この表紙は年報原本のコピーです
年報表紙4





目 次


船橋高校クラブに贈るーーーーーーーーーーーーーーーーー鈴木 政男
新しい年を迎えてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー近藤 弘男
吾々の考えねばならぬことーーーーーーーーーーーーーーー田中 宗男
昭和31年度の抱負 その1ーーーーーーーーーーーーーー平川 孝男
           その2ーーーーーーーーーーーーーー阿部娃津子
           その3ーーーーーーーーーーーーーー石橋 雅史
           その4ーーーーーーーーーーーーーー野瀬 和子
此の地を去るに當ってーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 忠太
決 算 報 告ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昭和30年度活動状況ーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄
   姫路と藤沢へ(高校男子)ーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男
   又もブロック予選で敗る(高校女子)ーーーーーーーー野瀬 和子
   王座ゆらぐ(クラブ)ーーーーーーーーーーーーーーー小笠原、金子
合 宿 練 習ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コーチ1年 その1ーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄
       その2ーーーーーーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男
30年度雑感ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 忠太
部生活を回顧してーーーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 淳子
夏の全国大会からーーーーーーーーーーーーーーーーーーー小川 定雄
姫路遠征同行記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男
関東綜合に出場してーーーーーーーーーーーーーーーーーー阿部娃津子
初めて合宿に参加してーーーーーーーーーーーーーーーーー竹内エミ子
或夜の出来ごとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー石橋 孝子
合宿後感ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー近藤 弘男
言いたい放題ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄
校内対抗ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(石橋マ)
何回試合したかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)ー
上位に出たのはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)ー
数字は語るーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(金子)ー
お し ら せーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昭和31年度日程ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
編 集 後 記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄


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「船橋高校クラブに贈る」

県協会理事長 鈴木政男

 昨年の末でしたか船橋高校クラブより年報に載せるため何か書いて呉れる様に依頼され乍ら病気になり遂に約束を果さず又一年が経ってしまいました。私も年を取った故か近頃月日のの経つのが非常に早く感ぜられます。
 さて、協会が設立され既に十才になんなんとして居ります。當時師範学校の教官だった山口信一氏(現館山高校長、バレーボール協会顧問)が中心になりまして協会設立と言う運びとなり記憶では初年度6チーム位だったと思いますがとに角此処に同好者の集まりが出来上がり沼田眞氏(現千葉大助教授理学博士、バレーボール協会顧問)が理事長に就任して本格的に組織を整えました。チーム数も指を屈す程でしたが貴チームの母体である船橋高校もその一指に加わって居り當時の体育教官近藤正三氏(現船橋市教育委員会指導主事)が理事の一員として参加しその基礎を作られた人であると思います。言う迄もなく當時のバレーマンが相寄り現船橋高校クラブを作ったのでしょうが、千葉県の協会の発足と共に既にその生命が芽ばえて居ったと言ってよいでしょう。
 社会体育は種々の考え方、見方もありましょうが、何と言っても職業の合間に健全なスポーツを生活の伴侶として、心身の修練とよき社会的性格を身につけ社会へ貢献すべく同好の士が集って行う所に意義がある様に思います。
 又クラブチームは出身校を同じくするとか、地域社会同士であるところに一層意義深いものがあり次々と若い後輩の参加を見て先輩後輩の繋り、言わず語らずの間に人間完成の道を進んで行って居ります。然し之はただ放っておいて出来ることではありません。必ず整備された組織と之をリードする人の問題が伴わないとうまく行かないでしょう。永い年月の間には残念乍ら新しく誕生したチームが二、三年にして消えて行くものもあります。其の点貴チームの強固な団結と若さには敬服致して居ります。協会はここ数年来バレーボールの普及を目指して努力して来ました。現在120数チームを数えるに至りましたが一般社会人チームの増加はまだまだですし殊に女子に至っては誠に寒心に堪えないものがあります。勿論之は登録チームでありこの外多数のチームのあることは心強い次第ですがバレーボールの性格とスポーツ興隆の波に乗ったのであり、全面的に努力の結果でないことを考え決して満足するものではありません。
 御互同好の士を一人でも多くすることを希望しよりよき社会を創ることを目的として居ります。その点貴チームの普段の努力と其の功績については敬意を表する次第です。
 協会発足と共に生命の発生を同じくした貴チームが今後共常に若々しく溌溂とよりよき発展を遂げられます様御祈り致します。

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「新しい年を迎えて」

主将 近藤弘男 

 昨シーズンは四つの県大会にことごとく決勝にて順天堂大に敗れてしまい、其れが回がふえるに従って益々手の施し様がない敗れ方で彼我の実力差が如実に表われた戦績を残しました。いつの年でも出場メンバーでの練習が少いことは云えるのですが昨年は余りひどかった様に思われます。一昨年国体に出場した時などは同一メンバーでかなり練習が出来た筈です。此れが昨年の大きな敗因と考えられます。
 今年は二チーム出場できる人数となりましたし、第一線メンバーを確定して練習して行こうと考えます。そしてチームのフォーメーションを一定のものにして同じメンバーの練習を数多くもつ様にしたいと思います。
 個人技がすぐれていてもチームの中に生かされねばやはりチーム力の向上はみられません。幾分でも一定のフォーメーションで試合出来る様に又、フォーメーションに全員が慣れる様に努力しましょう。
 女子チームもそろそろ出来る時期と思われます。又チームとして大会に出場はしなくても何か実形のある活動が期待出来ると思います。今年を船高クラブの一歩前進の年として大いに張切ってやりましょう。

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☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 
「吾々の考えねばならぬこと」

部長 田中宗男 

 年に一回の情報を発行する年報も第四才を重ねるに至った。お互いに喜びとする処である。私が船高に来て五ヶ年になろうとしているが、この間に現役から全日本高校に二回及び国民体育大会に一回出場しているがその様子内容は既に周知の処である。
 吾々は一応のスポーツマンとされていて、その筋の決めている大会に出場し、日頃の力を発表し或は勝った、負けたを決しているが、時には喜び、時には悲しみ、人生に広い尊い経験を残している。
 吾々はかような尊い経験を年々積み重ねているが、個人的にそれらがスポーツの場所だけでなく吾々の住んでいる場、即ち社会、に現われているであろうか。
 こういう考えをすることも船高バレー部の発展に大きなプラスになるであろう。私はここ二,三年の例を挙げて考えの資料とすることにした。此は海外情報から得たもので、イギリス学生スポーツの根本を流れている精神である。

1.英国ではスポーツマンシップなる語を読むことも聞くことも出来ない。其れは英国人は幼少の頃から何か悪いこと、即ちフェアでないことをするとその親或は教師から
 "君のしたことはスポーテイングではない”と叱られる。又子供の兄弟喧嘩で兄が弟を殴ったりすると "当然勝つ様な弟を殴ることはスポーテイングではない”と叱られる訳で、この様に無意識の内にフェアでないことは総て "ノットスポーテイング”であると培われ育てられるので特別にスポーツマンシップという様な用語はその必要がないのである。
2.勝敗に対する考え方
 何か機会があり、そこに當然勝敗が結果づけられるのであるが勝者も敗者も甚だしくエキサイトはしないので、少くとも其れを表面に出す様なことをしないで、共にニコニコしている場合が多い。人間性として勝利を喜ばない者はない筈であるが要は考え方の程度に差があるわけで、此の様な”相手が私より強かった、弱かった”ということは余りにもアタリマエすぎて問題ではない様であるが、よく考えてみると、このありふれたアタリマエのことが実に英国人らしい深い意義をもっているのである。彼等の考え方はゲームというものは自己の能力を試す場であり、如何にして自己の能力を最大限に発揮することが出来るかということがその第一義であり、その最大限に発揮された互いの能力の結果の判定、即ち”勝った””負けた”ということは第二義となるのである。従ってゲーム後の彼等の心境としては日本人の其れとは大部差があり、勝敗よりも持てる能力をフルに発揮することが出来たか否かが反省の的となるわけである。
3.オックスフォード対ケンブリッジのラグビー戦を観て東京学芸大の川村氏は次の様に言っている。-------同スコアでゲームは後半も半ばを過ぎ、愈々エキサイトした時、混戦の中でオックスフォードの一選手ががボールを蹴ろうとしてケンブリッジの選手を強く蹴とばしてしまった。此の時蹴った方が”スマン”と一言してプレーを続行、蹴られた方は蹴った方を振り向きもしないでビッコをひき乍らも全然プレーをストップしないばかりか、痛さをこらえてのプレーは全く悲壮なものであったが、遂にタイムアップのホイッスル迄一度も蹴った者を振り向かず問題にもしていない様であった-----と。
 この場面で日本ならチクショウ、この野郎或はキタナイゾとか、その様な言葉は言わないまでも怒気満面になるのが普通の様である。

 私は二,三の例を挙げたわけだが船高のバレー部員に流れる精神面はどうであろうか、
私は愛するクラブ員が現実的に、より成長して貰いたい。ということは勝負に対する考え方と何か寛容さとでも言おうか、そう言ったものについて考えて貰いものである。
 時にシーズン中にかような面の指導迄は行っていない為よろしく反省し,銘記して船高バレー部に流れる精神として貰いたいと思う。
 現役が全日本大会と国体に参加した年に当って !!

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「昭和31年度の抱負」

◯其の1
                 
主将 平川孝男
 抱負と云っても我々が現在希望していることは語ってみれば限りないことであろう。此らの中でも我々はまず最初に母校に対して多くのプラスを与えることの出来たこの名誉ある船高バレー部の精神にのっとってより一層向上させて行くと言うことを誓わねばならぬであろう。
 目標といえばもとより、全日本高校選手権と国体の県予選に優勝することは勿論、両大会に於て好成績を残すということを目指し部員全体が監督を中心に一致団結して練習することである。此の時に当って3年生が8人出られるということは我々にとって非常に残念なことであるが残ったものを如何にうまく動かして行くかが重要である。
 実際、現在シートに残されたのはFR平川、BR石橋、補欠だった一年の立石、秋山と試合経験のあるのは4人、他に二年1名、一年4名である。この様に二年が少いことがまず我々の弱点といえるであろう。
 其れではこの辺で練習の概略の計画について、又部の生活方針といった様なものについてザックバランに述べてみよう。
 まず練習面では、日頃の練習に重点をおき、少い練習をも効果のあるものにする様努力したい。然し、寒さが厳しくボールの掴めない期間には一年生即ち新入部者に対しては身体をより一層育成させる為にマラソン又はウサギ跳びといった様なもの、At陣に対してはジャンプ力の強化、Re陣に対してはフットワーク、其れから体の屈伸といった様にいわば柔軟体操的な運動を多くしようと思っている。
 合宿練習は例年通り三、八月の2回、合宿の目標はまず、S入率を例年より多くしスピードにこだわらず入れることを第一条件とし6〜7割を望んでいる。又、練習試合を多く行い特に今年の様に経験の少いチームはより多くの試合で試合度胸を身につけて行きたいと思っている。
 次に部に生活方針を極く簡単に書くと、第一にチームワーク、第二に礼儀作法、第三には部室を清潔にするというように大別される。
 第一のチームワークの育成は現在の我々にとって最も重要なことであって部員一同が何か一つの個体の固りとなって協力して行くことである。
 第二の礼儀作法については特に先生に、先輩に、上級生にといずれに於ても部員全体が常に心がけて居るべきことである。
 第三の部室を清潔にするということに於ては個人個人が常に規則を守り我々の部室であるということを自覚して貰いたい。
 さて、これらの最も目標とされる部分を箇条書きにして見ると
 1.S入率を例年より向上させること。
 2.チームワークの育成に主眼をおき
 3.出来るだけファイトのあるチームの作成に専念する。
 尚、現在の9名の位置は今後の練習で決める。新一年の入部を多く希望し、今年度も最善をつくして頑張りたいと思う熱意はやまない。

ーーー○ーーー○ーーー○ーーー○ーーー○ーーー

 

