この表紙は年報原本のコピーです
年報表紙3



目 次

昨年の歩みーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 忠太
昭和30年の抱負ーーーーーーーーーーーーーーー佐藤 潔・石橋孝子
決 算 報 告ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
合宿練習(高校男子)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
校 内 対 抗ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
合宿練習(高校女子)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
夏の合宿批判ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー石黒 弘
合宿に関してO Bにお願いーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄
活 動 状 況ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
期待外れ(高校男子)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
再び転落(高校女子)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
宿望達成 国体へーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
老嬢の皆さんへーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
現役の諸君諸嬢へーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
卒業の際してーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
昭和29年を顧みてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
最上級生となる年を迎えてーーーーーーーーーーー小川定雄・纐纈 武
◯国体に参加して その1ーーーーーーーーーーーーーーー石黒 弘
   〃     その2ーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄
   〃     その3ーーーーーーーーーーーーー宇佐見武男
旅日記の一頁からーーーーーーーーーーーーーーーーーー小笠原博司
失敗あれこら記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー加藤 忠太
県綜合に優勝してーーーーーーーーーーーーーーーーーHL小川定雄
思いつくままーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー石黒 弘
言いたい放題ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金子 一雄
結 婚 と 私ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー田中 宗男
お し ら せーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
合 宿 ゴシップーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
上位に出たのはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
数 字 は 語 るーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
第一回会合決定事項ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
昭和30年度日程ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
編 集 後 記ーーーーーーーーーーーーーーー金子一雄・宇佐見武男

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「昨 年 の 歩 み」

加 藤 忠 太 

1. 中央進出の機を得る
 我々の念願は県単位に国体の出場で漸く果した。栄冠を更に夢みて強く固く結集しよう
2. 同窓会の新例となる。
 国体の出場を機に同窓会の大いなる援助をいただく。同窓生、在校生の交りをクラブの活動を通じて更に暖めよう。同窓会の援助も得たが練習を中止して謄写インクに手を染めたのも、会場整備に椅子を持ったのもクラブのささやかなお手伝だった。
3. 運動部結集の気運
 卒業生と在校生の交流は今更問題にならぬが卒業生の間で運動部とりわけ球技に関してささやかながら会合をもちスケジュールの交換や互いの応援を手始めに結集したらとこれも国体出場の折話を出した。新しいものが生まれるかもしれない。
4. 社会的な信用
 我々の活動によって、我々をとりまく社会に幾分でも貢献出来たらば我々は幸福であると云えよう。その為には不断の努力は勿論の事でそれに加えた優れたものを我々自身の中に與えていることが必要である。更に謙遜する事も重要である。へりくだる心によって自らを愛し他を愛し行動する事は自ずと他の愛を受ける事になる。この点で是非記して置きたいのは実業界の一流と認められる会社の行事に我々の信用を得た事である。即ちクラブはこの会社の行事(年一回各地に散在する工場を集めて行い、少くも県を単位とした協会や団体に審判を依頼するのが従来の例)に審判を依頼されたのであって過去の業績は社会に認められつつあると言えよう。その折の細い事情は略すとして各位の精進を更に願う次第である。
5. 我々の周囲に
 今年は北海道に遠征した。千葉県のマークが腕章が遠い北海道に於いて我々の注意を促してくれた。温い郷土の先輩、労を犒ってくれる友情、異郷にあって郷土に想いを致す人等、さまざまに生きた教材で勉強させてもらった、修養し博識もその他凡てのものを、バレーボールは包含して絶えず我々に要求している。広く、深く自らをつつしみ合うではないか。  

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「昭和30年度の抱負」

○その1
                      

主将 佐藤 潔

 名実共に千葉県高校バレー界に君臨した我が船高バレー部は、過去2年前、全日本大会に参加し関東大会には毎回出場し、夏では無敵を誇り船高バレーを謳歌していた。しかし昨年、一昨年と2年間は不調で一寸下降気味であったが、今年は面目を一新し過去において先輩の残した成績を再び盛り上げるべく新チームによる猛練習に常に余念がありません昨年度卒業生の出た後はFC中村の後に蜂谷(新3年)、HC小笠原の後に佐藤(新3年)HR湯浅の後に穐本(新3年)を補給して今年は千葉県制覇は勿論国体に出場して又全日本大会でも好成績を目指して部員一同監督を中心に一丸となって邁進しています。その優勝をもたらす源動力は、中衛両サイドのスパイクとFL海老沢のクイックタッチとFR平川(新2年)との時間差キル。特に我がチームの主力であるHL小川(新3年)のスパイクを自由に使いこなし、FLのクイックで補助攻撃して行きたいと思う。攻撃陣と守備陣の差は余りないが特に後衛陣を強固にしたいと思っています。尚,後衛陣は全員新3年でBC纐纈、BR飽田、BL金子と皆な昨年の選手そのままである。サーブも現在6割弱であるが、全日本の県予選では7割位は望んでいる。今年は全日本の県予選は例年より早く行われる予定なので、3月26日からの合宿練習で特に細い技術を身につけ合宿後の練習もすべて実戦的な方法で出来るだけチームワークの向上に主眼を置き最後迄ねばるファイトのあるチームの作成に専念する積りである。本年度こそは母校の栄誉にかけても学生スポーツ精神を盡して頑張りたい。

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○その2
           

主将 石橋孝子

 抱負といったならば毎年同じように勝つこと、新部員を増すことである 。
 此迄、女子は試合に出てもあまり振わぬ成績であったけれども今度こそは部員一同団結して、冬の間にサーウ゛、個人レシーブ等個人技を確実にしておきシーズンに備え備えたいと思う。それから新入生を多く入部させ、練習試合を多くし、試合なれしておきたい。
合宿は2回、3月末と8月初に行いたいと思って居る。

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☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

「決 算 報 告」

◎昭和29年度高校     2月1日現在

◯収 入 の 部
 生 徒 会 費
 繰 越 金


43,700円
43,000円
700円






☆☆☆

◯支 出 の 部
 ボ ー ル 費
 備 品 費

◯差引残高  

16,610円
9,010円
7,600円

(※)27,090円


  (◇ボール単価 約1,600円、 ◇運動部費総額 342,600円)

☆昭和29年度部員徴収金  2月1日現在

◯収 入 の 部
 

8,230円







☆☆☆

◯支 出 の 部
 年報及び雑誌
 旅費及び接待費
 備品、消耗品費
 そ の 他
◯差引残高  

8,739円
1,800円
2,520円
3,000円
1,419円
▲509円


 ※残高が多いのは昨年と同じく予算面だけで現金が貰えぬ為である。
(蜂 谷)

◎昭和29年度クラブ    2月1日現在

◯収 入 の 部
 基 本 会 費
 特 別 会 費
 国 体 関 係
 そ の 他>
 未 収 入 金

76,936円
2,5000円
15,000円
58,287円
159円
1,000円








☆☆☆

◯支 出 の 部
 ボ ー ル 費
 年 報 費
 登録参加費
 交通通信費
 国体関係
 そ の 他
  ◯差引残高  

54,328円
1,500円
6,950円
2,650円
1,175円
39,598円
2,405円
22,608円


   国体関係は県費を除く(ボール3ケ分を含む)国体関係支出が少なかったのは初め、2日前に我々だけ急行で行くつもりの処、結局団体列車にして前日夕に着いた為、県費外で賄うべき者の宿泊費が少くて済んだことと急行券が不要だったことによる。
国体関係収入と支出の差額中、18,000円はクラブの基本金として、へらすことなしに、収入支出の時間的ずれを調節する為にのみ用いることとするべく全員で決定した。

(宇佐見) 

国体関係寄付者御芳名
 一、金弐萬四千円也        船橋市
 一、金壱萬五千円也        船高同窓会
 一、金参千円也          高木市長殿
 一、金参千円也          峰川市会議長殿
 一、金弐千円也          山口久太殿
 一、金弐千円也          大野三郎殿
 一、金弐千円也          富士運動具店殿
 一、金壱千円也          稲田正道先生
 一、金壱千円也          瀬山一男先生
 一、金壱千円也          中務市会議員殿
 一、金壱千円也          多田選手団長殿
 一、金壱千円也          排球部OG各位殿
 一、金五百円也          小倉一長先生
 一、公認球1個(時価一千七百円也)  池田 清殿

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「合 宿 練 習」(男子)

○高校男子第10回夏季合宿
期間 昭和30年7月24日〜8月1日 場所 船橋高等学校試食室
参加費 450円、米3升5合、参加人員 現役9、指導田中、OB宇佐見
起床5:00 準備運動5:50〜6:40 朝食7:00 練習9:00〜11:00 3:00〜6:40
夕食反省会7:30 消灯10:00
 近来になく天候に恵まれ、合宿に入った。今合宿の計画として宇佐見氏に依頼しサーウ゛と綜合Reに重点を置いた。サーウ゛については午前中に行い毎日その状況を記録しスピードより先ず入率に重きを置いた結果五割弱の成績を得た。これは一般に見れば余り良い結果でないが経験半年たらずの人が半分を占めるので並大抵の苦労ではできない。Reでは経験の少いB陣を特に時間を費やした、全体としては粘りのないReと多くの先輩が指摘して居りちょっとした所に脆さが現われている。いまだに基本のパス、フットワークが粗雑であったからかも知れない。Fは中村が退部した結果主力が海老沢(FL)にかかり蜂谷(FC)をトスとしてFR平川はSt専門に行わせた。FLはトスに左右され易く又テクニックがない点試合になるとタッチの実力が半減されている、HL小川はこれ又良く打つのであるが調子に左右され易い。一般にはReはコンビが良くできているが両サイドをAtに使った結果 守備範囲がせまくなった感じがしている。全体にみてチームにまとまりなくてCMは個人的な見解が強く常に反目し合ったり下級生に対する扱いが悪く又二年生も数にまかせ落着きがなくCMの意見を受け入れなかった所に見解の相違がおきてチームワークが悪くなったと多くの目が見ている様である。例年の事であるが必ずと言っても過言でない位主食が不足するのである。自分自身としては3回合宿を責任を取ったがこの間余った事がない。我々としては先輩には金銭的に援助されており又なかには米を持参する人もおるが切りつめた予算で行なっている故昼食10人分でも狂へば不足するので是非この点御一考を願いたい。こんな苦言を言えばお叱りを受けるかも知れませんが後輩の為に是非お願いします。

(湯 浅) 

◯高校男子第9回合宿                         
3月27日〜4月3日 宿舎 試食室 参加費400円、米3升5合、
指導田中先生 OB永盛 宇佐見
 FR蜂谷が不参加でAt練習もまとまったことが出来ず、専ら個人技を中心にした。合宿中ずっと風に悩まされ、特に午後になるとコートが使えなくなり講堂を卓球部と合同で使用した結果、綜合的な練習は殆どやっていない。
 全日本予選が5月上旬に開かれ、国体予選を兼ねるという例年にない日程であった為、この合宿で綜合練習が出来なかったのは非常な痛手であったが、反面新人が多数を占めている故、パス,サーウ゛、の練習には効果があったようである。
 AtはHL小川、HR湯浅のオープンKとFL海老沢のシングルTに重点をおきFC中村はTo専門とした。海老沢には長足の進歩がみられている。Reでは金子、石橋、佐藤と新人が多い為、個人技が中心となって、わずかにH3人がコンビでやったのみである。結果的にはSが一通り揃い、練習試合に出られる様、頭数が出来て、体制が整った程度である。
 尚、この合宿に新入生であった石橋、鈴木が参加して期待されたが惜しくも鈴木は夏休前に落伍してしまった。
 会計面では全面的に赤字になったが、OBの寄附をもって大体埋めることが出来たことを先輩各位に厚く御礼申上げます。

