◯昨年の歩みーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 忠太 加 藤 忠 太 1. 中央進出の機を得る ○その1 主将 佐藤 潔
名実共に千葉県高校バレー界に君臨した我が船高バレー部は、過去2年前、全日本大会に参加し関東大会には毎回出場し、夏では無敵を誇り船高バレーを謳歌していた。しかし昨年、一昨年と2年間は不調で一寸下降気味であったが、今年は面目を一新し過去において先輩の残した成績を再び盛り上げるべく新チームによる猛練習に常に余念がありません昨年度卒業生の出た後はFC中村の後に蜂谷(新3年)、HC小笠原の後に佐藤(新3年)HR湯浅の後に穐本(新3年)を補給して今年は千葉県制覇は勿論国体に出場して又全日本大会でも好成績を目指して部員一同監督を中心に一丸となって邁進しています。その優勝をもたらす源動力は、中衛両サイドのスパイクとFL海老沢のクイックタッチとFR平川(新2年)との時間差キル。特に我がチームの主力であるHL小川(新3年)のスパイクを自由に使いこなし、FLのクイックで補助攻撃して行きたいと思う。攻撃陣と守備陣の差は余りないが特に後衛陣を強固にしたいと思っています。尚,後衛陣は全員新3年でBC纐纈、BR飽田、BL金子と皆な昨年の選手そのままである。サーブも現在6割弱であるが、全日本の県予選では7割位は望んでいる。今年は全日本の県予選は例年より早く行われる予定なので、3月26日からの合宿練習で特に細い技術を身につけ合宿後の練習もすべて実戦的な方法で出来るだけチームワークの向上に主眼を置き最後迄ねばるファイトのあるチームの作成に専念する積りである。本年度こそは母校の栄誉にかけても学生スポーツ精神を盡して頑張りたい。 -----------◇-----------◇----------- ○その2 ◎昭和29年度高校 2月1日現在 |
◯収 入 の 部 |
43,700円 |
☆☆☆ |
◯支 出 の 部 |
16,610円 |
(◇ボール単価 約1,600円、 ◇運動部費総額 342,600円) ☆昭和29年度部員徴収金 2月1日現在 |
◯収 入 の 部 |
8,230円 |
☆☆☆ |
◯支 出 の 部 |
8,739円 |
※残高が多いのは昨年と同じく予算面だけで現金が貰えぬ為である。 (蜂 谷)
◎昭和29年度クラブ 2月1日現在 |
◯収 入 の 部 |
76,936円 |
☆☆☆ |
◯支 出 の 部 |
54,328円 |
国体関係は県費を除く(ボール3ケ分を含む)国体関係支出が少なかったのは初め、2日前に我々だけ急行で行くつもりの処、結局団体列車にして前日夕に着いた為、県費外で賄うべき者の宿泊費が少くて済んだことと急行券が不要だったことによる。 国体関係収入と支出の差額中、18,000円はクラブの基本金として、へらすことなしに、収入支出の時間的ずれを調節する為にのみ用いることとするべく全員で決定した。 (宇佐見) 国体関係寄付者御芳名 ○高校男子第10回夏季合宿 (湯 浅) ◯高校男子第9回合宿 本年は生ト会がバレーボールを体育の教材とタイアップして行った結果非常な盛況裡に終った。頃は良し天気続きで一二週間前は校内至る所にも5,6人輪になってパスを行っている。又男女共通のリクリエーションでもある故他の校内競技にはみられない雰囲気が和気あいあいと漂っている。最終日の先生がたとの対戦には応援合戦もみられふだん角ばった先生もこの日はエビス顔であった。昭和29年6月19〜28日 「合 宿 練 習」(女子) ◯高校女子第3回合宿 5月1日〜6日 参加費380円、米2升5合 宿舎 試食室 (片 岡) 石黒 弘 今期の合宿には2日目から参加した為に、宇佐見に主体的計画を任せ、小生としてはチームワークとReに重点を置いた。初めの2日程、午前Re、午後Atという方法をとって居た様だったが後、変更された。朝のトレーニングを共にしたが、此の時に過激な練習をするとその日の練習に大きく影響するという意見を採り、ロードワークとパス(アンダー、ロング,ジャンプ)のみとしたが此については賛否があると思うので今後の課題として残したい。