目 次◯船橋高校クラブに贈るーーーーーーーーーーーーーーーーー鈴木 政男 ◯新しい年を迎えてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー近藤 弘男 ◯吾々の考えねばならぬことーーーーーーーーーーーーーーー田中 宗男 ◯昭和31年度の抱負 その1ーーーーーーーーーーーーーー平川 孝男 その2ーーーーーーーーーーーーーー阿部娃津子 その3ーーーーーーーーーーーーーー石橋 雅史 その4ーーーーーーーーーーーーーー野瀬 和子 ◯此の地を去るに當ってーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 忠太 ◯決 算 報 告ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ◯昭和30年度活動状況ーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄 姫路と藤沢へ(高校男子)ーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男 又もブロック予選で敗る(高校女子)ーーーーーーーー野瀬 和子 王座ゆらぐ(クラブ)ーーーーーーーーーーーーーーー小笠原、金子 ◯合 宿 練 習ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ◯コーチ1年 その1ーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄 その2ーーーーーーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男 ◯30年度雑感ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 忠太 ◯部生活を回顧してーーーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 淳子 ◯夏の全国大会からーーーーーーーーーーーーーーーーーーー小川 定雄 ◯姫路遠征同行記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男 ◯関東綜合に出場してーーーーーーーーーーーーーーーーーー阿部娃津子 ◯初めて合宿に参加してーーーーーーーーーーーーーーーーー竹内エミ子 ◯或夜の出来ごとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー石橋 孝子 ◯合宿後感ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー近藤 弘男 ◯言いたい放題ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄 ◯校内対抗ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(石橋マ) ◯何回試合したかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)ー ◯上位に出たのはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)ー ◯数字は語るーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)ー ◯お し ら せーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ◯昭和31年度日程ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ◯編 集 後 記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄 県協会理事長 鈴木政男
昨年の末でしたか船橋高校クラブより年報に載せるため何か書いて呉れる様に依頼され乍ら病気になり遂に約束を果さず又一年が経ってしまいました。私も年を取った故か近頃月日のの経つのが非常に早く感ぜられます。 主将 近藤弘男 昨シーズンは四つの県大会にことごとく決勝にて順天堂大に敗れてしまい、其れが回がふえるに従って益々手の施し様がない敗れ方で彼我の実力差が如実に表われた戦績を残しました。いつの年でも出場メンバーでの練習が少いことは云えるのですが昨年は余りひどかった様に思われます。一昨年国体に出場した時などは同一メンバーでかなり練習が出来た筈です。此れが昨年の大きな敗因と考えられます。 部長 田中宗男 年に一回の情報を発行する年報も第四才を重ねるに至った。お互いに喜びとする処である。私が船高に来て五ヶ年になろうとしているが、この間に現役から全日本高校に二回及び国民体育大会に一回出場しているがその様子内容は既に周知の処である。 1.英国ではスポーツマンシップなる語を読むことも聞くことも出来ない。其れは英国人は幼少の頃から何か悪いこと、即ちフェアでないことをするとその親或は教師から 私は二,三の例を挙げたわけだが船高のバレー部員に流れる精神面はどうであろうか、 ◯其の1
主将 平川孝男
抱負と云っても我々が現在希望していることは語ってみれば限りないことであろう。此らの中でも我々はまず最初に母校に対して多くのプラスを与えることの出来たこの名誉ある船高バレー部の精神にのっとってより一層向上させて行くと言うことを誓わねばならぬであろう。目標といえばもとより、全日本高校選手権と国体の県予選に優勝することは勿論、両大会に於て好成績を残すということを目指し部員全体が監督を中心に一致団結して練習することである。此の時に当って3年生が8人出られるということは我々にとって非常に残念なことであるが残ったものを如何にうまく動かして行くかが重要である。 実際、現在シートに残されたのはFR平川、BR石橋、補欠だった一年の立石、秋山と試合経験のあるのは4人、他に二年1名、一年4名である。この様に二年が少いことがまず我々の弱点といえるであろう。 其れではこの辺で練習の概略の計画について、又部の生活方針といった様なものについてザックバランに述べてみよう。 まず練習面では、日頃の練習に重点をおき、少い練習をも効果のあるものにする様努力したい。