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「校 内 対 抗」

 本年は生ト会がバレーボールを体育の教材とタイアップして行った結果非常な盛況裡に終った。頃は良し天気続きで一二週間前は校内至る所にも5,6人輪になってパスを行っている。又男女共通のリクリエーションでもある故他の校内競技にはみられない雰囲気が和気あいあいと漂っている。最終日の先生がたとの対戦には応援合戦もみられふだん角ばった先生もこの日はエビス顔であった。昭和29年6月19〜28日
 成績 一位 竹内R、二位 須長R、三位 山田R、四位 関R
 職員 1〜2 竹内R
 要領としてはコート6面を使用 15点3セット 準決勝から普通り。

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「合 宿 練 習」(女子)

◯高校女子第3回合宿 5月1日〜6日 参加費380円、米2升5合 宿舎 試食室
 今年は昨年と変って春に行ったので、講堂に於て練習することになった。特にサーウ゛アタックを主とした。サーウ゛はスタンディングで打つようにし、打つ瞬間に握る様にしてやりなさいといわれたが打ちにくいので最初から握ることにした。このサーウ゛はスピードがあるのでこれを生かそうと思って練習することになった。午後はアタックに綜合レシーブである。レシーブはHとBとのコンビが全然とれない。というのはF3、H4、B2に変更したからである。これはアタックを主にやるためである。講堂なので練習が合理的にでき球拾いがないので皆張り切ってやったので非常に効果があったと思います。
先輩、矢吹、中村さんが炊事やその他の世話をして下さったので大変助かりました。
 参加人員10名 会計
 ○収 入 之 部   4,790円   ○支 出 之 部   4,628円
    参 加 費   3,800円      主   食    775円
    部   費    120円      副   食   3,116円
    先 輩より    500円      調 味 料    584円
    そ の 他    370円      燃   料    315円
                   ○残  高       162円  
 祭日を利用しての合宿であったので、間に一、二日授業のあった日の事です。前の晩は明日は授業があるからといって、12時位迄勉強をしたので、その日は疲れと睡眠不足で一時間目から夢を見たり、寝言を云ったりコックリコックリとしていた。先生の話は子守唄の様にやさしく聞えるのみである。特に体育の講義は教える人も教わる人もコックリコックリという話です。

(片 岡) 

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「夏 の 合 宿 批 判」

石黒 弘 

 今期の合宿には2日目から参加した為に、宇佐見に主体的計画を任せ、小生としてはチームワークとReに重点を置いた。初めの2日程、午前Re、午後Atという方法をとって居た様だったが後、変更された。朝のトレーニングを共にしたが、此の時に過激な練習をするとその日の練習に大きく影響するという意見を採り、ロードワークとパス(アンダー、ロング,ジャンプ)のみとしたが此については賛否があると思うので今後の課題として残したい。練習全体を通して、一般に直ちに上達したとみられるものは殆どなかった様に思う。只、Sは相変らずではあったが一応コンスタントになった。此は練習の度に記録をとっていたことにより判明した。Reでは前よりもボールの道筋に入ることを覚えた様だがJud、Covでは未だしの感が深くボールに最後迄喰いついて行くといった粘りは依然として出ない様である。S Reではフォーメーションの組変えなどが度々あり、まごついて居たことがみられた。Atのコンビは幾らかとれて来た様であったがToが余りにも粗雑であった。又、ラリーが続いた場合、無意味に同じ処に上げて打たせ失敗し詰らぬ点を献上するという処がありStも忘れた様に立っている場合があった。こんな時には唯でさえ弱いReを猶弱体化している様にみられる。何れも試合経験が少いからだろうと思う(OBとの試合から)悪い面ばかりあげて来たが良い面がなかった訳ではないことを断っておく。
尚、合宿の運営という面でのCp、Mが努力しているのに非協力的とは言わない迄も協力不充分な面がみられたので今後よく注意して一丸となって驀進してもらいたい。最後にOB諸氏に注意してもらいたいのは、いろいろとコーチするのは良いがA氏とB氏のいうことが違って、どうしたらよいかと迷っている者もある様なので今後は”私はこうしているが、やってみたらどうか”という様にしてもらいたと思う。此は諸氏が技術を習得した過程に相違がある為ではなかろうか。

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「合宿に関してOBにお願い」

金子一雄

 近年OBの数が増すと共に、合宿の際提供する食事が現役の負担となり過ぎている様に思います。昨夏の合宿では延べ40食以上がコーチとして初めから泊っている人以外のOBに供された様です。即ち、予算外支出です。OBの方は1回や2回に思うかもしれませんが出す方にしてみればまとまったものとなって大変ですから今後なるべく米又は米価相当額を出す様にして下さい。(1食2合) 現役の方も”いいです”などと見栄をはらぬこと、去年のMが悲鳴をあげたんだから。或はOBにかかった主食分はまとめてクラブから出すという案もないではありませんが、何分資金難ですし、其れじゃ初めから泊ってるOBは自分で出しているのに不公平じゃないかということにもなりかねないし、一応このようにして下さることをお願い致します。勿論、今迄の夜食はOBで出してやるという美しい習慣は続けたいものです。

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「昭和29年度 活 動 状 況」

 高校男女の分は例年の様なくわしいものがもらえず、而も此だけもらうにも編集者としては何返足を運んだか分りませんし時期的にもおそくなって、此以上発行を延すわけにも行きませんので、とにかく試合成績だけでも落さぬ様にしてもらいましたが事実は脱落が多い様です。

(金 子) 

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「期 待 外 れ(高校男子)」

 FC内藤、BC加藤、BR丹羽を送り出したとはいえHL小川、HR湯浅の攻撃力に進歩がみられて居り、或る程度の自信をもってスタートした年であったが結果は春2回戦、秋はブロック予選の1回戦と全然問題とならず3年生はOBの試合で気を吐いただけ、ということになってしまった。6月にはFC中村の退部あり蜂谷が後をついだがポジションになじまぬ内にシーズンを終った様な恰好である。尚、湯浅、小笠原、小川はOBの試合に3回出場したが、秋の県綜合で小川はスパイクに自信をもつことが出来たようで30年度は大いに活躍を期待してよかろう。
                       

(金 子)
 3月下旬 一週間の合宿を終えて引続き練習
○4月5日 於て東葛高
 国府台高 2(21-5、19-21、21-18)1 船高
 1セット別に悪い処もなく、ファイトもあったが相手のペースにまきこまれて完敗、2セット後半にもり返したものの3セットにサーウ゛入らず敗れた。
 水海道高(茨城) 2(21-7、21-17)0 船高 
 相手の体の大きいのと試合前の練習にすくんでしまった感があった。(特にF)
 船高 2(21-13、21-17)0 東葛高
○4月24日 於国府台高
 国府台高 2(21-15、10-21、21-19)1 船高
 船高 2(21-18、21-18)0 市川高
○5月9日 於船高講堂
 順天堂大学 2(30-28、21-16)0 船高
 BR欠場の為応援に来たOB加藤を入れる、相手が大学とあって大いに張切ったが及ばず2セットはFCに幻惑された。
 船高 2(11-21、21-19、22-21)1 市川高

◎6月5日 全日本高校兼国体予選 於四街道 参加30
 船高 2(21-11、21-5)0 関東高   入率0.48、S 13、-S 2、SS 2
  戦前、関東強しの声が高かったが案外もろく2ndSも返らず楽勝
 長生一高 2(20-22、21-18、21-18)1 船高  入率0.31、S 5、-S 9、SS 3
  1セットSよく入るが長生も好調 2セットから長生は益々よいのに比して船高のS は入らなくなりS Reも悪く惜敗。此を最後に中村身ひく。

  
 

9.FR
蜂谷

5.FC
中村

7.FL
海老沢

3.HR
湯浅

2.HC
小笠原

4.HL
小川

8.BR
佐藤

1.BC
纐纈

6.BL
金子

1

12

9

0

0

25

0

0

0

S

1

2

1

2

2

4

2

2

2

失1

0

5

7

1

1

8

2

2

3

失2

2

2

1

2

6

5

3

3

3


○7月  於市川高
 市川高 2(21-18、21-18)0 船高
 風が強くてS入らず、又S Re悪く大事な時にSSが出るという有様であった。尚、審判が非常に悪かった。(市川高OB) 
○7月  於国府台高
 国府台高 3(21-17、21-13、12-21、21-13)1 船高
○7月31日 合宿最終日
 OB 2(21-7、21-19)0 現役、 OB 2(21-15、22-20)0 現役
 8月20日練習開始 OBが国体に行った為、残った長島氏が忙しい処を特に出て来て下さる。

◎8月28日 県大会東葛ブロック予選 於東葛高 参加6
 市川高 2(22-20、19-21、21-18)1 船高
 FC蜂谷(腰痛で切上らず)、HL小川(前日迄熱高く寝ていた)の調子悪くAtが思うに任せず又、S、Re共に良いとは云えなかった。
○9月11日 於船高
 国府台高 2(21-18、21-16)0 船高  S 5、-S 6、SS 5、入率0.31
  船高は新メンバーにて行う。
 船高 2(11-21、24-22、25-23)1 国府台高   S 10、-S 8、SS 3、入率0.37
  小笠原、湯浅入る。
○11月28日 於船高講堂
 船高 2(19-21、21-18、21-14)1 市川高
  お互い新メンバーとして戦う。 市川HLだけにも不拘終始苦戦する。共にSS非常に多く、屋内での2ndSに一考を要す。
  この一日の試合は相手が片寄ってしまった(市川,国府台)傾向があるがなるべく多くの相手とやる方がよいと思う。又、全試合を通じてみられたことは
 1。サーウ゛の入った時は勝っている。
 2。At陣を充分使いきれなかった。
 3。サーウ゛及びセットセットの好不調の波が非常に激しい。
 4。最後の頑張りが足りない 此は昨年のチームばかりのことではない様だ。


(小笠原)

註、2年生に書いてもらう筈でしたがいつ迄たっても埒があかないので卒業で多忙な小笠原君を患わしました。
                 

(金 子)


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「再 び 転 落(高校女子)」

 卒業生は3名、前衛は全員残るという比較的恵まれた条件で迎えたシーズンであったが1年生の入部が少く、結局昨年よりも振わぬ結果となってしまった。
○4月25日 於千葉二高
 明徳高 2(21-15、21-14)0 船高、
 船高 2 (22-20、21-15)0 千葉三高
 5月初め休日が続く処で合宿を行う。
○5月15日
 船高 2(17+21、21-15、21-19)1 千葉三高
 5月25日
 千葉三高 2(21-19、9-21、22-20)1 船高
○5月29日
 船高 2(21-13、21-14)0 明徳高、
 船高 2(23-21、21-16)0 明徳高校