練習全体を通して、一般に直ちに上達したとみられるものは殆どなかった様に思う。只、Sは相変らずではあったが一応コンスタントになった。此は練習の度に記録をとっていたことにより判明した。Reでは前よりもボールの道筋に入ることを覚えた様だがJud、Covでは未だしの感が深くボールに最後迄喰いついて行くといった粘りは依然として出ない様である。S Reではフォーメーションの組変えなどが度々あり、まごついて居たことがみられた。Atのコンビは幾らかとれて来た様であったがToが余りにも粗雑であった。又、ラリーが続いた場合、無意味に同じ処に上げて打たせ失敗し詰らぬ点を献上するという処がありStも忘れた様に立っている場合があった。こんな時には唯でさえ弱いReを猶弱体化している様にみられる。何れも試合経験が少いからだろうと思う(OBとの試合から)悪い面ばかりあげて来たが良い面がなかった訳ではないことを断っておく。 金子一雄 近年OBの数が増すと共に、合宿の際提供する食事が現役の負担となり過ぎている様に思います。昨夏の合宿では延べ40食以上がコーチとして初めから泊っている人以外のOBに供された様です。即ち、予算外支出です。OBの方は1回や2回に思うかもしれませんが出す方にしてみればまとまったものとなって大変ですから今後なるべく米又は米価相当額を出す様にして下さい。(1食2合) 現役の方も”いいです”などと見栄をはらぬこと、去年のMが悲鳴をあげたんだから。或はOBにかかった主食分はまとめてクラブから出すという案もないではありませんが、何分資金難ですし、其れじゃ初めから泊ってるOBは自分で出しているのに不公平じゃないかということにもなりかねないし、一応このようにして下さることをお願い致します。勿論、今迄の夜食はOBで出してやるという美しい習慣は続けたいものです。 高校男女の分は例年の様なくわしいものがもらえず、而も此だけもらうにも編集者としては何返足を運んだか分りませんし時期的にもおそくなって、此以上発行を延すわけにも行きませんので、とにかく試合成績だけでも落さぬ様にしてもらいましたが事実は脱落が多い様です。 (金 子) FC内藤、BC加藤、BR丹羽を送り出したとはいえHL小川、HR湯浅の攻撃力に進歩がみられて居り、或る程度の自信をもってスタートした年であったが結果は春2回戦、秋はブロック予選の1回戦と全然問題とならず3年生はOBの試合で気を吐いただけ、ということになってしまった。6月にはFC中村の退部あり蜂谷が後をついだがポジションになじまぬ内にシーズンを終った様な恰好である。尚、湯浅、小笠原、小川はOBの試合に3回出場したが、秋の県綜合で小川はスパイクに自信をもつことが出来たようで30年度は大いに活躍を期待してよかろう。 (金 子)
3月下旬 一週間の合宿を終えて引続き練習○4月5日 於て東葛高 国府台高 2(21-5、19-21、21-18)1 船高 1セット別に悪い処もなく、ファイトもあったが相手のペースにまきこまれて完敗、2セット後半にもり返したものの3セットにサーウ゛入らず敗れた。 水海道高(茨城) 2(21-7、21-17)0 船高 相手の体の大きいのと試合前の練習にすくんでしまった感があった。(特にF) 船高 2(21-13、21-17)0 東葛高 ○4月24日 於国府台高 国府台高 2(21-15、10-21、21-19)1 船高 船高 2(21-18、21-18)0 市川高 ○5月9日 於船高講堂 順天堂大学 2(30-28、21-16)0 船高 BR欠場の為応援に来たOB加藤を入れる、相手が大学とあって大いに張切ったが及ばず2セットはFCに幻惑された。 船高 2(11-21、21-19、22-21)1 市川高 ◎6月5日 全日本高校兼国体予選 於四街道 参加30 船高 2(21-11、21-5)0 関東高 入率0.48、S 13、-S 2、SS 2 戦前、関東強しの声が高かったが案外もろく2ndSも返らず楽勝 長生一高 2(20-22、21-18、21-18)1 船高 入率0.31、S 5、-S 9、SS 3 1セットSよく入るが長生も好調 2セットから長生は益々よいのに比して船高のS は入らなくなりS Reも悪く惜敗。此を最後に中村身ひく。 |