◯其の2
             
主将 阿部娃津子
 毎年、今年こそはと気合を入れますがその結果が実現されないことが多々有ります。今度も今年こそはと気合を入れている所です。何としても旧三年生を6名も送り出さねばならず心細く感ぜられます。然し新三年生5名と新二年7名で人数はまあまあという所です
。練習の計画としては、冬の間にFは金井を中心として位置の違いは考えずToとシングルTを主に、HはHC竹内とHR阿部のReとHL三木のKを出来る様にし、Bは野瀬を中心に5名の差をなくす様Reを強化し,又、全般にはS入率をよくし、個人技を充実して春の大会に備えたいと思います。其れに試合に慣れる為に練習試合をを重ねたいものです。
 合宿練習は例年通り三月下旬と八月上旬に行い深い技術をしっかりと身につけ、その機会にファイトを高めたいと思います。
 第一の目標は”勝つ”ということ------此れは毎年同じことですが、此れを部員の念願として監督を中心に全日本に又あわよくば国体にも出場したいものです。
 勝つ為にはファイトのある粘り強いチームを作り上げ、部員の団結をよく堅くしなければならないと思います。
 毎年同じ様にもつこの希望を今年こそは実現したいと思っています。

○     ○     ○     ○
                      

 

◯其の3
                  
マネージャー 石橋雅史
 まず昨年の成績及び先輩の残した伝統をまもり、今年も諸全国大会の出場権を獲得すべく最善の力をもって試合に臨みたい。それにはまず練習であるが現在部員が少数の為思う様に練習が出来ない感がある。従って、毎年の言であるが、新部員の確保に力を入れ来年の為にも備えたいと思う。現在の部員も新二年が大部分であるから今年は基本に重点をおいて技術よりも力のチームにしたい。
 終りに先生初め先輩各位の御指導と御鞭撻をお願い致します。

○     ○     ○     ○

 

◯その4
                  
マネージャー 野瀬和子
 今年度の抱負は?といわれた時 誰もが”来年こそは勝ちたい”と答えるであろう。
 それには来年度はどのような事を把握したら良いか考えて見た。
1、チームワーク
 女子は一般に些細なことにチームワークをこわすおそれがあるので一番重要視すべきであると思う。
2、自分達のチームに自信を持つ
 チームに自信を持つには個人個人がいかに努力するかで決定づけられる。三月中までにはフットワーク、パスサーブは一応マスターし、4月からは綜合的なコンビを良くする。又練習試合はなるべく多く試合馴れしておいた方がよ良いと思う。
3、合宿について改善すべき点
 今迄の合宿を振り返って見ると先輩の方達は合宿に来る時寄附(お菓子又はお金)を持って来てくださいますが私達は何ももって来なくとも良いですからたくさんの先輩の方達が来てくださいまして指導してくれ、又、休憩時間には経験談でもしてくれればと思っております。そうすれば親睦会などしなくても自然に親睦がはかれ合理的だと思います。
4、部室をきれいに
 勝利というものは自分達の身の廻りの些細な事からも生まれると思います。

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「この地を去るに当って思う」

前会長 加藤忠太 

 30年度の活動には華々しいものはなかった。計画をたてるに当っては、全面的にみて平均水準に達していると(29年度を裏付に)判断し、内容の充実を図り発展の基礎とすべきを感じた。
 即ち、現役クラブを通じて綜合的見地よりまず現役とクラブの関係を整え、ついでクラブの組織充実と計画活動への移行を図った。年度末に至り漸く念願の2チーム制の実現をみた。
 31年度の活動は県体育館開き招待試合に始められた。総会も二月下旬に開かれる。
 本年度の活動はクラブの基本方針である内部充実を中心に展開されると信ずるが単一チームから2チーム制をとることにより新分野の開かれる記念すべき年である。又女子のチーム組織と活動へ拍車をかけねばなるまい。更にバレーをよりよく楽しむ為に県協会への支援と奉仕を惜しんではならない。
 こういった活動を裏付としてOB、OG同士密接な連絡と交流を保ち、物心両面の後援と鞭撻とを自発的に仰げる様留意することも大切である。望むことが多々あるが要は実行である。去る者は日々に疎しのたとえはあるが船高バレー部OB,OG諸賢には、クラブのささやかな変化に対し大いなる関心を寄せられる様特に願う次第です。

 さて、此の度、勤務の都合によりクラブ諸兄姉と別離を余儀なくされましたので、ここに紙上をかりて御挨拶申上げます。
 多難乍らも良き戦績を残した池田会長の後をうけ、よりよき発展の為に、と皆様の意に反することも敢えて致し、而も想い半ばにしクラブを去ることは眞に残念の極みですが致し方なく皆様の御了承を願う次第です。幸い職務もバレーを半ばに出来ますこととてクラブに於ける経験を充分に活かして今日迄に御協力と御援助に酬いたいと存じます。今後共御指導御鞭撻御交誼の程切にお願い申し上げ、皆様の御多幸とクラブの発展を祈りつつ、御挨拶にかえます。
 「バレーをば興せ命受く日短か」

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「決 算 報 告」

 

昭和30年度高校男女  (12月末現在)

◯収 入 の 部
 生徒会費
 生徒会臨時費
 寄 附(除合宿)
 国体県費
 部員徴収
 雑収入
 繰越金




◯差引不足金

144,232円
44,560円
58,372円
17,800円
12,300円
9,680円
600円
920円




3,145円













☆☆☆

◯支 出 の 部
 関東大会関係
 全日本大会関係
 国体関係
 ボール費
 ネット及備品費
 ユニフォーム等
 交通費
 通信費
 年報及雑誌
 バッジ50個分
 消耗品費その他

147,377円
1,950円
55,633円
18,540円
28,865円
15,414円
5,600円
7,460円
870円
784円
5,000円
9,261円



 *ボール単価    約1,700円

[生徒会臨時費及び寄附内訳]
○関東大会
 生徒会臨時費 4,000円、 同窓会 3,000円、OB湯浅直治殿 500円
○全日本大会
 生徒会臨時費 48,132円、 同窓会 3,000円、 富士運動具店殿 3,000円、  船高クラブ 3,000円、 浅見先生 1,000円、 OB池田清殿 1,000円、
○国民体育大会
 生徒会臨時費 6,240円、 同窓会 3,000円、 OB山賀繁夫殿 300円

(蜂谷)

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昭和30年度クラブ  (1月15日現在)

◯収 入 の 部
 基本会費
 特別会費
 寄 附
 未収入金
 繰越金
 その他
 



39,308円
2,350円
10,400円
2,000円
2,600円
19,513円
2,445円








☆☆☆

◯支 出 の 部
 ボール代
 登録参加費
 交通通信費
 年報雑誌費
 その他
 
◯差引残高

15,842円
500円
4,140円
2,684
5,000円
3,518円

23,466円

(伊藤)

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「昭和30年度 活 動 状 況」

 高校男子については現役に書いて貰うことが出来ず、宇佐見コーチの日記から書き写しました。毎年現役男子は非協力的で困って居ります。公式大会のスコア集計中、MとはM1.2.3のことです。M1、M2、M3の内容は昨年度迄と少々かえましたので、”数字は語る”を御参照下さい。       

(金子)

= = △ = = △ = = △ = = △ = = △ = =
 

 姫路と藤沢へ(高校男子)

 卒業はHC、HRの2名だけ、残る3年生は8名と、人員的には最も恵まれた年であっただけに又、今年勝たねば当分は,という気持が皆の心にあったのであろう、進歩も速かったし相当の成果を挙げることが出来た。
 前年にひき続いてOB宇佐見をコーチとして迎え、冬の内からチームの型が出来て居たことも強味であったが何といっても安定感の出て来たのは夏頃、F線が充実して来てからで、其迄はReこそよかったがHL小川一人の調子に左右されるチームだったといえよう。
 船高の攻撃陣は古くから定評があるが、今年はむしろReの良さとSによって勝利を得た様に感ぜられる。然し県下高校界では圧倒的優勢を示して両全国大会に参加したが県外チームとの対戦ではいづれも持てる力を充分に発揮出来なかったことは大いに反省すべきである。今度は8名卒業するが精神面で技術の低下を補って行こう。
 尚、順天大と試合過多で、ダレてしまい、只点をつけながらやっているというに過ぎなくなって真剣味が見られなかったのはいけない。
 3月26〜4月3日 合宿
○3月27日
 OB 2(21ー14、21ー18)0 現役  現役 2(21ー17、21ー19)0 OB
○3月28日
 OB 2(21ー16、22ー20)0 現役
 OB 1(21ー19、20ー22)1 現役
○4月2日
 OB 2(9ー21、21ー12、21ー16)1 現役
 現役 2(21ー16、21ー19)0 OB
上旬 修学旅行
○4月16日 講堂
 順天大 2(14ー21、21ー10、21ー19)1 船高
 船高 2(16ー21、23ー21、22ー20)1 順天大
○4月21日 於国府台
 船高 2(21ー8、19ー21、21ー13)1 国府台高
 船高 2(21ー16、21ー14)0 国府台高
  2試合でS 11、-S SS 4 入率0.33
○4月29日 於船高
 船高 2(21ー14、21ー18)0 成田高 
 成田高 2(21ー17、21ー19)0 船高
○4月30日 於地理調査所
 地理調査所 2(21ー8、21ー19)0 船高
 千葉工大 2(21ー11、11ー21、21ー15)1 船高
  #、コート共一般用で 方々のチームの練習試合の情報を綜合すると、安房、市川、長生、東葛、佐倉が強い様に思える。
○5月3日 於船高
 OB 2(21ー19、21ー19)0 船高
 千葉商 2(12ー21、23ー21、21ー10)1 船高
    S 10、-S 7、SS 2、入率0.44

◎5月7日 県高校選手権兼全日本、関東予選 於四街道   参加33
 船高 2(21-ー5、21ー7)0 佐倉一高八生分校
    S 4、-S 0、SS 2、入率0.35
 船高 2(21ー12、21ー11)0 茂原農高
    S 5、-S 0、SS 1、入率0.47
 準々決勝
 船高 2(21ー7、21ー8)0 野田実業
    S 3、-S 0、SS 2、入率0.35

 

2.FR
平川

6.FC
蜂谷

4.FL
海老沢

8.HR
穐本

3.HC
佐藤

5.HL
小川

9.BR
飽田

同左
石橋

1.BC
纐纈

7.BL
金子

6

7

17

0

0

14

0

0

0

0

S

1

6

2

0

0

0

0

0

2

1

S

0

0

0

0

0

0

0

0

0

0

SS.M

4

10

9

7

3

9

0

0

1

1

 組み合せの楽なゾーンで易々とベスト4に残った。関東大会出場権を得、市川、松戸、千商と6月末に一位を決めることとなった。両大会を目指しF陣に重点をおいて練習したが余り進歩が見られない。
○6月4日 於都三商
 都三商 2(21ー8、21ー13)0 船高
 船高 2(21ー13、21ー19)0 墨田川高
 船高 2(21ー5、21ー15)0 小松川高
  第一試合速攻にしてやられた。
 6月7日此より四週間順大のBC原、HL山口両氏教生のため来校随時指導して頂くこととする。
○6月8日
 船高 2(21ー13、21ー11)0 コーチ団OB混成
 船高 2(21ー12、21ー16)0 コーチ団OB混成