◎6月5日 国体予選兼高校選手権予選 於四街道 参加35
 敬愛高 2(15-21、21-11、21-13)1 船高
○7月17日
 船高 2(23-21、21-9)0 明徳高
 8月は18日から練習を始めたが集りも悪く、又、先生はOBについて国体に行ってしまったので指導してくれる人も居らずバラバラのまま県大会のブロック予選を迎えた。

◎8月28日 ブロック大会 於東葛高 参加7
 船高 2(21-18、21-14)0 国府台高
 [準決勝]
 船高 2(24-22、21-10)0 野田高
 [決勝]
 昭和学園 2(21-14、21-18)0 船高
  初の約束により決勝で敗けたチームは、準決勝で優勝チームに敗けた処と改めて2位決定戦を行う。
 [2位決定戦]
 松戸高 2(21-17、21-18)0 船高
  2位迄が県大会に出場出来るので船高は失格した。此の日 炎天下に風も強く砂ほこりも多かったので連続した最後の試合の時など我々は相当疲労して居たが松戸は此が2回目の試合とて元気一杯であったので差を大きくせずについて行くのがやっとだった。
 この後試験にかけて暫く休み、大会もないので3年生は例年より早く引退したが関東女子綜合に下級生だけでは出場不能だったので、再び3年生にも出てもらった。

◎9月25日 関東女子綜合 於お茶水大
 跡見ク 2(21-14、21-9)0 船高
 シーズンオフの練習はコート移転で中断したりしたが、男子Mだった湯浅さんが女子の方を専任で指導してくれることになり、1年生4名も加えて部員10名の気持もようやく一致して来たので欠席者もなく熱心にやった。技術的にはともかく、皆の気持が従来になくまとまって、進んでやる様になった点、この冬の収穫であったと思われる。

(春 田) 

 [関東女子綜合戦評]
 スコアは簡単にやられているが実力は同程度と思われた。サーウ゛力、レシーブは同程度であり、アタックは殆ど変らないがコンビがとれていた点相手に一日の長がある様であった。さて、試合では1セット前半互角で、後半崩れ更にベンチの無策(諦めた様にタイムもとらない)で敗れてしまった。この頃迄相手主力FLは殆ど打って居らず、お互いのサーウ゛と凡ミスで決った様であった。2セット目は初から押されFLをとめられず、一方的に稼がせて居た。更に船高はレシーブコンビが悪く、カバーをしないで居たり、加えてトスが主力HRに上がらない(殆ど前衛迄返らない)で押し切られた。最後相手が20点となっている時ベンチでダブルファーストをやる様に言ったそうだが、この事については賛成出来かねる。どうも根本的な練習が必要の様であった。終って、他チームのプレーを観て研究するかと思ったらすぐ帰ってしまったが,此では発展性がない様に思う。

(石 黒) 

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「宿 願 達 成 国 体へ(クラブ)」


 待望の全国大会へ、其も北海道迄行けるという最良の年であった。そろそろ練習不足が目立って来て、而も若手の充分でないという処へ強敵葛飾ガスの登場、工大,順天堂の充実と29年度は多難を思わせたが、此らの条件が、県で勝てば国体へ行けるという好機と相まって我々を例年以上の猛練習に追いこんだのである。その結果、北海道遠征、帰って学生の欠場の為に綜合予選には敗れたが、県綜合にも現役H陣の奮闘によって2連覇、3度目のカップを手にした。然し、攻撃陣のジャンプ力減退が目立ち、現役時代の呼吸でやって来たコンビにも崩れがちになって30年度の苦難が予想される。

○3月6,7日 於千葉二高
 審判講習会 今鷹審判長来講 高校生やルールを知らない人が多く,審判についてよりもルール説明会の観あり。6日4名、7日6名出席。
○3月14日 練習2時間半 9名
○3月26日 練習
○4月4日 都市対抗 キケン
○4月11日 総会 出席 男18,女3
  一般会費は100円全員納めることに決定
○4月18日 練習10時〜2時 雨の為講堂
○5月2日 女子合宿中なのでOB4、OG3集る
○5月5日 練習 10名、珍しく小暮出席
○5月9日 現役の試合に5人集る

◎5月16日 一般選手権 於四街道 参加10
 船高ク 2(23-21、21-11)0 千工大  S 7、-S 1、SS 7、入率0.56
 船高ク 2(21-13、21-19)0 安房ク  S 5、-S 3、SS 7、入率0.29
 [決勝]
 船高ク 2(21-19、21-14)0 桜友ク  S 2、-S 5、SS 2、入率0.14
  加藤キの4、近藤の3を初めSS多し 決勝はS入らず苦戦したが10ー10からAtよく決り逃げ切る。 監督 加藤

 

7.FR
中村

同左
高橋

6.FC
内藤

2.FL
近藤

3.HR
湯浅

4.HC
小笠原弟

9.HL
小川

7.BR
丹羽

同左
加藤忠

1.BC
加藤潔

8.BL
小笠原兄

1

9

23

24

1

0

10

0

0

0

0

S

1

0

0

0

0

1

2

0

3

4

3

失1

1

4

11

8

1

4

3

2

2

7

4

失2

2

0

3

2

5

6

0

2

0

5

6



○5月30日 練習 2時間半
○6月15日 練習 10時〜5時半 正味4時間 出席12名 現役より5名
      午後はコンビとS Reを主とする。
○6月20日 11時〜2時 講堂にてバスケットが合宿中だったが昼休みを少し長くして      もらって借りた。14名、現役7名 乱打を主とし、Sはうてなかったが大変能率よくできた。
○6月27日 国体予選の筈だったが雨にて延期 千葉駅より戻って講堂で練習3時間、
      15名、現役4名、女子2名 乱打を主とする。
◎7月4日 国体予選 於四街道 参加16
 船高ク  キケン  野田醤油
 船高ク 2(21-4)0 葛葉ク  S 4、-S 1、SS 2、入率0.35
 船高ク 2(21-10、15-21、21-7)1 桜友ク 
      S 8、-S 3、SS 5、入率0.33
 [決勝]
 船高ク 2(21-12、14-21、21-16)1 葛飾ガス 
      S 5、-S 5、SS 2、入率0.44


 

7.FR
山賀

同左
内藤

3.FC
永盛

5.FL
金子

8.HR
宮原

9.HC
海老原

同左
玉沢

1.HL
近藤

4.BR
加藤潔

2.BC
宇佐見

6.BL
小笠原

同左
石黒

10

4

18

26

3

0

0

21

0

0

0

0

S

0

0

2

6

1

0

0

2

0

4

0

2

失1

3

1

7

8

2

3

1

9

0

2

2

0

失2

1

0

1

0

3

14

0

2

6

10

7

3


 OG6、現役3と珍しく応援が多く、メンバーの他にも伊藤、丹羽、田中が参加 監督 加藤(忠)、
 初めややだれている様に感じられて気づかわれたが試合開始と共にテキパキした動きを示しまとまりよく、進んだ。決勝は初見参であったが双方共自信をもって居た様である。
葛飾FRに対するSt悪くインナーに相当決められたがBR加藤のファインプレーもあってさしたる波瀾もなく終った、FR7、HR9、FL6得点さる。2ndSを徹底的にBL深くついたことは相当効果があり直接点になったことも二、三あった。双方に1本づつ猛烈なStポイントのあったのが印象に残った。 SS近藤4、永盛3、小笠原宅で反省会とうち合わせ

○7月11日 於西高体育館
 東京大学 2(21-19、21-19)0 船高ク
 東京大学 1(21-15、20-22)1 船高ク
○7月25日 練習12名、現役合宿中に付一日中
○7月31日 合宿最終日 於講堂
 OB 2(21-7、21-19)0 現役、 
 OB 2(21-15、22-20)0 現役   夜 懇親会28人
○8月1日 9時半〜10時半 8名 
      全校同窓会席上にて選手紹介あり、餞別を頂く。
○8月8日 練習 10時〜2時 10名、現役2名 遅刻者多く、おそくなったので昼食  ぬきとする。
○8月11日 練習 5時〜7時半 8名
○8月12日 練習 4時半〜7時 5名
○8月13日 練習 4時半〜7時 7名
○8月14日 教育会館にて結団式 全員参加
  船高ク 5(21-8、22-20、21-15、21-16、22-20)0 地理調
○8月15日 練習 9時〜12時15分 11名
○8月18日 夕刻 小笠原宅に集合 最後のうち合わせ
○8月20日 21時20分上野発 現役、OB、OG見送り多数あり有難し。
 8月22日 14時37分小樽着
  初め、我々だけ18日頃の急行で行く筈だったが県よりのたっての希望により団体列車にした。総勢16名、内3名は前日の急行
◎8月23日 於汐見台中学体育館 第9回国民体育大会
 清水丘ク(長野) 2(21-18、22-20)0 船高ク 
      S 6、-S 3、SS 0、入率0.30


 

7.FR
山賀

3.FC
永盛

5.FL
金子

4.HR
宮原

9.HC
海老原

2.HL
近藤

8.BR
加藤潔

同左
石黒

1.BC
宇佐見

6.BL
小笠原

3

1

8

0

0

7

0

0

0

0

S

0

2

1

0

0

0

0

0

3

0

失1

1

4

7

0

1

0

0

0

1

0

失2

1

0

0

4

8

1

1

2

7

5


 疲労がぬけきらずコンディション悪す、朝、旅館前でパスを一寸して昼前に迎えのバスで会場に向った。
 サーウ゛が宇佐見の0.51を除いては殆ど入らず合計0.30に過ぎなかった点が最も影響している。FL,HLを1本もSt出来なかったのも大きい。HL14、FL6の得点を許した
 練習時間5分を3分半位でうちきられて、サーウ゛の練習が出来なかったことを言訳としてサーウ゛が入らなかったという者も居たが誰でも2〜3回は打席にたったのだから初回、いや初球さえうてばその日の具合が体に感じられるのではないかと思われる。
 それでなくては平常サーウ゛に多くの時間をさく意味がない。こういった点反省の要がある。尚ベンチも落着きがなかった。千葉県よりレベルの低い県も多々あることはが感じられ自信のついたことはよかった。他県のように3日前位に行きたかったことだけが心残りである。前々日着のチームさえ少くまして前日の午後など我々だけであった。
 反省会はいろいろ今迄にない遠慮ない意見の交換が行われよかったが時間不足だった
 結局大きな問題は二つあり、一つは所謂幹部と他の人のギャップだが此は結局、今迄面倒なことは余りにも監督とM等一部の人任せで、好きな時好きなだけバレーをして後は知らんという人が居たという処に落着きそうである。もう一つはベストメンベーと補欠に相当する人との問題、此は皆同じ様に試合に出て楽しみながら行くか、勝つこと第一で行くかの問題で、今迄も何度か燃え上がりかけてはくすぶって居たが、早くなんとか結論を出して、クラブの方針というものを決めておく必要があるのではなかろうか。
 前記メンバーの他監督加藤、玉沢、内藤、田中、伊藤、丹羽
 尚、国体関係Mは事務 宇佐見、県費会計 加藤、一般会計 金子の扱いとする。
 多くの方々中には思いもかけぬ様な方から迄多額の御援助を頂き又小樽在住の方にもずい分お世話になり全く有難いことでした。 石黒の父上にも大変お世話になりました
 24日朝一応解散とし、田中、金子、山賀、宇佐見は現役の試合に間に合う様急ぎ返る。
 