9.FR |
5.FC |
7.FL |
3.HR |
2.HC |
4.HL |
8.BR |
1.BC |
6.BL |
|
得 |
1 |
12 |
9 |
0 |
0 |
25 |
0 |
0 |
0 |
S |
1 |
2 |
1 |
2 |
2 |
4 |
2 |
2 |
2 |
失1 |
0 |
5 |
7 |
1 |
1 |
8 |
2 |
2 |
3 |
失2 |
2 |
2 |
1 |
2 |
6 |
5 |
3 |
3 |
3 |
○7月 於市川高 (小笠原) 註、2年生に書いてもらう筈でしたがいつ迄たっても埒があかないので卒業で多忙な小笠原君を患わしました。 (金 子)
卒業生は3名、前衛は全員残るという比較的恵まれた条件で迎えたシーズンであったが1年生の入部が少く、結局昨年よりも振わぬ結果となってしまった。 (春 田) [関東女子綜合戦評] (石 黒) 待望の全国大会へ、其も北海道迄行けるという最良の年であった。そろそろ練習不足が目立って来て、而も若手の充分でないという処へ強敵葛飾ガスの登場、工大,順天堂の充実と29年度は多難を思わせたが、此らの条件が、県で勝てば国体へ行けるという好機と相まって我々を例年以上の猛練習に追いこんだのである。その結果、北海道遠征、帰って学生の欠場の為に綜合予選には敗れたが、県綜合にも現役H陣の奮闘によって2連覇、3度目のカップを手にした。然し、攻撃陣のジャンプ力減退が目立ち、現役時代の呼吸でやって来たコンビにも崩れがちになって30年度の苦難が予想される。 |
7.FR |
同左 |
6.FC |
2.FL |
3.HR |
4.HC |
9.HL |
7.BR |
同左 |
1.BC |
8.BL |
|
得 |
1 |
9 |
23 |
24 |
1 |
0 |
10 |
0 |
0 |
0 |
0 |
S |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
3 |
4 |
3 |
失1 |
1 |
4 |
11 |
8 |
1 |
4 |
3 |
2 |
2 |
7 |
4 |
失2 |
2 |
0 |
3 |
2 |
5 |
6 |
0 |
2 |
0 |
5 |
6 |
|
7.FR |
同左 |
3.FC |
5.FL |
8.HR |
9.HC |
同左 |
1.HL |
4.BR |
2.BC |
6.BL |
同左 |
|
得 |
10 |
4 |
18 |
26 |
3 |
0 |
0 |
21 |
0 |
0 |
0 |
0 |
S |
0 |
0 |
2 |
6 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
4 |
0 |
2 |
失1 |
3 |
1 |
7 |
8 |
2 |
3 |
1 |
9 |
0 |
2 |
2 |
0 |
失2 |
1 |
0 |
1 |
0 |
3 |
14 |
0 |
2 |
6 |
10 |
7 |
3 |
OG6、現役3と珍しく応援が多く、メンバーの他にも伊藤、丹羽、田中が参加 監督 加藤(忠)、 |
7.FR |
3.FC |
5.FL |
4.HR |
9.HC |
2.HL |
8.BR |
同左 |
1.BC |
6.BL |
|
得 |
3 |
1 |
8 |
0 |
0 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
S |
0 |
2 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
失1 |
1 |
4 |
7 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