◎6月11日 関東高校選手権 於小石川グランド
 船高 2(21ー8、21ー10)0 武蔵高
     S 11、-S 0、SS 2、入率0.76
 藤沢高 2(21ー18、21ー1)0 船高
     S 4、-S 5、SS 3、入率0.41
 対藤沢1セットは小川Kよく、Sはやや入らなかったがよく迫った。最後にMあり惜しくもとられたがこの調子なら、2、3と追いこめると思われた。然し2セットは全然気勢揚らずFRシングルTを始めとするF攻にStだ全然出られず(単なる形容でなく本当に全然出て居なかった。)SSによる1点をもらっただけで敗退した。此の2セットの試合ぶりは投げたようで見ている者は不愉快極りなかった。藤沢は翌日優勝したが此の日は調子が悪く充分喰えたと思う。県代表他チームを充分観察、自信つく。
○6月13日 練習中ボールがブカブカなことを注意され乍ら誰も空気を入れようとしなかった。練習は30分程皆が揃う迄でやめて関東大会の反省会、前日OBが集って相談の結果、対藤沢の試合態度のみならず平生の練習態度、B出のコーチに対するF陣の態度に不届きなものが多い故反省を求めようということになり、此の日は反省会というよりもOBのお説教。コートに正座しての説教など船高始って以来のことだが、1点で敗けたというのも有史以来である。
○6月14日 於船高
 順天大 2(21ー16、21ー16)0 船高、 
 順天大 2(21ー14、21ー10)0 船高
 この日より24日迄特にF陣重点の練習をすることとし、OB金子が男子の練習を見ることにして宇佐見は金子と交代して女子コーチ。
○6月19日 於講堂
 OB 2(21ー19、7ー21、22ー20)1 現役  
 現役 2(26ー24、28ー26)0 OB
 此の週に入ってFの練習と乱打ばかり、OBよく集る。

◎6月25日 全日本高校県予選 於四街道
 船高 2(21ー10、21ー8)0 松戸高
    S 3、-S 3、SS 2、入率0.33
決 勝
 船高 2(21ー9、17ー21、21ー13)1 市川高
    S 5、-S 5、SS 1、入率0.43
 

3.FR
平川

5.FC
蜂谷

2.FL
海老沢

6.HR
穐本

1.HC
佐藤

4.HL
小川

8.BR
金子

9.BC
纐纈

7.BL
飽田

2

7

18

0

0

11

0

0

0

S

1

10

1

0

1

3

0

2

0

0

0

0

1

0

2

1

1

1

SS,M

4

4

4

3

2

14

0

1

3

 リーグ戦を希望したが、3ー7で否決。第一戦、凡戦だがStよくFLを完封。決勝、FLをマーク3人跳んだ。風があったのでF陣主力としたが相手FはF攻に慣れていないらしく効果があった。F陣の差。2セット12ー6、16ー10からとられたのは、時間差を使えなかった為もある。F強化策の奏功は嬉しかった。


○7月11日 練習再開迄試験休
○7月16日 
 船高 2(21ー18、19ー21、25ー23)1 順天大
 順天大 2(26ー24、28ー26)0 船高
○7月17日
 OB 2(24ー22、27ー17)0 現役  
 現役 2(21ー19、21ー23、21ー19)1 OB
 順天大 2(21ー16、21ー12)0 船高
○7月19日
 順天大 2(21ー7、21ー12)0 船高
 順天大 3(21ー19、21ー10、21ー13)0 船高
 7月  日----    日
 8月1日 東京発 姫路泊
◎8月4日 第8回全日本高校選手権 於姫路
 予選トーナメント
 船高 2(21ー10、21ー15)0 奈良商工
        S 3、-S 0、SS 1、入率0.52 To、At悪し、Re健闘
○8月5日
 決勝トーナメント  1回戦不戦勝
 伝習館(福岡) 2(21ー14、21ー19)0 船高
         S 3、-S 2、SS 1、入率0.55
 

2.FR
平川

9.FC
蜂谷

4.FL
海老沢

7.HR
穐本

1.HC
佐藤

5.HL
小川

6.BR
金子

同左
石橋

3.BC
纐纈

8.BL
飽田

5

9

12

0

0

6

0

0

0

0

S

1

2

0

0

0

1

0

0

2

0

S

0

0

0

0

1

0

0

0

0

1

SS.M

4

4

7

2

3

6

3

0

4

1

VB誌評----船橋滑り出しは7ー2とよかったが伝習着々と挽回し、オールラウンドに廻 し押しきった。船橋、HL、FLのAtは相当威力をもっていたがtoが悪くて使い切れず、 特に2セットは元気のない伝習に打勝つ可能性もあった様に思う。伝習FLのAtは高位 置の為StにかからずReが上げ得なかったのが敗因。ReはStに頼っていた感がある。


○8月16日練習再開迄休
 遅刻、欠席多くOBの方が熱心な位
○8月21日 ブロック予選、推薦の為女子応援

◎8月28日 国体予選 於四街道 参加12
 船高 2(21ー19、21ー15)0 安房一高
   S 3、-S 4、SS 2、入率0.46  St悪く苦戦
 船高 2(21ー10、21ー13)0 国府台高    S 5、-S 2、SS 2、入率0.41、HL完封、クイックでやられる。
[決 勝]
 船高 2(21ー17、21ー5)0 東葛高
   S 3、-S 4、SS 0、入率0.58、凡戦、東葛元気なし
 

2.FR
平川

9.FC
蜂谷

4.FL
海老沢

7.HR
穐本

1.HC
佐藤

5.HL
小川

6.BR
金子

3.BC
纐纈

8.BL
石橋

同左
立石

12

7

24

0

0

29

0

0

0

0

S

1

1

2

3

1

0

0

3

0

0

S

0

0

0

3

1

0

2

4

0

1

SS.M

7

11

9

2

5

4

0

0

0

0

 準決勝は東葛ブロック4チーム(推薦2)となり、市川はHL故障で敗退した。3試合共凡戦でS入らず相手はいづれもSよくは入り苦戦した。Fの無気力に対しHL小川好調、とにかく元気なし、9月に入って宇佐見リーグ戦の為余り練習をみなかった処、欠席も多くダラケてしまう。


○10月20日〜27日、練習したかったが部長の厳命により試験終るまで休
○10月22日 市の壮行会、県結団式
○10月28日 於順大
 順天大 2(21ー11、21ー12)0 船高

◎10月31日 第10回国体 於藤沢市 県営コート
 鹿児島商高 2(21ー12、21ー13)0 船高

VB誌評----初、両軍固くなり凡戦、船高Re悪くS入らず、鹿児島のS確実に点を稼ぎHLのK決り問題なく勝つ 2セット船高も調子出て一時リードしたが後半鹿児島の試合運びよく押切る------。

 
 練習を暫く休んだとはいえこの三日はやって居たのであるから調子が出ないとはいえない。闘志のたかまりが感ぜられなかった。
○11月23日 OBと合同ハイキング 3名参加
○11月26日
 1.2年 2(------ ------ 22ー20)1 OB.3年
 一年5名、二年3名にて冬の練習に入る全員身長が低く、一人残ったFR平川むしろReにしたい程度であるが新一年をあてにすることはできないので今年はそう云った面で苦しくなるであろう。
 新主将 平川孝男、新マネージャー 石橋雅史、11月に引つぐ。宇佐見3月迄で辞任
(宇佐見、金子、集計石橋)
===============================

「又もブロック予選で敗る」(高校女子)

 三名の卒業生を出したが冬の内は湯浅(男HR)が専任でコーチをしてくれ少人数乍らしっかりした練習が出来、春からはOB金子を監督兼コーチに迎え、金子等の攻撃力に又HC石橋主将を中心とするRe陣に相当の進歩が見られ、周囲の期待の最も大きかった年といえよう。然し春三回戦、秋はブロックの一回戦と結局竜頭蛇尾に終ってしまった。只有能な一年生を多数得たことは来年度に向って心強い。


○3月23〜28日 合宿
○4月2日 於昭和体育館
 昭和学院 2(21ー14、21ー11)0 船高
      S 1、-S 4、SS 9  入率0.28
 昭和学院 1(21ー17、19ー21)1 船高
      S 9、-S 5、SS 2  入率0.31
 初めての試合で固くなったせいかS入らず、体育館不馴れの故もあって先取された。最終セットはSも入り出しFC春田のシングルTがよく決った。先方の都合でここ迄とする。SSが多かったので船高へ戻って一人百本入る迄2cdSをうった。上旬三年生旅行の為、一,二年生の個人練習
○4月17日 於船高講堂
 船高 2(21ー10、21ー13)0 千葉二高
    S 8、-S 2、SS 4  入率0.44
 船高 2(21ー15、21ー15)0 明徳高
    S 7、-S 4、SS 2  入率0.37
 船高 2(21ー16、21ー16)0 千葉三高
  S 6、-S 1、SS 1  入率0.46
 全勝にて一位、二位三高、全般的にFのスローモーションが目立った。
○4月23日 於千葉三高
 千葉三高 2(19ー21、21ー10、18ー21)1 船高
      S 14、-S 6、SS 6  入率0.34
 船高 2(21ー19、21ー14)0 千葉三高 
      S 4、-S 5、SS 4  入率0.44
○4月29日 於船高
 船高 2(20ー22、21ー8、21ー9)1 成田高
    S 11、-S 2、SS 0  入率
 船高 2(21ー6、20ー22、21ー3)1 成田高  スコアとれず

◎5月8日 第八回全日本高校県予選 於四街道 参加35
 船高 2(21ー9、21ー17)0 千葉二高
    S 11、-S 4、SS 0  入率0.52、S入り問題なし
 船高 2(21ー17、21ー13)0 夷隅御宿高
    S 10、-S 3、SS 4  入率0.38
 安房二高 2(21ー17、21ー18)0 船高
    S 4、-S 4、SS 5  入率0.29
 相手を強くみすぎて固くなった感があり、全力をつくせずに敗れたのは残念である。2セット相手1stSは初の2本しか入っていないのに14ー8とリードしながらSS2を含むMの続出で17ー17から敗れたのは基礎の安定度の差と思われる。直接の敗因としてはSが入らなかったこと2cdS Reが大きいか真上に上ってしまうかで満足に返って居ないことであろう。
 

9.FR
金井

7.FC
春田

3.FL
金子

1.HR
島津

5.HC
石橋

2.HL
阿部

6.BR
野瀬

4.BC
加藤

8.BL
将司

同左
若林

7

5

34

0

0

5

0

0

0

0

S

2

0

10

2

3

2

4

2

0

0

S

0

0

0

1

1

4

1

2

2

0

SS.M

4

17

14

5

9

4

6

6

2

3

 此の大会ではFL金子のKが絶対的な威力を示したが此にクイックも加味させたいと感じた。此の大会にて2cdS Reを含むPaの悪さを痛感しその向上を今後の第一目標とし、攻撃面ではFL金子のAtに変化をつけると共に中継Toを全部ここへ上げられる様にすることHL阿部とHR島津を交代させHR阿部のKを有効に使うこと等を夏の大会迄に仕上げることにした。この頃の練習は毎日3時間位
○7月15日 船高講堂
 船高 2(21ー8、21ー11)0 千葉三高
     S 11、-S 2、SS 3 入率0.44
 船高 2(21ー14、21ー1)0 千葉三高
     S 10、-S 0、SS 2 入率0.38
 三高はメンバーが揃って居なかった。最終セット阿部がSSする迄19点をキープした。HL島津欠で若林
○7月23日 於安房二高
 安房二高 2(21ー7、21ー19)0 船高
       S 6、-S 15、SS 2 入率0.39
 安房二高 2(16ー21、21ー18、21ー16)1 船高
       S 9、-S 12、SS 5 入率0.35
 メンバー
 9.FR金井、6.FC春田、2.FL金子、1.HR阿部、4.HC石橋、7.HL将司(三本)、5.BR野瀬、  3.BC加藤、8.BL若林(大曽根)
 風強く凡M多し金子不調の為HR主力で行こうとしたが結果的には余り廻って居ない。中継Toが向うへ入ったのを皆叩かれ、逆に小さく入ってくる球の処理がまずかったのがそのまま点差になったといえよう。此にて夏休に入る。
○8月4、5、6日 日毛にて合同練習
○8月8日〜14日 合宿
○8月14日 於講堂
 OB 2(22ー20、21ー17)0 船高
 男子先輩との試合だったがよくやった。夜親睦会OB9、OG3、現役男子2
 15日解散し、16日休み 
○8月18日 於船高
 船高 2(21ー14、21ー14)0 明徳高
 全員調子悪く問題でない
 明徳高 2(22ー20、7ー21、21ー10)1 船高
 18、19日の練習も合宿の疲れか大変元気なく調子が出ない、合宿から大会に行く様にした方がよかったのかも知れない。