 
○9月5日 練習 9時〜12時半 OB9、現役6
◎9月11日 全日本綜合予選 於四街道
 船高ク  キケン  長狭高ク
 船高ク 2(21-18、21-19)0 千葉銀行   S 5、-S 2、SS 2、入率0.32
 [準決勝]
 葛飾ガス 2(21-16、21-12)0 船高ク   S 1、-S 3、SS 0、入率0.22

 

7.FR
山賀

3.FC
永盛

9.FL
近藤

4.HR
湯浅

2.HC
玉沢

同左
小笠原

5.HL
小川

6.BR
加藤

1.BC
宇佐見

5.BL
宮原

8.BL
内藤

1

12

14

0

0

0

6

0

0

0

0

S

2

0

0

3

0

2

0

0

0

0

0

失1

1

3

5

3

0

1

2

0

0

0

0

失2

2

1

0

0

2

5

5

4

5

2

5

 (太字現役) 監督 加藤

 葛飾はFRへダイレクトボールを上げ小さなバックToでHRに打たすのがどの試合でもよく決ってい居た。クラブS入らず
 (永盛、宇佐見は大学リーグ戦中であったが、3部は日程の都合で空いた為こちらへ出場す)
○10月10日 全日日毛大会審判 9名、 日毛より公認球一個頂く
○10月17日 練習 人数少くほんの少し。

◎10月24日 第7回県綜合 於四街道 参加12
 船高ク 2(21-13、21-7)0 日立茂原
 船高ク 2(21-18、21-11)0 千葉工大
 {決勝]
 船高ク 2(21-7、26-24)0 千葉大学
  永盛、宇佐見は千葉大で出場、スコアはとれなかったがSは大体よく入って居た。但しSS多し。Bが大変調子悪く2ndSが満足に返らなかった。現役HL小川の活躍は此を補って余りあった。彼は気楽に唯うつことに専念させれば大変鋭いKをする。Stは大体よく出来て居た。
 出場メンバー  (太字現役)
      前衛(5.R 山賀、8.C 近藤(内藤)、3.L 金子)
      中衛(2.R 湯浅、6.C 小笠原(海老原)、4.L  小川
      後衛(7.R 加藤(丹羽)、9.C 石黒、1.L 小笠原兄)
     監督 加藤
 葛飾は準決勝で千大に敗れた 千大は準決勝の元気なく後半やや落着いたが初め上がって居た様であった。
○11月14日 第2回ハイキング 中津川渓谷へ 幹事小笠原 他OB7、OG3
○11月21日 読売大会観戦 OB9、OG2、現役男9、女7
○12月24日 忘年会 於魚半 田中先生他OB22、OG2、現役1、
      会費300円、OG現役半額
 会長改選は池田留任の声高かったが本人の固い辞意により第1期生の互選とし、
  会長 加藤忠太、主将 近藤弘男、監督 加藤忠太と決定する。
○1月23日 集れる者だけ数名で宇佐見宅でいろいろ相談する。
○2月12日 現役の指導について田中先生とOB4名でいろいろ相談する。

(金 子、宇佐見)
 
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「老嬢の皆さんへ」 


 老嬢と言うと失礼かも知れないが、此れが適当と思うから書いてみました。悪く思わないで下さい。今年あたりで、もうOGの人達も集ったようですから、同窓会でも作ってみませんか? というのが私の話です。
 全日本の大会や国体云々と言うのではなくてよいのです。もっと下りましょう。試合なんかしなくてもよいのです。たまの日曜日、今日は白粉や口紅ぬきで、お日様の光を素肌にあてて、無心にボールでも追いかけて過すと言うのは何うですか。
 先の長い話で恐縮ですが、貴方達が結婚して、その子供が結婚する。(大分長いです) そしてお姑さんにでもなって御覧なさい。貴方に趣味がなくて何もする事がないと、お姑さんと言う者は、息子のお嫁さんの欠点探しを始め、なんとか小言を言わないとおさまらないと言うことがよくものの本に書かれてます。御婦人の趣味は実益の伴うものが多いようです。よく婦人なにがしとか本がありますね。あれに趣味と実益をかねたネクタイあみとか洋裁とありますがどうも私には感心出来ません。と言うのは、女の人はすぐこれを何処何処のお店へ持ってゆけばいくらとか経済なんて言葉を使います(女学生にはわからないかも知れません)だけどこれじゃ内職ですよ。女の人は生花、お茶とか踊りがあるじゃないかと言う人があると思いますが、未婚の女性の習うのは嫁入り道具ですよ、と極言が言われるくらい、結婚してやめてしまう人が多いからです。
 白髪のおばあさんが若い女学生とスポーツを共に楽しみ、あとで大鼓焼きを食べるなんてずいぶんハイカラなことです。
 少年易老、いや少女です。いくらゴテゴテぬってみたとこで、品はあらそえないものです。大きな夢を追ってゆくことを祈ります。種々と失礼なこと申上げましたがお許し下さい。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

「現役諸君諸嬢へ或OBから」

 お説教だナ、うるさいわネ、てなことを言わずにどうか終い迄読んで下さい。
私としても、俺達の時は--という考え方でなく、君達のして居ることが第三者にどう見えるかという冷静な気持で此を書いているのですから
  男子諸君へ 女子も読んで下さい
○OBが行けば、是非勝てよだの、しっかりやれよだかとよく言いますね。私もたまに行けば必ずそう言います。だけど君達はこういうのをどんな気持で聞いて居るんだろうか
勝たなきゃならんのは、そして勝つ為の力は君達自身なんだということをはっきり自覚しているでしょうな。OBは勝たせたいと思ったら、こうしろああしろと言ってりゃ其で済む身分だし、又其しきゃ出来ないんだ。然し、君等は口で言うだけじゃ駄目だ。君等は当事者なんだから其相応の努力をしなきゃいけない。OBなみで済ませちゃ困る。その辺一寸錯覚を起こしているんじゃないだろうか。OBは結局部外者なんだ。そしてもう一つ、先生やOBを頼りにするな! 全部、自分達でやるつもりになってみろよ。そうすりゃ余り廻り道しそうな時は誰かが助けに行くさ。お膳立てを済ませて、此でやるから一つ手伝ってくれないかとOBの処へ言ってくる位にしたらどうかなと思うんだが。今の状態は先生やOBが先になってる感じだな。
○練習は毎日2時間半やればいいんじゃないんですぜ。惰性じゃ駄目、短くともいいから充実したのをやってくれよ。ぼんやりとタマを突きとばして帰るなんて時間の浪費だよ。
  女子諸嬢へ  男子も読んで下さい
○聞く処によると、今迄と違って熱心に練習に出るということ、やっと部らしくなったな
続けてくれよ。ここらでもうしっかりとした部の雰囲気が出来上がっていい頃だ。
○プレーの面で新開拓はないかな 高級技術はいいから、クタクタするのをやめてもっときびきびしたプレーをやってくれ。コートに立ったら、力だ、野性だと思うね。制服を着た時、普通のお嬢さんに戻ってくれなきゃ困るけどね 唯、普段は勿論、コートの上でも品があるってのは大切なことだ。(男女共さ)
○喧嘩するなよ。女の子はすぐフンとして仲違いするから嫌さ。子供じゃあるまいし、協調ということを忘れるなよ。少し勝手な処が多いんじゃないか?
  男女皆さんへ
もっと仲良くして下さい。お互いに練習方法を相談したり、進捗状態を報告しあったり、或は男子が女子のレシーウ゛を叩いてやったり、したらどうですか 仲良くはしてるんだろうけれど練習という面でお互いにもっと助け合わなきゃとおもいますがね。雑談の相間に技術的なことが出るだけだって随分為になると思いますよ。美空ひばりや鶴田浩二の噂ばかりじゃね(此の処失言かな)

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「卒業に際して後輩へ」

湯浅直治 

 あれこれとひねくり廻し理論は一人前であったが技術的に見ると基本技ができてない(その上に経験が浅い)為結果的には何のことはない山もなく丘もなく谷底を通って29年は過ぎてしまった。併し反省してみるにかなりの失敗もあった様だ。筆頭はいつも言うチームワークである。大会が終った頃は各自が自覚していながらどうにも仕様がなかったのは取柄がない。国体が北海道で開催されて早くなった為練習期間がなかった。飽田、穐本、石橋、金子などはやっとバレーボールの味を呑み込んで来た頃であるそれに加えて高度の技術を覚えてしまった?のでなにもかも解らなくなってしまったのではなかろうか。いずれにしろ敗けたのであるから臥薪嘗膽来(今)年に備えて貧乏神を吹っ飛ばしたい。シーズンオフ(今年はボールを握っているが)には案外練習に出る人が少ないのであるが現在の様子では男子共熱心であるからまずその点心配はない。今年は男女共大世帯になるようだが敗者の弁として「統制者にはよく従って自己を抹殺して目的を達成して欲しい」という事を述べる。船高の29年度に於ける運動部は何一つ良くできたものがなかったが船高クラブが大いに活躍してくださったお陰で我々には少しばかり肩身が広くなった。今年だけはOB男女揃って好成績を収めたい唯そればかりでない勉強も立派なスポーツマンとして完成されたクラブの在り方を示したい。

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「昭和29年度を顧みて」

前主将 小笠原敦弘 


 昭和29年、高校生活最後の年を大いに頑張ろうと年の始めに湯浅,中村両君と誓い合い、張切ってスタートした。まず、抱負の一端である処の新1年生の加入に力を注いだ。此は中学校に於いて活躍していた選手を探して、手紙を出して、加入を勧めたのである。この結果、多数の新人を得た時は大変嬉しかった。こうして春の合宿を迎え、此に新1年生3人も参加するという、近年にない幸先の良いスタートをして前途洋々たるものを感じさせた。然し、第一の目標であった全日本高校選手権予選兼国体予選に、だらしなくも2回戦で敗れてしまい、まったく落胆してしまった。だが、夏の関東大会に希望をつなぎ、再び猛練習に入ったのであった。夏の合宿で,先輩諸氏の熱心な御指導により蜂谷、海老沢のコンビが生まれ、此に小川を加えたAt陣、纐纈を中心とするB陣も見違える様になり、新たに希望をもちなおしたものの、自分の不注意から、試合を2日後にひかえて、肝心要の主力選手に、同時に2人も身体をこわさせてしまい、1回戦にして再び惨敗を喫してしまった。暑い中を毎日来て、たたいて下さった諸先輩に少しも応えることが出来ずに終ったことを非常に残念に思い、且つ申し訳なく思って居ます。
 最後に、数多くの試合に実力を有し乍らも負けた原因を、私的だが挙げてみると、其は精神面の欠如が最大のものであったと思われる。今年は新メンバーが早くも例年より充実しているのだから、この点(精神面のこと)をしっかり考えて、県制覇をなし遂げられんことを願うものである。