然し、寒さが厳しくボールの掴めない期間には一年生即ち新入部者に対しては身体をより一層育成させる為にマラソン又はウサギ跳びといった様なもの、At陣に対してはジャンプ力の強化、Re陣に対してはフットワーク、其れから体の屈伸といった様にいわば柔軟体操的な運動を多くしようと思っている。 合宿練習は例年通り三、八月の2回、合宿の目標はまず、S入率を例年より多くしスピードにこだわらず入れることを第一条件とし6〜7割を望んでいる。又、練習試合を多く行い特に今年の様に経験の少いチームはより多くの試合で試合度胸を身につけて行きたいと思っている。 次に部に生活方針を極く簡単に書くと、第一にチームワーク、第二に礼儀作法、第三には部室を清潔にするというように大別される。 第一のチームワークの育成は現在の我々にとって最も重要なことであって部員一同が何か一つの個体の固りとなって協力して行くことである。 第二の礼儀作法については特に先生に、先輩に、上級生にといずれに於ても部員全体が常に心がけて居るべきことである。 第三の部室を清潔にするということに於ては個人個人が常に規則を守り我々の部室であるということを自覚して貰いたい。 さて、これらの最も目標とされる部分を箇条書きにして見ると 1.S入率を例年より向上させること。 2.チームワークの育成に主眼をおき 3.出来るだけファイトのあるチームの作成に専念する。 尚、現在の9名の位置は今後の練習で決める。新一年の入部を多く希望し、今年度も最善をつくして頑張りたいと思う熱意はやまない。 前会長 加藤忠太 30年度の活動には華々しいものはなかった。計画をたてるに当っては、全面的にみて平均水準に達していると(29年度を裏付に)判断し、内容の充実を図り発展の基礎とすべきを感じた。 さて、此の度、勤務の都合によりクラブ諸兄姉と別離を余儀なくされましたので、ここに紙上をかりて御挨拶申上げます。
*ボール単価 約1,700円 [生徒会臨時費及び寄附内訳] ○関東大会 生徒会臨時費 4,000円、 同窓会 3,000円、OB湯浅直治殿 500円 ○全日本大会 生徒会臨時費 48,132円、 同窓会 3,000円、 富士運動具店殿 3,000円、 船高クラブ 3,000円、 浅見先生 1,000円、 OB池田清殿 1,000円、 ○国民体育大会 生徒会臨時費 6,240円、 同窓会 3,000円、 OB山賀繁夫殿 300円 (蜂谷)
(伊藤) 高校男子については現役に書いて貰うことが出来ず、宇佐見コーチの日記から書き写しました。毎年現役男子は非協力的で困って居ります。公式大会のスコア集計中、MとはM1.2.3のことです。M1、M2、M3の内容は昨年度迄と少々かえましたので、”数字は語る”を御参照下さい。 (金子)
姫路と藤沢へ(高校男子) 卒業はHC、HRの2名だけ、残る3年生は8名と、人員的には最も恵まれた年であっただけに又、今年勝たねば当分は,という気持が皆の心にあったのであろう、進歩も速かったし相当の成果を挙げることが出来た。 |
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1 |
1 |
組み合せの楽なゾーンで易々とベスト4に残った。関東大会出場権を得、市川、松戸、千商と6月末に一位を決めることとなった。両大会を目指しF陣に重点をおいて練習したが余り進歩が見られない。 ○6月4日 於都三商 都三商 2(21ー8、21ー13)0 船高 船高 2(21ー13、21ー19)0 墨田川高 船高 2(21ー5、21ー15)0 小松川高 第一試合速攻にしてやられた。 6月7日此より四週間順大のBC原、HL山口両氏教生のため来校随時指導して頂くこととする。 ○6月8日 船高 2(21ー13、21ー11)0 コーチ団OB混成 船高 2(21ー12、21ー16)0 コーチ団OB混成 ◎6月11日 関東高校選手権 於小石川グランド 船高 2(21ー8、21ー10)0 武蔵高 S 11、-S 0、SS 2、入率0.76 藤沢高 2(21ー18、21ー1)0 船高 S 4、-S 5、SS 3、入率0.41 対藤沢1セットは小川Kよく、Sはやや入らなかったがよく迫った。最後にMあり惜しくもとられたがこの調子なら、2、3と追いこめると思われた。然し2セットは全然気勢揚らずFRシングルTを始めとするF攻にStだ全然出られず(単なる形容でなく本当に全然出て居なかった。)SSによる1点をもらっただけで敗退した。此の2セットの試合ぶりは投げたようで見ている者は不愉快極りなかった。藤沢は翌日優勝したが此の日は調子が悪く充分喰えたと思う。県代表他チームを充分観察、自信つく。 ○6月13日 練習中ボールがブカブカなことを注意され乍ら誰も空気を入れようとしなかった。練習は30分程皆が揃う迄でやめて関東大会の反省会、前日OBが集って相談の結果、対藤沢の試合態度のみならず平生の練習態度、B出のコーチに対するF陣の態度に不届きなものが多い故反省を求めようということになり、此の日は反省会というよりもOBのお説教。コートに正座しての説教など船高始って以来のことだが、1点で敗けたというのも有史以来である。 ○6月14日 於船高 順天大 2(21ー16、21ー16)0 船高、 順天大 2(21ー14、21ー10)0 船高 この日より24日迄特にF陣重点の練習をすることとし、OB金子が男子の練習を見ることにして宇佐見は金子と交代して女子コーチ。 ○6月19日 於講堂 OB 2(21ー19、7ー21、22ー20)1 現役 現役 2(26ー24、28ー26)0 OB 此の週に入ってFの練習と乱打ばかり、OBよく集る。 ◎6月25日 全日本高校県予選 於四街道 船高 2(21ー10、21ー8)0 松戸高 S 3、-S 3、SS 2、入率0.33 決 勝 船高 2(21ー9、17ー21、21ー13)1 市川高 S 5、-S 5、SS 1、入率0.43 |
3.FR |
5.FC |
2.FL |
6.HR |
1.HC |
4.HL |
8.BR |
9.BC |
7.BL |
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得 |
2 |
7 |
18 |
0 |
0 |
11 |
0 |
0 |
0 |
S |
1 |
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1 |
3 |