◎8月20日 国体県予選 ブロック予選
 野田高 2(13ー21、21ー11、22ー20)1 船高
      S 9、-S 6、SS 6  入率0.50
 此の日になっても全員の気分変らず、いい処のない内に敗れてしまった。金井、春田のStがよかっただけであった。3セット17ー15、19ー15、20ー17でSをもって居ながら敗けたのである。20ー18から2本続いたは春田の#は肩のあたりがかすかに触ったかどうかという程度のもので不運とも云えるが真の敗因は其以前の問題である。緊張の欠除が大きい。野田FLは長身でHR、HC間にフェイントされたのがとれなかった様に思う。SSが多過ぎる。3年生出場最後の試合なので”声”をいろいろ聞いてみた。ブロックで勝つことを目的に春の大会以来、人の休みの日も休まずに練習して来たのに敗けてしまった。勝ちたい一心が強すぎて固くなって居た様であり、又疲れていて体が自由に動かなかったとも云える。先輩にナイトショウに行ったと誤解されたが大事な試合を控えてなんでそんなことをしようか、この誤解をうけたのは残念でならない。
☆#が多かった。☆S Re(2cdも含む)が悪かった。☆チームワークがとれなかった。
○8月一杯休み
 9月1日 新主将 阿部娃津子、新マネージャー 野瀬和子の任命 3年生引退挨拶
○9月16日 於日毛
 日毛 2(21ー9、21ー9)0 船高
 日毛 2(21ー11、21ー16)0 船高
  二試合目は3年生に入ってもらった。

◎10月8日 第十回関東綜合 於お茶大
 東京クラブ 2(21ー6、21ー18)0 船高
       S 6、-S 9、SS 5  入率0.48
 新メンバーでは余りにもFが弱いのでFC春田に出てもらい後は新メンバーとした。実業団のベテランを集めたクラブだったが2セット目はSを含めて大いに圧することが出来た

 

3.FR
金井

5.FC
春田

8.FL
西田

1.HR
阿部

4.HC
竹内

2.HL
三本

7.BR
大曽根

6.BC
野瀬

9.BL
若林

2

2

0

4

0

0

0

0

0

S

2

1

0

1

0

1

0

1

0

S

1

0

0

0

2

1

1

3

1

SS,M

3

5

1

1

2

3

1

4

1

○10月12日 於明徳高
 明徳高 2(21ー8、21ー14)0 船高
 船高 2(21ー16、24ー26、21ー18)1 明徳高
 11月15日より男子FLだった海老沢が専任コーチとなってくれる。
○11月19日
 3年生 2(21ー9、19ー21、21ー10)1 新メンバー
 3年側に男子2名入る 2セットはS入りやっと勝ったがあとは問題にならなかった。丁度皆の気持がだれて居た処なのでここで敗けたのを契機として気を合せて頑張ろうと誓い合った。日が短くなって練習は1時間の日と1時間50分位の日が半分づつ位になる。当分の間S、個人Re、ストレートK(F,H6人)及びいろいろなパスを練習する。
○11月23日
 野猿峠へハイキング、現役女子としては初の試みであったがクラブの恒例のハイクと合併したので総勢35名、内現役女子9名、帰りに新宿駅で一人迷子になって山手線に乗ってしまった一幕もあった。
 12月末の部員11名、3年生も時々出てくれるし、男子FLだった3年生の海老沢が専任コーチとなったし、しっかりした技術を身につけて新入生を迎えたいと思う。
(野瀬、金子)

(目次へ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「王座ゆらぐ(クラブ)」

 遂に改革の時が来た様である。前年度より既に予想された様に新進チームに対するには我々も若いメンバー、チーム力で行かねばならない。従来の様に様に個人技中心のの楽しみながらの行き方では危うくなって来た。此の年、ベストメンバーが揃ったことがなかったとはいえ大会6回の内優勝1回では既に船高ク無敵を誇った時代は去ったとみねばなるまい。練習も昨年程充分にやらなかった様な氣がするし、いささか沈滞気味ではなかろうか。ここらで組織とチーム編成の改革が必要の様に感ぜられる。第四回生あたり以上はレクリエーションチームを作れという意見にも耳が傾けれれるべき時となった。又、段々疎遠になりがちな古い先輩との間をどうやって継いで行くかも併せて考えなければならない。
 三十一年度は船高バレーボール部誕生十年目の年である、皆の力で盛り返そう。尚、3月〜11月の休日46日中、試合9日、練習12日、集会3日であった。
○30年2月27日
 プレーヤー総会12名 新マネージャー決定 会計 伊藤明、事務 小笠原博司、他の詳細既報
○3月13日 練習 9時〜12時半、OB10、現役4
○3月20日 練習日ではなかったが現役の練習に自然に9名集る
○3月27月 女子合宿最終日 OG7、OB14、練習日であったが女子の練習の相手及び男子と乱打 9時〜6時
○4月2日 男子合宿最終日OB14
 OB 2(9ー21、21ー12、21ー16)1 現役
 現役 2(21ー16、21ー19)0 OB

◎4月3日 都市対抗予選 於二高体育館 参加3
 降雨の為中止と思い一旦解散したが他チームの人が連絡してくれたので再び集り参加、映画に行って居た者もあり連絡に一苦労、普段やっていない人迄ひっぱり出した。
 地理調 2(21ー13、19ー21、21-16)1 船高ク
 葛飾ガス 2(21ー10、21ー12)0 船高ク
 ☆メンバー
 6.FR山賀、4.FC近藤、2.FL,R金子明、9.HR田中(中村)、1.HC小笠原(ア)、7.HLi池田、8.BR加藤忠、1.BC加藤潔、5.BL小笠原博司
 第一試合3セット16ー14であったのに敗けた。二試合目は元気なし。
○4月17日 練習日、雨、女子の試合であったのでその合間に少し練習しただけ、
 12名
○4月29日 現役と成田の試合のあとでOB8名に現役を加え成田と乱打
 5月3日 千葉商と三チームリーグ、OB12名
 OB 2(21ー19、21ー19)0 現役
 船高ク 2(21ー17、21ー19)0 千葉商  千商 2ー1 船高
○5月15日 アジア大会観戦
○5月22日 9時〜11時、12時〜1時40分 OB10、現役6
○5月29日 雨だが講堂使えずほんのわずか、OB8

◎6月5日 県一般選手権 於四街道 参加9
 船高ク 2(21ー16、21ー11)0 税務講習所
     S 6、-S 1、SS 2  入率0.29
準決勝
 順天堂大 2(21ー18、21ー19)0 船高ク
      S 3、-S 3、SS 1  入率0.18
  HL小川当らず善戦 S入らぬのが痛い。FC近藤のToに向うに入るのが多かった。

 

7.FR
山賀

4.FC
近藤

9.FLR
金子明

7.FL
金子一

8.HR
伊藤

3.HC
佐藤

同左
海老原

6.HL
小川

2.BR
加藤

1.BC
纐纈

5.BL
石黒

1.5
小笠原ヒ

2

10

1

11

1

0

0

5

0

0

0

0

S

0

2

0

3

0

0

0

1

0

2

0

1

S

0

0

0

1

0

0

0

0

0

1

0

2

SS,M

1

3

0

4

7

0

1

4

2

0

1

3


○6月19日 講堂にて 10時〜1時20分 OB12名
 OB 2(21ー19、17ー21、22ー20)1 現役
 現役 2(21ー18、21ー16)0 OB

◎7月3日 関東綜合男子 於小石川グランド 参加60
 1回戦不戦勝
 船高ク 2(22ー20、21ー16)0 海上保安庁
     S 5、-S 1、SS 0  入率0.32
 船高ク 2(21ー11、21ー13)0 大洋漁業
     S 3、-S 3、SS 1  入率0.30
 慶応大 2(21ー7、21ー16)0 船高ク
    S 2、-S 8、SS 2  入率0.42
 

7.FR
山賀

5.FC
金子

3.FL
海老沢

8.HR
伊藤

1.HC
佐藤

同左
海老原

4.HL
小川

6.BR
石黒

同左
纐纈

2.BC
宇佐見

9.BL
小笠原

5

11

4

0

0

0

16

0

0

0

0

S

0

2

1

2

0

1

0

1

0

2

1

0

0

2

1

1

1

1

1

1

2

2

SS,M

7

22

4

2

1

2

6

3

1

1

1


 烈風は砂ほこりを伴い大変な日だったがその割にオープンが使えた。FにM多し。特にFC、Stは皆#になった。ベスト16に入ったわけである。上記メンバーの他4名。
○7月17日 10時〜4時半
 OB 2(24ー22、21ー17)0 現役
 現役 2(21ー19、21ー23、21ー19)1 OB
 順天堂大 2(23ー21、21ー19)0 船高ク

◎7月24日 全日本綜合予選 於四街道 参加15
 船高ク 2(21ー9、21ー14)0 日立茂原
    S 3、-S 1、SS 0  入率0.46
 船高ク 2(21ー17、21ー11)0 千葉工大
    S 6、-S 1、SS 4  入率0.44、烈風の為此よりインドア
 船高ク 2(21ー19、21ー18)0 鴻峻ク     S 1、S 3、SS 2 入率0.23 出足悪く1セットは1ー12、2セットは5ー9からやっと挽回す
[決勝]
 順天堂大 2(24ー22、22ー20)0 船高ク
     S 4、S 3、SS 2  入率0.53
 大変な熱戦で両チームとも凡Mも少かった。2セット4ー10となったのがまずかったが15ー20からジュースにしたのは賞されよう。順天堂HL20判定について問題もあったが惜しい試合だった。
 

7.FR
山賀

FR,L
金子明

3.FC
永盛

9.FL
金子一

4.HR
近藤

8.HC
海老原

同左
佐藤

6.HL
小川

2.BR
加藤

5.BC
纐纈

同左
小笠原博

1.BL
小笠原敦

9

3

23

46

8

0

0

14

0

0

0

0

S

1

1

1

1

2

0

1

2

0

2

1

2

S

0

0

0

0

0

0

2

0

4

0

1

1

SS,M

8

2

6

10

7

2

0

9

0

1

2

3


○8月14日 OB11、OG5女子合宿最終日なので、その手伝いを兼ねる。
 OB2(22ー20、21ー17)0 女子現役
 市民水泳大会あり、体協各部対抗百米リレーに、内藤、宇佐見、小笠原兄弟で出場、他チームより一泳者遅れて悠々最下位

◎8月21日 10市対抗 於千葉一高 参加6
 船高ク 2(21ー19、21ー8)0 キッコーマン(野田市)
  学生はぬかしたメンバーに日建の木村氏を加える。
[決勝]
 船高ク 2(21ー19、21ー17)0 地理調(千葉市)
  賞品に革財布を貰う。

◎9月4日 国体予選 於四街道 参加15
 船高ク 2(18ー21、21ー14、21ー18)1 鴻峻ク
     S 5、-S 4、SS 1  入率0.40
 船高ク 2(21ー8、16ー21、21ー2)1 千葉銀行
     S 12、-S 5、SS 2  入率0.26
 船高ク 2(17ー21、21ー12、21ー10)1 安房ク
     S 7、-S 4、SS 2  入率0.42
[決勝]
 順天堂大 2(21ー19、21ー8)0 船高ク
     S 3、-S 5、SS 1  入率0.42
  順天HLのKが上らずに敗れた。2セットは得点に不拘緊迫したゲームだった。F攻だけの為、即決を焦った様でまずかった。順天Fは若いのであるからレバンド、フェイントなどで行くべきであった。現役男女OB,OG応援多数。
 