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「最上級生となる年を迎えて」

○その1                       HL 小川定雄

 抱負といえば何と言っても勝つこと、即ち、優勝することである。全日本,国体、関東と三つの県予選に勝ち、入学以来味わったことのない喜びを味わいたいのである。一二年の時は,勝てなくとも来年は、という様な気持もあるが三年生にとってみれば最後の年であるから、どうしても、という気になる。この様な考え方が今迄無意識の内にもあったのではないだろうか。だからうまく行かなかったのではないだろうか。そういう点で今年は気をつけてみんな一つとなって一戦一勝をもって戦って行きたいと思う。其にはまずチームワークである。チームワークがとれて居れば、いざという時にも少しも慌てなくてだいぶ出来ると思う。今年はFL海老沢、FC蜂谷などかなりやってくれるしFR平川も右手のスパイクにかなりの圧力(強力さ)があるので活躍できると思う。然し、何と言ってFC,FLのクイックタッチである。此のコンビさえ合えばおそらく夢が叶うだろうと思う。バックも纐纈を中心に右に飽田、左に金子、ハーフはR穐本、C佐藤とみんなよくとるからあとは其れを試合の時に充分発揮すればよいのである。姫路の全日本、神奈川の国体と県で勝てばいいのだから両方とも是非行きたいものである。それから、今年は練習試合を多くやること、其も去年迄は出張が多かったが今年は幾らかちゃんとしたコートも出来たし、費用も助かるのでなるべく本校でやりたいと思う。合宿は二回、その時は例年通りチームワークその他合宿についてはC、Mが書くだろう。
 最後に今年は三年生が8人になるので良いが此が卒業すると残り二人になってしまう。だから、新一年生をなるべく多く入れる様に努めることが必要だと思う。

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○その2                         纐纈 武 

 抱負も何もただ勝たなければならない。勝つ為でなければ、今頃晩く迄練習はしない。とんだ大きな口をきくと思われるかもしれないが是が非でも勝ちたい。今度の3年が多く2年が少いのは、今年度はよいかもしれないが来年度はおそらく苦しいと思われる。それだけに是非今年は!と思うのである。八人の3年生、此の中から1人でも飛び出るものがあれば絶対に勝てない。全員、特に最上級生の一致団結あってこそ何らかの形が現われてくると思って居る。技術面では、サービスを重視して全員に、いやになる程打たせて居る。特に小川、佐藤、海老沢、蜂谷等にサービスエースを狙ってもらうことになろう。アタックではHR湯浅の出た跡は痛いが、HL小川をフルに使いながら併用するFL海老沢のクイックに蜂谷のシングルTは充分な働きをみせてくれるだろうと思う。昨年は、全日本国体予選を兼ねて行われ、大変やりにくかったが、今年は例年通り、分けて行われるので幸いである。練習試合は多くやり且つ昨年の様に負けこすことのない様にする。又、此等の予選には全員事故なく最良のコンディションで試合することを念願している。最後に、部長,先輩の御指導、御鞭撻を切にお願い致す次第であります。

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「国 体 に 参 加 し て」

○その1 後味の悪かった試合               

石黒 弘


 我々待望の全日本の檜舞台に出場出来た事は常日頃の練習の成果といえるだろう。2回戦で長野代表に2ー0で敗れたが此は40時間汽車にゆられての旅行で、他県は二三日前に着いて居るのに我々のみ前日の午後に着いたのでコンディションが荒れて居た為で無理はないと思う。此の影響はSが入らぬ上に動きが鈍かったことに現われて居る。然し、こんなことばかりでなく第一セットにしても18ー18となる以前にチェンジメンバーが出来たなかった訳ではないがメンバー用紙を手許に置いてなかった事(監督のミス)が上げられ更に二セット目も策戦タイム、チェンジメンバーをすることなく終った点が問題となろう。又、此の試合で表面化したのであるが前々からチーム内に意見の対立があり試合の時に表われてしまったことである。此は後の反省会で爆発した様に出た。又、言うべきではないかもしれないが審判の技術が勝負に関係した様である。試合後に審判員等の批評を本部役員が行うのでその為固くなって居たのだろうと思われる。試合後に残ったものは何か後味の悪いものだった。我々は此の経験を活かして次期に備え、再出発したいものである。

---------◇----------◇-----------

その2 網棚にねたOB 
                

金子 一雄

 まず、嬉しかったの一言につきます。勝ったことも嬉しかったし,行くと決ってからの周囲の人達の思いもかけなかった程の声援も嬉しかったし, 大体船高は優勝回数は多いのに全国大会出場は現役が国体と高校選手権各1回、OBは今度が初めて、と安房佐倉あたりに比べてぐっと少ないこと不思議な位です。だから余計嬉しかったんでしょう。其にクラブの親睦の為にも絶好でした。皆さんの援助のおかげで16人も行くことが出来て、つまり練習に出て居た顔触れは全員行を共に出来たわけです。

-----◇-------◇-------

 行く直前、夕方2〜3時間の練習を3日やりました。5〜8人でしたが真っ暗になってしまう迄ボールを追って、手さぐりで服を着て帰るなんて何年ぶりでしょうか。
バレーをやってよかったなあという気持が、勝った時以上に湧き上がって来ましたっけ。

          -------◇-------◇--------

往きの汽車には参ったな。特別列車の名前はいいけれど延々40時間、急行なら25時間なのに。空いて居たのがマアマアという処。図々しいのが2人分とってねてしまうので、石黒、宇佐見は網棚の上にねたなんてもうないことことですよ。体に網目がついちゃったろう。
 試合当日は岩見沢から2時間の道を石黒の父上と妹弟さんが応援に来て下さった。
伜の、兄ちゃんの活躍ぶりを、と思ったのにいささかだらしのない敗け方で3人共がっかりされたことでしょう。夕方からビール等々大層御馳走になり、その上お土産も大量に戴いて全くお礼の申し様もありませんでした。(ビール2立入りの太いびんなんて初めてお目にかかりました。) 初め、石黒のお父さんだから挨拶に出ろよと言われた時は他の室にひっこもうとしたくせに、妹さんも来ているぜ、と聞くと、じゃあとか言ってとんでった奴が居たよ。確かに。