リーグ戦を希望したが、3ー7で否決。第一戦、凡戦だがStよくFLを完封。決勝、FLをマーク3人跳んだ。風があったのでF陣主力としたが相手FはF攻に慣れていないらしく効果があった。F陣の差。2セット12ー6、16ー10からとられたのは、時間差を使えなかった為もある。F強化策の奏功は嬉しかった。 ○7月11日 練習再開迄試験休 ○7月16日 船高 2(21ー18、19ー21、25ー23)1 順天大 順天大 2(26ー24、28ー26)0 船高 ○7月17日 OB 2(24ー22、27ー17)0 現役 現役 2(21ー19、21ー23、21ー19)1 OB 順天大 2(21ー16、21ー12)0 船高 ○7月19日 順天大 2(21ー7、21ー12)0 船高 順天大 3(21ー19、21ー10、21ー13)0 船高 7月 日---- 日 8月1日 東京発 姫路泊 ◎8月4日 第8回全日本高校選手権 於姫路 予選トーナメント 船高 2(21ー10、21ー15)0 奈良商工 S 3、-S 0、SS 1、入率0.52 To、At悪し、Re健闘 ○8月5日 決勝トーナメント 1回戦不戦勝 伝習館(福岡) 2(21ー14、21ー19)0 船高 S 3、-S 2、SS 1、入率0.55 |
2.FR |
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4.FL |
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6 |
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1 |
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2 |
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4 |
4 |
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3 |
6 |
3 |
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4 |
1 |
VB誌評----船橋滑り出しは7ー2とよかったが伝習着々と挽回し、オールラウンドに廻 し押しきった。船橋、HL、FLのAtは相当威力をもっていたがtoが悪くて使い切れず、 特に2セットは元気のない伝習に打勝つ可能性もあった様に思う。伝習FLのAtは高位 置の為StにかからずReが上げ得なかったのが敗因。ReはStに頼っていた感がある。 ○8月16日練習再開迄休 遅刻、欠席多くOBの方が熱心な位 ○8月21日 ブロック予選、推薦の為女子応援 ◎8月28日 国体予選 於四街道 参加12 船高 2(21ー19、21ー15)0 安房一高 S 3、-S 4、SS 2、入率0.46 St悪く苦戦 船高 2(21ー10、21ー13)0 国府台高 S 5、-S 2、SS 2、入率0.41、HL完封、クイックでやられる。 [決 勝] 船高 2(21ー17、21ー5)0 東葛高 S 3、-S 4、SS 0、入率0.58、凡戦、東葛元気なし |
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4.FL |
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1.HC |
5.HL |
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得 |
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24 |
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0 |
29 |
0 |
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2 |
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0 |
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準決勝は東葛ブロック4チーム(推薦2)となり、市川はHL故障で敗退した。3試合共凡戦でS入らず相手はいづれもSよくは入り苦戦した。Fの無気力に対しHL小川好調、とにかく元気なし、9月に入って宇佐見リーグ戦の為余り練習をみなかった処、欠席も多くダラケてしまう。 ○10月20日〜27日、練習したかったが部長の厳命により試験終るまで休 ○10月22日 市の壮行会、県結団式 ○10月28日 於順大 順天大 2(21ー11、21ー12)0 船高 ◎10月31日 第10回国体 於藤沢市 県営コート 鹿児島商高 2(21ー12、21ー13)0 船高 VB誌評----初、両軍固くなり凡戦、船高Re悪くS入らず、鹿児島のS確実に点を稼ぎHLのK決り問題なく勝つ 2セット船高も調子出て一時リードしたが後半鹿児島の試合運びよく押切る------。 練習を暫く休んだとはいえこの三日はやって居たのであるから調子が出ないとはいえない。闘志のたかまりが感ぜられなかった。 ○11月23日 OBと合同ハイキング 3名参加 ○11月26日 1.2年 2(------ ------ 22ー20)1 OB.3年 一年5名、二年3名にて冬の練習に入る全員身長が低く、一人残ったFR平川むしろReにしたい程度であるが新一年をあてにすることはできないので今年はそう云った面で苦しくなるであろう。 新主将 平川孝男、新マネージャー 石橋雅史、11月に引つぐ。宇佐見3月迄で辞任 (宇佐見、金子、集計石橋)