6.FR
山賀

3.FC
永盛

8.F,HL
金子一

4.HR,L
金子明

4.HR
伊藤

7.HC
内藤

1.HR,L
宮原

2.BR
加藤k

同左
湯浅

同左
丹羽

9.BC
宇佐見

5.BL
小笠原h

9

32

36

12

3

0

0

0

0

0

0

0

S

2

7

5

2

0

2

4

1

0

0

1

3

S

0

0

2

0

3

2

0

2

0

2

3

4

SS,M

4

6

22

8

3

1

2

5

1

0

0

3


○9月18日 夕方から船高に集って相談、7名しか来なかったが、他の人にも個人的に話を通じてあったので11月の県綜合に2チーム出すことに決定 メンバーも決めて船橋クラブとして登録。
○10月16日 9時半〜12時半 OB10、現役11
 船橋ク 2(21ー8、21ー19)0 船高ク
 船橋ク 2(21ー10、21ー16)0 船高ク
  今度の綜合のメンバーで分け、船橋クに永盛、宇佐見を入れる。
○10月30日 市川市民大会に審判7名
○11月3日 練習 9時半〜12時 OB7、現役6
 OBは出勤日の者多く集り悪し。

◎11月6日 第八回県綜合 於四街道 参加15
 船高ク 2(21ー14、21ー14)0 鴻峻ク 
 桜友ク 2(21ー6、21ー15)0 船橋ク
 船高ク 2(21ー6、21ー5)0 日立茂原
     S 16、-S 0、SS 1 入率0.58
 船高ク 2(21ー18、21ー17)0 地理調査所
     S 7、-S 6、SS 1 入率0.33
[決勝]
 順天堂大 2(21ー16、21ー12)0 船高ク
     S 2、-S 3、SS 3 入率0.37、あと3試合のみ集計する。
 

8.FR
山賀

6.FC
金子一

3.FL
海老沢

4.HR
近藤

1.HC
佐藤

5.HL
小川

7.BR
宮原

7.9BR,L
加藤k

2.BC
纐纈

9.BL
小笠原a

7

5

10

4

0

5

0

0

0

0

S

9

6

1

7

0

0

0

0

1

1

S

0

0

2

0

1

1

1

3

1

0

SS.M

4

11

8

5

5

4

0

1

0

0


 船橋クラブ メンバー
 前衛(平川、蜂谷、伊藤) 中衛(秋本、内藤、湯浅) 後衛(丹羽、石黒、小笠原h)
 風が強く慣れないFCではTo決らずクイックも全然使えなかった。順天大に連敗したのは結局S力の差と考えてよいと思う。我々のSにはチャンスボールを取り得るだけの力と確実さがない。
 船橋クの方は1セット全然元気なく、2セットに入って盛り返したがFCに凡ヘッド多くみすみす敗れた。OB OG、現役応援多数。
○11月23日 第3回ハイキング幹事伊藤明 現役男女と合併した為35名の多人数であった。OB14、OG8、現役男3、女9、田中先生
○12月25日 忘年会 於東魁楼新館 今回より役員改選などの事務的なことについては2月に行うこととし純忘年会とする。田中先生、OB12、OG3、現役は学校の方針により参加禁止 3時〜7時半、日曜出勤の者、アルバイトの者多く少人数だった。会費OB三百円、OG二百円、酒はクラブより出す。
○12月30日 県体育館開きエキビジョンに招待されたので其に備え練習 1時〜2時半 OB6、現役1
○1月6日 練習 1時〜3時20分 OB8、現役3
○1月14日 県体育館開き、エキビジョン
 船高ク 21ー16 地理調査所
 いい体育館だが照明の具合悪く大変ボールがみにくかった。
(小笠原博司、金子一雄)

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「合 宿 練 習」

<高校男子第11回合宿>
 30年3月26日〜4月3日 参加8、通い2 於試食室 参加費400円、米4升
 指導 田中先生 OB宇佐見、小笠原(敦)
○日課 起床 6:30 
    練習 6:50〜7:30 9:00〜12:00 2:00〜5:30 理論 8:00〜9:00    消灯 9:30
○会計 ◇収入 参加費 4,000円、先輩より 1,900円 合計 5,900円
    ◆支出 主食 900円、副食 3,250円、調味料 715円、燃料 735円、その他 350円 合計 5,950円 差引不足 ▲50円

 例年より早く大会が5月上旬になったのと昨年からのメンバーでチームが出来、一応バレーらしいものが出来るので殆ど綜合練習、練習試合に費やした。この為いつもの基礎一辺倒から脱し得たが、反面、Sをいつも程うたなかった。期間中は全部講堂を使用したため(Sがうてなかったのはこの為にもよる)能率が上がった。Atは基礎的なものは勿論のこと主攻撃はHLのKとFLのクイックであるが補助としてFRの右手K此はFLとの時間差で使った。又、春になってからやったのであるがFRに球を集めFC、HRの時間差コンビを育成しようとしたが使える迄にならなかった。その他HLに早Kや平行Toをうたせたが此はプレーに幅をつけさせ、俺は此だけのものが出来るという安心感からの自信をもたす為であった。夜の一時間はルールの解釈、用語の説明、審判技術の初歩を少々話し、球技そのものの理論とか各自の技術の不可解な処について一応理論的に話合いなどし、名選手や先輩の苦心談のオソマツ、失敗談を語り最後にはいろいろとつきない我々の昔話をダベッて、喋る方が陶然としていたものなのである。


(宇佐見)


<高校男子第12開合宿>
 7月25日〜30日 参加10、通い3、於試食室、参加費400円、米2.5升
 指導 田中先生、OB 小笠原(敦)
○日課 起床 6:00 
    練習 朝 ?、午前 ?、午後 3:30〜6:30 理論 9:00〜10:00
    消灯 10:00
○会計 ◇収入 参加費 4,000円、部費 815円、先輩より 1,400円 合計 6,215円
    ◆支出 主食 500円、副食 3,420円、調味料 1,135円、燃料 640円、その他 320円 合計 6,215円 差引過不足 0円

 宇佐見コーチは大学の都合で参加出来ず、OB小笠原も午前中は大学の練習がある為午後の練習しか見られなかった。全日本高校に参加する為の準備故綜合練習を主としたがOBに都合の悪い者が多く乱打は余り多くなかった。

(蜂 谷)


<高校女子第4回合宿>
 3月22日〜29日 参加9名、通い2名、於試食室 参加費300円、米2.5升
 指導 田中先生 OB金子、近藤、宇佐見、手伝いOG田中
○日課 起床 6:30 
    練習 7:00〜7:30 9:30〜12:00 2:30〜5:30 反省会 9:00〜10:00
    消灯 10:00
○会計 ◇収入 参加費 4,500円、先輩より 1,900円 合計 6,400円
    ◆支出 食費 4,028円、夜食 400円、その他 305円 合計 4,733円、差引残金 1,667円 *残金は更衣室カーテンその他に廻した

 他に5時30分から夕食迄個人個人でパスの研究、初の二日は午前中学校があったので午後の練習は1時30分から、
 今回はコーチャーを迎え部員全員と新入生2人の参加を得ました。然し運悪く天候に恵まれず、又、講堂の使えぬ日もあり思う様に出来ませんでしたので初に目的としたことを十分達せられませんでした。Sは毎日の記録の結果0.4〜0.5であり今後5割代を保って行けば幸です。先輩田中さんが泊って下さって炊事その他いろいろやって下さり私達の疲労は随分省けました。先輩の皆様の御協力厚く御礼申上げます。

(春 田)

 本合宿より監督としてチームをみることになり,いろいろ計画も持って参加したが四日目に発熱し後半は近藤氏に全般的に委任せざるを得なくなった。方針---基礎練習よりもむしろ綜合的なものを主として、基礎的なプレーはその必要性に於て自然習得を期待する。
 主目標---Sの強化、2cdS Re、FLクイックT、その間にあって2cdSはコーナーをつくこと、HL.Kの安定性,乱打によるStを修得すること、結局時間を多くとったのはS、2cd SReによるAt,乱打であり、乱打はコーチャー側のAtを一本決めてそれに対するStとReの動きが徹底する迄続けた。Stは確かに出る様になった。Sは記録総打数450、入200、入率0.44、SP44であるが各人の注意すべき点を指示して今後の目標を与えた点で効果があったと思っている。クイックTは実戦ではパスに支配されて使えないがどうやら形が出来て来た。全般的に向上しつつあるがBのパスが未だ不安定で特に標準フォームでない者ばかりなのも気にかかる。

(金 子)

<高校女子第5回合宿>
 8月7日〜15日 参加9、通い4 於試食室 参加費600円 米3升
 指導 OB金子、宇佐見、近藤、手伝いOG矢吹
○日課 起床 6:00 
    練習 6:30〜7:00 8:30〜11:40 3:30〜6:30 雑談 9:00〜10:00
    消灯 10:00
○会計 ◇収入 参加費 5,550円、先輩より 2,900円 合計 8,450円
    ◆支出 副費 4,087円、調味料 1,206円、燃料 630円、夜食 1,425円、その他 495円 合計 7,843円 差引残金 607円 
                       *残金は部費に繰入れ

 合宿も始まる前は全員参加ということになって居ましたが、通いが多くなりました。この合宿は春とは違って技術の安定を目的に行われました。午前はコートで個人ノックを主としたReを午後は講堂でAtと総合的な練習を行いました。人数が少いので炊事当番がぬけると随分困りましたが四日目から先輩の矢吹さんが泊って下さりいろいろお世話下さって、炊事その他随分助かりました。女子には夏の合宿一商間というのはゴツイ体をしていると言われている私達でも少し無理だったと思います。合宿が技術の向上と共によりよいチームワークを作る為に行われるのは勿論ですがこの合宿ではその点少々疑問でした。

(春 田)

 前半闘志がみられず不愉快であったが中間の反省会以後は大変気持よく練習出来、技術的にも向上したと思う。Reの強化を主とし、FRからのtoによるAtの研究を併行させた。Reは宇佐見氏に依頼して専ら強球をあてることとし力一杯叩いてもらったがボールを恐れず,又、中間のボールに瞬間的に手が出る様になった点はよかったと思う。但しBのカバーには進歩がみられなかった。FRからのToはFL.Kをよく使える様になり、又、Stも相手のL線に対するものは揃う様になった。合宿最終日に於て最高潮に達した感があり、却って大会迄緊張が持続しなかった故大会直前の合宿ではこういう面の考慮が重要と思うが合宿そのものとしては後半は満点に近い感じであった。田中先生は不在であったが近藤、宇佐見両氏の同宿によりコーチングスタッフの過労がなかったのも運営がスムーズに行った一因であろう。尚、外と内で大体半日ずつやった。
 記録総打数700、入285、入率0.41、SP100

(金 子)

 少人数であったが、少なければ少いだけに皆緊張し合宿の目的---1.2cd SReを含むパスの安定、2.時間差攻撃及びFRからのToによる攻撃、3.Sの安定---を果そうと努力した。
 チームワークも最初は良かったが日が経つにつれて崩れとうとう三日目の夜分裂してしまった。その晩はお互に反省し又話合い約束をして過した。次の日からは練習でも炊事でも協力性が出て来た。炊事には矢吹さんが来て下さったのでまとまった練習をすることが出来たと嬉しく思って居ります。練習はSに特に時間をかけ中でも腕の強い様な人四人がフローターを練習した。Atではクイックのコンビがよくとれる様になり 二段To、時間差も最後は安定して来た。Reは初め元気がなかったが段々元気が増し、動きも機敏になって来、チームワークも整い、試合迄一週間足らずで此がどの位役に立つかと楽しみであったが其れも束の間、なんと試合には元気もなく実力の半分も出せなかったのはまことに残念なことであった。

(石橋孝子)