          ------◇--------◇-------

 小樽在住の千葉出身の方がわざわざ旅館迄来て下さりいろいろお世話下さったり又、会場がいささか離れて居たのに応援に来て頂いたり、全く有難いことでした。

その3 始から終迄
                  

宇佐見武男

  ---予選当日---
 葛飾ガスは今年度新しく登場したチームで早大OB3人と明大OB1人を中心にまとまったベテランチームである。決定力の強いかわりRe陣がBのサイドが弱いので、我々が主導権、先制攻撃が出来れば勝つ可能性あり、そうでなければ反対と考えていた。第一セット先取出来たのが幸運だった。第二セットまったく先方に乗ぜられた形。最後の第三セット、ベンチで声の続くかぎりはげまし合い、力一杯、出来るかぎりをつくして闘うと誓い合った。チェンジコート迄は一点一点をとる接戦、コートが変った後ようやくペースに乗り大量得点をしたが、相手の追込みに20点をとっておきながら、我々は必死だった。
主将の近藤さんが賞状をもらう時、いつとは知らず、高校時代のことを想い出していた。どうしたわけか、あの時の優勝より嬉しくなかった。高校時代は三年間一生懸命勝つことばかり考えて勉強をそっちのけの時が多かっただろう。それだから賞状を読む声を聞きながら、なんだか「やった甲斐があった」と胸がつまり涙が出そうになったのだろう。だけど、日がたつにつれて、私の心は北海道へ飛んでゆき、日夜そのことが頭の中を駆けめぐった。そして日々に張合いを感ずるようになり楽しかった。
  ---白いハンティング---
 教育会館で行われた県選手結団式の時に各自に真新しい白いハンティングがわたされた。初めて自分のものとして手にするものが多かったろう。県庁前でとった記念写真にはなれないハンティングをかぶったクラブ員の姿が見出せる。出発の時は現役連にヒヤかされ、家族からも見直され、かぶったり、ぬいだり、忙しかった。故郷を離れ、上野あたりにつくと大分テレ臭ささも消え失せ、今迄あまり手にしなかったものもかぶっている。海を渡り異郷の地に入れば、もう皆すましたもの、札幌行なんて看板をはずして、チョイトパチり、だんだん紳士きどりの団体である。私なんかもこの白いハンティングをかぶったので、大人みたくなったなあと鏡の前に立ってヒゲでもはやしてやろうかしらんと考えた。
  ---船の中で---
 あとから乗り込まされた我が県選手団は一室の三県一所と言うみじめさ。その最後だからよけい。一人のものがこっち向きなら次のものはあっち向き、スキマのない様と誰か名案を考え出す。顔のとなりに足の裏が眠っているペーソス。それでも汽車よりは寝心地は良く、皆ぐっすり。黒く日にやけ、はちきれそうな若者、一列にずっと並んでいる。さながら魚市場のマグロの様な有様。それでもまだ残るものがいるので甲板にムシロを敷いて寝ている。二等船室が空いていると云うのに。
  ---窓から---
 汽車に乗れば内地では(北海道に人はこう呼んでいる)鉄路の脇ははてしなく田畑でうずめられている。が地平線の彼方迄広々とした広野が開けているので、海を見る時みたく洋々とした良い気力をあじわせてくれた。河口に出来ている入江(河の流れがゆるやかで
、海の浪が強いので海岸線に平行に湖みたいなのが出来ている)のそばに枯れた葦、青い草がはえている。ときたま山羊がつながれているのが見受けられる。如何にも牧歌的な構図だ。フリュ−トが聞こえてくるような感じを起さす程静かだ。この静かさが我々をのんびりとくつろがせてくれた。それからサイロの石塔も印象的だ。
  ---駅 弁---
 始めのうちは弁当のからを、ポンと捨ててしまったり、あるいはもみつぶしてしまったりして旅行をしているのだなと、そんなところに旅行の気分を求めて何となかったのだが
、朝昼晩も続き四度目あたりになると御膳の上で茶碗の御飯が食べたくなった。ワリバシや経木につまった商品が如何に味気ない(うまいまずいは別として)ものであるか、今日もコロッケ、明日もコロッケではないけれどよく身にしみた。
  ---車中にて---
 クラブの人ではなかったがある選手、椅子の寝台に所せましときゅうくつそうに夢でもみてたか、ふとしたはずみに下の床の上に落ちた。ところが当人そのまま大いびき、ずいぶんすごい人もいるもんだと皆で驚き、おそれている。あちらでもこちらでもそのことを話合いクスクスと女子の選手などしのび笑い。あとで起される迄ぐうぐうだったのですから。
  ---キト旅館----
 難しい名前である。往く前に"キ"は木の間違いで朴旅館と呼ぶのだろうと云う学説を?たてるものや、いや或る種の符号みたい屋号なものだと当を得ないものや、行って見ればわかるだろうと云う楽観派がいた。辞書をひいてもわからないし、物識り博士も御存知ない。お茶を濁すだけで適当に返事をする。えい、ままよ行ってみたら解かると、着いて早々看板を見たら、ローマ字でKITO旅館としてあった。小学生に読ませるのだなと考えた。小樽では古い旅館だそうである。此れは帰りの汽車で顔の赤い年配のおじさんが話してくれた。同宿は東京代表の慶大、立教高、鐘紡東京、中村高、朝の練習にこう云う人達に見物されてテレくさかった。
  ---歓 迎---
 クラブとして国体は始めての出場である。だから開催地の歓迎の雰囲気には、少なからず驚かされた。先ず始まりは、本州の最後、青森からである。我々が連絡船に乗る時、白いカッポウ着を着てタスキをかけた人達が選手達にリンゴをくばってくれた。船の中でリンゴを皆でかじった時の美味かったのを憶えている。無料(タダ)だったものな。長万部でアメ類のつめ合せたのをくれたり、途中で降りた苫小枚でも婦人会が接待してくれた。沿線の各駅には国体歓迎を書いたチョウチンや旗がたくさんさげられてあった。開催地は町中紅白の幕を張り、まるでお祭り騒ぎである。一番すごいのは商店等である。ちょっと書いてみよう。映画館(子供料金)、理髪優待券、飲食喫茶優待券(ラーメン,ワンタン,おかめ,たぬき,きつねのたぐい) ,(アイスクリーム,あんみつ,今川焼のたぐい)、お土産優待券、生ビール優待券、市内バス無料券等々、未だ数々、愉快なのは床屋さんでその券を三枚もくれたのである。「わずか四五日の間にそんな髪が伸びるかい。」「いや、とげのある方も来てもらいたいのだろう」と云われて納得したりした。一番身にしみたのは、暖かな房総の地から遠方の寒く厳しい蝦夷の地へ行った方々が種々と心を尽してお世話をしてくだされて、異郷にて故郷を知ったような気がした。”ふるさとはとおきにありておもうもの”とつくづく感じた。
  ---街にて---
 小樽は坂の多い町である。朝、我々が海の方へ散歩しに行った時、犬が数匹リヤカーを引いた自転車の主人を援けて首に綱を巻きつけ、坂を登ってゆく光景を目にした。大きなたくましい犬だった。このような犬が小樽にはたくさん居るそうである。滞在日が短かった為に、小樽の街を見物出来ないで残念だった。特に古代文字を刻んである洞穴や多くの名選手を生んだジャンプ場等。丁度この頃天皇陛下が行幸され、金田一博士の古代文字の話についての反対論がおっきく地元のジャナリズムをにぎあわしていたのを憶ている。夕方自由行動が出て、目抜き通りを歩いていた。ふと一軒のパチンコ屋にバレーボール界の御大佐藤賢吉氏が無心になって玉をはじいている姿にぶつかった。なんとなく微笑がこみあげ、とおりすぎていった。
  --試 合---
 経過批判等は別書したからはぶく。ただ残念だったのは,北海道くんだり迄行って練習試合をやったような感にとらわれたことである。開会式には県の都合で間に合わず、開場式は雨天のため中止、前夜祭は実際上前々夜祭だったし誠に不運だった。あとで聞いた話だが、参加チーム中一番遅く着いたそうである。夕方に着いて、翌日の午前中に試合、午後観戦、次の朝出発じゃ、小樽に居た時間より汽車の中に居た時間の方が二倍も多かったとは笑えぬ喜劇。
  ---帰りの道中---
 試合の後、K氏とY氏と行を共にする。先ず札幌で降り円山公園の陸上競技場へ行く。記念の切符が出てると云うのでわざわざ買いに選手証で降りた馬鹿な話。これに反し円山公園は雄大だ。公園の草は内地のそれにくらべ柔かく色も淡いその静かな感触が今でも手に残っているような気がする。しばらく観戦し、また汽車に乗った。目的地は洞爺湖である。昭和新山等山の名を前にすわっていた女学生に尋ねた。その少女の眼の素晴らしいのには驚いた。黒く深い澄んだ輝く強さには圧倒された。アイヌの眼は黒耀石みたいに輝くと聞いていたが、彼女もその血を受けていたのかも知れない。湖畔に宿をとり、久方ぶりにのうのうと寝た。翌日は真中の島へ遊覧船に乗って行く。なんの変哲もない島、唯緑にぬりつぶされた島。また車中の人となる。夜汽車だが周囲の人と話がはずむ。あとは白河夜舟。船に乗れなくてベンチにでも寝ようかと相談していた時東京方面の方----と臨時が出てくれ助かった。青森で両氏は十和田湖に向う。途中親類の家へ寄ったため、その旅装も解かずに現役の試合にゆく。辛うじて間に合ったが期待に反し敗れがっかりさせる。その翌日には大学の合宿のため東金に旅立つ忙しさだった。

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「旅日記の一ページから」

小笠原博司 

 試合が終ったのは23日、長野代表に惨敗しました。翌日は一時間汽車にゆられて、札幌の街を見物に行きました。玉沢、伊藤、加藤潔、丹羽、私の五人連れです。札幌はとても綺麗で静かな町なのに驚きましたがもう一つ驚いたのは、船橋より美人が多いことです。
 駅前通りには美しい公園があり、花園も沢山あります。皆で写真をとることになりましたが、男ばかりではというので、加藤、丹羽両君が早速、札幌の女学生二人と友達となり、私達の写真に入ってもらうことになりました。公園で五六枚パチりパチりとやり、女学生は丹羽君に任せて、私達四人はデパート巡りと云うことにしました。さて一回りして約束の五時に札幌駅に来てみても丹羽君は姿をみせずとうとう五時四十分の発車迄待ち呆けで私達はブンブン怒って小樽の旅館にひき帰したのに当の丹羽君は九時頃ノコノコ帰ってきたので、大先輩にもつかまってさんざんな目に会わされてしまいました。

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「失 敗 あ れ こ れ」

加藤 忠太 

 年の始めにあれこれの考えをまとめ、長期計画の実施をめぐって批判検討の機を得べき会長に相談し、一応此を3月としたのだが、種々の事情が重なって実現に至らず、つぎはぎの計画のまま活動にうつった。役員には役員の義務があるのだが、思い思いの計画で統一や調整もなく五里霧中の活動だったのでまずい結果になった。すっきりした制度に円滑な運営をもたらすには此以上紆余曲折の道を続いてはならない。
 十代の若さと情熱を傾けて、バレーにいそしみバレーで育った我々であれば、陰となり陽となってその偉大なる力や作用は生活の細部に迄も影響を及ぼしている。何しろ、理由はどうあれバレーボールを我々から奪われ或いは余儀なく捨てざるを得なかったとしてその悲愴な現実を味わう場面を想像してみよう----たちどころに一種の戦慄を覚えるか、骸骨に化した哀れな自分を想像出来るだろう。其程でなくとも我々の生活は大低支障を来すに違いなく、我々の不安は強弱の差こそあれ、生きる(バレーをする)苦しみ、死ぬ(バレーをやめる)苦しみ、老?の苦しみ、病む?苦しみと説いた佛教の教えに例えることが出来るだろう。クラブの現状にはこの様な苦しみと不安がないとは決して言えまい。出場のメンバーの問題にもよく現われる。個人か団体か、何れに属する問題であるかについては難しい処である。クラブは発足以来、小さな個々の苦しみをなげうって、うって一丸、県制覇へ歩んで来たが、全国の屈強にまじっては、苦の足らざるを痛感せずには居られぬ。
小さな苦、大きな苦、共に大事は大事だが、何一つにも処することなく□の瀬に立たされた。   
  ----◇----◇----
 句、茶会の交りも思っただけで出来なかった。
  ----◇----◇----
 木に竹の旅装いでたち(計画)でどうにか国体も過ぎ、此からは とは思ったのだが、所用の為に義務を果たさずに県綜合も冬季練習も終ってしまった。二兎を追う者一兎を得ずで何とも申し訳なく、はったり屋、偽善者のそしりを免れない。
  ----◇----◇----
 念願の北海道へ、久方ぶりの国体に参加することで胸も躍る思いであったが失敗又失敗の連続で情けないことだった。試合には選りに選って敗ける様な方法をとったみたいだし、県出者の人に此方の事情を聞かれても知らないことが多かった。新聞記者の取材にもあわてた。馬鹿程こわいものはないというが自分の無知が途方もない方へ発展せぬ様、秘かに祈っている。

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「県綜合に優勝して」

HL 2年 小川定雄 

 綜合選手権にOBと共に出場出来ると聞き幸福だと思った。その前の全日本予選にはやはりクラブで出て惜しくも葛飾ガスに敗れたがその試合に出る迄、打つ度にフカシてしまい、どうしてこうフカスのかと不思議な位だった。そんなことを考えながらベンチに座って試合を見ているとみんな思いきり打ち、のびのびとやって居るようである。それだからよくはいるんだなということに気がついて「どうせフカスなら思いきり打って失敗した方がよほどましだ」と思ってやってみた。すると今迄と違ってよく入る。そうだやっぱり何でも思いきりやった方がよい、とつくづく思った。又、今迄自分はOBの中に入ってやる時はマアマアだが現役でやるとどうもうまく行かない、やっぱり固くなってしまうからだろうということも気づいて居た。そんなわけで綜合には初めからのびのびと思いきりやったと思う。そのおかげで船高バレー部に入って以来一番嬉しい日であったし、又、想出ともなった。今日迄、先生、先輩、友達にいろいろ指導や注意をされて来たがその中で「もっと気を大きくして」ということを確かに何回か言われたことがあると思う。其れがあの時以来一層痛切に感じられた。此を来年の目標としていろいろ頑張って行きたいと思う。又、自分はバレーボールをやっている以上、最善を尽しみんなの為にやるつもりで居る。スポーツをやる者にとって何といっても優勝する程嬉しいことはないであろう。今度こそ現役として優勝したいと思う。最後にあの日一日の自分の行動を書いて終らせてもらいます。朝はいつも起きられないのだがあの日はまだ少し早いというのに目が覚めたので海岸に出た。そして石を拾い思いきり海に投げて、二つ以上はねたら吉、一つだったら駄目、と決めて占ってみた。すると四回もとんだので此は良いナと急いで家に帰り、朝食を済ませて出かけたわけである。試合は占いが当たったのか思った通りに行った。決勝迄は何ともなかったが決勝の対千葉大は相手に先輩の永盛、宇佐見さんが居ることを知っているので徹底的に狙われるだろうと思って少し固くなったが前衛がストップしてくれたので良かった。試合が終り家に帰って早速、今日は優勝したと少しばかり威張ってやった。そうして、永らく手をつけなかった日記帳に、記念すべき嬉しい一日の出来事を書いてから床に入り、その夜はぐっすり良い気持で寝た。

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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「思いつくまま」