三名の卒業生を出したが冬の内は湯浅(男HR)が専任でコーチをしてくれ少人数乍らしっかりした練習が出来、春からはOB金子を監督兼コーチに迎え、金子等の攻撃力に又HC石橋主将を中心とするRe陣に相当の進歩が見られ、周囲の期待の最も大きかった年といえよう。然し春三回戦、秋はブロックの一回戦と結局竜頭蛇尾に終ってしまった。只有能な一年生を多数得たことは来年度に向って心強い。 ○3月23〜28日 合宿 ○4月2日 於昭和体育館 昭和学院 2(21ー14、21ー11)0 船高 S 1、-S 4、SS 9 入率0.28 昭和学院 1(21ー17、19ー21)1 船高 S 9、-S 5、SS 2 入率0.31 初めての試合で固くなったせいかS入らず、体育館不馴れの故もあって先取された。最終セットはSも入り出しFC春田のシングルTがよく決った。先方の都合でここ迄とする。SSが多かったので船高へ戻って一人百本入る迄2cdSをうった。上旬三年生旅行の為、一,二年生の個人練習 ○4月17日 於船高講堂 船高 2(21ー10、21ー13)0 千葉二高 S 8、-S 2、SS 4 入率0.44 船高 2(21ー15、21ー15)0 明徳高 S 7、-S 4、SS 2 入率0.37 船高 2(21ー16、21ー16)0 千葉三高 S 6、-S 1、SS 1 入率0.46 全勝にて一位、二位三高、全般的にFのスローモーションが目立った。 ○4月23日 於千葉三高 千葉三高 2(19ー21、21ー10、18ー21)1 船高 S 14、-S 6、SS 6 入率0.34 船高 2(21ー19、21ー14)0 千葉三高 S 4、-S 5、SS 4 入率0.44 ○4月29日 於船高 船高 2(20ー22、21ー8、21ー9)1 成田高 S 11、-S 2、SS 0 入率 船高 2(21ー6、20ー22、21ー3)1 成田高 スコアとれず ◎5月8日 第八回全日本高校県予選 於四街道 参加35 船高 2(21ー9、21ー17)0 千葉二高 S 11、-S 4、SS 0 入率0.52、S入り問題なし 船高 2(21ー17、21ー13)0 夷隅御宿高 S 10、-S 3、SS 4 入率0.38 安房二高 2(21ー17、21ー18)0 船高 S 4、-S 4、SS 5 入率0.29 相手を強くみすぎて固くなった感があり、全力をつくせずに敗れたのは残念である。2セット相手1stSは初の2本しか入っていないのに14ー8とリードしながらSS2を含むMの続出で17ー17から敗れたのは基礎の安定度の差と思われる。直接の敗因としてはSが入らなかったこと2cdS Reが大きいか真上に上ってしまうかで満足に返って居ないことであろう。 |
9.FR |
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1.HR |
5.HC |
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4.BC |
8.BL |
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7 |
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0 |
5 |
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0 |
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6 |
6 |
2 |
3 |
此の大会ではFL金子のKが絶対的な威力を示したが此にクイックも加味させたいと感じた。此の大会にて2cdS Reを含むPaの悪さを痛感しその向上を今後の第一目標とし、攻撃面ではFL金子のAtに変化をつけると共に中継Toを全部ここへ上げられる様にすることHL阿部とHR島津を交代させHR阿部のKを有効に使うこと等を夏の大会迄に仕上げることにした。この頃の練習は毎日3時間位 |
3.FR |
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1.HR |
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○10月12日 於明徳高 明徳高 2(21ー8、21ー14)0 船高 船高 2(21ー16、24ー26、21ー18)1 明徳高 11月15日より男子FLだった海老沢が専任コーチとなってくれる。 ○11月19日 3年生 2(21ー9、19ー21、21ー10)1 新メンバー 3年側に男子2名入る 2セットはS入りやっと勝ったがあとは問題にならなかった。丁度皆の気持がだれて居た処なのでここで敗けたのを契機として気を合せて頑張ろうと誓い合った。日が短くなって練習は1時間の日と1時間50分位の日が半分づつ位になる。当分の間S、個人Re、ストレートK(F,H6人)及びいろいろなパスを練習する。 ○11月23日 野猿峠へハイキング、現役女子としては初の試みであったがクラブの恒例のハイクと合併したので総勢35名、内現役女子9名、帰りに新宿駅で一人迷子になって山手線に乗ってしまった一幕もあった。 12月末の部員11名、3年生も時々出てくれるし、男子FLだった3年生の海老沢が専任コーチとなったし、しっかりした技術を身につけて新入生を迎えたいと思う。 (野瀬、金子) 遂に改革の時が来た様である。前年度より既に予想された様に新進チームに対するには我々も若いメンバー、チーム力で行かねばならない。従来の様に様に個人技中心のの楽しみながらの行き方では危うくなって来た。此の年、ベストメンバーが揃ったことがなかったとはいえ大会6回の内優勝1回では既に船高ク無敵を誇った時代は去ったとみねばなるまい。練習も昨年程充分にやらなかった様な氣がするし、いささか沈滞気味ではなかろうか。ここらで組織とチーム編成の改革が必要の様に感ぜられる。第四回生あたり以上はレクリエーションチームを作れという意見にも耳が傾けれれるべき時となった。又、段々疎遠になりがちな古い先輩との間をどうやって継いで行くかも併せて考えなければならない。 |
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5 |
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0 |
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2 |
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1 |
1 |