失2 |
1 |
0 |
0 |
4 |
8 |
1 |
1 |
2 |
7 |
5 |
疲労がぬけきらずコンディション悪す、朝、旅館前でパスを一寸して昼前に迎えのバスで会場に向った。 |
7.FR |
3.FC |
9.FL |
4.HR |
2.HC |
同左 |
5.HL |
6.BR |
1.BC |
5.BL |
8.BL |
|
得 |
1 |
12 |
14 |
0 |
0 |
0 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
S |
2 |
0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
失1 |
1 |
3 |
5 |
3 |
0 |
1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
失2 |
2 |
1 |
0 |
0 |
2 |
5 |
5 |
4 |
5 |
2 |
5 |
(太字現役) 監督 加藤 葛飾はFRへダイレクトボールを上げ小さなバックToでHRに打たすのがどの試合でもよく決ってい居た。クラブS入らず (金 子、宇佐見)
老嬢と言うと失礼かも知れないが、此れが適当と思うから書いてみました。悪く思わないで下さい。今年あたりで、もうOGの人達も集ったようですから、同窓会でも作ってみませんか? というのが私の話です。 お説教だナ、うるさいわネ、てなことを言わずにどうか終い迄読んで下さい。 湯浅直治 あれこれとひねくり廻し理論は一人前であったが技術的に見ると基本技ができてない(その上に経験が浅い)為結果的には何のことはない山もなく丘もなく谷底を通って29年は過ぎてしまった。併し反省してみるにかなりの失敗もあった様だ。筆頭はいつも言うチームワークである。大会が終った頃は各自が自覚していながらどうにも仕様がなかったのは取柄がない。国体が北海道で開催されて早くなった為練習期間がなかった。飽田、穐本、石橋、金子などはやっとバレーボールの味を呑み込んで来た頃であるそれに加えて高度の技術を覚えてしまった?のでなにもかも解らなくなってしまったのではなかろうか。いずれにしろ敗けたのであるから臥薪嘗膽来(今)年に備えて貧乏神を吹っ飛ばしたい。シーズンオフ(今年はボールを握っているが)には案外練習に出る人が少ないのであるが現在の様子では男子共熱心であるからまずその点心配はない。今年は男女共大世帯になるようだが敗者の弁として「統制者にはよく従って自己を抹殺して目的を達成して欲しい」という事を述べる。船高の29年度に於ける運動部は何一つ良くできたものがなかったが船高クラブが大いに活躍してくださったお陰で我々には少しばかり肩身が広くなった。今年だけはOB男女揃って好成績を収めたい唯そればかりでない勉強も立派なスポーツマンとして完成されたクラブの在り方を示したい。 前主将 小笠原敦弘 昭和29年、高校生活最後の年を大いに頑張ろうと年の始めに湯浅,中村両君と誓い合い、張切ってスタートした。まず、抱負の一端である処の新1年生の加入に力を注いだ。此は中学校に於いて活躍していた選手を探して、手紙を出して、加入を勧めたのである。この結果、多数の新人を得た時は大変嬉しかった。こうして春の合宿を迎え、此に新1年生3人も参加するという、近年にない幸先の良いスタートをして前途洋々たるものを感じさせた。然し、第一の目標であった全日本高校選手権予選兼国体予選に、だらしなくも2回戦で敗れてしまい、まったく落胆してしまった。だが、夏の関東大会に希望をつなぎ、再び猛練習に入ったのであった。夏の合宿で,先輩諸氏の熱心な御指導により蜂谷、海老沢のコンビが生まれ、此に小川を加えたAt陣、纐纈を中心とするB陣も見違える様になり、新たに希望をもちなおしたものの、自分の不注意から、試合を2日後にひかえて、肝心要の主力選手に、同時に2人も身体をこわさせてしまい、1回戦にして再び惨敗を喫してしまった。