石黒 弘 

○関東女子綜合選手権
 見物かたがた応援に行ったが案の定1回戦で惨敗という憐れさ。処がその後で他チームの試合を見ずに真直ぐ帰ってしまった。まさか自分達の試合をみせに来たわけであるまい。他チームから学ぶべきことは多々ある筈だと思うが。又、監督は他チーム(千葉県の)のコーチをする方が大事らしかった。とにかくチーム全員の不熱心というか、研究する意欲が不足では今後の発展?が楽しみであった。同じ日、男子は学連のリーグを観に行ったとのこと何か女子と対称して考えて良い様に思われる。
○学連秋のリーグ
 待望のFをしたのだが猿の物真似ではないが何とかやり終えた。おかげでFの難しさが判ったが、其にもましてレシーバーからボールが来なければFは何も出来ないというReのより難しさが判った。此は貴重な経験でありBの縁の下の力持ちの本当の意味が判った様な気がする。入替戦で3人も顔を合わせたのは初めてではないだろうか、1部昇格、2部残留、5部転落と悲喜交々。然し、3人といっても金子氏はもう卒業でこの顔合せは再びないものであり、記念すべき日だったと思う。
○国体
 北海道という遠隔の地であった為、再び行けないという気があったからか、土産品の旅館出張販売にたかったり、買物に出かけたりで公務ならぬ土産買占めに多忙、皆の様子から察すると土産で関心を得ようとという人がめいめいに居るらしい。夜はレスリング選手権が蒲団の上で華々しく展開される。又、アイヌの服装で撮った写真をみて「この方がよく似合う」とか「どっちが本物か判らない」云々を聞いて得意になる等様々。
○合宿
 三日目の夜だったか眠られぬ内に勝手なことを話し出したのはよいが、K君かH君だったかが星の話から。"今光った星がどうして何万年も前に光った光なのか”はよいがその内に"流星が地球に当って反対側からぬけたらどうなるか””そりゃ海の水がなくなってしまうだろう”などに到って先輩のK氏今迄眠ったふりをして居たのが吹き出してしまう。又、此らの馬鹿馬鹿しい質問に一つ一つ答えて居たU氏も遂にここに到っては答える術もなく笑うばかり。何時の合宿にもあることだがベットから転がり落ちる人が出る。当人は眼いから黙ってコソコソとはい上がってもぐりこんでしまう。此は男女共に差別がないそうだ。
[編集者註]
 女子の方から名誉キソンの訴えがあっても私は責任もてません。
石黒君の方へ直接どうぞ

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「言 い た い 放 題」

金子 一雄 

 今年は余りなかった様ですが二つ三つ拾ってみましょう。
○その1
 今年から登場した葛飾ガス、Reは悪くても御酒本氏という決定力をもつだけに強いチームです。きっと年毎に強くなって県のレベルを引き上げるのにつくしてくれるでしょう。早大から3名、明大から1名と本格的なバレーを知って居る人が入って居ます。処が此のチームで一つあれがなくなればと思うことがあります。其は審判に対する態度であります。チームの中の1人か2人ですが試合中に盛んに審判をけん制し又、一寸したミスでもあろうものなら試合後迄で大した抗議のしようです。勿論僕だって審判がルールを間違えて居たりしたら徹底的に文句をつけます。然しHとか#とか等々にについては遠慮するつもりです。試合中に聞えよがしに変なことを言ったり、千葉県の審判はこんなものなんですか、と言ったり、其が年輩の而もバレー人として相当の権威ある人の言葉だけに御本人の為にも残念に思います。むしろその豊かな経験を活かして新設に助言してくれたら、と思うんですが
○その2
 秋の県綜合準決勝葛飾ガス対千大でレフリタイムの後ワンモアかツーモアかで葛飾と審判の間でもめて居ました。結局審判が頑張ってしまいましたが、此の時は明かに葛飾の方が正しかったのです。即ち第二サーウ゛で始まったプレー中のレフリタイムの後で審判はツーモアを宣した訳です。此の審判は29年県協会の推せんで日本協会公認審判になった人です。此の時は僕も葛飾に同情しました。
○その3
 現役の選手に#の高さやコートの広さを知らないのが居たというからアキレタネ!
全く。笑い事じゃない。船高の奴なんだぜ!
○その4
 定時制高校大会の審判に行って驚きました。8面に11人、1人4〜5試合連続、而も準決勝迄はアンパイアなしでやったんです。全く千葉県は審判が少ないんです。我々の試合の時だってそうでしょう。然し、此はプレーヤーが余り役員任せにしているせいじゃないかと思います。自分のところが敗けたら審判に早変りするとか、1回戦頃の時間的余裕のある時は審判するとかいう人がもっと居てもいいんじゃないかな。尤も僕自身、優勝しようと思っている大会の時に、朝の内審判なんていやだと思うし、敗れればぐったりしちゃうし、何かうまい方法はないもんでしょうか。大体、審判出来る人はもっといる筈なんですが来ないんですね。其れにつけても毎回必ず顔をみせて運営に努力される協会役員の方達には大いに敬意を表さねばなりません。審判はおろか#張りからボール運びまで少人数でやって下さるんですから。
  ----◇----◇----
附記 その2の様なケースについて日本協会ルール委員長池田久造氏に御意見を伺ってみました。
イ.本部つまり審判長より注意することは一向に差支えないばかりでなく、審判長は進んで事態の処理に当らねばならない。
ロ.この様な明確な解釈の誤りの場合、チーム側より審判に対して審判長に問合せて欲しい旨、希望して差支えない。
ハ.此のことが試合後に提訴された場合、時効であって、審判としては道義的責任しかなく、解決法としては陳謝等ということになる。

以上

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「結 婚 と 私」

部長 田中宗男 

 私の年頃には人々から兎角結婚の話がもち出されるが、私が最初にその話をきいたのは普通いう所の交際は別として、学生時代の終りであった。もう丁度6年間、時々そういう話をきかされて来たわけだが昭和29年8月、(国体出発直前)に話が決まって、遂に人生に於ける第二のスタートラインに着いたわけである。最初の内は折角真面目にそういう話をもちかけてくれる人に、義理的には、”まあよろしく”といい乍ら、心の中では、”俺はまだまだ左様なことは----”と思わざるを得なかった。24,25,26と年が経つに従って、ものの考え方が大分核心化するとでもいおうか、今かんがえてみる時、その頃の思惟思想というものは誰でもそうであろうが、所謂”若い”という言葉につきると思う。
 即ち、思想的には数多く注入しようとし、蓄積されつつある思想は思惟と均衡を保たず行動に現われ、現われる行動は思惟に乏しく青年の特徴とでもいおうか、情熱にまかせ、又一つの感激の範疇で行動に移そうとするということであった。此の6年間に色々と異った話もきき、立派な人との直接なる会話も行ってみたが今更その様なことの一こま一こまを綴る必要もあるまいし、発表するのもどうかと思う。もともと私みたいなものに、結婚というものに対して何から何迄希望通りの成立を考えよう資格もないし、又、筈もない。
 むしろ、気持よく結婚してくれる処の人があれば、という考えが2,3年前頃から強くなって来ていたことは確かであった。只、人生の幸福という事は、困難が少い或は全く無い、ということにあるのではなく其等をを総て立派に克服することにあるだろう。若しそうでないなら-----という私の日頃から思う考えに同調して呉れる人!だけは少なくとも得たいと思って居た。まあ、結婚というものは、実際行う前は、お互い何だかんだと都合の良いことばかり言ったり望んだりしているが、詰る所は俗にいう”運”だと思う。勿論、結婚に対する諦めをいうわけではないが。私の結婚の場合も全然予め思いもつかったことで、丁度昨年8月、国体で北海道に行く前、バレーボールのコーチを一寸し、その足で、田舎から母のもって来た話の課題を解決に出かけ、1時間ばかりで決めたのであって、何等六年間の賜物だとか、恋愛だとか、近頃流行る閼まあ甘々しいものではなく、一目惚れといえばそうであろうが、簡単なことさ。でもその様なことになる迄には一寸面白い、必然とは思えない偶然性が考えるが、いつか機会があったら話し合うことにしよう。此から先、私達も出来得る限り合理的な生活をして行くつもりにして居るが、その方法としては妻と合意的な解決に進みたいと思って居ます。そして船高バレー部諸君は勿論、総ての人とも今迄と同じ様な気楽な気持で交際して貰い何時もスポーツマンらしい和やかな明るさと若さを保ちたいと現在健康的な生活を習志野の地、船高教員宿舎で送って居ます。とかく人は、”彼は結婚前はあの様な奴ではなかったが妻が一寸面白くないから、彼迄最近は面白くない”と言いがちだが、私もその様なことがない様、あらかじめ皆さん方に今後ともよろしく御忠告、御叱咤の程を紙上乍ら、お願い致しておきます。又、妻の方も男性と同じくそうであろうが、想出深き1954年を終り、1955年1月! 結婚後1ヶ月!
第1回の元旦に!!

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「お し ら せ』

○年も押しつまった12月クラブから2人がゴールインというか新たにスタートというかめでたく華燭の典を挙げました。
まず1日 田中宗男氏(28)が郷里福岡にて和子夫人(25)を迎えられ、新婚旅行を兼ねつつ当地へ帰って来られました。住居は前と同じとのことです。
次いで 高橋鋪氏(27)が貞子夫人(24)と共に、夫人の実家近く東金に新居を設けることとなり19日挙式後行われた披露宴は会費制の新形式でクラブからも8名出席致しました。
尚、田中氏にはクラブから菓子器、現役から座フトン1組、高橋氏にはクラブからアルバムを夫々お祝いとして差上げました。
○コートが新設されました。

 


 昨秋、何度目かの校庭拡張と整地に伴い東南隅、昔々は小高い丘で、芋を作っていたあたりに2面並べて完成しました。ポールは1面だけ差込式、トラック側には、2米位の高さの金網を張ってありますが反体側は垣根で、すぐ向うに人家があり、その点注意せねばなりません。特にOBの狂サーバーは御注意。

○クラブの会費については別項の如く総会で決定されましたので納入方お願い致します。
基本会費年額百円、OB,OG全員  特別会費年額千円、OBの内練習に出る者 特別会費は分納可
○今年度 現役よりクラブへの登録者は、BC纐纈、HL小川、HC佐藤、FC蜂谷、
FL海老沢の5名
○ルールが変ります。男子一般はコートが11mX22m、ネットの高さが2m30、となります。又、胸部にチーム名の他にナンバーを付することとし、此をフロントナンバーと称する。バックナンバーと両方つけるわけである。

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[合 宿 ゴ シ ッ プ]

 あれは第1回の25年3月でした。マネージャーのK氏は風呂の帰りに同勢数人で一升びんをぶら下げS酒屋へ醤油を買いに入りました。K氏は丹前姿、坊主頭にはぬれ手拭、他の面々も似たり寄ったりです。酒屋の小母さん 「上の学校の方ですか」 一行 「そうです」 小母さん「寒くて大変でしょう。随分捗りましたか」 一行『?! 違う!--
、学生ですよ」  つまり一行は折しも宮中の工事をして居た飯場の連中と間違えられたというわけです。