烈風は砂ほこりを伴い大変な日だったがその割にオープンが使えた。FにM多し。特にFC、Stは皆#になった。ベスト16に入ったわけである。上記メンバーの他4名。 ○7月17日 10時〜4時半 OB 2(24ー22、21ー17)0 現役 現役 2(21ー19、21ー23、21ー19)1 OB 順天堂大 2(23ー21、21ー19)0 船高ク ◎7月24日 全日本綜合予選 於四街道 参加15 船高ク 2(21ー9、21ー14)0 日立茂原 S 3、-S 1、SS 0 入率0.46 船高ク 2(21ー17、21ー11)0 千葉工大 S 6、-S 1、SS 4 入率0.44、烈風の為此よりインドア 船高ク 2(21ー19、21ー18)0 鴻峻ク S 1、S 3、SS 2 入率0.23 出足悪く1セットは1ー12、2セットは5ー9からやっと挽回す [決勝] 順天堂大 2(24ー22、22ー20)0 船高ク S 4、S 3、SS 2 入率0.53 大変な熱戦で両チームとも凡Mも少かった。2セット4ー10となったのがまずかったが15ー20からジュースにしたのは賞されよう。順天堂HL20判定について問題もあったが惜しい試合だった。 |
7.FR |
FR,L |
3.FC |
9.FL |
4.HR |
8.HC |
同左 |
6.HL |
2.BR |
5.BC |
同左 |
1.BL |
|
得 |
9 |
3 |
23 |
46 |
8 |
0 |
0 |
14 |
0 |
0 |
0 |
0 |
S |
1 |
1 |
1 |
1 |
2 |
0 |
1 |
2 |
0 |
2 |
1 |
2 |
S |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
4 |
0 |
1 |
1 |
SS,M |
8 |
2 |
6 |
10 |
7 |
2 |
0 |
9 |
0 |
1 |
2 |
3 |
○8月14日 OB11、OG5女子合宿最終日なので、その手伝いを兼ねる。 OB2(22ー20、21ー17)0 女子現役 市民水泳大会あり、体協各部対抗百米リレーに、内藤、宇佐見、小笠原兄弟で出場、他チームより一泳者遅れて悠々最下位 ◎8月21日 10市対抗 於千葉一高 参加6 船高ク 2(21ー19、21ー8)0 キッコーマン(野田市) 学生はぬかしたメンバーに日建の木村氏を加える。 [決勝] 船高ク 2(21ー19、21ー17)0 地理調(千葉市) 賞品に革財布を貰う。 ◎9月4日 国体予選 於四街道 参加15 船高ク 2(18ー21、21ー14、21ー18)1 鴻峻ク S 5、-S 4、SS 1 入率0.40 船高ク 2(21ー8、16ー21、21ー2)1 千葉銀行 S 12、-S 5、SS 2 入率0.26 船高ク 2(17ー21、21ー12、21ー10)1 安房ク S 7、-S 4、SS 2 入率0.42 [決勝] 順天堂大 2(21ー19、21ー8)0 船高ク S 3、-S 5、SS 1 入率0.42 順天HLのKが上らずに敗れた。2セットは得点に不拘緊迫したゲームだった。F攻だけの為、即決を焦った様でまずかった。順天Fは若いのであるからレバンド、フェイントなどで行くべきであった。現役男女OB,OG応援多数。 |
6.FR |
3.FC |
8.F,HL |
4.HR,L |
4.HR |
7.HC |
1.HR,L |
2.BR |
同左 |
同左 |
9.BC |
5.BL |
|
得 |
9 |
32 |
36 |
12 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
S |
2 |
7 |
5 |
2 |
0 |
2 |
4 |
1 |
0 |
0 |
1 |
3 |
S |
0 |
0 |
2 |
0 |
3 |
2 |
0 |
2 |
0 |
2 |
3 |
4 |
SS,M |
4 |
6 |
22 |
8 |
3 |
1 |
2 |
5 |
1 |
0 |
0 |
3 |
○9月18日 夕方から船高に集って相談、7名しか来なかったが、他の人にも個人的に話を通じてあったので11月の県綜合に2チーム出すことに決定 メンバーも決めて船橋クラブとして登録。 ○10月16日 9時半〜12時半 OB10、現役11 船橋ク 2(21ー8、21ー19)0 船高ク 船橋ク 2(21ー10、21ー16)0 船高ク 今度の綜合のメンバーで分け、船橋クに永盛、宇佐見を入れる。 ○10月30日 市川市民大会に審判7名 ○11月3日 練習 9時半〜12時 OB7、現役6 OBは出勤日の者多く集り悪し。 ◎11月6日 第八回県綜合 於四街道 参加15 船高ク 2(21ー14、21ー14)0 鴻峻ク 桜友ク 2(21ー6、21ー15)0 船橋ク 船高ク 2(21ー6、21ー5)0 日立茂原 S 16、-S 0、SS 1 入率0.58 船高ク 2(21ー18、21ー17)0 地理調査所 S 7、-S 6、SS 1 入率0.33 [決勝] 順天堂大 2(21ー16、21ー12)0 船高ク S 2、-S 3、SS 3 入率0.37、あと3試合のみ集計する。 |
8.FR |
6.FC |
3.FL |
4.HR |
1.HC |
5.HL |
7.BR |
7.9BR,L |
2.BC |
9.BL |
|
得 |
7 |
5 |
10 |
4 |
0 |
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
S |
9 |
6 |
1 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
S |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
1 |
1 |
3 |
1 |
0 |
SS.M |
4 |
11 |
8 |
5 |
5 |
4 |
0 |
1 |
0 |
0 |