暑い中を毎日来て、たたいて下さった諸先輩に少しも応えることが出来ずに終ったことを非常に残念に思い、且つ申し訳なく思って居ます。 ○その1 HL 小川定雄 ○その2 纐纈 武 抱負も何もただ勝たなければならない。勝つ為でなければ、今頃晩く迄練習はしない。とんだ大きな口をきくと思われるかもしれないが是が非でも勝ちたい。今度の3年が多く2年が少いのは、今年度はよいかもしれないが来年度はおそらく苦しいと思われる。それだけに是非今年は!と思うのである。八人の3年生、此の中から1人でも飛び出るものがあれば絶対に勝てない。全員、特に最上級生の一致団結あってこそ何らかの形が現われてくると思って居る。技術面では、サービスを重視して全員に、いやになる程打たせて居る。特に小川、佐藤、海老沢、蜂谷等にサービスエースを狙ってもらうことになろう。アタックではHR湯浅の出た跡は痛いが、HL小川をフルに使いながら併用するFL海老沢のクイックに蜂谷のシングルTは充分な働きをみせてくれるだろうと思う。昨年は、全日本国体予選を兼ねて行われ、大変やりにくかったが、今年は例年通り、分けて行われるので幸いである。練習試合は多くやり且つ昨年の様に負けこすことのない様にする。又、此等の予選には全員事故なく最良のコンディションで試合することを念願している。最後に、部長,先輩の御指導、御鞭撻を切にお願い致す次第であります。 ○その1 後味の悪かった試合 石黒 弘
我々待望の全日本の檜舞台に出場出来た事は常日頃の練習の成果といえるだろう。2回戦で長野代表に2ー0で敗れたが此は40時間汽車にゆられての旅行で、他県は二三日前に着いて居るのに我々のみ前日の午後に着いたのでコンディションが荒れて居た為で無理はないと思う。此の影響はSが入らぬ上に動きが鈍かったことに現われて居る。然し、こんなことばかりでなく第一セットにしても18ー18となる以前にチェンジメンバーが出来たなかった訳ではないがメンバー用紙を手許に置いてなかった事(監督のミス)が上げられ更に二セット目も策戦タイム、チェンジメンバーをすることなく終った点が問題となろう。又、此の試合で表面化したのであるが前々からチーム内に意見の対立があり試合の時に表われてしまったことである。此は後の反省会で爆発した様に出た。又、言うべきではないかもしれないが審判の技術が勝負に関係した様である。試合後に審判員等の批評を本部役員が行うのでその為固くなって居たのだろうと思われる。試合後に残ったものは何か後味の悪いものだった。我々は此の経験を活かして次期に備え、再出発したいものである。 ---------◇----------◇----------- ○その2 網棚にねたOB -----◇-------◇------- 行く直前、夕方2〜3時間の練習を3日やりました。5〜8人でしたが真っ暗になってしまう迄ボールを追って、手さぐりで服を着て帰るなんて何年ぶりでしょうか。 往きの汽車には参ったな。特別列車の名前はいいけれど延々40時間、急行なら25時間なのに。空いて居たのがマアマアという処。図々しいのが2人分とってねてしまうので、石黒、宇佐見は網棚の上にねたなんてもうないことことですよ。体に網目がついちゃったろう。 小樽在住の千葉出身の方がわざわざ旅館迄来て下さりいろいろお世話下さったり又、会場がいささか離れて居たのに応援に来て頂いたり、全く有難いことでした。 小笠原博司 試合が終ったのは23日、長野代表に惨敗しました。翌日は一時間汽車にゆられて、札幌の街を見物に行きました。玉沢、伊藤、加藤潔、丹羽、私の五人連れです。札幌はとても綺麗で静かな町なのに驚きましたがもう一つ驚いたのは、船橋より美人が多いことです。 ---○-----○-----○-----○-----○-----○-----○-----○--- 加藤 忠太 年の始めにあれこれの考えをまとめ、長期計画の実施をめぐって批判検討の機を得べき会長に相談し、一応此を3月としたのだが、種々の事情が重なって実現に至らず、つぎはぎの計画のまま活動にうつった。役員には役員の義務があるのだが、思い思いの計画で統一や調整もなく五里霧中の活動だったのでまずい結果になった。