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「コ ー チ 1 年」 

○その1
                    
女子監督 金子一雄
 本当に思わぬことから昨シーズン女子の部をみることになりました。私は一年大学にのこることになって幾らか暇が出来たのと、田中先生が誰かに女子の方を任せたいと思ったのと女子が前年冬の練習をすばらしい元気でやってみせてOB、OGの期待を集めたのと、三つが偶然一致して監督らしきものに就任したのが3月20日頃でしょうか、其以来関東綜合でシーズンの幕を閉じる迄、練習と試合126日中私の出たのは89日、オフシーズンになってからも十月を除いて週2.3回出ています。此れじゃ何の為に大学に残ったのやらも分りゃしないとはいうものの好きなバレーのこと、結構楽しみながらやって来た此の一年でした。
 そもそも事の起りは未だ寒い頃、今年の女子はいいぜ、下手でも練習熱心だからな、湯浅が専任で叩いて居るけどよくついて来るよ。という話がOBに拡がって誰かみてやりゃいいのにてなことになったわけですが、本当に皆熱心だったと思います。
 若輩の私がどうやって皆を引張って行くかが心配の種でしたが、やってみたら引張る必要なんか無く、自分等で一生懸命やっているのを技術面で援助してやればよかったんですから楽なものでした。然し、バレーを夢中でやろうという点では文句ない部員諸君もバレーを仲良くやろうという点ではいささか欠ける処があった様で結局後味の悪いものが有った様に感ぜられるのは残念でした。そんな感情も過ぎてしまえばなんでもなく消え去って、新卒業生諸君も今は落着いて後輩を見守る立場に立って、お互にしっかりと結ばれていることと思いますが、其が私達船高クラブの基盤をなすものなのですからいつ迄も仲良くそして良いOGになって貰いたいと思います。技術面では随分進歩が早かった様に思いますが、よくしたもんで、うまくなりゃ卒業です。前の年にもう少しうまくなって居てくれればいいのに とかく二年のときには来年があると思うせいか、三年生が居る為自分が先に立ってやるという気が出て来ないせいか進歩が遅い様です。こいつを打破って一,二年の人がぐんと伸びたら、其が船高の優勝する時でしょう。心構え次第です。
 其にしても基礎練習がいい加減だったのが最後迄祟って居たのは今後注意すべきだと思います。
 さて、今年も昨年にまけず一生懸命冬季練習をやって居ます。今年こそよい戦績を挙げられるのではないでしょうか、 優勝は5年も6年もの先輩からの努力が積重って初めて実現するものです。今年駄目なら来年”今年こそ”の気持を毎年新たにしていくことが大切です。
 私も三月満一年で辞任しますが就職してからも週末には帰って来てクラブでプレーを続けたいと思っています。
 一年間気持よく練習出来たことを現役諸君並びに協力下さったOB,OGの皆さんに御礼申上げると共に今後の夫々の立場に於ける活躍を祈ってペンをおきます。

○その2
                  
男子コーチ 宇佐見武男
 皆さんのおかげで昨年はかなりの成績を挙げることができました。私としても卒業してから三年目、石の上にも三年という諺がありますが此に適するかどうか、三年目でようやく或程度の成果を挙げ得たので喜びを観じている処です。
 途中種々と挫折があったのですがどうにか乗り越えられ今日に至ったのは只々あらゆる環境に恵まれていたと申すほかありません。想えば種々多彩でしたが、中でも全日本高校の予選に優勝した時と、6月13日のコートに座って行なった反省会が強く頭の中に残って居ります。
 優勝した後で応援のOBと一緒にスクラムを組んでエールをやった時は感激の極でした。 勝って良かったと現役の諸君はつくづくと思ったでしょう。バレーボールをやった甲斐があったと感じたでしょう。私もその一人です。けれども勝ったことより以上に私には勝つ迄の過程が大切であり、良かったのです。試合は平常の練習の結果を端的に表わすものです。日常の精進が大切であるとはっきり教えてくれたのがあの試合でした。皆で一つの目標に向って一生懸命誠意をこめた努力を続けて得るもの、そこにスポーツをやる意義あるのです。
 6月13日の反省会は其迄のダラダラした気分を吹きとばす清涼剤でした。此はバレーボールを人間教育だと考えている人達が行なった現役の高慢心や、責任,情熱、誠実さのないこと、礼儀の点に対する反省でありました。この結果2週間後の予選に勝ったのです。
 あの時の練習は充実感がありました。若者らしく力一杯目標にぶつかって行く生活でした。余り書きたくありませんが9月から国体に行く迄のフィナーレは良いとは申せませんでした。
 学校もなんだか予備校化して来たし、人員は揃わなかったし、精神的にも堕落し、行きたくなくなったことが度々ありました。最善をつくさない者はスポーツをやる者として資格はないと思っています。今後みんなで気をつけて行って貰いたいことです。
 三年生の諸君、君等は石の上に三年、何か得るものがあったでしょう。バレーボールを通して得た人間性、社会性は実社会に出ても役立つものです。
 バレーボールから生きる為の信条を得、バレーボールでの経験を生きる為の尺度としてバレーボールを生活の心の、身体の、糧として今後の精進を望んでいる次第です。

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「三 十 年 度 雑 感」

加藤 忠太 

 個人的には申し訳ないが30年度は県協会に理事、審判員として奉仕させてもらった。プレーヤーとは違った楽しみや味があって、バレーボールの深さを知った。かかる意味で諸兄の上部団体への奉仕を願うこと切である。とはいえ自分自身を此の方へ義務づけて、クラブの奉仕に欠けたる点、弁解の余地なく、今後の精進を誓ってお許しを乞う。

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 関東男子綜合の折、クラブは好条件ではなかったが勝駒を進めて第9回国体の覇者、慶大に対した。結果は別として、両セット共5,6点を先取したこと、2セット慶大をして策戦タイムをとらせたことなど対外試合の快事として印象に残る。”一点一点に如何なる態度で臨むか”覇権への鍵はここらにありそうな氣がする。まず衆知を集めて一点に臨むべく工夫は日々是新であるべきと思う。
-----◇-----◇-----◇-----
 県綜合に二チーム出場を実現した。諸兄の長期に亘る努力が一瞬の間結ばれたのだ。敢えて一瞬と申上げる。多数チームを擁すれば其れだけで内部に破壊的要素を盛るの理で運営に当っては今迄とは違った”さし”を必要とする。”さし”がなんであるかは折々に皆と考える必要を感ずる。
-----◇-----◇-----◇-----
 現役男子がクラブに続きみごとな花を咲かせた。女子も続いて欲しい。植物の開花は周期的だがバレーでは仲々そうは行かない。野辺の花、高嶺の花、何でもよろしいがまずは花咲く時期を忘れないで欲しい。そして周期的に花を咲かせて欲しい。今年(31年度)あたりは現役女子の春とはならぬか。

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「部生活を回顧して」

三年 加藤 淳子 

 「光陰は百代の過客」私の歩んだ高校時代は再び還えらない、船高のマークをつけて試合に出場することももう永久に望めはしない。私はバレー部の中間入りしたのは入学間もない五月だったが、あれからもう三年近くたってしまったのだから月日の流れの速さにただ驚嘆するのみである。入部以来を回想してみるに、思い出される一つ一つがついこの間のことであった様な氣がしてならない。炎天のもと汗とほこりにまみれてボールを追った合宿は最も思出深いものとして心に焼きついて居る。今考えてみると私が初めて経験した一年の夏の合宿がレギュラーとなってからの其れより何倍も苦しかった様に思われる。先輩達がReをやりAtをやり遠く飛ばしてしまったボールを真剣になって拾いに走りながら自分も早くあの様に技術が上達したいと思い自分の試合姿を夢みたものだった。
 私達の時代、女子は戦績が悪く先輩の期待に沿うことが出来ず残念であるが私にとってバレー部入部は悔いがない。むしろあらゆる方面でプラスになったと信じて居る。忍耐と努力によって得られる喜びがどんなに貴く大きいものであるかを知ることが出来たのもバレー部という共同生活に触れたからこそであると思っている。私達も優勝を夢みた。其の望を達し得なかったのは私達の努力が足りなかったんだと反省しているが又、共同生活に大切な協調精神が欠けていたのかも知れない。
 いづれにしろ私達の達成出来ず又味わうことの出来なかった優勝の喜びを今年こそ後に残る人々に味ってもらいたいと念願すると共に,只勝利のみに囚われることなく心身共にバレー部員たる誇りをもてる生活を営んでもらいたいと希望するものです。

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「夏の全国大会から」

三年 小川 定雄 

 又例年通り年報を作るので原稿でも書かなければと思って居たが何しろ作文にがての筆不精ときているので何を書いていいのか分らないが下らない事でも書いてみよう。
 ことしこそはと思って毎日練習していたがその気持も途中で何度崩れようとしたか分らない。然しどうにか県予選に第一次(船橋、市川、千商、松戸)の中に入った。その四校は関東大会に出場する。そして此の中から県代表を決めるわけであるが、第二次では無事松戸、市川を破り全国大会に出場することとなった。千葉商と一度も会わずして終ったのは残念であったが宿望は叶ったわけである。其れからは夏休でもあったので心はもはや姫路にとんで行った。そして心と行動とは何となく伴わずウキウキして居たのである。
 いよいよ8月1日午前9時半東京発急行で目的地に向ったのであった。汽車が横浜----熱海と行く内に将棋を始めた。段々車内も混んで来たが丁度皆が将棋を指して居る処に一人の若い女の人が来て黙って盤面をみている。その内誰かが今度から負けた人はその女の人に席を譲ることにしようと言い出し将棋は益々面白くなって来た。そして誰だったか負けた者が約束通り立って女の人を坐らせ、暫く汽車にゆられて女の人も皆と段々話をしていく内に、”皆コマを余り動かしすぎる”などと言ったがどうせヘボと思い構わずコマを進めていた。その人は何処かの駅でアイスクリームを買ってくれたので一同遠慮せず食べてしまった。その人は大阪で降りたが、車内は楽しく賑やかに12時間の旅を終え目的の姫路についた。まだいろいろなことがあったが此の位にしておこうと思う。
 さて、駅からはハイヤーで旅館マで行ったがどうしたことか先生だけが乗れなかったとみえてあとから歩いて来たので皆大笑いした。然し最初に自分が失敗してしまった。それは汽車の中にYシャツを忘れてしまったのである。第一日目はそんな内に過ぎて次の朝トレーニングに城のみえる練習コート迄駈足で行ったが割当てられた時間内にやらねばならず思う様に行かない。翌日の練習では不幸なことに蜂谷君が眼をけがしたので心配だったが試合には出られたので安心した。試合結果は御存知の通りで皆さんに申訳なく思っている。
 では、次に町の様子でも書いて失礼させてもらおう。まず面白いのは氷のことを違った呼び方をする。スイのところをミゾレ、アズキの所をミゾレキントキなどと言ってレモンなどはなかった。そして千葉より量も多く安くてうまいので大分のんだ。然し暑さもきびしかったので、飲んでもどんどん汗になってしまうので腹をこわす心配もなかった。
 それでは最後にこのまま黙って卒業しるのは氣がひけるので卒業にあったて此の紙上を借りてお詫び致します。高校生活三年の間皆様に迷惑をかけどうしだったことです。一年の時は自分の不注意から試合前入院してしまい、二年の時もそのお陰で思う様には行かず
、三年の時は全日本、国体とあの様な結果で皆様の御期待に添えなかったことをもう一度ここで深くお詫び致します。だからその償いとして出来るだけ後輩の為に尽くして行きたいと思っている。

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「姫路遠征同行記」

宇佐見武男 

 昨年のOB北海道遠征その他の経験から試合迄一日半の余裕があればどうにか汽車の疲労はぬけると考えて居た。一日午前、夕方、二日午前出発と三つの案が出たが、部長が夜汽車では眠れないから其が後迄祟ると強く主張、第二案は捨てた。そうすると二日出発では一日しか練習出来ず駄目、一日出発では宿泊費が、とちょっと行悩んだが、どうにか寄附でまかなえるだろうということになり8月1日9時30分東京発急行阿蘇号と決った。此なら姫路着夜9時25分で試合迄まる二日、休養出来練習出来る。少々運が良すぎる位に感じられた。特に合宿に家庭の事情で常に参加出来なかった者も合宿的気分を味わえるしチームワークの強化にはもって来いだ ゲルのあるのはいいなあ!