船橋クラブ メンバー 前衛(平川、蜂谷、伊藤) 中衛(秋本、内藤、湯浅) 後衛(丹羽、石黒、小笠原h) 風が強く慣れないFCではTo決らずクイックも全然使えなかった。順天大に連敗したのは結局S力の差と考えてよいと思う。我々のSにはチャンスボールを取り得るだけの力と確実さがない。 船橋クの方は1セット全然元気なく、2セットに入って盛り返したがFCに凡ヘッド多くみすみす敗れた。OB OG、現役応援多数。 ○11月23日 第3回ハイキング幹事伊藤明 現役男女と合併した為35名の多人数であった。OB14、OG8、現役男3、女9、田中先生 ○12月25日 忘年会 於東魁楼新館 今回より役員改選などの事務的なことについては2月に行うこととし純忘年会とする。田中先生、OB12、OG3、現役は学校の方針により参加禁止 3時〜7時半、日曜出勤の者、アルバイトの者多く少人数だった。会費OB三百円、OG二百円、酒はクラブより出す。 ○12月30日 県体育館開きエキビジョンに招待されたので其に備え練習 1時〜2時半 OB6、現役1 ○1月6日 練習 1時〜3時20分 OB8、現役3 ○1月14日 県体育館開き、エキビジョン 船高ク 21ー16 地理調査所 いい体育館だが照明の具合悪く大変ボールがみにくかった。 (小笠原博司、金子一雄) <高校男子第11回合宿> 例年より早く大会が5月上旬になったのと昨年からのメンバーでチームが出来、一応バレーらしいものが出来るので殆ど綜合練習、練習試合に費やした。この為いつもの基礎一辺倒から脱し得たが、反面、Sをいつも程うたなかった。期間中は全部講堂を使用したため(Sがうてなかったのはこの為にもよる)能率が上がった。Atは基礎的なものは勿論のこと主攻撃はHLのKとFLのクイックであるが補助としてFRの右手K此はFLとの時間差で使った。又、春になってからやったのであるがFRに球を集めFC、HRの時間差コンビを育成しようとしたが使える迄にならなかった。その他HLに早Kや平行Toをうたせたが此はプレーに幅をつけさせ、俺は此だけのものが出来るという安心感からの自信をもたす為であった。夜の一時間はルールの解釈、用語の説明、審判技術の初歩を少々話し、球技そのものの理論とか各自の技術の不可解な処について一応理論的に話合いなどし、名選手や先輩の苦心談のオソマツ、失敗談を語り最後にはいろいろとつきない我々の昔話をダベッて、喋る方が陶然としていたものなのである。 (宇佐見) <高校男子第12開合宿> 宇佐見コーチは大学の都合で参加出来ず、OB小笠原も午前中は大学の練習がある為午後の練習しか見られなかった。全日本高校に参加する為の準備故綜合練習を主としたがOBに都合の悪い者が多く乱打は余り多くなかった。 (蜂 谷) <高校女子第4回合宿> 他に5時30分から夕食迄個人個人でパスの研究、初の二日は午前中学校があったので午後の練習は1時30分から、 (春 田) 本合宿より監督としてチームをみることになり,いろいろ計画も持って参加したが四日目に発熱し後半は近藤氏に全般的に委任せざるを得なくなった。方針---基礎練習よりもむしろ綜合的なものを主として、基礎的なプレーはその必要性に於て自然習得を期待する。 (金 子) <高校女子第5回合宿> 合宿も始まる前は全員参加ということになって居ましたが、通いが多くなりました。この合宿は春とは違って技術の安定を目的に行われました。午前はコートで個人ノックを主としたReを午後は講堂でAtと総合的な練習を行いました。人数が少いので炊事当番がぬけると随分困りましたが四日目から先輩の矢吹さんが泊って下さりいろいろお世話下さって、炊事その他随分助かりました。女子には夏の合宿一商間というのはゴツイ体をしていると言われている私達でも少し無理だったと思います。合宿が技術の向上と共によりよいチームワークを作る為に行われるのは勿論ですがこの合宿ではその点少々疑問でした。 (春 田) 前半闘志がみられず不愉快であったが中間の反省会以後は大変気持よく練習出来、技術的にも向上したと思う。Reの強化を主とし、FRからのtoによるAtの研究を併行させた。Reは宇佐見氏に依頼して専ら強球をあてることとし力一杯叩いてもらったがボールを恐れず,又、中間のボールに瞬間的に手が出る様になった点はよかったと思う。但しBのカバーには進歩がみられなかった。FRからのToはFL.Kをよく使える様になり、又、Stも相手のL線に対するものは揃う様になった。合宿最終日に於て最高潮に達した感があり、却って大会迄緊張が持続しなかった故大会直前の合宿ではこういう面の考慮が重要と思うが合宿そのものとしては後半は満点に近い感じであった。田中先生は不在であったが近藤、宇佐見両氏の同宿によりコーチングスタッフの過労がなかったのも運営がスムーズに行った一因であろう。尚、外と内で大体半日ずつやった。 (金 子) 少人数であったが、少なければ少いだけに皆緊張し合宿の目的---1.2cd SReを含むパスの安定、2.時間差攻撃及びFRからのToによる攻撃、3.Sの安定---を果そうと努力した。 (石橋孝子) ○その1
女子監督 金子一雄
本当に思わぬことから昨シーズン女子の部をみることになりました。私は一年大学にのこることになって幾らか暇が出来たのと、田中先生が誰かに女子の方を任せたいと思ったのと女子が前年冬の練習をすばらしい元気でやってみせてOB、OGの期待を集めたのと、三つが偶然一致して監督らしきものに就任したのが3月20日頃でしょうか、其以来関東綜合でシーズンの幕を閉じる迄、練習と試合126日中私の出たのは89日、オフシーズンになってからも十月を除いて週2.3回出ています。此れじゃ何の為に大学に残ったのやらも分りゃしないとはいうものの好きなバレーのこと、結構楽しみながらやって来た此の一年でした。そもそも事の起りは未だ寒い頃、今年の女子はいいぜ、下手でも練習熱心だからな、湯浅が専任で叩いて居るけどよくついて来るよ。という話がOBに拡がって誰かみてやりゃいいのにてなことになったわけですが、本当に皆熱心だったと思います。 若輩の私がどうやって皆を引張って行くかが心配の種でしたが、やってみたら引張る必要なんか無く、自分等で一生懸命やっているのを技術面で援助してやればよかったんですから楽なものでした。然し、バレーを夢中でやろうという点では文句ない部員諸君もバレーを仲良くやろうという点ではいささか欠ける処があった様で結局後味の悪いものが有った様に感ぜられるのは残念でした。そんな感情も過ぎてしまえばなんでもなく消え去って、新卒業生諸君も今は落着いて後輩を見守る立場に立って、お互にしっかりと結ばれていることと思いますが、其が私達船高クラブの基盤をなすものなのですからいつ迄も仲良くそして良いOGになって貰いたいと思います。技術面では随分進歩が早かった様に思いますが、よくしたもんで、うまくなりゃ卒業です。前の年にもう少しうまくなって居てくれればいいのに とかく二年のときには来年があると思うせいか、三年生が居る為自分が先に立ってやるという気が出て来ないせいか進歩が遅い様です。こいつを打破って一,二年の人がぐんと伸びたら、其が船高の優勝する時でしょう。心構え次第です。 其にしても基礎練習がいい加減だったのが最後迄祟って居たのは今後注意すべきだと思います。 さて、今年も昨年にまけず一生懸命冬季練習をやって居ます。今年こそよい戦績を挙げられるのではないでしょうか、 優勝は5年も6年もの先輩からの努力が積重って初めて実現するものです。今年駄目なら来年”今年こそ”の気持を毎年新たにしていくことが大切です。 私も三月満一年で辞任しますが就職してからも週末には帰って来てクラブでプレーを続けたいと思っています。 一年間気持よく練習出来たことを現役諸君並びに協力下さったOB,OGの皆さんに御礼申上げると共に今後の夫々の立場に於ける活躍を祈ってペンをおきます。 ○その2
