入 参加費 6,500円、先輩より 950円 部費より 1,000円 合計 8,450円 ◇支 出 食費 5,605円、調味料 925円、燃料 630円、その他 945円 合計 8,105円 ◇差引残高 345円 <日 課> 起床 6:00 トレーニング 6:30〜7:00 練習 8:30〜11:30、3:30〜6:30 消灯 10:00 HC浅水の退部で守備位置が変ったので主にレシーブのコンビに重点がおかれた。今回の合宿では主に綜合練習に多くの時間を費やした。 △第8回女子合宿 8月22日〜27日 於試食室 参加費300円、米2升 指導 田中先生、OB永盛 <会 計> ◇収 入 参加費 3,900円、先輩より 500円 部費より 1,000円 合計 5,400円 ◇支 出 食費 3,500円、調味料 455円、燃料 240円、交通費 990円 合計 5,185円 ◇差引残高 215円 今回は合宿中に国体予選があるので、チームワーク、コンビネーションに重点をおいた。初めの二日間は午前中綜合レシーブ、アタック、サーブをやり、午後はランダを多くした。国体予選の前日は午前中で練習を休め、午後から休養をとった。国体予選には6時に起床し、30分間体操し、すみきった空気を胸一杯すい込んで朝食をすませて、皆でお昼のお弁当作りをして四街道に向った。矢吹さんと、中村さんがとまって食事のお世話等してくださり大変助かりました。 --------以上---------- 近藤弘男 昨年の活躍のナンバーワンは何といっても現役男子諸君でしょう。何しろ前年の優勝チームから8名のレギュラーを卒業させて、FR平川、補欠の石橋、立石、秋山の4名が試合経験者、あとは未経験者で昨日今日入部したものでは、とても全日本出場など想像もできなかった。今年は女子の方が有望だ、なんて言葉も聞かれる状況だった、それが僅か数ヶ月の中に相当の実力を持つチームとなったのだから驚かざるを得ない。しかもみるみるうちに県下の各チームを撃破し、遂に全日本出場の栄冠を射止めてしまった。この事はかげに並々ならぬ努力のある事を物語っていよう。選手諸君の喜びは一しお深かったであろうと推察される。 ------以 上----- 矢吹初美 二月の総会に於て兼ねてから懸案中のOGクラブを編成発足し、次のメンバーにより初試合を4月1日四街道コートにおいて川鉄チームとオープン戦を行った。 平川孝男 昨年一年間私は主将と云う最も重大な任務を与えられ、不安に思われた私達におきましては、全国大会、関東大会出場と未熟ながらも好成績を残して、今日ここに「昭和31年度を振り返り見て」と題して筆を取らせて頂くに到りました。先輩の残された伝統を是が非でも保持し、増進させねばとあせりながらも、厳しい練習と戦い苦しむ事によって、お互の技術をみがき、ついにその望みが成就されたと言う事は、私の最も大きな喜びとする所でございます。しかしながら昨一年間を振り返って見ると、其の中には数えきれぬ程の失点があった事は云うまでもありませんが、その最も印象に残されたものとして、国体予選に於いて、対東葛高校との試合を挙げる事が出来よう。それは私にとって、今でも諦める事の出来ない大きな不覚でした。今考えて見ると対戦中の私の胸の中には、何か薄生意気な落着きと言った一物を抱いて居たようだ。いや、それは私だけでは無いかも知れない。 阿部娃津子 前回の年報に31年度の抱負と題して私は、今年こそは優勝したいと書きました。けれどもそれも出来ませんでしたが、千葉県で開かれた関東大会に出場出来たという事は大変嬉しかった。と共に何と千葉県のバレーボールの程度の低さが手に取るようにわかりました。サーブは船高の得点チャンスであったのにそのサーブ力が及ばないというしまつ、あの時はサーブがとてもこわく感じました。 金子一雄 国際式大会がフリー参加であるときいて、持前の新しもの好きが頭をもたげ、一つ出てみようかと衆議一決したのは大分前でしたが、今年は練習の集りが少く特に国際式を練習するという機会もない内に年の暮を迎えました。正月に申込書が届いた時には、本当に出るのかいなどと弱音をふく奴もいましたが、とにかく参考の為だよということになり、いよいよ図々しくも出場と決まり練習は1月13日、15日の2回、ルールも読んだだけでよく分からないままに、体ならし位のつもりで集れる者だけでやりました。其でも、三、四十チームも来れば中には弱いのも居るさ位の気持で居た処、いざ組合せとなったら、松下、鋼管、全早大等々自信満々のわずか14チームの顔ぶれに、ヤレヤレというわけです。
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「第一回県下選抜綜合優勝大会を開催して」 宇佐見武男 県の校長会議の通達によって、高校チームが一般チームと公式戦に於て禁止されてから5年が経った。高校に年二回の公式戦しか許さない県は日本全国を見渡しても少ないことであろう。このため県綜合、全日本綜合県予もさびれてしまい、大会の盛り上りも少ない大会となってしまった。 飽田英世 はや卒業して1年がたってしまいました。幸い技術未熟ながらクラブの一員としてこの1年間先輩と共に試合に参加させて頂きまして自分ながら恥ずかしく思っております。何分まだクラブの一年生でしたのでクラブにあまり良く馴染む事ができなかったのですが、月日が進むにつれて徐々にその雰囲気に親しむことが出来る様になりました。 小川定雄 バレーボール生活今日迄、ベンチに入って監督という真似事のようなものをやらしていただいた事、これはきっと小生一生の思い出となるであろう!。ではその時の事を思い出して”書きますわよ”おっと書いて見ます。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ○<さる> 日下部哲夫