すっきりした制度に円滑な運営をもたらすには此以上紆余曲折の道を続いてはならない。 HL 2年 小川定雄 綜合選手権にOBと共に出場出来ると聞き幸福だと思った。その前の全日本予選にはやはりクラブで出て惜しくも葛飾ガスに敗れたがその試合に出る迄、打つ度にフカシてしまい、どうしてこうフカスのかと不思議な位だった。そんなことを考えながらベンチに座って試合を見ているとみんな思いきり打ち、のびのびとやって居るようである。それだからよくはいるんだなということに気がついて「どうせフカスなら思いきり打って失敗した方がよほどましだ」と思ってやってみた。すると今迄と違ってよく入る。そうだやっぱり何でも思いきりやった方がよい、とつくづく思った。又、今迄自分はOBの中に入ってやる時はマアマアだが現役でやるとどうもうまく行かない、やっぱり固くなってしまうからだろうということも気づいて居た。そんなわけで綜合には初めからのびのびと思いきりやったと思う。そのおかげで船高バレー部に入って以来一番嬉しい日であったし、又、想出ともなった。今日迄、先生、先輩、友達にいろいろ指導や注意をされて来たがその中で「もっと気を大きくして」ということを確かに何回か言われたことがあると思う。其れがあの時以来一層痛切に感じられた。此を来年の目標としていろいろ頑張って行きたいと思う。又、自分はバレーボールをやっている以上、最善を尽しみんなの為にやるつもりで居る。スポーツをやる者にとって何といっても優勝する程嬉しいことはないであろう。今度こそ現役として優勝したいと思う。最後にあの日一日の自分の行動を書いて終らせてもらいます。朝はいつも起きられないのだがあの日はまだ少し早いというのに目が覚めたので海岸に出た。そして石を拾い思いきり海に投げて、二つ以上はねたら吉、一つだったら駄目、と決めて占ってみた。すると四回もとんだので此は良いナと急いで家に帰り、朝食を済ませて出かけたわけである。試合は占いが当たったのか思った通りに行った。決勝迄は何ともなかったが決勝の対千葉大は相手に先輩の永盛、宇佐見さんが居ることを知っているので徹底的に狙われるだろうと思って少し固くなったが前衛がストップしてくれたので良かった。試合が終り家に帰って早速、今日は優勝したと少しばかり威張ってやった。そうして、永らく手をつけなかった日記帳に、記念すべき嬉しい一日の出来事を書いてから床に入り、その夜はぐっすり良い気持で寝た。 石黒 弘 ○関東女子綜合選手権 金子 一雄 今年は余りなかった様ですが二つ三つ拾ってみましょう。 以上 部長 田中宗男 私の年頃には人々から兎角結婚の話がもち出されるが、私が最初にその話をきいたのは普通いう所の交際は別として、学生時代の終りであった。もう丁度6年間、時々そういう話をきかされて来たわけだが昭和29年8月、(国体出発直前)に話が決まって、遂に人生に於ける第二のスタートラインに着いたわけである。最初の内は折角真面目にそういう話をもちかけてくれる人に、義理的には、”まあよろしく”といい乍ら、心の中では、”俺はまだまだ左様なことは----”と思わざるを得なかった。24,25,26と年が経つに従って、ものの考え方が大分核心化するとでもいおうか、今かんがえてみる時、その頃の思惟思想というものは誰でもそうであろうが、所謂”若い”という言葉につきると思う。 =======◇=========◇========◇======= ○年も押しつまった12月クラブから2人がゴールインというか新たにスタートというかめでたく華燭の典を挙げました。