-----◇-----◇-----◇-----
 予定通りスムーズに宿舎に入った。都別館、普通の家を改築した様な構え小さな造りである。同宿はなし気分がまとまるので上々だ。早速山口先生寄贈の旗を門前に立てる。翌日の3時頃から練習できればと思って居たがコート割当は11時〜2時と連絡が来た。場所は姫路東高、バスの乗り方も分らず歩いて行く、20分位、天下の名城白鷺城の見えるコートだ、風物絶景。サア始めるぞ、迄は良かったが陽は中天に位置し、ジリジリと焼けつく様な暑さ、コートは砂で固まり一週間ばかり雨をみなかったからまばゆい程である。汽車の疲れもぬけきらぬ処え強い反射をうけボールが時々ボーッとかすむ。部長の指示で練習を進めて行く。さてオープンスパイクとなったら、アッ空振りをしやがった、小川の奴メ。という小生も6人のReを叩いていると時々何をやっているのか分らなくなる程目の前が暗くなる、皆の動きも鈍重。 隣は名門韮山高校、さすがチカチカ光るコートでも気力だけは鋭いし、間の長さがうまくとれている。昨年の小樽へ想を馳せる、負けた時は種々何とか小生も言って居たけれど次の日が試合じゃ如何ともし難しだった。翌日を期待して皆休ませる。9時50分、部長、今年卒業した小笠原と机を並べて語る。次の日も東高へ、1時より3時迄。部長は監督会儀に出席。 練習に入る前”昨日みたいにデレデレ------”と一席やる。半時間も練習したろうか、今迄雲一つない空一天俄に云々と、俄雨がやって来た、雨がやむ迄休憩、およそ30分も降ったろうか随分激しい雨だったが、そこはよくしたものでピカピカしたコート、排水は眞に良くすべりもしなかった。反射もなくなり雨様々だった。
 予選一回戦奈良商工、まあさっきの調子なら闘えるだろう。夜、前夜祭が公会堂で催され、自衛隊のブラスバンドや歌謡曲等、”明日は早いぜ、オイ皆帰ろう”9時半頃引揚げて来る。床は前日と同じ。”サーウ゛が入ればネ””小川に実際的には負担をかけるけど、そのことは言わないで予選の市川高の時の様にやりましょう””蜂谷は大丈夫かい””大丈夫だろう”(二日目の練習で平川とぶつかり目の周りに内出血して居た) ”平川の使い方もちょっと考えなくちゃ”
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 いよいよ当日だ、8時から入場式、手柄山コートはスタンド付きのアンツーカ、立派な処である。飛行機で始球式、鳩が舞い立つ、前年度優勝校の表彰、ブラスバンドの吹奏、開会式はクライマックス、随分高校選手権もよくなったな、隣に先輩達が居たらきっと昔話をしてたろう ”俺達の時ときたらな-----”とね、そして ”もう一度高校生になりたいなあ”と最後にもらすだろう。 とにかく身体的にも今年は我々が藤沢に行った時とは身長が段違いだ。練習の時、順大の原さん等に合う奈良の様子を尋ねる。自分の試合以上にオロオロする。Cコート3試合、刻々と近づきつつある予選トーナメント、副審のホイッスルが鳴ってコートが整備される。”海老にStがついて来たら小川、平川にまわして行け、1stSは絶対入れて行くんだ、そしてAtチャンスをつかむのだ。相手主力はHLらしいがFLを抑えておいた方が言いだろう。いいかしっかりやるんだぞ、頑張って来い” いよいよプレーボール、両方共固くなっている。大丈夫かな?海老のクイック決る。少し持気味だな、ホールデイングが甘いゾ 小川プッシュ、弱いボールだがBC〜HC間に落ちる。”ついてるな”小川の奴練習の時は当ってたんだが蜂谷のToも悪いな、第1セット10点で抑えた。2セットもこちらのペース、最後ちょっとHLにうたれた、すごいストレートのスパイク、アッ金子があげた、だがカバー出来ず、よくあげたな、いつもならとれない様な球だったんだが、ようやく15点で押しきる。10点近くで済んでたゾ 最後のツメが悪い、まあこちらのペースで楽勝の部類に入るだろう。
 予選は軽く通ったと故郷の先輩諸兄姉へ手紙を書く 部長は決勝トーナメントの抽籤、地元紙等新聞の予想では福岡伝習館が優勝候補続いて岡山東、広島崇徳、地元琴ケ丘となっていたが、“どうせ当るなら強い処がいいですね”と冗談を言って送り出す。部長帰舎少々興奮の面持だった。”決勝トーナメント一回戦対伝習館”と発表されるや一瞬ちょっとザワつきしんとなった。その夜悲壮な出陣の酒盛じゃない菓子盛を開く、余りにも萎縮したので部長発案にて、
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 翌日の練習、小川快調 策戦前日に同じ、クイックで行って時間差、オープンに廻す、それから ”相手から小さいボールが入ったら向うのRe陣が立ち直らない中に叩いて行け ”海老クイック、Stに合う、もう一度T又St 小川にあげる、Toが悪いな、#にかける、Stが4人もついてらあ だが滑り出し良く5点差をもって前半リードするが相手FLのアウトへかくクイックがまるっきりとめられず14点でとられる。2セット終蜂谷の2SPでつめつるが19点でとられた。2セットはもう一息だった。小川も練習時の好調とは大分違っていたがToの悪さもあったろう。Fの差がはっきり現われていた。ダイレクトも始めは効果があったが両手でおさえる弱い球だったので次第に拾われた。叩けと言ったが自信がなかったのだろう。両方とも始め固くなって居たがやはり伝統の差で向うに先に落着かれてしまった。個人技は大差なかったがチームとなると差が出た。戦わずして優勝候補の名に我々迄気を呑まれて居たのは経験不足とはいえ恥しく申訳ない次第である。
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 敗者のみじめさはいつも同じ、此れをくり返さぬ様にと ”今我々の実力は此の大会でみてC級と思われる。是非B級に突入しようじゃないか、もうお前達は技術的には或程度の処迄来ているのだから精神的な面を考えバレーボールが団体競技であると再認識してチームプレー、チームワークを考え、欠ける者なく練習に励んで行くことを望んでいるよ、国体には絶対頑張ろうじゃないか、しっかりやろうじゃないか、”自分が敗れた時より口惜しく歯がゆく、残念だった、残念だったとくり返した。

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「関東綜合に出場して」

二年 阿部娃津子 

 10月8日私達女子チームは新メンバーで、関東女子綜合大会に出場した。その日は運動会の前日であった為、学校側も非常に忙しい日だったが、午前中の授業を終えて、お茶の水女子大学へ出発した。大会の開会式は12時半だったが、私達の試合時間までには相当待った。それに船高チームの相手である東京クラブはとは実業団のクラブであり、舞台なれしているので、私達にとっては恐怖感で一杯だった。案の定、第1セット目は21ー6で問題にはならなかった。第2セット目はもう半分はあきらめていた。その時、部員の意外なファイトと、先輩の『船高ファイト』と云う熱の声援、私はあの時程、応援の声の力強く聞いた事がない。果たして第2セットは21ー18という惜敗だった。全力をつくして全くこんなに後味の良い試合はなかったというのが私達全員の心境である。負けて原因は練習不足と技術の未熟、それに試合なれが出来ていなかったと思うが、新メンバーでこれ程力を出せた事はうれしい。又先輩の熱心な御指導をありがたく思う。次の試合への希望に大気を胸一杯に吸い入れた思いだった。

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「初めて合宿に参加して」

一年 竹内エミ子 

 ”作文を書いてくれないか”と頼まれて時、私ははたと困った、全く作文には自信がなかったからだ。然し”書きます”と答えた以上、素直に合宿について感じ思ったことを書いてみよう。8月7日から15日迄の合宿は私にとって非常に長く感じられた。私は一人で一週間も家と別れたことがなかったのと一年生は唯一人という心細さからなお一層家への愛着がはなはだしかったに違いないと思う。生まれて初めて合宿というものに参加して私は多くの事を学んだ。まず団体生活の難しさ、この中で私はまだまだ弱い人間であることを意識させられた。然しこんなことばかりではない。団体生活でなかったらこんなに楽しい味わいもなかったであろうという様な事もなかった訳ではない。たとえば皆で揃って食べた食事、此は又格別おいしいものであった。練習でも朝起きた時にする練習はとてもすがすがしく気持が晴々する。其にひきかえ昼間カンカン照りつける中で練習は辛かった。そしてヤカンのフタに一杯の水は此又辛かった。然し此ら全部が合宿というものであることを悟った。私はこうした合宿の中から考えることがしばしばあった。”何故私は今辛い想いをしなければならないのか、夏休だもの家でノンビリ昼寝でもして居れば良いのに皆の様に”と。然し其の度に私は或登山家の言葉を想出すのが常であった。或人がエベレストを征服した登山家に尋ねた。”何故貴方はそんなに苦労して山に登ろうとするのですか”、するとその登山家は”其は山があるからだ”と答えたという。私はこの言葉が大好きだ、此は勉強にも運動にも通じて居る処があるからである。私は此の合宿で果たして上達したのかどうか疑問であるが、15日最後の朝、私は家に帰れる喜びと、此の一週間決して無駄には過さなかった喜びとで満足しながら校門を出て家路を急いだ。

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「或夜の出来ごと」

三年 石橋孝子 

 星の降る様な夜であった。突然、床の割れる様なもの凄い音がしたかと思うと何者かが床を這って居た処であった(そうだ). いつもの寝坊助も眼を覚まし一斉に笑いこけていた、その笑によって何者かが我に返っての話によると寝返りをうったそうな。蒲団が机の端に折り曲って下っており、まだ場所はあるだろうと思い用心しながら寝返りした(なんて寝てしまえば泥棒が入ったって知らないくせに)。落ちたらいけないと思い寝る前にはいつもきちんと椅子を並べておくのだがその椅子もとんでしまう仕末、そうかといって別にどこをうったという所もなく(やはりバレーで鍛えた体だけあって)なんとなく変な気持がしてならなかった。その日一日は誰の顔を見てもニヤニヤして居て恥かしかった。此が女子合宿始まって以来のことだという。解散してから家の人にその話を告げたら、なんとまあ言うことがにくらしい”落ちた時の音が家迄聞えた”だって。此から合宿する女子の皆さん私と同じ様に犠牲的精神をもって端に寝なければならなくなったら特に気をつけて余り恥かしい又こっけいな想い出を作らない方がいいです。
 後々まで言われますからネ------。

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「合 宿 後 感」

近藤弘男 

 春夏の合宿に参加し、その後のチームの状況をみていて感じとったことを述べてみます
。第一に、練習には目標がある筈ですがチームとしての目標はあっても個人個人の目標がはっきりしていなかったのではないかと思われました。此はチームの目標から割り出した自分で考え出したものが良いと思います。 何故、個人個人の目標が必要かといえば一人一人の力、技術の進歩の度合,性格が違うからです。自分の現状に応じた当面の目標をうち出して練習して行くことがチームの目標達成に大きな力となることは当然のことと思います。第二に、基礎がしっかりせねば応用は出来ないのは分りきったことですが、とかく基本が忘れられ勝ちではないでしょうか。昨年のチームが試合に波が多いということは、かなり言われたことですが此は基本がおろそかになっていた照明にもなると思います。
どんな高度のプレーでも基本からはずれているものはありません。又基本がしっかりしていなくては高度のプレーは出来るものではありません。いつも基本を忘れずに基本に忠実にプレーすることを心掛けて行きましょう。最後にいま一つ、実戦に直結する練習をして行くべきことが案外考えられていないと思われました。試合の時に出来なかったことをとり出して練習して行くことを一人一人がやって行かなくてはなりません。練習の為の練習ではなく、練習→試合→練習の関係をよく考えてやって行きたいと思います。以上で終りますが現役諸君の御参考になれば幸いです。