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 第2回はその年の8月、今と違って風呂帰りのアイスキャンデー等各自の責任に於て、ということになって居ました。K,M氏等がT菓子店で一本ずつ買入れて丁度S酒屋の前で待って居りますとI先輩が追い付いて参りました。「俺の分は?と手を出す先輩にK氏、『そこに売っているよ」とS酒屋を指せば慌て者のI氏はガラリと開けて、「僕にもミルクの1本」 店の娘さんはキョトンとしている、悪童連はゲラゲラ笑う、I氏、怒るより恥しくて、赤くなってしまったというお話。

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 昔は食器は全部各自持参、一寸見は小さくともいやに深い丼があったり、今柔道初段のH氏もなんか丼というより鉢みたいだったり、様々でした。食事といえばN先輩が絶対に人参を口にせず混ぜ御飯から選び出して脇におくのは今の合宿に来ても未だやっているが、もう1人N氏はオコゲが駄目。タチの悪いのが下の方にコゲを入れ白い処でカバーしてやれば、二口、三口でコゲが見えたとたんに、わあ--と悲鳴をあげる位だったんだから恐ろしい。

-----◇-----◇-----

 昔の話ばかりで恐縮ですが自分等で炊事して居た頃の或日、確か第1回でした。SY氏が御飯を炊いて居たわけですが他の連中はトラックを走って居るのに吹きさらしの処でじっとして火の番は辛かったとみえて、「寒いな、1回だけ一緒に走ろうか」「OK」てなことになったのが運のつき。帰って来たら薪が落ちて火はチョロチョロ慌てて燃やしてみたものの、遂に「芯があるぞ」の批難を1年位言われ通しだったとは、お気の毒でした。

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「上 位 に 出 た の は (28年度迄)」

◎中学、高校男子
 ◇優 勝 5回
◇2 位 3回 
 ◇3位又は準決勝にて敗退 5回
◎高校女子
 ◇優 勝 0回 
 ◇2 位 1回 
 ◇3位又は準決勝にて敗退 2回
                   第7回秋季高校選手権、地区予選
◎クラブ
 ◇優 勝 7回、第5回県一般選手権、第9回国体県予選一般の部、第7回県綜合選手         権
 ◇2 位 10回 
 ◇3位又は準決勝にて敗退 5回、第30回全日本綜合県予選


「何 回 試 合 し た か」

高校男子
 6勝11敗 公式 対高校1勝2敗、対一般0勝0敗
      練習 対高校5勝6敗、対一般0勝3敗
高校女子
 7勝6敗 公式 対高校2勝4敗、対一般0勝0敗
       練習 対高校5勝2敗、対一般0勝0敗
クラブ
 15勝3敗1分 公式 対高校0勝0敗、対一般12勝2敗
         練習 対高校2勝0敗、対一般1勝1敗1分
  [総 計]
中学、高校男子 22年度より
 147勝70敗2分 公式 対中学高校47勝22敗、対一般3勝5敗
         練習 対中学高校80勝19敗1分、対一般17勝24敗1分
高校女子 25年度より
 26勝18敗3分 公式 対高校16勝13敗、対一般0勝1敗
         練習 対中学1勝1敗、対高校15勝7敗3分、
            対一般1勝2敗
クラブ  23年度より
 78勝28敗 公式 対高校9勝1敗、対一般61勝22敗
       練習 対高校15勝2敗、対一般8勝6敗1分

(目次へ)
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「数 字 は 語 る」

金 子 

 本年度及び我々のスコアブックに於て、特別に用いている記号を次に解説しておく。
F→フェンイト、→アンダーオーバーネット、#M→ネットプレーミス、toM→トスミス、CM→カバーミス、JM→ジャッジミス、が新しく作った記号であり、解釈をを統一したものとしては、K、St等は夫々Kされたボール、Stされたボールに対する失敗を表わし
、KM、StM等Mを附した方はKする時、Stする時の失敗を表わすこととした。
 TM,KM,FMを総括してAMと記し、T,K,Fを総括してRMと記すこともある。又、本表に用いているM1=#),#M,#, M2=M,AM,toM.JM,CM、M3=RM,StM,St、M4=H,Dである。StMがM2でなくM3に入って居るのはM3を何等かの相手チームの力によって生じた失点という意味で定義した為であるが、相手のレバンドに因る#,Dは夫々M1,M4に入って居る。
 相手Atがノータッチで決った時はその位置のみを記しT,K等はふさないが集計に際しては此もM3に入れてある。
 公式記録に於て失点と称して居るのはM1,M4の内全然相手の力に因らないもの及びSS,M2である。尚、我々のスコアブックでは中間に落ちたボールはFLTーHLーHC、HL、HCの様に示し、BLが一応上げたが悪球てカバーが無理であったという時はCMにしないで5KーBL〜HCの様に示して居る。
 今後スコアをつける人も以上の方式に依って頂きたい。
 他に S=S1+S2、入T率=入T数/打数、S率=S1-SS/打数
 22年度はS2は全部相手Mにしてある。
 23年度はSを唯Mと記してある為S不明、又両年度共M2,M3がいずれもMとしてある。
 24年度はスコアブック一部紛失。
 26・27年度クラブは試合数少く合計してある。
 参考記録はS関係のみとする。

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[第1回会合 決定事項の報告]

---OBは御注意---
 2月21日 今年プレーヤーとしてやって行こうという者の内10名が出席していろいろ打合せを行いました。2.3.6は特に注意
1.年報
 年報は一般会費で賄う。従来別に千円を要したが今回の予算は三千円とする。発行は宇佐見を中心に行う。
2.本年度練習日
 とりあえず7月迄を決定、特別のことがない限り晴雨に不拘行う。なるべく試合を多くする。○印は公式試合
 3月 13日、27日  4月 ○3日、17日  5月 1日、15日、29日
 6月 ○5日、19日  7月 3日、17日、24日、○31日
3.役 員
 懸案のマネージャーは会計担当と事務担当に分けることとなり次の2君の自発的申出により一年間お願いすることにしました。
 会計 伊藤 明、 事務 小笠原博司
 又、従来プレーヤー以外の一般会員との横の連絡が不充分でしたので次の通り連絡係を決めました。
 旧制及び一期 近藤、加藤  二期 金子(代理)  三期 小笠原  四期 伊藤    五期 永盛、中台  六期 加藤、矢吹  七期 小笠原、片岡
4.合 宿
 食事について合宿の項に記載の通り申し合わせ。
5.マーク
 フロントナンバーをつける様になってもマークは変えない。
6.現役のコーチ
 近藤,加藤、金子、宇佐見にて田中部長と話合いました結果、先生としては4月から毎日練習をみるというわけには行かないし、合宿中も丁度忙しい時に当って、充分練習をみられないとのことでしたので、次の様に決定しました。
イ.男子のコーチとして近藤が毎土曜、宇佐見が週2〜3回練習に出る。
ロ.合宿は宇佐見がやる。
ハ.昨年迄も同様程度のコーチを宇佐見、永盛等が行って来たが、今回は監督としての権限を相当程度委任して頂き、従来の様な単なる部長の下働きではなくする。
ニ.上記2名はOBの代表という意味でハ.同様な資格をもたせてもらったのであるから各OBは現役については宇佐見、近藤の意見を尊重し、一応この2名を通して現役を指導する様にする。
 その後、男子に於ける宇佐見と同格の資格で女子の方の監督を金子がやることになりましたのでOB,OG各位はよろしく御鞭撻下さい。尚、逆に云えば上記2名の責任は重いわけですから今迄より一層みなさんの意見を上記2名に申出下さることを期待します

 金 子 

「昭和30年度日程」

 公式大会日程の内現在迄に判明したものは次の通り(関係分及び観戦可能の分)
 ◎千葉県 総て男女同日、四街道
 都市対抗予選       4月3日  
 高校選手権        5月7〜8日
     全日本高校、関東高校予選を兼ねる。
 一般選手権、実業団選手権 6月5日
 全日本綜合予選      7月31日
 国体予選一般之部     8月21日
  同  高校之部     8月21、28日
 綜合選手権        11月6日
◎関東、南関東
 都市対抗         4月16〜7日
 関東高校男子
 同 綜合男子
 同 高校女子
 同 綜合女子
国体予選一般之部
 (埼玉、千葉、神奈川)   9月18日
同 高校女子之部(男子は二次予選なし)
 (埼玉、千葉、神奈川)   9月
 関東綜合女子
◎全日本
 都市対抗         4月28日〜5月1日   大 阪
 大学女子         7月22〜24日     東 京
 同 男子         7月28〜31日     東 京
 高校男子         8月4〜7日       姫 路
 同 女子         8月4〜7日       熊 本
 綜合男子         9月8〜11日      東 京
 国 体          10月30〜11月3日     神奈川
 読売選抜大会       11月19,20日        東 京
 一般東西対抗       11月26,27日        東 京
◎アジア
 第一回アジア大会
  6人制及び9人制     5月14〜17日      東 京

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「編 集 後 記」

金子 一雄 

▲原稿の内容的な編集のみうけもたせてもらいました。毎年、この為に11月から3月迄 、随分気をつかうし時間もつぶし、いやになることもありますがやっぱり出来てみると嬉しいものです。今年は昨年よりも筆者の顔触れが豊富であるとはいえ未だ未だ多数の方に書いてもらわねばなりません。少しずつでも皆が書いてくれると面白いものが出来ると思うのですが、特にOGから一人も出てないのは残念です。今年は協会の鈴木理事長が一文をお寄せ下さるというのでお待ちして居たのですが、年末から永く患われたとのことでとうとう実現せず、此も大変残念でした。

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▲いささか文句じみますが、今迄3回8年分をやって、今度の現役程だらしないのは初めてでした。この為に発行が二ヶ月も遅れてしまいました。其に活動状況にしても脱落の多いものになってしまいました。今迄一試合ももらさず記録して来たのにと惜しまれてなりません。

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▲昨年はOBの華やかさに比べて、現役は両方とも哀れでした。今年は三者とも大いに頑張りましょう。 OBの方も今年は一昨年、昨年の様に楽な途じゃないでしょう。

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▲宇佐見君がどんな本に仕上げてくれるのか楽しみにして原稿を渡します。

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宇佐見武男 

△今年度最初の話合の時だった。昨年、一昨年の年報費が七千円もかかり予算総額 壱萬五千円の半分が年報に費やされバレーボールを楽しむ方にはまわらない状態であったので試みに今年度は自分等の手でと言う意見を出したのが具体化したわけです。

          
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△何分にも素人の手で作ったものですから、印刷の不鮮明、製本の悪さは御許容下さい。

          
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△最後に皆さんの原稿を全部独りで整理されて下さった金子さんに紙上を借りて、お礼を申上げます。それから合宿中、印刷や製本に協力してくれた現役の諸君にお礼を述べさせてもらって終ります。


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  昭和30年5月 日   印刷発行
           編 集 者      金 子 一 雄
           発 行 者   千葉県立船橋高等学校
                      バレーボール部
                    船 橋 高 校 ク ラ ブ
           印 刷 者    宇 佐 見 武 男

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