あれは第1回の25年3月でした。マネージャーのK氏は風呂の帰りに同勢数人で一升びんをぶら下げS酒屋へ醤油を買いに入りました。K氏は丹前姿、坊主頭にはぬれ手拭、他の面々も似たり寄ったりです。酒屋の小母さん 「上の学校の方ですか」 一行 「そうです」 小母さん「寒くて大変でしょう。随分捗りましたか」 一行『?! 違う!-- -----◇-----◇----- 第2回はその年の8月、今と違って風呂帰りのアイスキャンデー等各自の責任に於て、ということになって居ました。K,M氏等がT菓子店で一本ずつ買入れて丁度S酒屋の前で待って居りますとI先輩が追い付いて参りました。「俺の分は?と手を出す先輩にK氏、『そこに売っているよ」とS酒屋を指せば慌て者のI氏はガラリと開けて、「僕にもミルクの1本」 店の娘さんはキョトンとしている、悪童連はゲラゲラ笑う、I氏、怒るより恥しくて、赤くなってしまったというお話。 -----◇-----◇----- 昔は食器は全部各自持参、一寸見は小さくともいやに深い丼があったり、今柔道初段のH氏もなんか丼というより鉢みたいだったり、様々でした。食事といえばN先輩が絶対に人参を口にせず混ぜ御飯から選び出して脇におくのは今の合宿に来ても未だやっているが、もう1人N氏はオコゲが駄目。タチの悪いのが下の方にコゲを入れ白い処でカバーしてやれば、二口、三口でコゲが見えたとたんに、わあ--と悲鳴をあげる位だったんだから恐ろしい。 -----◇-----◇----- 昔の話ばかりで恐縮ですが自分等で炊事して居た頃の或日、確か第1回でした。SY氏が御飯を炊いて居たわけですが他の連中はトラックを走って居るのに吹きさらしの処でじっとして火の番は辛かったとみえて、「寒いな、1回だけ一緒に走ろうか」「OK」てなことになったのが運のつき。帰って来たら薪が落ちて火はチョロチョロ慌てて燃やしてみたものの、遂に「芯があるぞ」の批難を1年位言われ通しだったとは、お気の毒でした。 ◎中学、高校男子
高校男子 金 子 本年度及び我々のスコアブックに於て、特別に用いている記号を次に解説しておく。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
---OBは御注意--- 金 子 公式大会日程の内現在迄に判明したものは次の通り(関係分及び観戦可能の分) 金子 一雄 ▲原稿の内容的な編集のみうけもたせてもらいました。毎年、この為に11月から3月迄
、随分気をつかうし時間もつぶし、いやになることもありますがやっぱり出来てみると嬉しいものです。今年は昨年よりも筆者の顔触れが豊富であるとはいえ未だ未だ多数の方に書いてもらわねばなりません。少しずつでも皆が書いてくれると面白いものが出来ると思うのですが、特にOGから一人も出てないのは残念です。今年は協会の鈴木理事長が一文をお寄せ下さるというのでお待ちして居たのですが、年末から永く患われたとのことでとうとう実現せず、此も大変残念でした。 -----○-----○----- ▲いささか文句じみますが、今迄3回8年分をやって、今度の現役程だらしないのは初めてでした。この為に発行が二ヶ月も遅れてしまいました。其に活動状況にしても脱落の多いものになってしまいました。今迄一試合ももらさず記録して来たのにと惜しまれてなりません。 -----○-----○----- ▲昨年はOBの華やかさに比べて、現役は両方とも哀れでした。今年は三者とも大いに頑張りましょう。 OBの方も今年は一昨年、昨年の様に楽な途じゃないでしょう。 -----○-----○----- ▲宇佐見君がどんな本に仕上げてくれるのか楽しみにして原稿を渡します。 -----○-----○-----○----- 宇佐見武男 △今年度最初の話合の時だった。昨年、一昨年の年報費が七千円もかかり予算総額 壱萬五千円の半分が年報に費やされバレーボールを楽しむ方にはまわらない状態であったので試みに今年度は自分等の手でと言う意見を出したのが具体化したわけです。 △何分にも素人の手で作ったものですから、印刷の不鮮明、製本の悪さは御許容下さい。 △最後に皆さんの原稿を全部独りで整理されて下さった金子さんに紙上を借りて、お礼を申上げます。それから合宿中、印刷や製本に協力してくれた現役の諸君にお礼を述べさせてもらって終ります。 |
昭和30年5月 日 印刷発行 編 集 者 金 子 一 雄 発 行 者 千葉県立船橋高等学校 バレーボール部 船 橋 高 校 ク ラ ブ 印 刷 者 宇 佐 見 武 男 |