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「言いたい放題」

金子一雄 

○その1
 今年は10市対抗の他は一つも優勝することが出来ませんでしたが中でも残念にだったのは、略ベストメンバーに近い布陣であり乍ら2セット共ジュースで敗れた全日本綜合予選決勝でした。此の時の結果については二セット共レフリーミスで敗れたのだという向きも多い様ですが私としては未練がましく「あのレフリーミスさえなければ」という様なことを言おうとは思いません。然し今後より良い試合運行が出来る様に一言呈しておきたいと思います。まず問題のレフリーミスとは、一セット22ー21で順天FRのKがこちらのR側はるかに飛び出したのをワンタッチと判定されたのですが、此の場合副審が「ワンタッチではないか?」と主審にきく意味で指を一本出して首をかしげてみせたのですが其を主審がワンタッチの判定と見てしまったもので、その証拠に審判はStでタッチしたのかReでタッチしたのか指示出来ませんでした。此がマッチポイントと思われたのを逆にジュースにされたわけです。二セットには20ー21で私がKしてStにはっきり当ったボールを#にかけてToした処、副審がDの判定を下したものです。此については終了後副審が「三回続けて触った様に感違いした」と誤を認められ謝って来られましたし、主審は「自分はDでないと思ったが副審がとったから」と言って居られました。此もメイクジュース成るかゲームセットかの大切な一点でした。さて、此の二つの場合について私の言いたいのは此では二人で審判しているのではなくて審判が二人居るのじゃないかということです。二人の連絡がまずかったり主審が副審に遠慮したりして居ては仕方がないでしょう。一セットの場合主審がどこでワンタッチしたかと問い返せば問題はなかったでしょうし、二セットの場合、自分がDと思わなかったなら副審をよんで問いただすべきでしょう。いくら普段友達付き合いのない人と組んだからと言ってこんなことでは審判といえないし、又、決勝審判ともなればコンビの点も考えた割当をして貰いたいものです。
もう一度審判員各位にお願いしておきます。審判に当ってはこう言ったら相手が気を悪くしやしないか等ということよりもプレーヤーの為を思ってやって頂きたいと。後で謝ってもらったって何にもなりやしない。其から私が主将だったら、あの場合すぐに、一セットの時はどこでワンタッチか明示してくれと要求したでしょうし、二セットの時はどういうわけでDなのか説明してくれと頼んだでしょう。今のルールでもこういう質問は認められてよいのではないかと思います。

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○その2
 ラインズマン2人の判定が違って居ても気付かずに或は気付かぬ様な顔をして判定してしまう審判が多いですね、その1の様な場合にしてもこういう場合にしてもプレーヤーに黙ってやることことを要求するばかりでなく審判員も其相応の誠意をみせてくれねば困ります。
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○その3
 参加申込の遅れたチームの取扱いについて。
 今年は2回ありました。まず、春か夏か忘れましたが某チームが確かに電話で申込んだと言って大会当日現われ申込んだ。受付けない、の争いの末、他チーム全部にはかり結局入れてもらいました。次に国体予選教員の部で某チームの申込が一日遅れた為やはり当日もめて、結局,他チーム(二つしかない)にはかる余地なし、会場に居合せた理事の協議で決めるということになり、参加は許されませんでした。此に対し当該チームから此の前は云々と申出た処、此の前は此の前、今度は今度だという様な答えだったそうです。同じケース、はた目に見ればむしろ申込んだ証拠の残っている後者の方が------と思うのにどうしてこう処置が違うのでしょうか、さては前者は協会役員に関係者が多い加減かな?などと無いこと迄勘ぐられる因となります。但し申込を電話でしたり、遅れてしたりってのは勿論悪いことです。ここでは処置の仕方を問題にしているのです。

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「校 内 対 抗」

 生徒会体育委員会と部の協力で行なった。ニ,三のルームを欠いた他の全クラスが出場非常な盛況裡に終り、大会前一,二週間は ”ボール貸して下さい”という声が部室前に盛んに聞え、休時間ともなれば校庭到る処で円陣パスがみられた。試合には男女共力一杯活動し、最終日は職員との試合には珍プレーに笑ったり拍手したり、6月中旬の大空の下、船高バレーコートに青春を謳歌した。
 6月16日〜24日 4面、15点3セット、準決勝から21点3セット
 1,2年部員出場不可、3年部員ルーム1名可

(石 橋マ)

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「何回試合したか」

○高校男子
 23勝22敗1分 公式 対高校10勝3敗、対一般0勝0敗
        練習 対高校5勝3敗、対一般8勝16敗1分
○高校女子
 12勝12敗1分 公式 対高校2勝2敗、対一般0勝1敗
        練習 対高校10勝6敗1分、対一般0勝3敗
○クラブ
 21勝14敗 公式 対高校0勝0敗、対一般14勝8敗
       練習 対高校5勝3敗、対一般2勝3敗  
◎[総 計]
○中学、高校男子 22年度より
 170勝92敗3分 公式 対中学高校57勝25敗、対一般3勝5敗
         練習 対中学高校85勝22敗1分、対一般25勝40敗2分
○高校女子 25年度より
 45勝36敗4分 公式 対高校18勝15敗、対一般0勝2敗
         練習 対中学1勝1敗、対高校25勝13敗4分、
            対一般1勝5敗
○クラブ  23年度より
 114勝45敗 公式 対高校9勝1敗、対一般75勝30敗
       練習 対高校20勝5敗、対一般10勝9敗1分

(金 子)

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「上位に出たのは」

○中学、高校男子
 ◎優勝
  29年度迄   5回
  第8回全日本高校選手権予選
  第10回国体県予選高校の部
 ○2位
  29年度迄   3回
 ○3位又は準決勝にて敗退
  29年度迄   5回

○高校女子
 ◎優勝    
  29年度迄   なし
 ○2位
  29年度迄   1回
 ○3位又は準決勝にて敗退
  29年度迄   3回

○クラブ
 ◎優勝
  29年度迄   10回
  第?回10市対抗競技会バレーボールの部
 ○2位
  29年度迄   10回
  第31回全日本綜合選手権県予選
  第10回国体県予選一般の部
  第8回県綜合選手権
 ○3位又は準決勝にて敗退
  29年度迄   6回
  第6回県一般選手権
  第4回都市対抗県予選

(金 子)

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「数字は語る」

 本年度及び我々のスコアブックに於て特別に用いている記号は次の通り
○新しく作ったもの
 F フェイント   アンダーオーバーネット  #M ネットプレーミス  
 ToM トスミス  CM カバーミス  JM ジャッジミス
○解釈を統一したもの
 -K、-St等夫々Kされた、Stされたボールに対するミス
 KM、StM等Mを附した方はKする時Stする時のミス
 TM、KM、FMをAMと表わし、-T、-K、-FをRMとすることもある。又、本表の  M1=#M、#、  M2=M、AM、ToM、JM、CM
 
M3=H、D(此の処昨年迄と少々変えました)、公式記録で失点と称しているのは此らの内 相手の力が全然関係していないもので、たとえば相手のFによるDや#を除いたものである。尚、スコアブックではノータッチで決った場合その位置のみを記し、-T、-K等は附さない。3TーHL、又中間に落ちた時はFL,KーHL、HC、or HLーHC、BLが一応あげたが悪球でカバーが無理の為HCが落したという時はCMにしないで6TーBLーHCの様に示したらよいと思う。今後スコアブックをつける人はこの様にして頂きたい。他にS=S1+S2、入T率=入T数/打数、S率=(S1-S2)/打数

(金 子)


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『お 知 ら せ』

○加藤忠太氏  富士紡績小山工場(静岡県)に転勤、同工場のチームの面倒をみるそうです。
○小笠原博司氏 年末工場の事故で重傷入院しましたが全治
○金子一雄氏  小西六写真工業入社 日野工場勤務予定
○玉沢俊夫氏  一月父上死去
○西村英男氏  昨年日本橋梁入社 大阪勤務
○山賀繁夫氏  東京ガス千葉支社に転勤
○花沢保夫氏  船橋の旧住所に戻りました。
○海老沢捷生氏 三越入社 本店勤務予定
○纐纈 武氏  都交通局勤務予定
○島津芳江氏  9月母上死去

            以上1月末現在

 

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『昭和31年度日程』

 公式大会中現在迄に判明したものは次の通り、但し関係分及び観戦可能分
○千葉県 男女同日 特記する以外は四街道
 都市対抗予選         4月1日
 一般選手権実業団選手権    4月29日
 高校選手権          5月26,27日
 同 決勝大会         7月1日       工大
 全日本綜合予選        7月15日
 国体予選高校の部       8月26日
 同   一般の部       9月16日       千大
  尚、評議員会        3月11日
  審判講習会(場所未定)     3月17,18日 
○関東、東関東
 都市対抗予選         4月8日
 関東高校女子         6月16、17日     四街道
 関東甲信越国立大学      9月8,9日      千大
○全日本
 都市対抗           4月28日〜5月1日  大阪
 実業団女子          5月24日〜27日    東京
 大学女子           7月20日〜22日    東京
 高校女子           8月2日〜5日     前橋
 同 男子           8月9日〜12日     西条
 綜合女子           8月23日〜26日    東京
 同 男子           8月30日〜9月2日  大阪
 国体             10月28日〜11月1日  兵庫
 読売選抜大会         11月10日、11日    東京
 学生東西対抗         11月23日,24日    東京
国体は高校女子のみ府県対抗、上記はいづれも若干の変更があるかも知れません。

 クラブ練習予定 ○印公式試合、△印練習、☆印高校公式試合
3月 △11、△18、△25
4月 ○1、○8、△22、○29
5月 △5、△20、☆27
6月 ☆17、△24
7月 ☆△1、△8、○15

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「編 集 後 記」

金子一雄 

 何のかのと言い乍ら四度び編集を受けもたせて頂きました。今度は県協会の鈴木理事長の御寄稿を巻頭に掲げることが出来、眞に嬉しく思って居ります。然し若干の卒業生、現役からの文が相変らず少いのは残念です。特にOGの方はどうしてこう引込思案なんでしょうか。

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 既に私独りの編集はマンネリズムの感もあり、内容的にいろいろ御批判もあると思いますが経費節減の意味からも本誌のスタイルを全然変えてしまう必要があるのではないかとの意見が出ております。両方の意味から次号は是非共編集委員会的なやり方とし新しい感覚をもって頂きたいものです。又そうしなければ個人の負担が大きくなりすぎることを毎年痛感させられて居ます。
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 今度もついに現役男子から活動の記録と合宿の記録を貰えませんでした。幸い宇佐見君の詳細な日誌で補えましたが自分等の日誌も満足につけていない、又記録のある部分もまとめようとせずうやむやに責任を回避する奴がいると、俺は誰の為にこんな仕事をしているんだろう、と思うこともありました。反面、面倒な整理を快く引受けて下さった方には厚く御礼申上げます。
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 OB、現役男子と全国大会出場と続きましたから今年は女子の番でしょうか、OBも再び覇権を握る可能性大です。次号も華やかな記録をのせることが出来る様努力しましょう。
 そして初めてOGチームの記事がのることも期待しています。
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 あとは宇佐見君に割付けて頂いて印刷屋にもって行くばかりです。
 2月11日

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  昭和31年2月25日印刷発行
       編集者    金 子 一 雄
                     
       発行者 千葉県立船橋高等学校
              バレーボール部
           船 橋 高 校 ク ラ ブ
                     
       印刷者 船橋市本町4の1800
               佐 々 木 忠 市


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