「リイ………」旅をせかせるベルの音がけたたましく鳴り出した。ここ東京駅の14番線、急行瀬戸がまさに発車寸前のところである。諸先輩の手を握りしめ「元気で頑張って来ます」と若さに溢れた幾つかに顔が窓に並んでいた。汽車が静かに動き出し、船高男子排球部員一同は先生及先輩の方々と共に全日本大会に出場するため、夜の東京駅を後に一路西条にむかって出発したのである。あれから19時間に及ぶ長い汽車の旅も終り複雑な気持で西条の地を踏んだのである。ボーイスカウト諸君の歓迎を受けながら旅館に入った。 この旅館にモンキーでない「さる」がいようとは誰も予期していなかったであろう。 旅館に入って数時間しかたたない中に「さる」というあだ名もらった、おの二十五と言う女中さんは顔から歩き方までさるにそっくりなのである。それにしゃべる事と言ったら誰にもひけをとらない事は確かである。この旅館そのものも又すごいのである。玄関のかべの一部はくずれかけ、板の間はすき間があいていて、テレビがなければ、ラジオもなく時計も満足なのがない有様である。又風呂は木製の四角なやつで一部がこわれ五寸釘の頭が出ていてそれでおしりにかすり傷をおった者さえ出る仕末である。翌朝食事の前に掃除をしてくれと誰かが言ったら、ほこりが出るから食後にしてくなどと誠にみような旅館である。 さて、決勝リーグの桐生との試合の時に”さる”ともう一人の女中が見に来ていた。しかし試合なんかてんで興味がないと言った様な顔をしてまわりをきょろきょろしながらペチャペチャしゃべっているだけであった。試合から帰って来るとさるは「ホースケ、ホースケ」とさわいでいるのはなんだと言ったのでよく考えてみたら、それはどうやら「ファイト,ファイト」の意味らしかったので、あれは「ファイト,ファイト」と言っているのだと教えたがどうしても「ホースケ、ホースケ」とか言えないらしかった。尚も教えようとすると、きゃあきゃあうるさいのでそのままにしておいた。しかし、さるにも良いところはあった。汚れ物はどんどん洗濯してくれるし、水のサービスははなはだ良かった。そして帰りの駅へ来た時も持前の愛嬌ある顔で、きょろきょろしながらあいかわらずしゃべっていた。いよいよ汽車がすべりこんで来たので別れの握手をしたとき「帰ったら手紙をちょうだいね」とさすがにしんみりした顔になって言う。このさると言われる女中さん。 そして汽車が見えなくなるまで手をふっていた、この女中さん、この時始めて此のさるも人間なんだと感じた。しかし「さようなら、さようなら」と別れの挨拶をしてから汽車が10分間停車していた時にはどうして良いかほんとに困ってしまった。 -----終り----
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○四国遠征記から ----以 上----
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○四国山脈を望み見て 阿部娃津子 真黒黒ん坊、それは健康そうに日焼けした子供、真白白ん坊、それはボール、真青春ん坊それは空、真赤に燃える赤ん坊それは太陽。 小川定雄 倦怠期と云っても、もちろん夫婦間の事ではない。バレーボールに倦怠期が来たのである。どうしてだろう?最初自分でもその理由がなかなか解せなかった。でも良く考えたら簡単な事であった。ではその事を書いて見ようと思う。 -------以 上------ 中西征一郎 今ここに過ぎ去ろうとしている短期間ではありましたが楽しくもあり苦しくもあった船高バレーボールクラブ生活を振り返って一筆記す次第です。 -----以 上----- 金子一雄 前号迄は他チームや審判に対してだったが、今度は余り試合にも出ていないし、部内を対象に書かせてもらおうと思う。 -----以 上----- 石橋雅史 生徒会体育委員会と部によって行う。各ルーム男女一チーム計24ルーム48チーム出場し、昨年にもまして非常に盛況裡に終わった。空時間にはボールは全部、校庭に御出勤で、致る処でサークルパスが見られた。試合は校内対抗らしく和気合々とした空気に満ち、最終日の職員との対戦には、応援合戦よろしく、この時とばかり、悪童ども元気よく先生方を苦しめた。日頃部屋にとじこもりがちな先生方も、此日ばかりは初夏のひざしをいっぱいに受けながら、生徒と共に楽しいひとときを過された。 小笠原(敦) ◎中学、高校男子 小笠原(敦) ○高校男子 小笠原(敦) 3月20日現在迄に判明したもの、但し、関係及び観戦可能分 特記する意外は場所未定 ======千葉県===== ○都市対抗-----------------3月31日 =====関東、南関東===== ○都市対抗予選-------------4月8日 =====全日本===== ○都市対抗-----------------4月26〜29日(大阪) 船高クラブ創設以来最初の華燭の典を挙げられましたお二人を御紹介致します。
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今度はじめて編集を受けもたせて頂くことになりましたが、とても難しく、自分の手におえるようなものでなく、このような大変まづいものが出来上ってしまい、誠に申訳ございません。 (小笠原敦弘) |
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