男子コーチ 宇佐見武男
皆さんのおかげで昨年はかなりの成績を挙げることができました。私としても卒業してから三年目、石の上にも三年という諺がありますが此に適するかどうか、三年目でようやく或程度の成果を挙げ得たので喜びを観じている処です。途中種々と挫折があったのですがどうにか乗り越えられ今日に至ったのは只々あらゆる環境に恵まれていたと申すほかありません。想えば種々多彩でしたが、中でも全日本高校の予選に優勝した時と、6月13日のコートに座って行なった反省会が強く頭の中に残って居ります。 優勝した後で応援のOBと一緒にスクラムを組んでエールをやった時は感激の極でした。 勝って良かったと現役の諸君はつくづくと思ったでしょう。バレーボールをやった甲斐があったと感じたでしょう。私もその一人です。けれども勝ったことより以上に私には勝つ迄の過程が大切であり、良かったのです。試合は平常の練習の結果を端的に表わすものです。日常の精進が大切であるとはっきり教えてくれたのがあの試合でした。皆で一つの目標に向って一生懸命誠意をこめた努力を続けて得るもの、そこにスポーツをやる意義あるのです。 6月13日の反省会は其迄のダラダラした気分を吹きとばす清涼剤でした。此はバレーボールを人間教育だと考えている人達が行なった現役の高慢心や、責任,情熱、誠実さのないこと、礼儀の点に対する反省でありました。この結果2週間後の予選に勝ったのです。 あの時の練習は充実感がありました。若者らしく力一杯目標にぶつかって行く生活でした。余り書きたくありませんが9月から国体に行く迄のフィナーレは良いとは申せませんでした。 学校もなんだか予備校化して来たし、人員は揃わなかったし、精神的にも堕落し、行きたくなくなったことが度々ありました。最善をつくさない者はスポーツをやる者として資格はないと思っています。今後みんなで気をつけて行って貰いたいことです。 三年生の諸君、君等は石の上に三年、何か得るものがあったでしょう。バレーボールを通して得た人間性、社会性は実社会に出ても役立つものです。 バレーボールから生きる為の信条を得、バレーボールでの経験を生きる為の尺度としてバレーボールを生活の心の、身体の、糧として今後の精進を望んでいる次第です。
「三 十 年 度 雑 感」
加藤 忠太 個人的には申し訳ないが30年度は県協会に理事、審判員として奉仕させてもらった。プレーヤーとは違った楽しみや味があって、バレーボールの深さを知った。かかる意味で諸兄の上部団体への奉仕を願うこと切である。とはいえ自分自身を此の方へ義務づけて、クラブの奉仕に欠けたる点、弁解の余地なく、今後の精進を誓ってお許しを乞う。 三年 加藤 淳子 「光陰は百代の過客」私の歩んだ高校時代は再び還えらない、船高のマークをつけて試合に出場することももう永久に望めはしない。私はバレー部の中間入りしたのは入学間もない五月だったが、あれからもう三年近くたってしまったのだから月日の流れの速さにただ驚嘆するのみである。入部以来を回想してみるに、思い出される一つ一つがついこの間のことであった様な氣がしてならない。炎天のもと汗とほこりにまみれてボールを追った合宿は最も思出深いものとして心に焼きついて居る。今考えてみると私が初めて経験した一年の夏の合宿がレギュラーとなってからの其れより何倍も苦しかった様に思われる。先輩達がReをやりAtをやり遠く飛ばしてしまったボールを真剣になって拾いに走りながら自分も早くあの様に技術が上達したいと思い自分の試合姿を夢みたものだった。 三年 小川 定雄 又例年通り年報を作るので原稿でも書かなければと思って居たが何しろ作文にがての筆不精ときているので何を書いていいのか分らないが下らない事でも書いてみよう。 宇佐見武男 昨年のOB北海道遠征その他の経験から試合迄一日半の余裕があればどうにか汽車の疲労はぬけると考えて居た。一日午前、夕方、二日午前出発と三つの案が出たが、部長が夜汽車では眠れないから其が後迄祟ると強く主張、第二案は捨てた。そうすると二日出発では一日しか練習出来ず駄目、一日出発では宿泊費が、とちょっと行悩んだが、どうにか寄附でまかなえるだろうということになり8月1日9時30分東京発急行阿蘇号と決った。此なら姫路着夜9時25分で試合迄まる二日、休養出来練習出来る。少々運が良すぎる位に感じられた。特に合宿に家庭の事情で常に参加出来なかった者も合宿的気分を味わえるしチームワークの強化にはもって来いだ ゲルのあるのはいいなあ! 予選一回戦奈良商工、まあさっきの調子なら闘えるだろう。夜、前夜祭が公会堂で催され、自衛隊のブラスバンドや歌謡曲等、”明日は早いぜ、オイ皆帰ろう”9時半頃引揚げて来る。床は前日と同じ。”サーウ゛が入ればネ””小川に実際的には負担をかけるけど、そのことは言わないで予選の市川高の時の様にやりましょう””蜂谷は大丈夫かい””大丈夫だろう”(二日目の練習で平川とぶつかり目の周りに内出血して居た) ”平川の使い方もちょっと考えなくちゃ” 予選は軽く通ったと故郷の先輩諸兄姉へ手紙を書く 部長は決勝トーナメントの抽籤、地元紙等新聞の予想では福岡伝習館が優勝候補続いて岡山東、広島崇徳、地元琴ケ丘となっていたが、“どうせ当るなら強い処がいいですね”と冗談を言って送り出す。部長帰舎少々興奮の面持だった。”決勝トーナメント一回戦対伝習館”と発表されるや一瞬ちょっとザワつきしんとなった。その夜悲壮な出陣の酒盛じゃない菓子盛を開く、余りにも萎縮したので部長発案にて、 二年 阿部娃津子 10月8日私達女子チームは新メンバーで、関東女子綜合大会に出場した。その日は運動会の前日であった為、学校側も非常に忙しい日だったが、午前中の授業を終えて、お茶の水女子大学へ出発した。大会の開会式は12時半だったが、私達の試合時間までには相当待った。それに船高チームの相手である東京クラブはとは実業団のクラブであり、舞台なれしているので、私達にとっては恐怖感で一杯だった。案の定、第1セット目は21ー6で問題にはならなかった。第2セット目はもう半分はあきらめていた。その時、部員の意外なファイトと、先輩の『船高ファイト』と云う熱の声援、私はあの時程、応援の声の力強く聞いた事がない。果たして第2セットは21ー18という惜敗だった。全力をつくして全くこんなに後味の良い試合はなかったというのが私達全員の心境である。負けて原因は練習不足と技術の未熟、それに試合なれが出来ていなかったと思うが、新メンバーでこれ程力を出せた事はうれしい。又先輩の熱心な御指導をありがたく思う。次の試合への希望に大気を胸一杯に吸い入れた思いだった。 一年 竹内エミ子 ”作文を書いてくれないか”と頼まれて時、私ははたと困った、全く作文には自信がなかったからだ。然し”書きます”と答えた以上、素直に合宿について感じ思ったことを書いてみよう。8月7日から15日迄の合宿は私にとって非常に長く感じられた。私は一人で一週間も家と別れたことがなかったのと一年生は唯一人という心細さからなお一層家への愛着がはなはだしかったに違いないと思う。生まれて初めて合宿というものに参加して私は多くの事を学んだ。まず団体生活の難しさ、この中で私はまだまだ弱い人間であることを意識させられた。然しこんなことばかりではない。団体生活でなかったらこんなに楽しい味わいもなかったであろうという様な事もなかった訳ではない。たとえば皆で揃って食べた食事、此は又格別おいしいものであった。練習でも朝起きた時にする練習はとてもすがすがしく気持が晴々する。其にひきかえ昼間カンカン照りつける中で練習は辛かった。そしてヤカンのフタに一杯の水は此又辛かった。然し此ら全部が合宿というものであることを悟った。私はこうした合宿の中から考えることがしばしばあった。”何故私は今辛い想いをしなければならないのか、夏休だもの家でノンビリ昼寝でもして居れば良いのに皆の様に”と。然し其の度に私は或登山家の言葉を想出すのが常であった。或人がエベレストを征服した登山家に尋ねた。”何故貴方はそんなに苦労して山に登ろうとするのですか”、するとその登山家は”其は山があるからだ”と答えたという。私はこの言葉が大好きだ、此は勉強にも運動にも通じて居る処があるからである。私は此の合宿で果たして上達したのかどうか疑問であるが、15日最後の朝、私は家に帰れる喜びと、此の一週間決して無駄には過さなかった喜びとで満足しながら校門を出て家路を急いだ。 三年 石橋孝子 星の降る様な夜であった。突然、床の割れる様なもの凄い音がしたかと思うと何者かが床を這って居た処であった(そうだ). いつもの寝坊助も眼を覚まし一斉に笑いこけていた、その笑によって何者かが我に返っての話によると寝返りをうったそうな。蒲団が机の端に折り曲って下っており、まだ場所はあるだろうと思い用心しながら寝返りした(なんて寝てしまえば泥棒が入ったって知らないくせに)。落ちたらいけないと思い寝る前にはいつもきちんと椅子を並べておくのだがその椅子もとんでしまう仕末、そうかといって別にどこをうったという所もなく(やはりバレーで鍛えた体だけあって)なんとなく変な気持がしてならなかった。その日一日は誰の顔を見てもニヤニヤして居て恥かしかった。此が女子合宿始まって以来のことだという。解散してから家の人にその話を告げたら、なんとまあ言うことがにくらしい”落ちた時の音が家迄聞えた”だって。此から合宿する女子の皆さん私と同じ様に犠牲的精神をもって端に寝なければならなくなったら特に気をつけて余り恥かしい又こっけいな想い出を作らない方がいいです。 近藤弘男 春夏の合宿に参加し、その後のチームの状況をみていて感じとったことを述べてみます 金子一雄 ○その1 ラインズマン2人の判定が違って居ても気付かずに或は気付かぬ様な顔をして判定してしまう審判が多いですね、その1の様な場合にしてもこういう場合にしてもプレーヤーに黙ってやることことを要求するばかりでなく審判員も其相応の誠意をみせてくれねば困ります。 参加申込の遅れたチームの取扱いについて。 今年は2回ありました。まず、春か夏か忘れましたが某チームが確かに電話で申込んだと言って大会当日現われ申込んだ。受付けない、の争いの末、他チーム全部にはかり結局入れてもらいました。次に国体予選教員の部で某チームの申込が一日遅れた為やはり当日もめて、結局,他チーム(二つしかない)にはかる余地なし、会場に居合せた理事の協議で決めるということになり、参加は許されませんでした。此に対し当該チームから此の前は云々と申出た処、此の前は此の前、今度は今度だという様な答えだったそうです。同じケース、はた目に見ればむしろ申込んだ証拠の残っている後者の方が------と思うのにどうしてこう処置が違うのでしょうか、さては前者は協会役員に関係者が多い加減かな?などと無いこと迄勘ぐられる因となります。但し申込を電話でしたり、遅れてしたりってのは勿論悪いことです。ここでは処置の仕方を問題にしているのです。 生徒会体育委員会と部の協力で行なった。ニ,三のルームを欠いた他の全クラスが出場非常な盛況裡に終り、大会前一,二週間は ”ボール貸して下さい”という声が部室前に盛んに聞え、休時間ともなれば校庭到る処で円陣パスがみられた。試合には男女共力一杯活動し、最終日は職員との試合には珍プレーに笑ったり拍手したり、6月中旬の大空の下、船高バレーコートに青春を謳歌した。 (石 橋マ) ○高校男子 (金 子) ○中学、高校男子 (金 子) 本年度及び我々のスコアブックに於て特別に用いている記号は次の通り (金 子) ○加藤忠太氏 富士紡績小山工場(静岡県)に転勤、同工場のチームの面倒をみるそうです。 以上1月末現在 公式大会中現在迄に判明したものは次の通り、但し関係分及び観戦可能分 金子一雄 何のかのと言い乍ら四度び編集を受けもたせて頂きました。今度は県協会の鈴木理事長の御寄稿を巻頭に掲げることが出来、眞に嬉しく思って居ります。然し若干の卒業生、現役からの文が相変らず少いのは残念です。特にOGの方はどうしてこう引込思案なんでしょうか。 そして初めてOGチームの記事がのることも期待しています。 2月11日 |
編集者 金 子 一 雄 発行者 千葉県立船橋高等学校 バレーボール部 船 橋 高 校 ク ラ ブ 印刷者 船橋市本町4の1800 佐 々 木 忠 市 |